人生、楽しめたもん勝ち
◆ ◆ ◆
「ほら、また笑顔がカタくなってる。歌と笑顔はセットでしょ。昔はきっちりやれてたでしょーが!」
「いや、あのね……。昔は昔、今はイマ……」
部活の教師かと見紛うばかりのスパルタに、齢二十五の西ノ宮ちはるは息を切らせ、この日二十五回目の弱音を上げた。時刻は既に午前零時。同居人のみらは荷物を枕に長椅子の上ですうすうと寝息を立てている。
「そんな甘ったるい話は聞いてない。あんたは誰? グリッタちゃんでしょ! あの西ノ宮ちはるでしょ!? やればできる、だから今やれ!」
「ムチャクチャだよぅその理屈……」
たとえ芯が通っていようがなかろうが、敵に勝つ方法はそれしかない。歌い慣れた唄と、昔作ったど素人のステップ。歳を重ねた今、それに触れるのは拷問以外の何者でもない。
「ほら、文句言わずにさっさとやる! 次! ほれ、次!」
「あ、アヤちゃんのオニぃぃい……」
親友のことを信じていない訳じゃない。他に手がないのも分かっている。だが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「恥ずかしさなんて。今もう0時よ? 深夜テンションで張り切れば、そんなの自然と離れてくっつーの」
だから手も口も止めるなと。言うことには一理ある。あるにはあるが、それを根拠に論拠を組み立てられるのは――。
「うし、次行くわよ次ぃ! 準備しなさァい」
「えぇえー。もうやだァ……」
彼女たちの次にこの部屋を利用する客は、選曲履歴を目にして唖然とすることだろう。二十六連続で総て同じ曲、否この調子だと更に増えることだろう。とても正気の沙汰ではない。
草木も眠る丑三つ時にこんなやり取りが何度も、何度も繰り返され、決戦当日の朝を迎え……。
※ ※ ※
「会場のみんなー! こーんにーちーはー! ご存知あきる野のご当地アイドル、グリッタちゃんでーーす!」
徹夜テンションで無理矢理に瞳を輝かせ、ヤケクソ気味に声を張り上げる。そうまでしてもなお、衆目の声は歌唄一色。壇上に立ったイロモノのことなど気にも留めていない。
慣れた景色だ。どれだけ声を枯らして歌おうと、声援を送るのは熱心なおじさんだけで、そうでない物見遊山の若者は隣とひそひそ話をし、あくびをし、スマホをいじってまともに見ていない。
そうだとも。だからこそ、ナニを演っても許される。如何なパフォーマンスを見せようと、笑って迎えられることはないだろう。西ノ宮ちはるは鼻から一気に息を吸い、声に換えて吐き出した。
「グリッタちゃああああああん!!」
何故、いきなり自身の名を? ご当地アイドルとしてのちはるを知る古参たちさえ、起死回生の第一声には首を傾げ、困惑を持って出迎えた。歌唄一色の会場の中で、ほんの少し波紋のような動揺が拡がってゆく。
だが、東雲綾乃だけは違う。腕組みをし凛とした目でステージを見据え、その瞳でエールを送る。
(やっちゃえ、ちはる)
この激励を目にしたかどうかはわからない。しかしそれに呼応するかのように、彼女は再び息を吸う。
「はーーーーーーーーーい!!!!」
その答えは誰に向けられたものか? 誰でもない、自分のものだ。
グリッタちゃんを、ステージでなく『アニメ』から知る人はこれが何だか気付けたことだろう。この問答はそのアニメのオープニング、イントロと共に流れるお決まりのやり取りだ。
もう逃げ場は無い。演ってやってやり通すだけ。ちはるは羞恥を心の奥底に追いやって、ニコニコの笑顔に切り替えた。
「ワン・ツー・スリー・ゴー! みんなでGO! 歌およ踊れよパレードっ、今ここがわたしのステージ。星のチカラでキラッとGO!」
使い込んで退色したバトンを軽やかに振るい、即席のステージを所狭しと飛び跳ねる。子供の頃ビデオが擦り切れるまで何度も繰り返し、足捌き手捌きひとつに至るまで、完璧に覚えたかつてのステップ。歳を重ねた今もなお、その動きにぶれはない。
「わたしは星のお姫さま。バトンを振って願いを唱え、まほうのチカラがぽん、ぽ、ぽん!」
この歌と彼女の気迫に浮かされたのか、歌唄が保有する機材がグリッタちゃんのオープニング・旋律を描き出す。天使との時と同じだ。西ノ宮ちはるが本気で事に当たった時、天秤にかかり均衡を保つまほうのチカラは、ちはるの側に大きく傾く。
「つらいときはほしをみあげーてー、ほら、いち・にの・さんっ、シュテルングリッタえとわーーるー」
虹色のスポットライトがステップを踏むちはるに追随し、発せられた声がアンプを通じて街じゅうに響く。客層の歌唄コールに変化があったのはその時だ。ほぼほぼ彼女一色だった掛け声の中に『グリッタちゃん』の声が生じ、和紙の上に垂らした墨汁めいて少しずつ左右に伝播してゆく。
「おいでよ星のパレード、今ここがみんなのステージ。ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー、みんなでGO!」
向こうが前座だったからだけど。今歌っているのが彼女だったからだけど。いつの間にだか歌唄へのコールは失せていて。サビを過ぎる頃には声援の殆どが壇上で踊り狂うグリッタちゃんへと向けられていた。
殆ど、であり総てではない。興味を無くしスマホに目を向ける者。パーティーは終わりだとこの場を去る者。我に返って交通を邪魔することに異義を唱える人さえ居た。
「なによ……。なんなの……。なんでよ……」
だが、客席最前列で聴いていた対戦相手――。日本歌謡界の頂点・昴星歌唄は、彼女のパフォーマンスを見、その歌を聴き、唇をぶるぶると震わせ、釘付けになったまま動けない。
歌も踊りも素人のそれ。一時期大手アイドルグループで揉まれた経験のある歌唄からすれば、ご当地アイドルの熟練したパフォーマンス程度児戯に等しい。歌唱力に至っては言わずものがな。息継ぎも怪しいし、微妙に歌詞をトチっており、そもそも音程が元の曲とズレている。とても大勢の客にお出しできる代物ではない。
(なのに……なのに、なんで……!)
だからこそ、この意味不明な感情に折り合いが付けられない。下手くそなのに。自分の勝ちは揺るがないのに。マイクを手に『やめろ』と一喝することも出来るのに。何もせずこの茶番を見守り続けている私は何? まさか、あの素人に気圧されているとでも言うのか?
「あんたさ、最近歌ってて『楽しくない』でしょ」
「え……?」
言葉にならないモヤモヤを抱えた歌唄に、その斜め隣から東雲綾乃が声をかけてきた。普段なら無視するところだが、今の彼女にはその余裕さえもない。
「あんたの曲さ。良いものだとは思うけど、ライブでそれを歌ってる時、毎回作り笑いしてるのが気になってね。これまでずっと解かんなかったよ。でも、こうして真ん前で聴いててやっと分かった」
綾乃は、彼女が握り締めている右手のマイクを指差して。
「今までの人気。まほうのチカラで何とかしてきたんでしょ。だからどれだけ上に昇っても満足しないし、称賛の声も聞き飽きた。勝って当然。負けるなんてありえない。そんな生活がずっと続けば、人生なんてみんな作業だもんね」
総て綾乃の推論だ。そんな訳ないと強く跳ね除ければそこで終わった話なのに。
「そ、それは……それは」
しかし、昴星歌唄はそうしなかった。痛い所を突かれてしまい反論の言葉が出て来ない。
イチバンになりたいと願った。自分はこんなところで燻っている存在じゃない筈だ。必死で努力し、下げたくない頭を下げ、プライドを捨てて自分を曲げた。
皮肉にも、願いが叶ったのは現実に打ちのめされた後だった。客は脊髄反射で褒めそやし、これまで見下していた連中は誰しもが自分に跪いた。
(わかってる。わかってたわよ、そのくらい……)
夢を叶え、日本の音楽シーンの頂点に立ってなお、ずっと満たされないのはその為か。まほうのチカラで他者を洗脳して積み上げた砂の城。最初のうちはそれでも良いと思っていた。しかし、今となっては自分とまほう、どちらが要因なのかわからない。
「だからさ、あんたじゃちはるには勝てないって言ったワケ」
綾乃は親友の方に顔を向け、歌唄にもステージを見るよう促して。
「たしかにあの子の歌はうまくない。踊りだって素人に毛が生えたものだと思う。けど、ちはるはそれも含めて楽しんでるんだよ。子どもの頃に夢だったキャラクターになりきって。自分にはまほうが使えるんだって言い張って。バカみたいだと思うでしょ」
綾乃はそこで目を瞑り、過去に想いを馳せる。理解できないと拒絶して、互いに口も利かなかった高校時代。歩み寄り、変身してご当地アイドルになって戦った日々。それも崩壊し、再び距離を置いた九年間。なんだかんだと理屈をつけ、歳も立場も変わってしまったけれど、つかず離れずを繰り返しているのは変わらない。
(結局離れられないのよね。ちはるも、あたしも)
目を開けて、再びちはるに目を向ける。綾乃には、その姿に過去、庭で二人して踊っていた頃と重なって見えた。
「けど、ずっとそうして夢を視られるバカが、この世で一番強いのよ。ヒトからどう見られようと、何を言われようと、スキな気持ちを曲げないでいられたあいつに、あんたみたいなのが勝てるワケないでしょ?」
第三者が傍で聞いていたならば、そんな理屈が通る訳がないと解るだろう。実際、戦いという観点では自分の勝利は揺らがない。しかし昴星歌唄は当事者だ。聴衆の空気が様変わりするのもこの目で見ている。彼女にとってはそれが現実。プライドを折られ、心を折られ、現実を見せつけられて。最早争えるだけのチカラは残っていなかった。
「星の妖精グリッタちゃん。いつもいつまでもわたしらしく。踊ろよ歌およパレードっ」
ちはるが歌い終えるのを待っていたかのように、まほうで生成された音響設備が光の粒となって消えて行く。歌唄のチカラが解けたのだ。会場はグリッタちゃんへの熱狂とそうでない人間とで二分され、統制が取れずに混然としている。
「あれ……? あたしたち、今まで何を……」
「ドコココ、ってあきる野?! 何この田舎? なんで??」
「あぁ、はい。直ぐにそちらに向かいます。申し訳ありません」
繋いでいた絆がチカラ一本ならば、切れてしまうのも一瞬だ。歌唄が負けを認めたその瞬間、取り巻きの女子たちは人気グループLIK48のトップという職業を思い出し、居る価値のない田舎から離れてゆく。
「やった、やったねグリッタちゃん! 勝った勝った完勝ぉーっ!」
「はあ……はあ……。あり、がと……」
全力のパフォーマンスを見せたちはるは、押し寄せる疲労に肩で息をし、転げるように壇上から降りて来る。みらが跳ね回りながらその勝利を祝福するその後ろで、優しい目をした幼馴染と目が合った。
「おかえり」
二人の間に複雑な言葉のやり取りなど必要なかった。こうして目を合わせるだけで、互いの言いたいことは殆んど全て理解出来たから。
「ただいま」
満面の笑みでそう言って、綾乃の出した右手にハイタッチ。過ぎた年月は戻らないけれど、昔と同じ笑顔と笑顔がそこにあった。
「ねぇねぇグリッタちゃん、あのひと、どうするの」
配下に見捨てられ、混雑に揉まれたあきる野市民は誰も彼女を見ていない。文字通りまほうが解けてしまった今、昴星歌唄は現実に打ちのめされ、ひとり寂しく下を向いていた。
「アヤちゃん、みら。ごめん、ちょっと待ってて」
ちはるは呼吸も整わない中、二人を脇に置いて歌唄の元へとひた走る。派手なステージ衣装が目に入り、ほんの一瞬そちらを向いた歌唄だが、直ぐに目を伏せ、背を向けた。
「笑いに来たの、お山の大将だったこの私を」
「ちがうよ」ちはるは息を切らせながらもハッキリと否定し。「こんなの、嫌味にしかならないかもだけど、この勝負はあなたの勝ち。パフォーマンスじゃ完全に敗けてた」
「だから何?」煽りとも取れる勝者の言葉に、歌唄の声が刺々しくなってゆく。「この世界は結果がすべて。私は負けて、あんたが勝った。そんな気休め、聞きたくないわ」
言って、ずっと握り締めていたまほうのマイクをちはるの前に差し出す。彼女が手に取るその前に、マイクは砂となって駅前ロータリーの風に浚われていった。
「誰が何と言おうと私の負けよ。逃げるつもりはない。煮るなり焼くなり好きにすればいい」
もう、人生そのまま棒に振っちゃったわけだしね。自嘲気味にそうこぼし、お縄につくわと両手を差し出す。
綾乃もみらも、それに対し何かをする様子はない。全ては勝者たるちはるに委ねられた。
「好きにすればいい、ね……」
ちはるは迷うことなくその手に触れ、ぐいと胸まで押し込んだ。その必要は無いとでも言うように。
「折角まほうのチカラから解放されたんだし、あなたもスキに生きたらいいよ。はい、この話はおしまい」
「スキ、って何よ……」憎悪をぶつけられるものと覚悟していた歌唄は、拍子抜けしたその返答に顔をしかめ。「私は、この歌声で沢山の人を操ったのよ。オリコンチャート総てを乗っ取って、他のアイドルからやっかまれて。そんな私がスキ、好きになんてしていいはずが」
「だから、それはもう過ぎた話じゃん」過去に大きな"やらかし"を経験したちはるにとって、人死にの出ない失敗など咎めるに値しない。「若いのに全部投げ出して、ふてくされて下向いてるの、後で絶対後悔するよ」
砕けた口調ながら、そこに遊びは一切無い。負けて俯く彼女の姿を見、ちはるはそこに自分を重ね合わせてしまったのだ。
「簡単に言ってくれちゃって。もうまほうのチカラは無い。今まで集めてきた求心力だって、全部無くなってしまったのよ」
「ううん」ちはるは穏やかな顔で首を横に振り。「あなたの歌はまほうなんか無くたって通用するよ。勝った私が保証する」
「何よ、こういう時だけ勝者ヅラして……」
不思議と、悔しさや怒りは感じなかった。長く辛い下積み時代、彼女は誰かにそう言ってもらいたかったのだ。君なら出来ると背中を押して貰いたかったのだ。
「言ってくれるじゃないの」
昴星歌唄は眼前のちはるに背を向けて、駅の方へと歩き出し。
「私をこうして逃したこと。いつか絶対後悔するわよ。見てなさい。まほうなんか無くたって、歌で世界を跪かせてやるんだから」
「うん。待ってる」
二人の会話はそこで終わりだ。歌唄は駅へ向かう群衆の中に消え、ちはるらはそれを追おうとはしなかった。
彼女は幸せになれるだろうか。それはわからない。しかし、秋川の駅構内で電車を待つ歌唄の顔は、憑き物が取れたような晴れやかな顔付きであった。
・次回、13:ゆめの続きを・1、につづきます。
長編が続いたので、次週から三話の中編予定。