あたしがやらないで誰がやるの
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むかしむかし、あるところに取り立てて特徴のないふつうの夫婦がおりました。
夫の名は陽一。妻の名は優樹菜。一般的な会社員と専業主婦で、そこそこの収入で食べるのには不自由せず、代わりに向上心はほとんど無く、今の生活がずっと続けばよい、が二人の口癖でした。
『けど、それってなんかおかしいよ』
しかし、ふたりの間に産まれた娘、アイムはそれをヘンだと疑問に持ちます。子どもの頃から優秀で、父母の平凡さが我慢ならなかったのです。
『お父さんは頑張れば他のひとたちにぺこぺこせずに済むんだよ。お母さんだって、大変な家事は全部人任せにすればいいのに』
アイムは父母にこうすればよい、あぁすれば良くなると熱っぽく訴えますがわいくら優秀でも子どもは子ども。夫婦は娘の言う事を聞いてはくれません。
『――何故って。それはキミにチカラが無いからさ。いくら話し合ったとして、子である君に、親であるふたりが首を縦に振ることはない』
うんと悩んで、困っていたその時。アイムの影からピンク色の外套を纏った『なにか』が現れ、彼女にそう助言しました。「ならどうすればいい?」、そう尋ねると、金色のとてもきらびやかなティアラを出して、こう言いました。
『――話は簡単だ。チカラを手に入れればいい。このティアラは何かをしたい、何かがほしいと願えば、それがそのまま手に入る。使い方はキミ次第。頑張りたまえ』
アイムはチカラを用い、たくさんの不可能を可能にしてきました。けれど父母は彼女を褒めてはくれません。なんでもなんて出来なくてもいい。そんなことをしてはいけない。どんな善行を繰り返しても、返ってくる言葉は否定ばかり。
『お父さんとお母さんの解らずや。もう知らない。ふたりとも、わたしのことなんて忘れて、どっか遠くに行っちゃえばいいんだ!』
そのこどもらしい癇癪を、まほうのティアラは願いと捉えました。ティアラは主の望みを叶え、我妻アイムは家族の記憶を総て失って、両親の住む場所から遠く離れた場所に移されたのです。
「あれ……? ここはどこ? わたしは、だあれ?」
残されたのは自分に紐づく記憶を総て無くした九歳児と、何でも願いの叶うまほうのティアラ。何でもできるおんなのこは、何もできないおんなのこへと変わってしまったのでした。
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「女王……さま」
夜明けと日暮れが七度繰り返される中、プレディカは身体を横たえた草むらからようやく身体を起こす。時間をかけて砕けた骨を継ぎ、千切れた筋繊維を縫合。やっと立ち上がれるまでに回復した。
だが、魔力と魔力のぶつかり合いでなくした部位はもう戻らない。ちはるに裂かれた上腕から下は治癒では帰って来ず、彼女の腕は肩に吊られてぶらんぶらんと揺れている。
「私が、必ず守ります」
戦わなくては。主を脅かす化け物共を倒し、安全な場所まで逃してやらねば。戦う力が欲しい。何か他に手はないのか。
苦い顔をするプレディカの目に、自分同様野ざらしにされた、主謹製の巨大アーマーの残骸が留まった。
※ ※ ※
「起きて、くれへんね」
「あんたが来てくれれば、あるいは……って思ったんだけど」
時計の針が十を指し、日もどっぷりと落ちた月の暮れ。親友ふたりが傍らにおってなお、西ノ宮ちはるは目覚めない。
「でもさ。今はちょっと安心してる。三葉が来てくれたからかな」
「どういう意味なん、それ」
「合わせる顔がないんだよ。今目を覚まされても」
みらを家から出さないという言いつけを守れず、街は崩壊。通信途絶。彼女のバトンは真っ二つに折れ、みらの『覚醒』の際に消えて無くなった。お手製のグリッタちゃん衣装も、入院着にすげ替えられた時ボロ切れだとして捨てられた。ゴミ箱から回収したが、血に染まってずたずたのぼろぼろ。もうこれを着る事はできないだろう。
「ひとりでこの顔を見てるとさ、似たような考えが頭の中をぐるぐる回るんだ。お前のせいだ。もっと上手く出来たはずなのに。この子の命は救われたのにって」
「アヤのん」
彼女の悩みは彼女だけのものだ。分かるよなんて言ってはいけない。桐乃三葉は出かかった言葉を飲み込み、憔悴した親友の身体を抱きしめた。
その視界の先で、いじけた目つきでぶつぶつと何かをつぶやき続ける、負け犬の花菱瑠梨に、敢えて無視を決め込みながら。
※ ※ ※
「ああ、もう朝……」
病室に差し込む陽光が、三葉に日を跨いだことを実感させる。身を預けたパイプ椅子から立ち上がり、軽く伸びをする。かかっていた毛糸の掛布がこぼれ落ちた。
「そっか、うち寝てたんか」
不安がる綾乃と夜通し話をし、早まっちゃ駄目だ。あなたのせいじゃないと言い続け、いつの間にだか眠ってしまったらしい。綾乃はトイレだろうか。意気消沈した花菱瑠梨は、今もなお下を見つめて体育座りをしたままだ。こんな状況で二人きりにさせないでほしい。彼女の行方を辿らんと周囲を見回す三葉の目に、病室の取っ手に括られた手紙が留まった。
「書き置き……?」
括られていたのを引っぺがし、チラシの裏に書かれたそれを開いてみる。総ての文字を追わなくとも、彼女が何をし、『何処へ向かった』のかが理解できた。
「アヤのん、それはあかんて!」
読むなり飛び出して階段を一気に駆け下りるが、今更出てきて何になる。あなたひとりでどうにかできる相手じゃない。お願いだから踏みとどまって。祈るように受付に向かうが、そこで返ってきた返事は『外に出た』とのひとことのみ。
「なんで……。なんで……? 普通に考えたらわかるやろ……。なんで……」
自分はそちらには行けない。行ったところで足手まといになるのがわかっているから。桐乃三葉は目に涙を溜め、どうにもできない無力感に崩れ落ちた。
※ ※ ※
「本ッ当に、いつ見てもめまいのする光景」
パルテノン多摩の最上階に座り込み、双眼鏡で大通りの様子を見やる。同じパレードでも、生気がなければこうも怖ろしいものになるのか。可愛らしい動物たちを模した”着ぐるみ”たちが、通りを占拠し、歌や踊りのミュージカルを観客もなしに延々と続けている。
(三葉はよくここを突破してきたわよね)
魔法少女ズヴィズタちゃん・改の衣装を着こんだ東雲綾乃は、坂下のコンビニで購入したおにぎりをかじり、眼前の百鬼夜行を睨み付ける。そういう命令を受けているのか、むしろ命令されていないのか。敵意を持ってピューロランドに近づかない限り、奴らが他の人間に手を出すことはない。尤も、いつ『スイッチ』が入り、ヒト狩りになるかはわからない。少なくとも、このまま捨て置いていい代物じゃない。
「これ以上、奴らの好きにさせてたまるか」
口にした鮭にぎりの包みを見やる。二日前に賞味期限が切れた品だ。けれど今この近辺でこれより新鮮な食品は無い。病院などには蓄えがあるが、それも今後どうなるか。
「落ち着け東雲綾乃。結局あたしがやるしかないんだ」
頬を張って気合を込め、目を閉じる。あれから一週間経ってなお眠ったままの幼馴染。自分を咎めず抱きしめてくれた古馴染み。『あれ』に巻き込まれて被害を被り、苦しむ多摩の人々。大丈夫、やれる。あたしだって魔法少女なんだ。
覚悟を決めて足を置く建物の縁に立ち、ビル五階分の高さを迷うことなく飛び降りる。
「速ッッツ攻!!」
着地と共にクラウチングスタートの体勢を取り、一息のうちに駆け出した。踊る着ぐるみたちが闖入者の存在に気付き、行く手を阻まんと立ちはだかる。
「どぉけぇええええけっ!!」
あれの中身が何であるかは知っている。故に積極的に倒すことはしない。眼前の十体を飛び越えてかわし、着地と共に上体を沈めて踏み込み、続く五体を突進の圧だけで撥ね飛ばす。
「いける」隣接するスーパー、サトーナノカドーの前で右折し、残るは百メートル強の一本道。駄々広い通りを真正面に突っ切って、ピューロランドへと乗り込むのみ。
『あっ。メルヘンじゃない子がいるぞぉ』
『いけないんだあ。メルヘンにならなきゃ、お姫様に怒られるのにさ』
『みんなしゅーごー! このひとをメルヘンに染め上げよー!』
最初の数体を振り切ったことで、厄介な敵と認識されたのだろうか。着ぐるみたちの目が金色に輝き、綾乃目かけて飛び襲い来る。
「本腰入れて来るってワケ」綾乃は勝ち気ににぃっと笑い、飛び込んで来た着ぐるみ十数体を置き去りに駆け出した。
「悪いけど。あんたらの相手してるほど暇じゃないの」
周囲の建物の陰より阻む者たちをジグザグにかわすと、眼前でスクラムを組み、壁を作る着ぐるみたちを前に跳躍。美しいムーンサルトを描いて敵の背後を取り、無拍子から瞬時に加速する。
奴らは自分よりも遅い。如何に危険な連中だとしても、追いつかれなければ恐ろしくもなんともない。後は女王の牙城たるピューロランド内部に乗り込むだけだ。
(変ね)通りからピューロランド正門は百メートル強。障害物が邪魔をしようと、未だにそこまで辿り着けないのはどういう訳だ。
ふと、綾乃の視界に右斜めに立地した100円ショップが入り込む。その先にあるのが正門の筈だ。間違っていない。
「え……?」
だが、それを越えた先に全く同じ100円ショップが見え、同じように通り過ぎた。振り向いて通過したのを確認し、前を向けばまた同じ店が建っている。
「何よ、これ……」罠に嵌まった? だとすればどんな仕掛けか? 迫りくる着ぐるみたちを避けながら辺りを見回す綾乃の目は、足を置く赤茶けたタイルの異常を見咎めた。
「ちょっと嘘、こんなのアリ?」
床が、ルームランナーのベルトめいて後ろに引っ張られている。自身も高速で駆けていたせいで気付かなかった。着ぐるみたちは押し流されて通りの端に追いやられ、即座に眼前の地点から復帰し、綾乃を襲ってかわされ、また彼方に流されていく。
「冗談じゃないっ、つーの!」
なんて間抜けな有酸素運動だ。これじゃあそもそも常人は近づけまい。綾乃は敵の術中に嵌っていたことを恥じ、上体を沈めて超跳躍の体勢を作る。
「よぉし……ってあ、あら、らー!?」
沈めた瞬間、動く床に足を取られ、綾乃の身体がつんのめる。ぎりぎり顔面衝突は避けられたが、あっという間に通りの端まで戻されてしまった。小ジャンプならまだしも、大ジャンプを放つにはルームランナーという状況は相性が悪い。
「クソッタレ、何よこの無理ゲー!」
抵抗する挑戦者のうわさを聞き付け、大通りに沢山の着ぐるみが集まって来た。その全てが綾乃にまとわり、散らされ、ベルトの端から復活する。魔法少女ズヴィズダちゃんは速さと足技が取り柄だ。助走や予備動作を奪われ、ただただ走らされているだけでは、いずれ体力を使い果たし、ゴールを迎えることなく着ぐるみたちの仲間にされてしまうだろう。
「こんなところで……足踏みしてる場合じゃないのに!」
足踏みとは言い得て妙か。目的地を前にルームランナーで駆けていれば、彼女にとってはそう感じてもおかしくはない。
手紙を読んだ三葉はきっと泣いているだろう。たとえ成功したとして、ちはるからは絶交されるだろう。それでもいい。自分が手を汚すと決めたのだ。なのに、親玉の顔も見られず目の前でお預けを食らったままなんて。絶対に許されない。
(考えろ……考えろ!)打てる手はないのか。打開する手段はないのか。駄目だ、自分の力ではこのルームランナーを抜け出せない。
助けがほしい。せめて誰かもう一人、味方としてついてくれたなら――。甘い考えと振り捨てかけたその瞬間、背後に群がる着ぐるみたちがボーリングのピンめいて派手に吹き飛ばされた。
「え……?」
今この場で、あんな事ができる相手はちはるしかいない。目覚めたのか? いや、そこにまほうの気配は感じられない。ちはるじゃないとするなら、誰だ?
「どぉけどけどけえ! 道を開けろぉおおおお」
自分の目で見たものが信じられず、思わずその光景を二度見する。見直したところで同じだ。巨大な大鎌を無理矢理両腕に括り付け、馬鹿力で振り回す赤髪のヒトガタカマキリがそこにいた。
「どうして……どうしてお前が!」
余程急いでいたのだろうか、鎌は右左互い違いについており、刃物ではなく鈍器として機能している。当人にその気があるか定かではないが、中に多摩市民が入ったこの着ぐるみを殺すつもりは無いようだ。
「きさまは、東雲綾乃ォ」
プレディカの側もまた、雑兵を散らす中で敵の存在に気付いたようだ。喉が絡んだおどろおどろしい声で、大男も裸足で逃げ出す蛇めいた眼光で、かつての敵を威嚇する。
だが、その直後プレディカが取ったのは、襲撃ではなく『援護』であった。その巨大な鎌の切っ先を動く床に突き立て、強引にその移動を停止させる。
「行け魔法少女、私もすぐ後を追う!」
「何ですって?!」
過去の遺恨も、ズタズタにされたプライドもどうでもいい。主を守る。その一点に総てを賭けたプレディカは、綾乃がこの先に行きたがっていること。そのためにこの動く歩道が邪魔であることを即座に読み取った。
「私は私の仕事を果たす! お前は何だ? 何をしに此処へ来たァーっ!」
耳を震わすその言葉が、図らずも綾乃に冷静な判断を促した。そうだ。今こんなところで躓いている暇はない。仇敵だろうがなんだろうが、使えるものはすべて使う!
(言わないわよ、ありがとうなんて)
綾乃は無言で頷くと、停止した地面で強く上体を沈ませ、高く高く跳び上がった。
「いける」振り切った時点で空に障害はない。後は勢いをつけて突っ込むのみ。飛び蹴りの構えを取り、城正門目掛け飛び込んでゆく。
「な、に……っ!」
と気合を入れたその瞬間、不可視の壁が綾乃の侵攻を阻み、鐘を勢いよくついたかのような轟音が周囲に鳴り響く。
(バリアか)だからなんだ。その程度で自分を萎えさせられると思ったか。綾乃はニイと不敵に笑い。壁に突き刺さる自身の右脚を起点とし、猛烈なる横回転をかける。
「うらうらうらうらうらぁ!! どぉだこのぉ、どぉだあああ!!」
錐揉み回転で不可視のバリアを削る、削る、削り取る。こんなもので、我が道を阻めると思うな。気合と魔力で厚さ二メートルの障壁に穴を穿つ。
「到・着!!」
まだ見ぬ新天地に旗を挿すかのように。右足を正門前に突き立て、私が来たと主に告げる。
すべてはここからだ。ちはるが目覚めないのなら。あの子が出来なかったことを自分が果たす。
「みら、あんたは私が殺す」
たとえあの子に恨まれようと、たとえ正しくなかろうと。そうすることでしかこの事態は収まらない。綾乃は声に出し、自らに言い聞かせるようにそう告げた。
「へぇ。面白いじゃん」
バリアを突破した時点で、綾乃の侵入はアイムの目にも届いていた。舞台観覧の特等席でふんぞり返る女王は、彼女を追い出すでもなく捨て置いて。
「ここまでおいでよ腰巾着。来られるもんならね」