帰ってきたズヴィズダちゃん!
「何……なにこの、何?」
「いや。何って、ズヴィズダちゃんでしょ。2018年ヴァージョンの」
トランスパクトで自分を映し、指でスライドさせて中の衣装と今の服とを入れ替える。纏った代わりに消えた服は、今西ノ宮家のタンスに移動していることだろう。
アガりに文句をつける気など無い。基調となるのは以前よりも温かみの増した紅藤色。肩口のフリルが廃され、チアリーダーを思わせるようなセパレート・ドレス。
「それは解る。分かるんだけどさ……。足のこれは、ナニ」
問題なのは下半身だ。膝先まで覆ったスパッツの下には、曲げ伸ばしに応じてくの字に屈伸するジャッキめいたクリーム色の機構が取り付けられており、踵にはひと目で足踏みポンプと解るクッションが装備されている。
請けた以上多少の機微には目をつぶると決めていた。いたのだが、ちはるのデザインセンスはその想定を軽々と超えてきた。いくらなんでも、ダサすぎる!
「何って、アンカージャッキですよ? 痛む足もこれで無問題」
お願いだ、ナニかの間違いであってくれ。そう思い返ってきたのは笑いのない真顔。冗談ではなくこれだ! と決めて来たというのか?
「あのね。確かにあたしはモノを出せばやるとは言ったよ。言ったけども!」
「もう……。アヤちゃんってば往生際が悪いっ」
これは無いと拒否を示す綾乃に、作り主は脚を叩き。
「エラい人は言いました。悩むより動けと。文句言わずにサッサとほら!」
これは罠だ。纏った時点で自分に拒否権はない。ダサかろうと恥ずかしかろうと、逃げ場は全て潰されているのだ。
「わかった。分かったわよ」
開いた腹部を両手で隠し、頬を赤らめ周囲を見やる。散歩をする高齢者が数名。声を上げる若者たちに興味を示すことはなく、各々世間話やウォーキングに精を出している。
「ヤッてやるわよ。やりゃあいいんでしょ!?」
もうどうにでもなれ。上体を深く沈ませ、足の裏に力を込めて。遥か高くへ跳び上がる。
「えっ……ちょちょちょ、ナニ? 何ー!?」
一瞬で眼前の景色が砂利場から公園を一望出来るまでに変わった。瞬きすれば更に遠く、多摩市総てが視界に入って来る。
「うわっ、ウワーッ! いや、いやいやいや、落ちる落ちる落ちるゥー!」
跳躍の頂点に達した以上、あとは落下による加算を伴って落ちてゆくだけ。三、ニ、イチ、ゼロ。防御態勢も取れぬまま、綾乃は黄土色の地表に叩きつけられた。
「あ、あれぇ……?」
どん、と鈍い音がしたのは確かだ。しかし変化らしい変化はそれだけ。しゃがみ込んだ綾乃が恐る恐る上体を起こすと、脹脛についたジャッキがたわみ、スプリングめいて脚の動きに追随している。
「全然……痛くない?」
切断した脚の縫合手術の後、東雲綾乃はずっと膝の痛みに苦しめられてきた。歩く度に締め付けられるような痺れがあり、酷い時は痛み止めがなければ立っていることさえかなわない。
「ふ、ふ、ふ。ようやくこの機能美を理解したようだね綾乃さん」
不自然な含み笑いと共に、再びちはるが声をかけ。「快適でしょう? んああ仰らないで。見た目で判断したでしょそうでしょう。でも、脚が推しポイントのズヴィズダちゃんでそれを隠したり、余計な装飾で隠すのはノンノン、でしょ?」
「何そのエロオヤジみたいな発想……」
急に弁舌になった幼馴染に顔をしかめつつ、昔を思い出し内心で安堵する。これが西ノ宮ちはるだ。誰に何を言われようと自分の『すき』を曲げない女。久方振りにそんな彼女を観られたのが何よりも嬉しかった。
「さ、さ。衣装も決まったことですし」ちはるの方も使い慣れたトランスパクトで見慣れた姿に変身し、「復活アピール、大々的にやっちゃいましょーや」
「えっ、今!?」
「勿論。みら」
慌てふためく友を尻目に、ちはるは協力者に指で指示をし。
「ははぁ、了解であります」
こめかみに両手を当ててぐりぐりとこすれば、池にぐるりと囲まれた公園広場に特設ステージの出来上がり。昴星歌唄に出来たことだ。一度観てしまえばみらにだって模倣出来る。
「ちょっ!? あんたら一体ナニする気?」
「そりゃあ勿論ライブっしょ。グリッタ&ズヴィズダの復活記念。動画に撮って『つべ』にアップするんだよ。売れるよぉ〜、何たって日本のスーパートップモデルサマが歌って踊るんだもん」
「待って。待って待って!? ナニソレ意味わかんない! 」
四コマ漫画でニを飛ばして三に行くようなこの展開。そんな気はないと拒否を示すが、ノリにノッた幼馴染は止まらない。
「グリッタちゃん、カメラここでいい? 曲もうかけちゃうよ?」
「さんきゅさーんきゅー。ほらほらほら、アヤちゃんも上がってきて、ほらここ」
「あたしの意思はガン無視か、ええ?」
こうなったちはるは誰の手にも負えない。それは幼馴染である自分が誰より分かっていることだ。故に、このくらいのことは最初から予想しておくべきだった。
「いや、だからって歌と踊りって何。今すぐやれって言われても心の準備が」
「いいんだよ、少しくらいトチったって。そもそも私もアヤちゃんも休み今日だけじゃん。今やらないでいつやるの?」
「言いたいことは分かるけど急すぎる。動画とはいえヒトに見せるモンでしょ?」
客の前に急ごしらえの歌と踊りなどお出しすべきではない。ここだけは譲れないと抗う綾乃に対し、反論に代えた足踏みが即席の壇上を激しく揺らす。
「アマい。スタバのキャラメルマキアートよりもアマい! そんな消極的な考えじゃ、今日び底辺のアイドルは生きて行けないんですよ綾乃さん! イマの時代は質より量! とにかく認知! デカいとことコラボして、名前をしっかり覚えてもらうの!」
綾乃たちが離れてからずっと、西ノ宮ちはるはトラウマを抱えたまま、ご当地アイドルであり続けた。一過性のブームで終わらず、今も依頼が舞い込むのは、あきる野の商工会議所がそうあれと望み、実際収支で黒字を出しているからだ。
「私さ、今年で二十六だよ? 魔法少女って名乗って共演者に散々笑われ続けて来たんですよ綾乃さん! それでもムリして笑顔作って、下げたくないアタマ下げて、どーにかこーにか九年続けてきたんすよ? それを今、今更……。パフォーマンスが十分じゃないからパスなんて、許されていいわけ無いでしょうが!」
どうやら、知らず知らずにトラウマを踏み抜いていたらしい。息継ぎもそこそこにまくし立てるちはるを観、綾乃の怒りはどこかに消えた。
「ごめん。わかった、分かったから……ステイちはる、ステイ」
今まであまり多くを語りたがらなかったのは、辛い記憶として封印しているからなのか。親友の空白期間を想像し、強張った表情筋が少しだけ緩む。
「悪かった。あんたの言うことにも一理ある。少し、くらいなら……」
「よぉし言質取った。さっそくリハ行くよ、みら、音響のスイッチお願い」
「ちょっ!?」
情緒不安定なのか、要領が良いと言うべきなのか。さっきまでキレていたのが即豹変。今までのものは演技なのかとさえ思いたくなる。
「畜生、こうなりゃヤケよ。どうせ失敗するんなら、全力で盛大にズッコケてやろーじゃないの」
「よくぞ言ってくれました! それでこそアヤちゃんだよ」
綾乃は半ば諦めて壇上に立ち、楽しそうに足踏みするちはるの手を握る。
老け込んで背が伸びて、瞳の輝きも落ち込んでしまったけれど、そんな風に笑い合う彼女は、高校生の時のように輝いて見えた。
彼女はいつだって強引で、ヒトの都合なんて考えなくて。だから他の友達に恵まれなかった。『あの』西ノ宮ちはるが帰ってきた。ずっと閉ざして来た壁を取り壊すキッカケになれたのなら、これほど嬉しいことはない。
(そんなこと、口が裂けても言えないけどね)
それじゃあ行くよ、の外野の声が公園に響く。次いで聞こえてくるのは昔歌い踊ったあの曲。『わたしはスキを諦めない』。今この場にぴったりなナンバーと言えよう。
「そんじゃ本番行くよ」
「はい、はい」
上手いか下手か。評判がどうだかなんて二の次三の次。今はただ、この瞬間を楽しむことだけを考えろ。
―-わたし”たち”はスキをあきらめない!
※ ※ ※
「――見たよ見たよぉアヤのん。ようやくちーちゃんとヨリ戻したんだねェ」
「ヨリって何よヨリって。あたしとあいつはそういう関係じゃないっ」
「――しっかしまあ、日本のトップモデルさんが脚にえらいモンぶらさげて。あの辺はちぃちゃんのアイデアなん? 知ってて乗ったん?」
「その辺は、その……。ノーコメントで」
あくる日の昼下がり。休憩時間に電話をかけてきたのは、高校以降散発的に連絡を取り合っていた友人だ。”つべ”に昨晩アップされた動画を目にし、矢も盾もたまらなくなったという。
「――えぇなあ。えぇなぁ。うちも久しぶりに二人と逢いたいなあ。酒酌み交わしながら話しよやァ」
「簡単に言うじゃないの三葉。あんた、未だに実家住まいでしょ。そんな長い時間休み取れるの?」
朗らかな声をした電話口の女性――、桐乃三葉は愛知県名古屋市在住のファッション・スタイリストだ。綾乃程ではないにしろ、多忙を極めるのは彼女も同じ。まして名古屋から東京は新幹線で二時間。会いに行くだけでも一苦労なのだが。
「――なんと。ここでご報告したいことがありまーす。折角や、ちょっと聴いてな」
「聴く?」
言われて耳を澄ませてみれば、綾乃の耳に『品川』というアナウンスが響く。先程から感じていた声のくぐもりにガタガタと鳴るBGM。成る程、話は読めてきた。
「えっ、あんたもう近くまで来てるの? 新幹線使って?」
「――はいはい正解三億てーん。鉄は熱いうちに打てって言うやん。昨日の夜に宿取って、朝のうちから出発させてもらってますー」
「行動力の化身ね……」
「ま。色々別件でな。そのついでってことで」
近場にいる自分と違い、会えるチャンスが限られているからか? 気の早いことだ。別にいなくなる訳じゃないのに。
「分かった。なんとか明日で都合つける。ちはるんとこの住所は知ってるでしょ? 連れてって東京観光でもして待ってて」
「――さっすがアヤのん。それじゃあお言葉に甘えさせて貰いますわあ。」
こういう調子の良いところは関西人気質か。否、名古屋は関西か? どちらかというと静岡に近いんじゃなかったか。などとどうでもいいことを考えながら、待ってるからねと電話を切る。
――本日も新幹線をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。まもなく終点、東京、東京です。お降りの際は足元にご注意ください。
「ああ、ひっさびさの東京やァ」
二十歳になってお酒を嗜むようになってなお、親たちは自分が東京に行くことを許さなかった。『あれから』九年が経ち、ようやく警戒心が解けたのだろう。
(馬鹿馬鹿しい。あの時全部終わったんや。もう何も起こるワケないのに)
列車のスピードが落ち、東京駅周辺の景色が視界いっぱいに拡がる。三葉が違和感を感じたのはその時だ。高層ビルが立ち並ぶ大都会。その一区画に不釣り合いなピラミッド状の建物がひとつ。
「あんな建物、あったかなあ……?」
二十代になって初めての上京だ。そもそも東京とは目まぐるしく変わってなんぼの未来都市。不釣り合いな建物のひとつやふたつ、何もおかしくはないではないか。頭の中でそうまとめ、三葉は上の棚から荷物を下ろし、出口に向けて歩き出す。
気付かなくて当然ではあるのだが――、あの建物は『ガーディアン』を束ねる"原初の男"が居城・OZパレス。これから始まるはた迷惑な騒動の発端であるのだが、それを知る立場にいた三葉はそんなこと、知る由もなく……。
・次回、14:ヤツの名はガーディアン・ストライカー、につづきます。