すべてのはじまり、さいしょのまちがい
ここまでで一区切り。以降しばらく付きあってくことになりそーな敵役の登場です。
※ ※ ※
小高い山の上にそびえ立つセラミック造りの古城。適度に湿気を孕み、靄で覆われたその佇まいは、まるで英国のそれと瓜二つである。
ここには陽の光はない。光源といえば頭上を照らす円な満月唯一つ。満ち欠けはなく、太陽と取って代わることもない。
ここは、我々の知る、地球ではない。
国じゅうを照らす満月に薄雲が掛かり、幾らかの湿度を孕んだ気味の悪い空気。長い黒髪に度の入った眼鏡を掛けた外套の女たちが、早歩きで城内の渡り廊下を進み行く。
陽の光無きグレイブヤードにとって、月光は民の生活の象徴。その満月に霞が掛かる午後三時は、一日で最も不吉な時間と忌み嫌われている。
早くこの場を去らなくては。女王陛下付きとなって日の浅い彼女たちは、先人たちの言い伝えを真に受け、早く速くと切に祈る。
だが悲しきかな。この日の不吉は彼女たちが請け負うこととなる。もう少しで大扉に手が届くその瞬間、彼女たちの背後に硝子を散らす轟音が鳴り響く。
「た、大変です三賢人さま! ワーウルフが! "我々"の使い魔が……。城に!」
その衝撃は理由を伴って王宮真中の大広間へと伝播する。下僕たるメイドたちがボロボロの狼男を担ぎ込み、今まさに茶会を開く円卓に乗り込んできた。
「何ですか騒々しい。茶会の時間を邪魔しないで頂戴」
円卓の右斜めに座し、涼やかな青のドレスを纏った妙齢の女性が、メイドに冷ややかな目を向ける。
「収穫の報告なら後にしろ。今が何の時間か分からないのか」
左斜めに座す黄色のドレス――。鋭い目つきの女性が、不快そうに声を荒げる。
「まあまあ。二人共。彼女だってきちんと務めを果たそうとしているのよ。怒らないで、ちゃんと話を聞いてあげましょう」
扉から観て最奥、鮮やかな赤のドレスを纏い、柔和な笑みを浮かべた女が優しげな口調で双方に静止を求める。
「姉さまがそう仰るなら……」
「早くなさい。一体何があったというの」
「見ての通りでございます。使い魔が、満身創痍で、宮殿に……」
このグレイブヤードに同族殺しをはたらく者などいない。ただの人間に壊されるほど、彼女たちの私兵は軟弱ではない。
しかもだ。狼男の使い魔は、メイドたちが話している最中、カタチを保てずもとの土塊に戻ってしまった。
「魔力を撃ち込まれたのね」頭目と思しき赤ドレスの女が、眉をひそめてそう呟く。
「"女王さま"と同じ力。放っておけば必ず障害になる」
彼女たちは狼男が何とぶつかり、何をされたかはわからない。しかし、それが自分たちにとって脅威になると理解した。
「我々グレイブヤードの民は、『陽のあたる場所』を征服しなくてはならない」
「それが女王さまの宿願。それを達するのが我らの使命」
「この魔力痕跡を『コンパス』に記録なさい。元凶を見つけ出し、始末するのです」
三人はそれぞれ頷き、広間奥に鎮座する肖像画に向けて叫ぶ。
『我らグレイブヤード三銃士。この命は女王さまのために』
ヴェネチア・マスクめいた仮面で顔を覆う、自分たちの創造主に。
※ ※ ※
「はは、あはは……あは……」
「何よ、ドーなってんのよ、これ」
魔法の煌めきが狼の異形を消し去った後。着弾から半径数メートル近辺は四散した疾風の被害をモロに受け、木々を根本からえぐり取り、緑地だったところを黄土色の荒れ地へと姿を変えていた。
狼に呑み込まれていた少女たちは蒼い光に包まれて解放され、運動場で意識を失い放置されている。無論、この戦いや狼のことなど知りもしまい。
綾乃は途方も無いチカラにぽかんと口を開き、ちはるは畏怖と歓喜とが入り混じった笑い声を上げる。
「アヤちゃん……。そうだ、アヤちゃん!」
何のために此処へ来たのか思い出したちはるは、真横で四つん這いになる幼馴染に駆け寄った。
「大丈夫!? 怪我とかしてない? ねえ、ねぇねえねぇ!!」
「ああ、うん……。平気。それは、平気」
「ホント!? ほんとのホントに? 膝とか肘とか、おでことかおなかとか、それと、それと……」
「ああ、もう、うっさい! 離れろ、離れろってば!」
駆け寄るなり腰に腕を回し、ぎゅうと抱き締め、必死な声で無事を訊く。あの頃と同じだ。ヒトが転んで怪我すると、血相変えてハグをする。いつまで経っても変わらない。
「っていうか、そんなこと・どうでもいいワケ」綾乃は引き剥がしたちはるに人差し指を突き立てて。「アンタのそのコスプレは何。どこをどうやればあんな風が飛び出すの。そもそもあんた、ウチに帰ってたんでしょ。それがどーして」
「わたしに言われても、なんとも……」
それが判れば苦労はしないというに。飛んだのも、撃ったのも、何もかも勢いで。言葉にして伝える自信がない。
「あ、でも」
「でも?」
「此処に来たのはグリッタ☆フュージョン・ゲート……ああ、いや」渋い顔をする幼馴染を見、取り繕うように咳払いをし、「アヤちゃんが助けを求めてるのが見えたからだよ。狼から逃げてて、追い付かれて、走れなくなって……。だから、その」
「何よ」
「あ、え、あ」面と向かって話すとなると、やっぱりちょっと恥ずかしい。「魔法少女は困ってるひとを助けるのが仕事でしょ。だから」
「もういい。解った。解ったから」
きらきらとした瞳を向ける幼馴染を見、綾乃はいたたまれなくなって目を逸らす。
「認めたくないけど、確かにあの時、あたしは助けを求めてた。で、結果的に助かっちゃったし」
”認めたくないけど”の部分を強調し、綾乃は頬を赤らめ、声を潜めて言葉を継ぐ。
「ありがと、ちはる。助けに……来てくれて」
「ふふ。ふふふふふ。ふふふのふ」
あの綾乃が。ヒトを小馬鹿にしていた幼馴染が。自分に向かって感謝の言葉を述べるなんて。
さっきまでこの衣装を纏った時点で満足していた。けれど今は違う。ずっと憧れていたんだ。グリッタちゃんみたいな魔法少女になることを。
「そう! そうだよアヤちゃん! もっと褒めて! わたしを褒めて! わたしはキラキラ少女グリッタちゃん! 本放送から十一年目にして、再び此の世に舞い降りた、魔法少女な、の、だ! だ! だぁあああああっ!!」
どうしようもないお調子者め、少し気を許すとすぐこれだ。礼への気恥ずかしさも失せ、綾乃はうんざりと顔をしかめる。
「はいはい、分かりました。えらいえらい」
いい加減こんなあほに付き合っていられるか。ちはるの自画自賛を程々に聞き流し、はしゃぐ彼女に背を向ける。
「ちょっ、どこ行くのアヤちゃん」
「あんたにはカンケーない。ついてこないで」
だから、あんたとは友達のままでいられなかったというのに。綾乃は心中そうこぼし、学校へ向かい踵を返す。
戦いは終わった。いや、戦いと呼んでよいものなのか? 何故チカラが付いたのか、あの狼男は何だったのか? 描いたドレスは何故消えたのか。何一つ解っていないのに。
「あれは『グレイブヤード』に棲む魔物。平たく言えばあなた達の敵だよーん」
「だよん?」
聞き慣れない声と口調。どこから来たかと振り向けば、白いシルクハットを目深に被り、ピンク色の外套を羽織った妙な人物が、ちはるの耳元で囁いている。
「おぉわっ!?」
「何……なんなのこれ」
今ここには自分と綾乃しかいなかった筈。ならば奴は何者? 一切の気配を感じさせず、いつ背後に回ったのか。
「だいじょぶ、ダイジョブ。別に取って食おうって気はないから安心するんだよーん」
「そう……? うん」自分より頭ひとつ大きく、紡ぐ言の葉は砂糖菓子のように甘い。見た目と声がアンバランス過ぎて不気味。
「いやいや、絶対にアヤシイ。アンタなによ。何だっての……」
「私の名前はファンタマズル。キミの知ってる言葉で言うなら……。魔法使いってところカナ?」
綾乃の言葉は完全無視。外套の変質者は陽気な声でそう告げる。
「魔法使い?」聞き慣れた単語を耳にし、ちはるの中で警戒心を好奇心が上回る。「あなたが、ほんとに? グリッタちゃんみたいに??」
「うん。まあ、そんなとこだよん」シルクハットの何某は曖昧に応え、「あなたはそのペンのチカラを受け継ぎ、見事! 魔法少女となりました。わー、ぱちぱちぱち」
大袈裟に手を叩き、稚児にするような口調に猫撫で声。常人からすれば到底受け容れがたい存在なのだが。
「ほんとに? お墨付き貰えるの? もらってもいいの?!」
「いえす。おふこーす。なんなら証書も付けちゃうよーん」
夢を信じ、夢に生きるちはるに、この言葉を疑うという選択肢はない。子ども頃に憧れた存在になれた。あれは本当にグリッタちゃんなのだ。彼女の心はそれで一杯だった。
「それはそれとして。あれは尖兵の尖兵。まだまだ沢山居るんだよん。魔法少女になったあなたには、アイツらを向こうの世界に追い返して欲しいんだよーん」
「だよね? やっぱそーゆーやつだよね? 勿論やる! やりますとも! 具体的にはどーすればいいの?」
…………
……
…
これが"私"の初仕事。わけもわからずこうなって、何一つ知ろうとしなかった。
憧れの魔法少女になれたんだ。なら別に良いじゃない。そんな風に自分を納得させちゃって。
あれが一体何で、自分たちは何と戦っているのかすら知ろうともせず。
この頃は、何一つ疑わずにいられたのにな。
いつから、こんな風になってしまったんだろう。
思い出せないし、思い出したくもない。
02.あんたなんか大っ嫌い!、に続きます。
次回、幼馴染の綾乃がひどいめに遭わされるぞ!
おたのしみに!