ようこそ、我妻メルヘン・リパブリックへ
ようやく。ようやっと最終章。ラスボスとの戦いのはじまりです。
本来のチカラに覚醒した西ノ宮みらこと我妻アイムと、ちはるら大人たちの最終決戦、どうか幕引きまでお付き合いいただけたらなと。
※ ※ ※
『――それでは、次のニュースです。留まることを知らない"メルヘン"の拡大を受け、政府は緊急事態宣言を発令。不要不急の外出を控え、特に東京都多摩市一帯への移動を自粛してほしいとの要請が出ております』
『――多摩市に動員された警察官は現在までで233人。いずれも連絡がつかず、現在まで行方が分かっておりません。国はメルヘン対策本部を設置、自衛隊の派遣も視野に入れているとのことです』
『――これは政府からの要請です。決して東京都多摩市・多摩センター付近には近付かないでください。皆様の友人、親類、子どもたちは必ず救い出します。どうか、自宅待機を徹底して下さい』
2018年10月末。約二十年遅れでやってきた恐怖の大王は『メルヘン・リパブリックの主』を名乗り、セリオ・ピューロランドに根を張った。
ベッドタウンである東京都多摩市。多摩センター駅周辺からはヒトという人が失せ、他市の親族に行方も告げずに戻らない。警察がピューロランドに押しかけたが反応は無く、続く自衛隊の派遣に望みをかける者は多くない。
『おぉいみんなァ、メルヘンじゃない子がいるぞお』
『本当だあ。早くメルヘンにしてあげなきゃあ』
キャスターと白い画面の無機質なニュースにペンギンとウサギの着ぐるみが映り込んだのはその時だ。場違いなだけならそれでいいが、キャスターやスタッフたちはそれを見て恐れ慄き、何一つ言葉を介せないでいる。
『みんなしゅーごー! 総員とつげーき!』
二人、だった着ぐるみが何処からとも無く溢れてて、番組収録一区画を埋め尽くす。それから一分と経たないうちに、スタジオの中からヒトが消えた。
『――失礼しましたメルヘン。このニュースはメルヘン・リパブリックによるリパブリックの為の報道を遵守するメルヘン。さあて本日のトップニュースは』
ヒトは消えた。だが代わりにネクタイを締め、眼鏡をかけた八等身の『黒猫』の着ぐるみが現れ、まるで最初からここに居たかのように振る舞っている。猫であることを除けば、外見的特徴は先のキャスターと同じ。彼らは食われ、取り込まれたのだ。
「とうとう東京NXにまで。都心のテレビ局は全滅か……」
東雲綾乃は病室のテレビからこの変容を目撃し、舌打ちと共に電源を切る。咎める者はいない。この病室には綾乃と、七日もの間ずっと寝たきりの西ノ宮ちはるがいるだけだ。
「アーヤーのーぉおおん!!」
どたどたとやかましい足音を立てながら、廊下を駆ける者がひとり。音は綾乃らの居る314号室の前で止まり、引き戸を勢いよく開け放す。
「遅うなってごめん。容態は」
「あれからずっと目を覚まさない。来てもらったのにごめんね」
「えぇて、ええて。奢りで新幹線から見る外の景色、存分に楽しませてもらったわ」
みら――。我妻アイムを名乗る少女がテレビをジャックし、セリオ・ピューロランドにメルヘン・リパブリックなる自治国建国を宣言したのは六日前のことだった。子供の悪質ないたずらと一笑に付されていたのも束の間、台風の目となる多摩市から人流が失せ、代わりに妙な着ぐるみが溢れ出した時にはそうした笑いも消え去った。
着ぐるみたちは『メルヘンの国の住民』を名乗り、ゾンビ映画のパンデミックめいてヒトを取り込んで数を殖やし、多摩から東京二十三区に溢れた。彼ら着ぐるみは女王の思想を他に広めるべく通信基地局をジャックし、都心の放送網を完全に封殺。陸路・海路・空路。人類はあらゆる手で奪還を目指したが、一週間が経過した今なお解決には至っていない。
「逆はどえりゃあおったけど、地方から都へは四・五人くらいしかおらんかった。どうしようもないって分かって来たんやろな」
「けど、諦められないのがちらほらいる」綾乃はカーテンで閉じられた窓の外を見やり。「ここに居ても、どうにかしたいって出て行って、そのまま帰ってこない人がまだいるの。正直、やり切れない」
みらが監視をすり抜け戦場に現れた時。綾乃は即座に変身し、彼女の後を追った。だが到着する頃には総てが手遅れで。綾乃は疲弊したちはるを丘の上総合病院に運び込むだけで精一杯。戦おうなどとは微塵も思わなかった。
「あの時。あたしがみらを止めてさえいれば。こんな……ことには……」
「お陰でちぃちゃんは生きてるんやし、思い詰めたらアカンてアヤのん」
自分には止める力があった。抑えられる場所に居た。けれど何もできなかった。その事実が綾乃の胸にずっとのしかかっている。三葉は改めて親友の方を見た。ろくに寝ないで番をしているからか、目の色はやや淀み、その顔は疲れ切っていた。
「それはえぇ。気にせんでえぇ。けどな」
あなたは悪くない。責めるなと言い聞かせるが、そんな三葉にも看過できないことが一つだけあった。彼女はほんの少し言いよどみ、病室の左端へ敵意に満ちた目を向ける。
「『あれ』は一体どういうことか。説明してもらえる?」
声はおろか、息遣いさえ注意しないと聞き取れない。この戦いの元凶、一週間前までちはると争っていた花菱瑠梨が、病室の端でうずくまっている。
「ちはるの意志よ。この子をお願いって。だからあの時、ふたり抱えて逃げ出した」
あの時、彼女は瑠梨を殺すと言った。結局殺す覚悟が出来ていなかったか、争いが起きて心変わりしたのか。今となってはそれを知る術はない。
「でも。だったら、なんで同じ病室に」
「一応怪我人だしね。またどこかに逃げられるよりは、って置いといたら、メルヘンが攻めてきてこうなった」
瑠梨の右手は包帯と固定具でしっかりと覆われており、自ら動かすことは叶わない。争いを起こすのは彼女ではなく、キャンパスに描かれてこの世に顕現した魔物たちだ。利き手を潰され、相方たるあのカマキリがいないとなればほぼ無害。綾乃がちはるの求めを聞いたのもそうした打算があったからだろう。
「違う、そういう理屈が聞きたいんじゃにゃあよ」思いの外理屈で固めてこられた為、尋ねた三葉の方が面喰らってしまった。「これはそういうことちゃうやろ。敵やに? こいつのせいでちぃちゃんは! みらちゃんは!」
「止めときな」向こうの胸ぐらを掴み、拳を振り上げた三葉を見、綾乃は冷ややかにそう言い放つ。「やったって、虚しいだけよ」
言葉の冷や水を浴びせられ、沸き立つ怒りが一瞬覚めた。改めて敵の顔を見やる。焦点の合わない瞳、生気を無くした顔。そして、右頬に残る滲んだ青あざ。ここに至るまで何があったのか、三葉は朧気ながらに理解する。
「もう、誰かを殴って気持ちよくなる事態じゃないんだよ三葉。何もしないならほっといてやろう」
「せや、な……」
事態は最悪の方向に突き進み、その元凶は生ける屍となって動かない。三葉はやりどころのない拳を解き、璃梨に背を向けた。
※ ※ ※
『たのしいお歌と素敵な場所。リパブリックのみんなはきょうもげんき!きょうもしあわせ!』
メルヘンの国で美徳とされるのは可愛らしいマスコットたちと、彼ら彼女が作り出す歌と踊り。着ぐるみにされた者たちは女王の間たるパレードステージに集まり、主に喜んでもらうため昼夜を問わず踊り続ける。
舞台の端で踊り疲れ、倒れ付したカエルの着ぐるみがあった。彼は即座に他の着ぐるみに捕縛され、マスクの下でうめき声を上げながら舞台袖へと消えてゆく。
『――いやあ、最早見慣れた光景だが、数が揃うと壮観だね』
白のシルクハットにピンクの外套を纏った『影』は、女王の玉座の横に立ち、その無駄な頑張りを眺め、楽しげにそう呟いた。目深に被った帽子のせいでその先にある感情は一切読み取れない。
「あっそ」
常時虹色に発光するティアラをつけた女王・我妻アイムはだから何だとつまらなそうに流し、右手人差し指で『テレビ』と呟く。瞬時に何もない空間に劇場スクリーン並みの大型モニタが出現し、二十四コマで日本全土の情勢を映したものへと切り替わる。
「この国はもういい。世界中のをお願い」
日本のチャンネルはメルヘンに侵略されたか、その情勢に対し無駄な推論を重ねるもののどちらかしかない。四日目に着ぐるみたちが霞が関を乗っ取って第三メルヘン・リパブリックに変えた時点で、この国にアイムを相手取って舵取りの出来る人間は皆消えた。
「おーし、そこ。左端の。日本語にして」
世界二十四ヵ国の主要チャンネルの中、アイムの目を引いたのは極東・ロリシカ国のトップニュースだ。他を総て画面外に飛ばし、これを大スクリーンに映し出す。
『――政府高官からの連絡は途絶え、報道網は麻痺し、現在の日本国には意思決定機能がありません。これはかの国のならず、世界にとっての危機であると判断しました』
唐突に画面が切り替わり、軍事施設らしき場所のライブ映像が飛び込んで来た。大陸間弾道ミサイルの発射機が三つ、音を立ててせり上がる。
『――我がロリシカ国軍は賊の本拠地に対し、本日正午ミサイルによる一斉攻撃を決定致しました。世界の脅威は我々が排除いたします』
世界の脅威。傍から見ればそうであろう。事実日本の警察・自衛隊は玉座に座すこの九歳児に対し、指一本触れられずにいる。しかし、報道網が麻痺している今、ミサイル攻撃の決定が多摩に残った人々に届く筈も無く。彼らは事件解決の為の必要な犠牲として、着ぐるみ共々総てを闇に葬ることにしたようだ。
「ひっどいことするねぇ。これ誰にも了解取ってないんでしょ」
『――それほど、君はセカイにとって危険だと思われてる訳だ』
だからといって、当事者たちの態度が変わる筈もなく。アイムはしかめ面でスクリーンを睨み、うんざりと嘆息する。
『――もう発射は秒読みみたいだけど、どうするんだい』
「放っとけばいいよ。どうせ何も変わらないんだから。それに」
世界に、自分たちの置かれた立場を解らせてやる必要がある。アイムはスクリーン越しに発射されたミサイルを見、指を鳴らしてカメラを城の上空に切り替えた。
「おうちにおかえり」
発射された六基の弾道ミサイルが多摩市に達した。狙いは女王の住まうこの城ひとつ。精密に誘導され、あとは着弾するだけのそれらは、何も破壊出来ず虚空に消える。
ロリシカの国防軍中継地点が土煙に包まれ、テストパターンのカラーバーに切り替わったのはその時だ。遅れて他の国がそれを速報で報じ、二十四総ての画面が困惑に包まれた。
『――ははは。やるねぇ。ミサイルくらいじゃ君に触ることも出来ないか』
ティアラのチカラで時空を歪め、ミサイルの着弾地点をここからあちらの軍事施設へと転移させる。向こうに守りを取る暇はない。自らの放った武器で誘爆を引き起こし、基地としての機能を完全に喪失した。
「ナマイキなのよ。武器を振りかざしているくせに、口を開けば平和、平和って」
自らの行動を誇ることなく、退屈そうにアイムがぼやく。「互いに銃を突き付けあった末の平和って、全然穏やかでも優しくも無いじゃない。そーゆーのはいらない。武器を取ってここに来る連中は、その力でみんなみんな滅びればいいのよ」
『――なる程、違いない』
同調したその言葉に感情は籠もっていない。ファンタマズルを名乗るこの『影』は、彼女が引き起こす事態を傍目に、ただその結果だけを見て笑っている。
『――君のスキのままにしたまえアイム。私はそれが観たい。本気になった君のチカラが観たいんだ』
ふたりは同じ道を目指す同志ではない。降りかかる火の粉を払い、ヒトから争うチカラを無くしてみせる。アイムは本気でそう思っているが、ファンタマズルはただそれを見ているだけだ。
「醜い争いは全部わたしが消し去ってあげる。だから……」
彼女は困惑と恐怖に慄く大スクリーンを消し去り、何かを想って上を向く。
やがて、先ほどまでと同じようにうんざりとした顔に戻り、気怠そうな面持ちで踊り狂う着ぐるみたちに目線を戻した。
「ねぇファンタマズル。あなたは、ずっとわたしの傍に居てくれる?」
『――あぁ。君が私を楽しませ続けてくれる限りは』