誰にもわたしは止められない
「さあて、現在位置は……」
正門近辺で施設案内のパンフを受け取り、見える範囲で照らし合わせて何がどこにあるのかを見極める。
セリオ・ピューロランドは正門が三階にあり、そこから二階・一階へと下って進む施設だ。催し物は多く、足を止めて観ていけば長いが、ただ下るだけならそう広くない。
「女王様だもの。いるとすれば……ここよね」
綾乃が見咎めたのは一階中央。巨大な木の下に作られた観覧ステージだ。普段なら着ぐるみマスコットたちの楽しい歌と踊りで観客を楽しませている場所。奴が立て籠もって一週間。王が居を構えるならばそこしかない。
「覚悟しなさいガキンチョ。あたしがケリをつけてやる」
テーマパークという触れ込みだが、立地の関係もあってか迷うほど広くはない。眼前に設置された階段を降りれば、玉座の間はすぐそこだ。
「突、入ッ!」現役時代同様のクラウチングスタートの構えから、お尻をぐんと跳ね上げ、階段へ向けて爆速ダッシュ。現在地たる三階を抜け、最下段の一階へとひた走る。
(妙……ね)
二階に降りてすぐ見ゆるはモニュメントめいた時計の城だ。そこを突っ切れば一階までそう時間はかからない。しかし、段を駆け下り、バルコニーに立った綾乃の目には、全く同じモニュメントが映っている。
気のせいか? 一度二度ならそれもあろう。しかし、五度六度同じ物を見せられてしまえば、それは必然と言って差し支えが無いはずだ。
「また、こんな小細工!」
初回こそ面食らったが、二度目はない。綾乃の目は眼前の階段ではなく、いつまで経ってもピンクのままの壁の方に向いた。
「ズヴィズダちゃんを、舐めるなぁあああ!!」
スピードの乗ったその状態で床を蹴って小さく跳び、下半身を左に大きく捻る。前に進む正のチカラと後ろに戻らんとする負のチカラ。相反するパワーが右脚の一極に集束し、空中横回し蹴りとなって解き放たれた。
「ビンゴ!!!!」
壁が砕け、下層部への道が拓いた。押してだめなら引いてみな。仕様の穴を突き、このまま本丸に乗り込んでやる。穴を開けたその勢いのまま、本拠地目掛け押し入った綾乃を待っていたのは。
「きゃーーーー?! ナニ? なに何ナニーっ!?」
「ナンなんだ君は?! どうしてうちの部屋に!」
干し草色の畳に覆われ、四角いこたつを囲んだ古き良き日本の居間。若い男女がぐつぐつと煮えた鍋を囲み、楽しそうに端でつつく中。綾乃はその最中に飛び込んでいた。
「何って、ナニこれ!?」
鍋の中で程よく煮えていた大根が、しらたきが、餅入り巾着が弾け飛ぶ。こたつの中の男女は奇声を上げて仰け反り、ひっくり返された鍋を前にあんぐりと口を開けていることしかできない。
「しつ、失礼しましたッ!」
何が起こったが理解できないが、ずっとここに居てはいけない気がする。綾乃はわけも解らず詫びを入れ、開け離された襖の奥へと戻って行った。
「どうなってるのよ……?」
敵の術中に嵌ってもいい。とかく今は態勢を立て直さなくては。綾乃はそう自分に言い聞かせ、あの無限ループ空間に戻ったのだが。
「さ……むうぅっ!?」
この穴の先はセリオ・ピューロランドの大階段に繋がる筈だった。事実そこから出て来たのに。駆け込んだ先にあったのは、ボタ雪の降りしきる寒々とした山岳地帯だった。急な気温変化にお腹を隠し、振り返ればそこにあるのは真っ暗な洞穴。寒さで頭が冴えたのか、綾乃はやっとこの異常事態の意味を理解する。
(あのガキンチョ、あたしを好き放題ワープさせてるってこと?!)
望めばなんでも願いが叶うまほうのティアラか。ヒトガタカマキリや歌でヒトを洗脳する連中など、トンデモ現象には慣れっこだと思っていたが、今回ばかりは桁が違う。
『GARRRR……』
「がるる?」
洞穴の奥でくぐもった雄々しき叫びがこだまする。一体何が? 振り返った綾乃の鼻腔をくすぐる、獣臭いこの匂い。
「ちょっと待って、冗談じゃないわよ」
暗がりの中でもぞもぞと動くそれは、柔かい土を踏みしめて、確実にこちらに迫って来る。二歩目で輪郭が確定し、三歩目にはそれが何だかはっきりと認識出来た。赤茶けた毛皮に三メートルはあらんかという威容。獲物を引き裂く鋭利な爪と牙。なる程寒い訳だ。ここは日本の最北端・北海道。そこに生息する日本最大の肉食獣――。
『ROARRRRRRRRRRRRR!!』
「ひ、ぐ、まぁ!??!」
この時期のエゾヒグマは冬眠に向けて栄養を蓄えている。そこにしっかりと肉のついた人間が現れれば襲わない理由などない。綾乃は戦うよりも逃げることを選んだ。素手で熊と格闘戦を挑むという異常事態を自らの本能が拒否したのだ。
「無理無理無理無理、熊は無理無理死ぬって無理ぃいいい」
北海道の原野を全力で駆け抜けるが、ヒグマとの差は縮まらない。道に深く降り積もったボタ雪がその答えだ。走りづらい雪道、踏んで持ち上げるまでに速力を削ぐ堆積雪。マイナス十度近くに達する寒冷地帯。その総てが綾乃の膝にのし掛かり、その差は徐々に詰まってゆく。
『GARRRR!!』
「ひ、いっ!!」
熊の鋭利な爪が走る綾乃の足裏を掠めた。寒い。思うように走れない。寒いこのままでは捕まって食い殺される。寒い、寒い、寒い!
「あっ、あっ……ああ、っ!?」
『ずぽ』という音と共に、綾乃の身体が急激につんのめる。この下には地面がない。そう気付くのとほぼ同時に、自分が薄氷を踏み抜き、川に落下したことを理解した。
「う、そ、でしょ、ぉおおおおお」
この極寒の冬空で薄着のまま水の中に放り込まれれば、体温は瞬時に奪われ心停止は確実だ。それだけは避けたい。避けたいが、踏み抜いて前のめった身体は元には戻らず、たとえ戻したとして、背後には腹を好かせたヒグマが待ち構えている。前門の虎・後門の狼とはこのことか。いま命を奪わんとしているのは熊なのだが。
「い、やあ、あぁああああ!!」
しかし、綾乃は川に落ちることも、熊の餌になることもなかった。身構えていたが背筋も凍るあの寒さも、自分を追い回す獣臭さも突然途切れた。
けれど変わらないものもある。なんだこの浮遊感は。浮遊感? 浮いている? 目の前が池で、ここまでずっと雪道を走って来たのに?
「え。ちょっと待って。待って待って待って!」
疑問の答えを求め視線を下に向けて見れば、自分の身体が落ち続けていることに気付く。ここはどこだ? 周囲のものが小さすぎて視えない。見えない程小さい? 北海道の原野はどこだ? 自分は今何をしている?
「冗談じゃない、っつーの……」
あの骨身にしみる寒さに代わり、自らを燻るような強烈な熱気が綾乃の身体を覆い尽くす。ここが何処かはわからない。しかし、自分がこの先何処に向かうはわかった。赤く燃えたぎる灼熱の溶岩が、矮小なる自分を飲み込まんと大口を開けていたからだ。
「なんで火山んんンンン!??!」
程なくして綾乃の身体は気流に煽られ大の字を作り、パラシュート無しのスカイダイビング状態へと移行した。寄る辺は何もない。放っておけば数千度のマグマの中へと真っ逆さまだ。
「死んで……たまるかぁ!」
三度異常事態に出くわし、綾乃の側も心の準備が出来たのだろうか。即座に両の脚を太腿に引きつけ、跳躍の為の力を込める。
「ど、お、りゃああああ!」
脚に増設された二つのバネが、曲げられてアーチを描き、下半身に強烈な圧を加わう。瞬間、綾乃は何もない『空』を蹴り、その場から百メートル近い距離を横に跳んだ。
「よぉし!」
火口に落ちなければ良いのだ。空中で距離を稼ぎ、その近辺の地表に降りる。自分は魔法少女だ。やってやれないことはない。バネを強く曲げてもう一度、浮いたところで続けて跳躍。これを繰り返してさえいれば――。
「え」
四度目の跳躍で空を蹴ったその先で、『どぼん』という音と共に、発生した反発力が急に失せた。何が起こった? 混乱極まる綾乃の目に映るのは、深く重たい青、蒼、碧。
「ごほ……ごぼがぼごぼ!?」
水だ。目に染みる濃い塩水。自分は今海の中にいるのか。跳躍の為の呼吸が仇となり、肺の中に水が押し寄せ、強烈に咽せ返っている。
「がぼ……、けほがぼごぼばごぼぼぼ」
抜け出さなくば死ぬ。綾乃は即座に頭を切り替え、遠い昔に習った拙い平泳ぎで、光の指す水面に向かう。
「ごほ、がぼ! がは! ごぼ! がッ!」
尽く、脚が役に立たない状況だ。自分という存在の矮小さが浮き彫りになる。奴はそれを狙っているのか? 光を求め、必死に手を振り水をかく綾乃は、疲弊して根を上げつつある脳を働かせ、この異常事態の意味を考える。
後少しで水面に届く。もう待ちきれないと手を伸ばし、手の平が海水を突き抜けたその瞬間、綾乃の身体から自由という自由が消えた。
「は……あ?!」
伸ばしたはずの手がだらりと下げられていて動けない。苦しくない。息は出来る。出来るのだがとてつもなく獣臭い。生きているのなら何故動けない?
彼女の視界にあるのは木組みの粗末な小屋とドア。くすんだ金髪と蒼い目をした中年の男女がその周囲に干し草を山と積んでおり、時折自分を目にして訳のわからない言葉を発している。
「ねえ、ここなに? あたしはどうなったの!?」
更に目を凝らして見れば、干し草の合間にくたびれた狼の姿があった。しばらく見つめるが動く気配はない。動けるはずがない。大口を開け、伏せの状態で静止したそれの中には、事切れて死んだ魚の目をした、男の顔!
「うそでしょ、夢なら醒めて」
改めて目線を下にやる。何故動けないのか。この鼻孔をつんざく獣臭さは何なのか。綾乃はその理由をなんとなく理解した。自分の身体が、熊の毛皮にすっぽりと包まれ、この小屋に縛り付けられている。
「ナンデ!? この状況ナンなの!?」
訳も解らず、周囲も何も説明せず。『儀式』は淡々と進み、男たちは手近な松明に火を付け、干し草の中へと投げ入れる。彼らは綾乃ら『いけにえ』に深々とお辞儀をし、小屋から出て錠を下ろした。
「待って! 逃げるな! 出して、出してってばアツい!!」
まばらに置かれた干し草が火を伝わせ、あっという間に炎と変わる。入り口付近の狼はすでにまっ黒焦げだ。乾いた死体はよく燃える。
「止めて! 出して! こんなのやだ! 絶対嫌! 出して、あつい! 出してぇえええええ」
左右に置かれた干し草が延焼し、綾乃を包む熊にも火がついた。尻の辺りが猛烈に熱を持ち、どんどん足や腹に向かってゆく。
「あつい! 暑い! ヤダもう嫌ぁああああ」
毛皮を通して縄で固定されているのか、身動いでもみ消すことさえ叶わない。このまま意識を保ったまま焼かれて死ぬのか? 他にもう手はないのか?
(そもそも、あたし何のためにここまで来たんだっけ)
…………
……
…
「あはは。あははのは。ああ、面白かったあ」
この事態に疑問を覚えたその瞬間。綾乃の尻近くで燃える炎が消え、手足の拘束から解き放たれた。九死に一生を得た綾乃は即座に顔を上げ、前を観る。大きな木の下に造られたステージ。壇上に背もたれが異様に高い長椅子が置かれ、大仰な拍手で自分に笑いかける少女の姿があった。
「やー、楽しませてくれてありがと。傑作だったよォ。ビビり散らして誰彼構わず助けを求めるその顔!」
プラチナブロンドの長くしなやかな髪。あどけなくも自信に満ち満ちた顔。頭頂に抱えた虹色のティアラ。見てくれは殆ど変わらない。けれど、たったの一週間で、醸し出す雰囲気はまるきり別人と成り果てた。
「みら。そこにいたのね」
「違う」着ぐるみたちの親玉はちっちっちと指を振り。「私はアイム。我妻アイム。この地上から争いを無くし、恒久的な平和をもたらす存在」
彼女の目線の先――、綾乃の後方・観客席上方には、半透明のスクリーンがところ狭しと並んでいる。映し出されているのは世界情勢と多摩市上空のリアルタイム画像だ。何処かの国がドローン兵器を送り込み、その爆撃総てを各々の軍事施設に送り返している。
「武器を持って睨み合うセカイはもうおしまい。わたしが全部奪ってあげる。もう二度と、誰も憎しみ、争わないように」
「そんなの詭弁でしょ」綾乃は敵の思想を無駄だと即座に切り捨てて。「あんたなんかに世直しなんて出来ない。今ここであたしに倒されろ。ガキンチョ」
「ふぅん」アイムはわざと上擦った声で応え。「やって見せてよ。あなた一人で出来るんならさ」
「ひとりじゃないわ」憎たらしい娘子を前にしながら、綾乃の右耳はステージ外に響く『ノイズ』を捉えていた。どたどたと騒々しく駆ける音。ばんと地を蹴りつける跳躍の音。それが何かはわざわざ見るまでもない。今ここで、着ぐるみたちの波を搔いくぐれるのは自分以外には一人しかいない。
「づ、あああああッ!!」
巨大な鎌と、不釣り合いなヒトの身体を組み合わせた異形。主を守るため、穏やかな死を否定し戦場に立った、カマキリたちの長女プレティカが女王の座すステージに押し入った。
「よぉやく見つけたぞ、"我が"女王様を脅かす魔物めがァ」
東雲綾乃と瑠梨の配下プレティカ。互いに互いを助ける義理はないが、向かう場所は唯ひとつ。今もなお目を覚まさぬ友人のために。主の生存を脅かす怪物を駆逐するために。
「これで二人よ。それじゃ、始めましょうか」
「女王様の為に、その血肉をブチ撒けろ」