見せてやれ、ちはる
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明くる日の昼十二時半、秋川駅前ロータリーはその姿を一変させていた。バスの周回する中心地点にはスピーカーを備えた特設ステージが建てられており、行き場を失ったバスが入り口で二台立ち往生。周囲の木々に照明が設置され、ステージをきらびやかな光で満たしている。
明らかな交通違反。街のインフラを乱す存在であるが、異議を申し立てる者は居ない。不満を言い連ねた者は彼女の歌を耳にして、目の前でその不満を取り下げた。
「遅い……遅い、遅い、遅いぃっ」
その中心には上等な一人掛けソファに座す黒髪の美女。約束の時刻まであと五分程だというのに、一向に現れない『対戦相手』に苛立っている。
「何よあのオンナ! こちとら一時間も前から来てやってるというのに!」
その言葉は正確ではないが的を射ている。彼女とその配下たちは十時四十分には秋川の駅に到着し、"設営"を開始。十一時には全ての準備を整え、敵が来るのを今が今かと待ち構えていたのだ。
「馬鹿にして、あの強がりは逃げ出したいが為の方便だったってこと?」
それを提案したのは別人なのだが、突いた所で野暮だろう。とかく、大スター・昴星歌唄の堪忍袋は爆発寸前。
「私に人質を握らせたことを後悔することね!」
右手を大きく振り上げて、『配下』のあきる野市民らを釘付けにし、命令を下す準備を整える。昨日今日出会った連中に遠慮などいらぬ。それぞれにその頸を掴ませ、力を込めるように念じるが――。
「あー、やっと着いたぁ」
「もう、だから途中で振替輸送に乗ろうって言ったじゃない」
「嫌だよ、バス怖いもん。同じ場所を周回してるのに、突然変なとこ行ったりするもん」
一両の電車が秋川で停まり、普段より多くの人々が溢れ出す。昴星歌唄の正確な聴覚はその波の中に敵と認めた女の声を捉えた。
敵とその取り巻きらしいふたりは改札を出て南口側の階段を急いで下り、自身が定めたバトル・フィールドに、息を切らせて乗り込んでくる。
「ごっ、ごめんなさい。その……電車が……昭島のところで人身事故した……みたいで……」
ちはるの住む最寄り駅・京王多摩センターから秋川の駅に向かうには、モノレールで十駅を経て立川に行き、立川からJR青梅線に乗って拝島で乗り換え、五日市線まで乗り継がなければ行けない。余裕を持って出て行けばなんなく辿り着けるのだが、そこにイレギュラー要因が重なればそうもゆかない。
昭島は乗り換えの起点となる拝島の一つ前。そこで足を止められてしまうと、武蔵五日市行きは一時間に二本。こればかりは当人らの努力ではどうしようもない。
「別に気にしなくていいのよ。大物ぶってビビらせてとけば。これも戦略ってやつ」
「や、でも。人質取られてるんだよ? 流石に少しは焦った方が……」
敵を前に緊張感のない会話を交わす方が、よっぽど強者に見えるがそこはどうなのか。
などと思い歯噛みする歌唄は、ちはると話をするスタイルの良い女を見咎める。
「あなた……まさか東雲綾乃? あのトップモデルがどうしてここに!」
「は。んなもん決まってるでしょーが」綾乃は意味もなくその場で一回転を決めた後、敵たる歌唄に人差し指を突き付けて。「あたしはこの子の親友。世紀の決戦の激励をしに来たのよ」
「激励……ですって?」
歌の勝負で同じ土俵に上がってしまえば、向こうに勝ち目など無いはずなのに、それでも激励? 馬鹿げているにもほどがある。
「面白い冗談ね。ふたりいれば私を超えられるとでも?」
「だぁかぁらァ、あたしは応援だけだつってんでしょ。あんたの相手なんざ、ちはる一人で充分よ」
「ふざけるのも大概になさい。そんな暴論、通るわけが」
冗談なら笑い飛ばして終わりだが、東雲綾乃の目に嘘はない。本気で勝つつもりなのか? この国の音楽チャートのトップをひた走る自分に、たったひとりで!
「ばか……馬鹿にして! ならば見せてもらおうじゃない。正々堂々一騎打ち! 一発で決めてみなさいな!」
吹けば飛ぶ木っ端なんかに、自分の矜持を踏みにじられてたまるものか。歌唄は茹でタコめいて顔を上気させ、かかって来いやと声を荒げる。
「えぇそのつもり。見せてもらおうじゃないの、絶対王者のパフォーマンスってのを、あたしたちより先に!」
「勿論よ。私の歌で戦う意志そのものを折ってあげるわ!!」
動き出した歯車はもう止まらない。あれよあれよとノセられて、壇上から椅子を撤去する歌唄の姿を見、綾乃は密かにほくそ笑む。
彼女の言う通り、正攻法では西ノ宮ちはるに勝ち目はない。街の平和がかかった勝負だ。勝ち筋をしっかりさせておくに越したことはない。
「勝負は一本。お互いに歌を唄い、より多くの人々を感動させた方の勝ち」
「歌の種類は?」
「お好きにどうぞ。ま、何が来ようが」
私の勝ちは揺らがない。歌唄は自信たっぷりに整頓されたステージの真中に立ち、配下からマイクを受け取る。
「そこで指をくわえて見ていなさいな。自分たちが如何に、愚かな選択をしたのかをね」
歌唄の求めに応じ、ひとりでに照明が点灯し、アンプから聞き覚えのあるフレーズが溢れ出す。
「この歌で! 絶望の谷底に転げ落ちるがいい!」
マイクを手に、歌唄は人差し指をピンと立て、腕ごと頭上に突き上げた。歌唄に釘付けとなったあきる野市民らはそれを見上げ、割れんばかりの拍手で盛り上げる。
『街に蔓延る偽物連中。右に倣えの馬鹿ばっか。誰もがホンモノの価値を解ってない。誰がホンモノなのかもわからない』
彼女のシャウトがマイクを伝い、アンプを通して轟く度、聴衆は合いの手を入れ、熱を上げて歌唄の名をコールする。そこに老若男女の別はない。昴星歌唄の技量にまほうのマイクが合わされば、誰もこのチカラに抗うことは出来ない。
『そうよ、私こそがホンモノ。私だけを見てればいいの。セカイは私を中心じくに回ってる。私が皆を導くの。私こそがセカイで一番の歌姫……』
その、はずなのに。客席の端っこに立つ挑戦者――、西ノ宮ちはるにそうした揺らぎは微塵もない。急ぎ疲れた息を整え、くせっ毛をその場で正し、自分のステージを見つめている。
(なんなの……あの女)
負けたら街の人々だけでなく、自分も配下に下ると言うのに。落ち着き払える理由はなんだ? もしや、本当に何とかできるというのか? 完璧なパフォーマンスがわずかに揺らぎ、一瞬ではあるが音が飛ぶ。
『Look at Only Me。私だけを観て。悲しみも辛さも悲しさも、この歌で全部全部忘れさせてあげるから』
そうだ。この歌詞通り。皆自分だけを視ている。後手のアイツが何をしようと、自分を超えることなど絶対にない。
最後まで歌い上げた歌唄を拍手の大喝采が迎え入れる。この歌が届く距離、アンプの音が響く場所にいた者総てが、今この瞬間感動を共有した筈だろう。勝負は歌でどれだけの人数を感動させられるか。こうなってしまえば向こうがどれだけ頑張ろうと無意味だ。
(プレッシャーなんてかけてくれちゃって。けど、あんたはもう終わりよ)
全力の熱唱で疲れ果てた息を整え、ステージを降りて専用のソファに腰を下ろす。それを待っていた配下の女が、フェイスタオルと飲み物を無言で彼女の前に持ってきた。
「さ。あなたの番よグリッタちゃんとやら。鳴り止まぬこの歓声の中、歌える覚悟があるのならね」
歌唄の番が過ぎてなお、ロータリーに集まる人々は惜しみない拍手と歓声を送り続けている。こんな状態では誰が壇上に登ろうが一緒だ。
「分かった。今行く」
それでも。西ノ宮ちはるに動揺など微塵もない。乱れた息をとうに整え、スーツ姿で壇上へと向かう。
(馬鹿げてる。そんな固い表情で歌なんて唄えるもんですか)
気に入らない。自分のライブを前にして表情一つ変えず、負けを認める訳でもなく、自ら土俵に上がってきたその姿。この国のトップをひた走る歌手としては不愉快極まりない。
「あんたには絶対にわかんないでしょうね」
いつの間にか近くに来ていた東雲綾乃が、憤怒に歪む歌唄に言葉を投げかける。
「ならその玉座で観ているがいいわ」
「なっ……なっ!?」
続く憎悪の言葉に背を向けて聞き流し、綾乃は壇上のちはるを見た。九年経ち、背格好は違ってしまったけれど、そこに立っているのはあの幼馴染。一緒にご当地アイドルをしていたグリッタちゃんだ。
「見せてやれ、ちはる」
気の利いたエールなんて要らない。伝えることは総て伝えた。それだけを告げて客席へと引っ込んでゆく。
「うん」
綾乃の言葉に首肯で応え、ほんの少しだけ下を向いた。目を閉じて思案を巡らせ、直ぐにその顔を振り上げる。
「いっくよー! キラキラ・チェーーーーンジ!!」
その右手には使い古し、色のくすんだトランスパクトがあった。前面を人差し指でなぞり、自らを映して天に掲げる。
瞬間、ちはるの身体を虹色の輝きが包み込み、ローヒールのパンプスは編み上げのブーツに。黒のスーツはオフショルダーのワンピースドレスに。空いた肩には半透明のストールが巻かれ、長く伸びた栗色の髪はさっと梳かれてツインテールに変化した。
「会場のみんなー! こーんにちーはー!! 皆さんのあきる野市ご当地アイドル! グリッタちゃんの登場でーーす!!」
あのやる気のない猫背や、疲れ切った顔は既にない。九年前と同じ、使命感に溢れ、グリッタちゃんに『なり切った』姿がそこにあった。