なんであんたは変わっちゃったの?
長年別離を重ね、互いに面倒くさい思いをこじらせたタイプの百合です。ご査収ください。
「アヤ……ちゃん、なんで」
「商工会議所の人にしつこく聞いた。よくもまあ、今まで隠し通せたものよね」
丈の長いクリーム色のワンピースにデニム地のジャケット、赤いハイヒール。長く伸ばした藤色の髪。見た目の印象は大きく異なるが、その凛々しい目つきは変わらない。
東雲綾乃、一番の親友にしてもう一人の魔法少女。いや、魔法"少女"なんて歳じゃないか。お互い二十五を数える立派な大人だ。
「そうじゃない。『なんで』ここに」
「テレビ」言葉少なに拒絶を示されたが、綾乃は一片も動じない。「今日のアレ、関東ローカルで放送されてたわよ。あんな簡単に自分と街の人たちの命を懸けちゃって、勝算はあんの、勝算は」
「カンケーないでしょ」ちはるの側に論議を交わす様子はなく。「もういいよ、帰って」
「帰らない」綾乃はヒールを脱いで一歩踏み出し。「手伝わせなさいよ。自分の故郷をヘンなやつに乗っ取られたくないし、それに」
あんたとあたし、どっちが欠けてもあいつには勝てない。綾乃はそう告げて廊下を数歩、ちはるの襟首を掴んで持ち上げる。
「いつまでも過去引きずって沈んでんじゃないわよ。あたしたちは何? 今いいようにされている街はどこ? グリッタちゃんはこういうことするために居るんじゃないの?」
「あ、あ?」今の今まで関係を持つまいと、早く終わって出て行ってもらおうとしたのだが、この一言がちはるの逆鱗に触れた。
「何さ。何でも知ったような面して」ちはるは掴まれた手を逆に握り返す。
「ずっと、ずぅっと現役離れてたくせに、今ッ更当事者面すんの? 自分が正しいって乗り込んでくるの? それって絶対おかしくない? 私のことなんだと思ってるの? いつまでも、ヒトのこと自由にできると思わないでよ!」
「ちは、る」殴るつもりはあっても、殴り返される覚悟は無かったか。予想外の反撃を受け、綾乃の言葉はそこで止まった。「でも、あたしは……!」
「どいてよ」向こうが力で迫ってきたのだから、返してやっても文句は出まい。握ったその手を捩じり上げ、もう片方の手で彼女の胸をドンと突く。
「もう、話しかけて来ないで」
これが三行半だと言わんばかりに、即座にサンダルを履いて扉を開け放す。他の住人のことなどお構いなしだとばかりに足音を響かせ、あっという間に団地のエントランスへと駆け下りてゆく。
「あンの……馬鹿!」
皮肉にも、当人が眼前から消えたことで、綾乃は茫然自失から回復したようだった。気持ちを切り替え走り辛い靴で折り返し階段を駆け下りる。
「なんでよ……なんで追って来るの?」
「あんたが逃げるからでしょうがァ!」
こんな間抜けな問答は高校時代以来か。一方は逃げんと、もう一方は捕まえるべく、大きな池をぐるりと囲う公園の中を駆け回っている。
「いい加減……諦めてよっ……」
「ばかちは、絶対に諦めるもんか……!」
等間隔に並んだ申し訳程度の街灯と月明かりに照らされた薄暗さ。加えて足元には凸凹や小石の多い土道だ。サンダルやヒールではさぞ走るのは辛かろう。
「諦める……もん……か……」
互いに譲らず、終わりなき争乱に思えたこの鬼ごっこは、意外にも綾乃の側が音を上げたことで決した。整った髪型を無様に振り乱し、肩で息をし脂汗を垂らすその姿には、陸上部のエースだった頃の面影は一切無い。
「アヤ……ちゃ……、何、それ……」
振り切ったことに気づかず、一周してくず折れる綾乃に気付いたちはるは、それまでの諍いも忘れて駆け寄った。彼女に肩を貸し、池のほとりの白いガーデンベンチへと座らせる。
「ナニもドウも無いわよ。切って繋いだ脚で、かけっこなんて出来ると思う?」
「それは……」
東雲綾乃――、魔法少女ズヴィズダちゃんは九年前、あの争いで敵の魔物に脚を斬られ、陸上選手としての道を文字通り『断たれて』しまった。切り口が真一文字であり、手早い手術で後遺症もなく繋がったのだが、果たしてそれを不幸中の幸いと言って良いものか。
「あたしはさ、今となってはこれで良かったと思ってるよ」額の脂汗は疲れではなく痛みに依るものか。綾乃は唇を僅かに震わせ、不安がるちはるに微笑んで見せる。
「陸上が出来ないって分かった時は泣いて泣いて泣き腫らしたけど、そしたら今度はファッションモデルなんて夢に出逢えた。知ってる? あたしってば、いまそっちでテッペン取ったのよ。誰でもない、あたしのチカラで」
「知ってる」
ご当地アイドルを十年近く続けていれば、情報を遮断したってその名声は否応無しに耳に入ってくるものだ。現・ティーンズ人気トップモデル、東雲綾乃。すらりと伸びた174の背と、元陸上選手という環境から生じた美しいボディーライン。走れなくなってなお、彼女は別の形でヒトの上に立ち続けていた。
トップモデルの親友となれば、ブン屋が嗅ぎ付け、それとなく話題を振られることも少なくない。だが自分に何が話せる? 転向させた理由を口にしろと? 馬鹿正直に話したところで誰も信じようとはしないだろう。何より、自らの過ちと向き合うことで心の傷が抉られるのが嫌だった。
「だから連絡しなかったの。どっちにとってもタメにならないでしょ」
不仲と言われてもいい。妙なことを書き立てられようが構わない。綾乃の話題には黙して語らずを貫き、転居の際は連絡先を知らせなかった。あの頃を思い出し、傷つきたくなかったから。
「わかるでしょ? 私はこういう人間なの。助けてもらわなくていい。構わないで。もう帰ってよ」
突き放すように語気の強い『帰ってよ』。最早話すことは何もない。ちはるは腕組みをして綾乃に背を向け、唇を固く閉じて拒絶の意思を背中で示す。
ふたりの会話はそこで途切れ、聞こえるものといえば池で生じる水音と、公園外を徐行運転する乗用車のエンジン音くらい。
(鳴り物入りで乗り込んできたくせに。もう引き下がるんだ)
時間にして四・五分くらい経った後だろうか。片方が腰を上げ、砂利道をさくさくと歩く音がする。安堵の溜め息と幾らかの落胆と共に振り向いたちはるの襟首を、綾乃が再び掴んで持ち上げる。
「ンなこと言ってさ、あたしがすごすご退場するとでも思ってたわけ?」
彼女は逃げ出したのではなく、その場で足踏みをしていただけだ。ちはるのココロの機微を察し、有無を言わさず連れ出すために。
「ちょっと痛いよ、痛いってば……」
「こちとら取れた休みは今日限りなの。つべこべ言わずにさっさと来なさい」
綾乃はそのまま踵を返し、まるで手提げの学生鞄を肩がけするように、ちはるを背負って砂利道を引きずっていく。やめて止めてとタップするが、この幼馴染は意に介さない。
「来るって何よ。今八時だよ、ドコでナニしようってのさ」
「決まってんでしょ」綾乃はニイと口角を歪め。「特訓よ」