こんなの、流石に想定外や
※ ※ ※
『未だペースが落ちぬとは。素晴らしい健脚だ小娘。荒くれ者共と一緒に死なすには勿体のない人材よ』
「んなもん知るか。とっとと、くたばれ!」
秋葉原を上野方面へ。並走する車を追い越して、色付きのふたつの風が疾駆する。ひとりはズヴィズダちゃんの衣装を纏った東雲綾乃。もうひとりは『ガーディアン』のナンバー2・駿足のマッハバロン。互いに付かず離れずを繰り返し、国道4号線を駆け抜ける。
『強い言葉を使えば強くなると勘違いする。若者らしい勘違いだ。そんなものはマヤカシに過ぎない』
「知ったような口を利く!」
マッハバロンは綾乃の放つ飛び蹴りをコンマ三秒の加速で躱し、並走する乗用車をその手でそっと左に『寄せた』。綾乃が着地せんとするその場所に、事態を飲みこめていないワンボックスカーが飛び込んで来る。
「こ、のぉ!」
綾乃は急ぎ飛び蹴りの構えを解き、両腕で車の端に接地。その体勢から器械体操めいて横回転、着地と同時に走り出し、マッハバロンに追いついた。
『この一撃を難なく躱すか、かの戦争の頃を思い出すよ!』
「だから……、んなもん知るかっつーのー」
並走を始めて早三十分。未だにペースを落とさない相手を見、お互いに仕留められるのは自分だけだと確信した。搦手や逃走に意味はない。今ここで倒さなくては、間違いなく主に。間違いなく親友にとって、奴は恐るべき障害となる。
(サンキューちはる、今のところまだやれてる)
膝に爆弾を抱え、走ることを禁じられた人間のものとは思えない走力に、今更ながら驚く。またこうして風を感じられる時が来るなんて。走ることを、楽しいと感じられる日が来るなんて。
(やってやるわよ。こんな奴らに邪魔されてたまるもんですか)
かつての情熱を取り戻してくれたあの子の為にも、こんなところで倒される訳にはゆかない。堂々と勝って帰るんだ。出なければあの子に会わす顔がない。
色付きの風ふたつは越谷を通過し、なおも国道4号線を突き進む。彼女たちの道を阻むものなど何もない。
※ ※ ※
「ええと……。次はひだり……でいいのかな?」
「あっ、違うよグリッタちゃん。あそこの角を右に行ってそのあと左。そのまま行くと行き止まりになってる」
綾乃たちが文字通り火花を散らし、都心から埼玉県方面へと駆け抜けているのと同時刻。その真逆の方向へ進む西ノ宮ちはる一行は、このイカれた騒ぎを止めるべく、主犯がいると思しき場所へと向かっていた。
秋葉原から神田を進むこと三十分、同じ光でも方向によって微妙に光量差があることがわかって来た。ただ光るからと進むだけでは狙いの場所には到達できない。マップアプリで目的地近辺の的を絞るのと同じだ。スマホ代わりにペン先を百八十度左右に振って、進むべき道を捜し出す。
「そんなことは……まさか、あらへんよな……?」
本拠地を探し彷徨う中、桐乃三葉はずっと蒼い顔で俯いていた。ぶつぶつと何かを呟いているが、街の雑踏に呑まれてうまく聞き取れない。
「ミナちゃん。ミナちゃんってば」
「う、ぉお、お!? ナニ? うちのこと呼んだ?」
動揺して後退るなんてらしくない。話を聞いてほしいと顔に書いてある。
「あのさ……」
「あ、 そうや。せやったな。まだあの話しとらんやった。ガーディアン・ストライカー。今この大東京を襲う連中のことや」
あからさまに話題をすり替えた。そこまでして話したくないのか? 赤の他人ならわかるが、友人である自分たちにさえ話せないというのはどういうことか。
「さっきも言ったけど、お姉の担当してる作家さんの小説なんさ。正義のヒーロー集団が悪の組織を斃し、遺されていた改造人間や超能力者を仲間として取り立て、『ガーディアン』という組織を新たに立ち上げたんよ」
だがチカラを持った存在は、持たざる者と平等には暮らせない。不平不満は時を経るごとに膨れ上がり、三十年が経過した今では、そうした超人たちは特権階級となって常人を縛るか、欲望に負けて犯罪者になるかの二択となった。
「主人公の生田誠一っちゅう二十歳そこそこの男は、ガーディアン所属の炎使いに理不尽に焼かれて死んだ。けど、何者かに『相手の能力を奪う』チカラを与えられ、仇に報復。そのまま組織に追われ、逃亡生活を始めたんさ」
この世の理不尽。特権階級に収まる超人たち。名ばかりの平和を守らんとする連中。上っ面の平穏に嫌気が差した誠一は、自らを『ガーディアン・ストライカー』と名乗り、果て無き殺戮の旅に出た。
「と、言うのが大まかな流れ。打ち切りが決まって、展開が早なって。いまはヒロインの子が敵の幹部に殺されたとこ、やったかな」
「はあ、それはそれは」
救いようのない物語にも程がある。こんなものの信奉者になる人間の顔が見てみたい。西ノ宮ちはるはこの書き手に思いを馳せ、うんざりと嘆息する。
「ねぇねぇ、グリッタちゃん。もしかしてさ、アレじゃない?」
「あれ?」
言われて顔と共にペンを振り、向けたのは進行通路上の斜め上方。古書店街を抜け、背の高いビルが視界を覆いはじめた矢先、今までで最も強い反応に出会した。
「ほらアレだよ。雪みたいに真っ白け」
「ああ……ああ。ホントだ、見えてきた見えてきた」
みらのように背が低くとも、ビルとビルの間からその威容を拝むことが出来た。周囲の建物とは一切馴染まない、他の色を廃した白い塔。視線を一旦下に戻せば、その周辺に妙なコスプレをした連中が飛び出しているのが見えた。あれが本拠地でなくて何だと言うのか。
「いやいや、冗談でしょ、流石に……」
言って頬を抓るも、つまんだ先の痛みがこれは現実であると告げてくる。パントマイムを武器とする中二病、歌でヒトを洗脳するトップシンガーときて、ありもしない虚構を実体化させる敵か。次はなんだ? 此の世の条理さえ捻じ曲げるか? 使い手のひとりとして辟易するばかりだ。
「嘘やろ……。幾ら何でも無茶苦茶やで」
だが、今この場で誰より驚いていたのは三葉だ。自分と同じ場所を見、蒼い顔をして歯の根をかたかたと震わせている。
「ちょっと!? ミナちゃん、どこ行くの?」
「ごめん、ごめんなちぃちゃん。これは、流石に想定外や」
三葉は聞こえるようにそうつぶやくと、蒼い顔のまま弾かれたかのように飛び出し、塔の元へと駆け出してゆく。
謝罪はいらない。隠し事が直接関わって来るのなら、真実をちゃんと話してほしい。どうして彼女はこんなに混乱しているのだろう。
(お姉さんの、担当していた、小説……)
三葉が、シスコンで誰よりも姉を立てる人間だということはよく知っている。とすれば、この動揺の根底は『そこ』か? まさか、この事態を引き起こした犯人とは――。
「だからって、ひとりでどうにかなるもんじゃあ……」
などとぼやき、少し遅れて追い掛けんとしたその瞬間。ちはるの視界から三葉の姿が『消えた』。
「い、いっ!?」
消えた? なんで? 当惑し、視界をあちこちに彷徨わす。結論から言えば三葉は消えてなどいない。辺りを見回すその中で、目線の端っこ――。地面すれすれに三葉の髪が僅かに見えた。
『よっしゃあ! 一丁上がりぃ!』
三葉の姿を知覚したのと、景気の良い元気な声が響いたのは全くの同時であった。声と共に地面から蟹の脚めいたものが四本、長方形を描くように生え、その頂点にある袋状の何かを地表から引っ張り上げる。
「ちょっ、何なん?! 何なんこれ?!」
薄紫の袋の中から三葉の声がする。出口を求め藻掻いているのか、ゴム袋めいた質感のそれは小規模な膨張と収縮を繰り返していた。
『"あのお方"に対する反乱分子、きさまは見せしめとしてOZパレスで公開処刑にしてくれる。連れてゆけぇい』
声に応じ、蟹の四足が三葉を捕らえたまま駆け出した。向かう先は当然かの塔である。まさか、あちらから自分たちを下そうとしてこようとは。
「だから! 冗談じゃないっつう、のっ!?」
まだ事情も聞けていないのに連行されてたまるものか。バトンを構え、光弾を放たんとしたちはるだが、狙いを定めたその瞬間。足を置く地面が急に『弾け』、宙に放り出されてしまう。
『フゥーハハハ! 既にお前たちはワタシの手のひらの上! 心配せずとも全員お縄につけてやるわ!』
何の変哲もない壁がぺろりと『めくれ』、黒一色のドミノマスクを纏った、みらと同じくらいの背格好の"少女"が姿を現した。
『ワタシこそは伝説の九人がひとり、トラップ・マスター! あのお方に楯突いたことを後悔するがいい!』
※ ※ ※
「出せェ! 出してェ! 吐く、いや出る! 新幹線で食べたサンドイッチ出てまうぅうう」
蟹めいた脚に運ばれ早十分。尋常ならざる乗り心地の悪さで幾度となく天地が逆転し、朝食べたものが喉元に逆流しかけたその最中、袋が破れ、中にいた三葉が外に放り出された。
「何、なんよ……ここ」
急激な場面変化に、戻しかけていた吐瀉も胃の腑に引っ込んだ。三葉が立っていたのは、発した声が反響するほどにだだ広い空間だった。靴の底で床を踏んで見る。程よい固さと平らな地表。これがあの塔の内部なのか?
「なんで、こないな場所に……」
自分を捕まえた何某は『公開処刑』と言っていた。ならばここが処刑台と言うわけか? 枷もなく、動きも一切制限しないとは舐められている。
(さっきからなんや? あの音)
無人だと思っていたこの場所で、何かをカウントする音が聞こえる。耳を澄ませて位置を探ると、自身の背後で薄っすらと青白い光が発せられているのに気が付いた。
「ちぃちゃんの言う、本体……!」
主がいて、誰もがそれに従う臣下なら、公開する相手も限られて来るというわけか。悪辣な娯楽として消費されるなんて冗談じゃない。
そもそも。自分はその『あるじ』に心当たりがある。こんなふざけた真似、こんなことで罪を背負いこませるなんてあってはならない。桐乃三葉は奥歯を噛んで恐怖を隅に追いやると、決断的な足取りで光源へと駆け出した。
「お姉! こんなこともうやめよう!? そんなことしたってガーストの打ち切りは変わらないし、『兄者』は喜ばないよ!」
この暗さでは、目の前に人がいるということしかわからない。だがそれで十分だ。他にこんな真似をしようとする輩など考えられない。
作品を通し、付き合っていた『女』と別れ、奇縁で結ばれたいまの作者。自身の性的嗜好か故に内向きだったのが、ようやく前を向いて進めるようになったのに。こんなことでまた元鞘に戻るなんて間違っている。
「一緒に名古屋の実家に帰ろう? まだ続けたいんなら、兄者と別の作品創ればいいじゃん。ずっと同じモノに縛られてちゃ駄目だよ。前を向いて先のこと考えようよ」
想いを言霊に乗せて、頑なな相手に叩き付ける。自分の知る姉ならばきっと分かってくれる。妹がここまで言ったなら、間違っていたときっと認めてくれるはず。
だがしかし、三葉の想いは届かない。『たわごと』続きでうんざりした『その人』は、右手を挙げてこの空間に光を灯す。
「お姉……。あなた、何言ってるの?」
彼女の言葉に呼応するように照明が行き渡り、この空間をハッキリと見ることができた。床には紅い絨毯が敷き詰められており、眼前にあるのは中世の絵画に出てくるような、背もたれだけが異様に高い黒の長椅子。
そこに居るのは『姉』だとずっと思っていた。だがそこに座し、困惑した表情を向ける彼女は、見知った姉のそれではない。
「私の名前は吹寄幽子。あなた、私にとってなんなの?」
Q:原作を読みましたが、トラップ・マスターなるキャラクターは見たことがありません。何者ですか?
A:わしにもわからん