目には目を、歯には歯を、打ちきりには……
・折に触れて時折話していますが、本作は筆者が過去に制作した小説『ゴースト・ライト(https://ncode.syosetu.com/n9654eb/)』と世界観を共有しております。
今回から八月末にかけての全七編は特にその傾向が強く、そちらで登場したキャラクター・事象が本筋にかかわって参ります。
勿論、改めてそちらをみなくてもだいじょうぶ。筆者も設定ごとぜんぶ忘れておりました。
◆ ◆ ◆
『――君のその濁りきった感情に光を見た。望みを言い給え、応えて差し上げよう』
目の前に立つ白光のもやは、ハツラツとしたバリトン・ヴォイスで私に向かい、そう言い放つ。『あれ』が何なのかはわからない。濁りと光、全く不釣り合いなモノを並べ立てるセンスにも疑問符がつく。
「本当に、叶えて、くれるの?」
けれど。今この瞬間を狙って現れたのだとしたら。
私の澱みが、何らかの願いを叶えるほどのモノだというならば。
『――勿論だとも。声に出して、言ってみたまえ』
その口調に、私を引っ掛け、陥れようとする意図がないのは分かった。ならば迷う理由はない。吸った息を喉元で留め、腹から昇る言霊を虚空へと解き放つ。
「私の運命を変えてくれたあの作品。これが打ち切りになるなんてありえない。あなたになんとか出来ると言うのなら、そのチカラを私に頂戴」
我ながら間抜けなことを言ったなと思う。既に決まった事柄を、よく知りもしない、ましてヒトかどうかもわからない存在にどうにか出来るものか。
だが『それ』は、とても楽しそうな声で、もやの中で手を叩き、こう言った。
『――良かろう。契約は成立だ。持ってゆくがいい』
ぼやけていたもやに輪郭が生じ、ヒトの姿を取って降りてきた。『それ』が私に向かい手をかざすと、虹色に輝く"何か"が足元でカタチを成してゆく。
『――対価は君の成すべきこと、そのものだ。期待しているよ』
※ ※ ※
『――東京、東京。お降りの際は足元にご注意ください』
京王多摩センター駅から新宿まで一本三十分。そこから中央線の快速電車に乗り換え十五分。西ノ宮ちはるとその娘みらは、休日の混雑する正午過ぎ、この国の中心地・都心へと足を運んでいた。
「うわあ〜、ヒト! ひと! 人! 多いねえ東京、多摩とは全っ然ちがう」
「多摩は多摩で多いんだけどね……」
東京の端の端、あきる野で幼少を過ごした身としては、毎朝の多摩センター駅の通勤ラッシュさえ恐怖を覚えるものだというのに。都会っ子な『娘』を横に見、ちはるは苦笑いを浮かべて相槌を打つ。
「それで、それで? きょうは誰と会うの? ズヴィズダちゃん? おしごとのひと?」
「違う違う。遠くに住んでる友達が、久し振りに逢おうって来てくれたの」
"魔法少女コンビ再結成を祝って、久々にみんなで会わないか"。高校から九年来の親友・桐乃三葉はそう告げ、迎えに来るよう促した。こちらの都合も省みずに。
仕事が入って穴が開けられない状況だったが、みらがこめかみを擦れば総てチャラ。彼女はその代わり、そこに自分も連れてゆけと交換条件を突き付けた。
「うっそぉ、グリッタちゃんってズヴィズダちゃんの他にともだちいたの?」
「失礼な。あんたは私を何だと思ってるの」
尤も、彼女の他には本当に誰もいないのだが。灰色の青春を思い返し、ちはるはひとり勝手に肩を落とす。
「で? どんな人なの?」
「そうだね……」思えば、電話口はさておき九年近く顔を見ていない。「関西出身の人でね。方言混じりの可愛い子だよ。思えば、グリッタちゃんをご当地魔法少女に、って言ってくれたのはあの子だったなあ」
「へえ。じゃあ今のグリッタちゃんの産みの親なんだ、カンサイさん」
「それはちょっと言葉のアヤだけど」
カンサイさん、という呼び方が面白くて、訂正するのを取りやめる。実際それで正しい。ノリも含めてそう言う気質の人だった訳だし。
「おぉい、いたいた。見つけたぁ」
などと過去に思いを馳せていたちはるの耳に、どこか聞き覚えのある声が届く。何処からかと辺りを見回し、右斜め後方に動く影を捉えた。
「ちーーちゃーーん! 久し振りーっ! 元気してたあ!?」
「あっ、えっ……えっ!?」
ちはるが驚き、半歩引き下がるのも無理はない。彼女が事前に想定していた友人の姿は、背が低く、高校時代の雰囲気を引きずった子どもっぽいものであった。
「あっははー。ちぃちゃん変わったねえ。うち、一瞬誰だか分かんなかった」
「ええ、それは……まあ」
しかし実際はどうだ。眼前の友人はオレンジ色のワンピースにベージュの帽子。黒のスニーカーを履いたとても垢抜けた格好をしていたからだ。
(やばい、私だけめっちゃ遅れてる……!)
綾乃に抜かれるのは仕方がない。だが時折電話で言葉を交わし、同類めいた雰囲気を感じていた三葉に先を行かれるのは、女として非常に負けた気がする。
「うん? どったの? そんなにジロジロ見ちゃって」
「いや、あはは。別に」
そんな感情を直接ぶつけられるわけもなく。ちはるは意味なく笑ってお茶を濁す。
「む、む〜……」
対して、みらはちはるの影に隠れ、警戒心剥き出しで三葉を視ていた。
「おっ、あなたが噂のみらちゃんね。ほんと、ちぃちゃんの言う通り、お姫さまみたいに可愛い」
幼さゆえの人見知りだろうか? それもある。過去の記憶のないみらに取って、自分を形作るのはスマホに唯一残されていたグリッタちゃんとズヴィズダちゃんの動画だけだ。
綾乃はその動画に頻繁に映っていたから解るが、裏方たる三葉はそうではない。良い人だろうが悪い人だろうが、今の彼女はみらにとって、自身のパーソナル・スペースに踏み入る侵略者でしかない。
「ねぇ、ねえ。グリッタちゃん」
暫く三葉を観察した後、みらは少し背伸びをし、ちはるに向けて耳打ちをする。
「あの人が、カンサイさん? 全然関西弁じゃないんだけど」
「えっ、そこ?」
真剣な顔で耳打ちするものだから何だと思いきや。確かにみらにとっては切実な問題だ。たこ焼きが来たと思ったら明石焼きがお出しされた心境に似ているか。
「聞こえたでー。そんなのキャラ付けやキャラ付け。口八丁手八丁の商売で、意思疎通が滞ったら困るやろ?」
「あっ、ホントだ。関西弁」
「それとな。細かいかも知れへんけど、愛知は関西やのーて東海な、トーカイ」
桐乃三葉は西日本を拠点に日本中を駆け回るファッションスタイリストだ。東海圏、しかも更に局地の名古屋弁で通されては伝わるものも伝わらない。この喋り口調は意図して調整したものなのだ。
「さてさて、自己紹介も済んだし。みんなで楽しく東京観光としゃれこもや。ちぃちゃん、案内よろしゅう頼むでぇ」
「やっぱりそう来るかあ……」
案内出来る程場馴れしてもいないし、そもそも持ち合わせも心許ないのだが、言ったところで眼前の彼女やこれから合流するであろう綾乃が納得するはずもない。ちはるは暫し黙考の後、きらびやかな目で自分を視る三葉の方を見、
「了解しました。それで、最初はどちらに?」
「せやねー。そしたら……秋葉原!」
※ ※ ※
「さてと。あの連中はどこに行ったのかしら」
ちはるたちが集まってから二時間ほど後。東雲綾乃は渋谷のセンター街を歩きながらスマホに目をやり、既に集まっているであろう友人たちの足跡を追う。
地方から旧友が来ているので、久し振りに遊びたいのですがと駄目元で申し出て、まさか了承されるとは。朝から夕方までの予定を半日に切り上げ、約一日半程の休みを得た。こうした無茶が許されるのは、彼女がトップモデルであるが故の証左であろう。
「みんなで集まるのも九年ぶり、か……」
電話で定期的に連絡は取り合ってきたが、顔を観るのはあの頃ぶり。ちはる程ではないが、綾乃も旧友に対し気恥ずかしさのような感情を持っていた。
尤も、綾乃のそれは微々たるものだ。目を閉じて迷いを振り切り、前を向く。
「引ったくりよー! 誰か捕まえてェ!」
前を向いたその横を、息を切らせて追い越す影ひとつ。徐々に遠くなるそれは、女性ものの上等なハンドバッグを小脇に抱えた、地味な格好の男であった。
(ここってば、いつも治安が悪いのよね)
ここは細い一本道。距離は目算で五十メートル。走って追うか? 『古傷』というハンデを背負った上で、向こうは男。止めてどうにかなるとは思えない。となれば答えは一つ。綾乃は履いていた右のローヒールパンプスを脱ぎ、大きく振り被るのだが――。
『吾輩の管轄で盗みを働くとは良い度胸なのである』
これは、一体何の冗談だ?
一本道を抜けて、路地に入らんとした引ったくりが、向かいの角から放たれた炎に焼かれ、火だるまになっているではないか。
『いつ見ても、罪人の燃え尽きる様は愉快であるな』
炎が止まり、こちらからは影になった路地から『何か』がやってくる。背丈は綾乃より頭ひとつ大きいくらいだが、ホッケーマスクめいた仮面で顔を隠し、全身はトラックスーツ地味たタイツで覆われ、両腕には虎と龍を模した発射口が備え付けられている。あそこから出た炎で、引ったくり犯を焼き殺したというのか?
『女よ。貴様の持ち物はこの"ヒートシーカー"が奪い返してやったぞ。ありがたく思うがいい』
ヒートシーカーを名乗る怪人は、尊大な物言いと態度のまま、黒焦げになった鞄を女性に投げてよこす。罪人と同じ炎を浴びたそれは、女性の手に渡った瞬間、塵となって崩れ落ちた。
「ひっ、ひぃ……! あぁ、あぁあ……!」
だが、そんなことなど些細な問題だ。誰かここまでやれと言った? 綾乃と同じく、一部始終を目撃していた女性は、無慈悲で尊大な怪人の姿に腰を抜かし、尻餅をついて動けないでいる。
(警察)あんな非道を許してはいけない。綾乃は大通りに出、公権力の姿を求めて周囲を見回すが、程なくして不自然に消し炭となった建物を見込む。
「うそ……でしょ」
燃えた建物のすぐ近くに破砕した回転灯が転がっている。警察が出張らない訳だ。口うるさい国家権力を先に始末し、正義面して私刑に励んでいるのか?
「待ちなさいよ」この非道が綾乃の心に火をつけた。満足げに去らんとする怪人を前に声を上げ、人差し指を突き立てる。
「突っ込みどころが多すぎて、何から言っていいかわかんないけど……。ひと一人焼き殺しておいて正義の味方ヅラしてんじゃあないわよ。あんた、一体ナンなの?!」
『フン。我々に守られるだけの脆弱なヒヨコがぴぃぴぃと』怪人は気分を害したようにうんざりとした声で向き直り。
『貴様ら下等な人間共を守るのが我ら'"ガーディアン"の務め。力なき小娘は引っ込んでいるのである』
少しは意味が解るかと耳を傾けてみたが、やつの言動は何一つ理解できないという事しかわからない。
『不愉快である。今すぐ頭を垂れて吾輩に許しを乞え。でなくば貴様も消し炭に変えてくれようぞ』
逃げて、この場をやり過ごすべきかとも考えた。面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ。
「は、あ……?」
だが、こんなふざけた奴に喧嘩を売られ、黙ってはいられない。ぎらついた目を更に細め、眼前の化け物に睨み返す。
『吹けば飛ぶ小娘の分際でなんと愚かな。人間如きが、吾輩に敵う訳が無いというのに』
「そうね。ただの、人間ならね……」
今日ほど、幼馴染の不可思議な趣味に感謝したことはない。綾乃は肩がけの鞄から銀色のコンパクトを取り出し、自らの姿を鏡に映す。
『生意気な。先手必勝なのである』
ヒートシーカーの身体が赤熱し、右腕発射口から紅蓮の火の玉が吹き出した。奴は体内の熱を炎に換えて放出できるのか? あんなものに触れたが最後、鍋で爆ぜるポップコーンめいて、四肢総てが断絶炎上するに違いない。
そうした予備動作を目にしてもなお、綾乃の顔に焦りはない。向こうは自分を舐めている。不意打ちで焼いた引ったくり同様、初撃で下せると思い込んでいる。
『な……にっ!?』
炎が綾乃に達する刹那、彼女は虹色の輝きに包まれ、大きく背を反り、ブリッジの態勢に入った。寸でのところで火の玉を躱し、地についた手の力を躰に伝え、スプリングめいて跳ね起きる。
『む、む。コシャクな!』
右にオレンジ、左に朱の光を溜め込んで、腕の発射口から解き放つ。右はバレーボール大の火の玉、左はバーナーめいた延焼する炎。火の玉を上下左右に四つ、上体を捻ってバーナーを鞭状にしならせ、敵を確実に焼きにかかる。
「遅いのよ」
綾乃の身体から光が失せ、魔法少女ズヴィズダちゃんの姿があらわとなる。迫る火の玉をスウェーで避け、無拍子からの跳躍で上下の玉とバーナーを同時に回避。ヒートシーカーの頭上を取った。
「ぶっ、飛べぇええぇ」
均整の取れた右飛び蹴りが怪人の無防備な胸部に突き刺さる。勢いに押され、ヒートシーカーの身体はアスファルトに叩き付けられた。
『馬鹿……馬鹿な。吾輩はガーディアンの精鋭なのに。市井の小娘、ごときに』
余程この一撃が効いたのか、単に彼が弱いだけなのか。ヒートシーカーは恨み言を呟きながらぱんぱんに膨らんだ後、空気の抜けた風船めいて『虹色の光』を放ち、急速に萎んでゆく。
「虹……色?」
ちはるのもの、自分のものとよく似た光だ。そんなものが吐き出されるということは。
「ちはる……あの子達が危ない!」
この異常がそこの火男ひとりで済むとは到底思えない。今纏っている衣装が何で、ここが職場近辺などということなど関係ない。その危険を感じた時点で既に駆け出していた。




