いい加減、大人になんなさいよ
第二章のはじまりはじまり。
徹底的に人付き合いのデキない子と、普通と幼馴染との間で揺れる子のおはなし。
東雲綾乃。小さな頃からの幼馴染で、私とのグリッタちゃんごっこの相手役。
昔っから手足がしゅっとしてて、かけっこがとっても早くって。私にとって、一番身近な憧れだった。
きっかけは私の暴走だったけど。それでもまたこちらを向いてくれたのは嬉しかったな。いまはどこで何をやっているんだろう。
連絡を取ればいいじゃないかって? 無理無理駄目駄目。昔ならまだしも、今の私じゃ、アヤちゃんに合わせる顔がない。
…………
……
…
「あやー。おはよう」
「昨日はどうしたの。部活途中で消えたって聞いたけど?」
「べ、別に。何でもないわよ」
駅横に併設された神戸屋製パンの芳しき香りが鼻孔をくすぐる朝の武蔵五日市駅ロータリー。東雲綾乃は友人たちの追求を平と躱し、何でもなかった体を取る。
「でもヘンな話だよね。外に出てた子みんな、運動場の真ん中でぐったりしてたって」
「誰も。なーんにも覚えてないんだってね。ナニナニ怪現象? なんかヤバイの観ちゃった系?」
だが、これが夢幻でないのは確かだ。昨日校庭にいた十五人。皆日暮れ後にグラウンドの真中で山となり、すうすう寝息を立てていた。
誰一人怪我は負っていない。いないが、皆自分の足で立てないほどに疲れ果てていた。医者の見立ては病気ではなく過労。栄養を摂って休養すればすぐに治るという。
これは現実。間近であの様を見たから間違いない。バケモノ共は確かにこの世に存在するのだ。
けれど話して何になる? 二本足で立つ狼男。昔観ていた子供向けアニメの魔法少女。その衣装を身に纏い、『魔法』で魔物を撃退した幼馴染。何を言おうが信じてもらえる自信がない。
「そういや今日、数学の小テストなんだってえ」
「うわー。マジそれ聞いてないんですけど。二人共勉強した?」
「ナイナイ。あたしだって今初耳」
あれは夢だ。たちの悪い夢に過ぎないのだ。証拠なんて知るものか。心中でそう結論付け、学校へ続く坂を登った、その先で――。
「あぁ、いたいた。おぉい、アヤちゃーーーーん!」
綾乃の目が見開かれ、眼前の光景を二度見三度見。
それもそのはず。渦中のイケてない幼馴染が、昔観ていた魔法少女アニメのコスプレをし、自分の名を呼んでいるのだから。
「ちょっ……。あや何なのあれ」
「あんたのクラスの西ノ宮よね。コスプレ? コスプレっしょアニメの? 超だっさー」
如何に田舎な学校でも、スクールカーストの序列から逃れられない。世俗のお洒落について行け、トークセンスのある上位陣と、そうでない下層とには埋め難い溝がある。
西ノ宮ちはるは『イケてない』層の底の底。同じ集まりからも爪弾きにされた腫れ物だ。それが向こうからフレンドリーに声を掛けて来るとなれば、綾乃に不穏な目が向くのも無理はない。
「知らないわよ。行きましょうっとおしい」
いちいち構っていられるか。綾乃はツンとした顔で目線を逸らし、向こうの言葉に答えない。
「ねー、アヤちゃん聞いてよぉ。話したいことがあるんだってばー」
カーストを理解しないと言うのはおそろしい。他の下層女子なら声すら掛けず目を伏せる中、ちはるは上層女子グルーブの元へと一直線。
「いいのあれ? さっきからわーわー言ってるけど」
「なんかしたのあや? もしかして……」
「だ、ああ。何もない。なんもないからっ」
だからアンタは駄目なんだ。ダサくて、気も遣えず、どこまでも自己中心的。ちはるを道路脇に押しやりながら、ほんの少し俯いて、あちらには聴こえないであろう声でそう呟く。
(いい加減、大人になりなさいよ。もう十六でしょうが)
一番言いたいことだけを、胸の中にしまい込んで。
◆ ◆ ◆
その部屋は町外れの山林近くに立地する三階建のアパートであった。築二十五年の家屋はどれも掃除が行き届いておらず、夜は切れかけた電球が明滅を繰り返している。駅や商業施設からも遠く、全部で五人の住民を除けばヒトの行き交う様も殆ど見られない。
故に誰も気に留めなかった。ドアが半開きになり、狭い居室の客間にて、ひとり『おいしくいただかれている』ことなど。
「誰か……誰か出してくれ! 頼む、誰か、誰かアあア」
紙類と空瓶が散乱する客間を陣取るのは人の手足を生やし、胴体だけがニワトリの姿をした奇妙な魔物だ。鳩尾から肚にかけて半透明の膜を持ち、その中に老け込んだ中年男性を呑み込んでいる。
「助けて、助けて、たすけ……!」
声は少しずつ弱まって行き、それと呼応するように膨らんだ喉袋が萎んでゆく。悲鳴がすっかり聞こえなくなった頃。ニワトリの魔物は臀部に生えた小さな尻尾を細やかに振らし、握り拳大の銀色の卵を産み出した。
卵――。いや繭と言うべきか? 銀粉を纏ったその球体は、早くここから出たいとばかりに収縮と膨張を繰り返している。
『――よくやりましたコカトリス。グレイブヤードに戻りなさい』
頭に響いた念話に、魔物は無言で応を返す。瞬時にその体は紫根の闇に包まれ、この世から完全に消え失せる。
「『銀』……。またお付きね。私たちの姉妹じゃない」
「ようやく私より下の子が出来ると思ったのに。がっかりだわ」
月光だけが空を照らすグレイブヤードの玉座の間。上等な台座に載せられて、恭しく頭を下げる魔物を前に、蒼と黄色のドレスを纏う女性らが小言を漏らす。
蒼は二女のオガミ。黄色は三女のトウロ。いずれも王宮に住まう三賢人。使い魔を放った当人たちだ。
「こらこら。そんなことを言わないの」
ふたりの真中に立ち、宥めんとするのは長女のプレディカ。紅いドレスに身を包む、賢人たちの実質的な纏め役である。
「善き働きでしたよコカトリス。これでまた、グレイブヤードに新しい命が殖えました」
プレディカはにこやかな笑みに和やかな声で、配下の労に感謝を告げる。
「まずはゆっくり体を休めて。その後でもうひと働き、お願い出来るかしら」
ニワトリは無言で会釈し、その姿を背後に控えた紫根の闇に委ねる。闇はこちらと陽の当たるセカイを繋ぐワープゲート。再び責を果たすべく動いたか。
「あらあら。休んでと言ったのに」
「別に良いでしょ、使い魔なんだし」のんびりとした姉に、妹オガミからの冷やかな言葉が飛ぶ。
「あれはただの『モノ』じゃない。労う必要なんて無いわ」次いでトウロが不満の声を上げた。
「優しい言葉をかけたところで、奴は何も返しはしないわよ」
「見返りなんていらないわ」長女は変わらない態度でそう言うと。「良い仕事には礼を以て報いる。それだけのことよ」
嫌味や打算の無い誠実さ。それが妹たちに足りないものであり、彼女が元締めとなった理由。
繭の一部に穴が開き、ヒトの形をした何かが飛び出した。それも一匹や二匹ではない。一度に五つ。それぞれ髪色の違う”女”だ。繭を破り、外気に触れた瞬間、ヒトでいう五歳児程度の大きさに膨張した。
「さあ。新しい命よ。侍女たちに渡してあげて」
「はいはい」
「姉さまってばいつもこう」
赤子を前に言い争いは無粋。妹たちは泣きわめくそれらを掬い上げ、広間の外へと出て行った。
今回名前の判明した三人組。彼女たちは同じ元ネタに基づいて命名されています。
当てられても特典は何もありませんが。