セカイを意のままに
※ ※ ※
「さ。そろそろ本番だよ。準備はいい?」
「うん。解ってるよ、ワカッテル」
秋が深まる十月半ば。武蔵五日市の金比羅山の麓に建てられた特設ステージ。用意された二百の席の約八割が人で埋まり、その誰もがご当地アイドル・グリッタちゃんが現れるのを今か今かと待っている。
西ノ宮みらは予め用意されたステージ衣装を身に纏い、ちはる・綾乃ら保護者と共に舞台袖に立っていた。目線の先には仮設の舞台と、申し訳程度に散りばめられた旬の野菜や果実。秋の収穫祭をテーマにした展示らしいが、これが田舎の商工会議所の限界だろう。
「ガチガチね。あれだけ練習したんだから大丈夫よ」
「か、軽ぅく言ってくれるよねズヴィズダちゃんは! 練習と本番じゃ全ッ然違うじゃん!」
三葉の姉・菜々緒を皮切りに、小規模な見世物に立ち、あがることも殆ど無くなったというのに、ここに来てからみらはずっと震えている。
西ノ宮ちはるが提示したリベンジライブは、彼女のソロから幕を開け、次いで大人ふたりが駆け込む二部構成。荒療治ではあるが、このくらいしなければ意味がないとはちはるの弁。みら自身もそれに同意した。
「ふふふ。ガチガチだねぇみらちゃんや」緊張と恐怖で前を向けずにいるみらに対し、ちはるは自らのカバンをまさぐって。「そんなあなたに、おねーさんから素敵なプレゼントがあります」
「え?」手を出して、と促され。応じてみれば、手のひらの中にはスマホめいた手鏡がひとつ。
「これって、グリッタちゃんのトランスパクト?」
「使い方は知ってるでしょ? なら早速やっちゃって」
いつも隣で見ているちはるの姿を思い返しながら、自らを手鏡に映し右の人差し指で左にスライド。現れた衣装と今自分が着ていた服とが入れ替わり、ピンク色のノースリーブ衣装に花のつぼみめいて膨らんだパニエ、脛まで覆う薄桃のブーツへと変化する。
「わ、わわわ! これってもしかしてラブリン? グリッタちゃんが前に着てたやつ!?」
「そ。昨日押し入れから引っ張り出してアイロンかけといた」
九年前、ご当地アイドル地区予選のため、隠し玉として作った一張羅。『あの日』以来服に拒まれ、二度と日の目を観ることはないとされていたドレスだ。
「けど、あれってグリッタちゃんの丈で作られてたんじゃないの」
「ふふん。まほうのチカラに不可能はないんだよ」
ちはるが常日頃着ているドレスしかり、まほうのペンで創造されたモノは傷付いても勝手に修復され、持ち主の体型が変わろうと問題なくフィットする。
「大丈夫。たとえ壇上ではひとりでも、私は”そこ”であなたと一緒にいるから」
あがり症を克服するには歌うしかない。けれど、ひとりにする訳じゃない。たとえその場にいなくとも、心はずっと共にある。ちはるはそう言い終え、不安がるみらの肩を抱き。
「やれるよ。プレッシャーなんて気にしないで、思いっ切り楽しんでおいで」
そこに理屈なんてない。あとは信じるか否かの問題だ。西ノ宮みらはちはるの体に腕を回し、ようやく顔を上向けた。
「グリッタちゃん。わたし、楽しんでくるね」
「うん。舞台の端っこで見てるから」
やっと納得できたとでも言うように。みらはにぃっと笑いを見せ、未だ幕の降りた壇上へと駆けてゆく。大人二人は顔を見合わせて頷き、スタッフから渡されたマイクを握る。
『会場にお集まりの皆様。本日は金比羅山・秋の収穫祭に来ていただき、誠にありがとうございます』
ちはるは壇上のみらへと目をやった。軽くステップを踏んでの準備運動。その瞳にはやる気が満ち満ちている。
『本日はメーンイベントと致しまして、私グリッタちゃんの妹、遊星からやって来たみらちゃんのお披露目を行いたいと思います。これが初のソロ舞台、暖かな拍手で出迎えてください』
ここまで来たらもう後戻りは出来ない。ちはるは隣の綾乃に目配せし、幕を開くスイッチを押し込んだ。
「か、会場のみんなーっ、こーんにーちはーっ! キラキラ星のお姫様、グリッタちゃんのお友達、みらでぇーっす!」
口角と目尻をぐっと上げ、ニコニコ笑顔で大音声を解き放つ。ここまでは台本通り。あとは想いを声に代え、唄として送り出すだけ。
「きょ、きょうはわたしのファーストライブに来てくれてありがとう! そそ、それじゃあ。歌っちゃうぞぉ~~」
歌詞もフリも総てアタマに入っているし、あがらないための練習だって積んだのに。それでも壇上と言う魔物は幼気なみらを包み込み、彼女から意気地を削いでゆく。
「ちはる。あれちょっとまずいんじゃない」
あれほど発破をかけたのに、みらは未だにこの舞台に囚われている。目を大きく見開いて、唇をわなわなと震わせたまま動かない様は、舞台袖の大人たちからも確認出来た。このままでは前回の二の舞だ。
「出よう。このままじゃやばいよ」
「待って」逸る綾乃をちはるは一言で制し。「それこそ前と一緒だよ。あの子が無理って言うまでは、何があっても任せるべき」
「けど、二回も失敗したら商工会議所が。推したあんたも責任を」
「それくらい。取ってあげなきゃオトナじゃないでしょ」
自分の暮らしと未来ある若者。比べるまでもない。ちはるは腕を組んでの仁王立ちでみらを見つめ、一切の迷いなくそう言い放つ。
「大丈夫。みらならやってくれるよ。信じて待とう?」
その目にも、声にも些かの震えもない。自らのドレスを継承させて送り出した瞬間から、彼女には大成功という未来しか見えていないのだ。
(うぅ……う。やってやる。やってやろうってのにぃ)
MCまでは上手く行ったが、歌となると二週間前のあの光景が瞼に貼り付いて離れない。自身に興味のない顔。グリッタちゃんを出せと怒る声。ひたすらに褒めそやし、キャパ以上の働きをしろと期待する声援。それらすべてが渾然一体となった時の恐怖は、袖で見守るちはるらには一生理解出来ないだろう。
(もう、やめちゃおうかな)
場をセッティングしてくれたちはるたちには悪いが、やはり自分には無理だった。このまま黙りやどもりを続ければ、いらぬ恥をかいて皆に迷惑をかけるだけだ。ごめんなさいと言おう。謝ってちはるらに場を繋ごう。そう結論づけ、床に目を向けた刹那。
『――どうしてそんなにショボくれているんだい"アイム"。顔を上げて前を向きなよ』
あ・い・む?
目下に居た白のシルクハットにピンクの外套を纏った『なにか』は、自分に向かいそう問いかけた。
『――あぁ、そうか。全部忘れることを選んだんだったね。私のことを知らないのもムリはない』
忘れている? 自分には何か思い出すべき過去があるのか? 床に潜み、自分を見上げる『こいつ』はそれを知っているのか?
『――事情はだいたい把握した。恐れる必要はない。キミの思う総てを解き放つといい。私が与えたその"ティアラ"には、望む何もかもをカタチに出来るチカラがある』
何も答えられない。時が止まっている? 唇も、瞼も首も、何も動かせずこの声だけがアタマに響く。
このティアラがあれば何でも出来る。それは本当なのか。シルクハットの怪人はみらが心中で発したその問いに、首肯を以て応えた。
『――まずは解き放ってみることだ。望む全てはそれからさ。頑張りたまえ』
思わせぶりな台詞と共に、怪人は床から姿を消し、止まったセカイに音と熱気が戻って来る。アイム? 解き放つ? ティアラのチカラ? わからないことだらけだが、今自身がすべきことは何と無く理解できた。
「やってやるよ。やったろーじゃん」
何よりも劇的な『きっかけ』であった。西ノ宮みらはにいっと笑い、歌を待つ群衆に人差し指を突き立てる。
「休憩タイム、おわり! それじゃあ行っくよー! 『わたしはスキを諦めない』!」
みらはマイクを片手にステップを踏み、左の指をぱちんと打ち鳴らす。彼女の後方頭上に吊られたカボチャが、蔓を離れて動き出した。
「『ずっと違うと思ってた。そんなの無理だと思ってた』」
カボチャだけではない。ブドウや柿、アケビや栗の粗末な造形物が、意思を持ってみらの周囲を飛び回っている。
「『わたしはこれが好きなのに。好きだと叫んでいたいのに。普通と違えば叩かれて』」
粗末なステージ自体もみるみる姿を変えてゆく。みらが左の指を鳴らす度、偽物の木々に命が宿り、枝に成った植物がスポットライト代わりに彼女を照らす。ステージ両端のスピーカーに蔓が伸びてぐるぐる巻きにし、繭めいた形に変貌。拘束が解けると共に、古めかしいスピーカーはワンランク上のモノへとグレードアップさせた。
「『わたしは好きをあきらめない! 誰に何を言われたって、わたしはわたし。絶対曲げたりするもんか!』」
歌がサビに差し掛かったこの瞬間、みらは上体を沈め、壇上から突然身を投げた。この挙動に呼応し、伸びたる蔓がみらの身体をぐるりと巻く。その姿はまるでワイヤーアクション・パフォーマンスのよう。吊られたまま観客の頭上を舞い、歌声を会場すべてに響かせる。
「ちはる。あれって……」
「なる程、元気になる訳だ」
衆目が自分の自由にならないなら、周りを自分好みに変えてゆく。そうするだけのチカラを持つ彼女らしい。
「流石にちょっとやばくない? あの子、放っておいたら」
「何かあったら、止めればいいだけ」ちはるは逸る綾乃の肩に手を載せ。「折角歌えるようになったんだ。邪魔するのは野暮ってもんでしょ」
綾乃はチカラの暴走を懸念したが、ちはるの目は一貫してみらの顔に向いていた。あれだけガチガチだった彼女の顔は、すっかりニコニコ笑顔に変貌している。
「私はこれが見たかったんだ。みらならやれると思ってた。良かった。本当に……良かった」
眼前の盛況を見つめながらも、ちはるはここではないどこかをその目に幻視していた。四人で奔走し、ライブに明け暮れていた高校時代。屈託なく笑い、熱狂を以て受け入れられるみらの姿は、まさに自分が過去立っていた場所、そのものだった。
どんなまほうが使えようと、時計の針を戻すことはかなわない。喪った青春はもう戻らない。西ノ宮ちはるは、自分が諦めた青春を、似たチカラを持ち、若く未来のある少女に託そうと考えたのだ。
「そう」
ちはるの思惑は見事に当たった。観客はこの奇跡に沸き、みらもあがり症を克服し、満面の笑顔と大音声でそれに応えている。だが、それを隣で見つめる綾乃の表情は複雑だ。ちはるや、みらが満ち足りた様子なのは解るし、喜びを共有したい気持ちもある。
「でもさ、ちはる」
「何」
「いや、何でもない」
確かに歳は取ってしまったけれど。夢を諦め、他に託すにはまだ早い。あなたは自分自身の力で夢を叶えられるんだ。喉元まで出かかった言葉は幼馴染の笑顔に阻まれ、口にすることなく消えた。
※ ※ ※
「あのさ。未だに納得出来ないんだけど」
「何ぶすーっとしてるのさ。お祝いだよ? 好きなの選んでいいんだよ?」
大盛況の中終わったイベントを抜け、電車を乗り継いで多摩センター駅に戻ったのは午後八時を回る頃だった。吹きすさぶ秋風はとても冷たく、すれ違う人々は皆脇を締めて顔をしかめている。
「お祝いなんなら、店屋物とか出前とか、普通そういう物なんじゃない? どーしてそれがスーパーのお弁当なの? しかも半額の!」
「まー、それはその。お財布的な事情ってのがあって、ですね……」
ささやかな祝勝会を、との申し出に喜ぶみらが通された先は、駅と接続し歩いて三分程のスーパーマーケットの中だった。惣菜物売り場には半額シールのついた揚げ物や丼物がまばらに置かれており、遅い夕食を済まさんとする会社員たちが横から掻っ攫ってゆく。
「ジョーダンじゃない! わたしめちゃくちゃ頑張ったんだよ? なのにこれだけ? おかしいでしょ? おかしいよね? おかしくない?」
「まあ、まあ。デザートも買ってあげるから。そっちの棚から選んで選んで」
「結局こっちも半額じゃん! グリッタちゃんのケチんぼ! そんなに先のコトが大事なの?!」
結局、デザートのみ見切りでないものにすることで了承してもらい、みらはやや色のくすんだカツ丼。ちはるはくたびれた焼きビーフンを取り、焼きプリンひとつをカゴに入れてレジに並ぶ。想定した予算をひとまわり上回ってしまったが、納得させるにはこれしかなかった。
「半額品ふたつに焼きプリン、併せて728円になります。現金払いで良かったですか」
「はい。はい……」
祖母の形見の小銭用がま口財布を開き、一円単位で端数を出さずに払い切る。
ちはるが、レジ打ちの店員と顔を合わせたのはその時だ。匂いか顔かは定かではないが、『初めて観る』気がしなかったからだ。紅く艷やかな髪に鋭くも美しい瞳。その辺のパートのおばさんたちとは何かが違う。
「あの。お弁当は温めますか?」
「え、あ……」睨んでいるように見られたのか。返しの言葉に若干の嫌悪が見える。ちはるは慌てて目線を他に移し。「アッ、はい。お願いします」
覚えがあるだけで決定打はない。何かの勘違いだったのだろう。ちはるはそう思い直しし、温まった弁当を受け取る。
「どうも。ありがとうございました」
ライブをこなして疲れているのだろう。鈍った感は休んで取り戻そう。弁当を片手にそう結論づけ、スーパーを後にする。
(あの顔……どこかで、見覚えが……)
この時、ちはるが気付いていたならば。この時、『彼女』が思い直して呼び止めていたならば。
九年の因縁を決する血戦はもう少し早まっていたのだが――。それはまた別のお話。
・ゆめの続きを・2、終わり。
次回、16:決着をつけてやる、につづきます。
長くご覧いただきありがとうございます。本作品は次回より、本格的に終章へと入って参ります。
どうぞおたのしみに。