Look at Only Me
※ ※ ※
彼女がマイクを手にしたその瞬間、周囲の目が一点に向いた。まるで時が止まったかのように動かず、昴星歌唄の次なる行動を今か今かと待っている。
マイクを手に全身を緊張させる歌唄の背後には、涼やかな蒼のオーラが漲り、風もないのに揺らめいている。ヒトを小馬鹿にしていたあの調子はそこには無い。歌うことだけに全神経を集中させている。
「カモォオオン、昴星専用特設ステージ!」
揺らめいたのは彼女の背後だけではない。銀色のマイクは叫びに呼応して虹色の光を発し、空中には目玉に翼が生えたようなスポットライトが、地中から鈍色の物体が迫り出した。
あの形には見覚えがある。ライブで使うアンプスピーカーだ。彼女のまほうはそんなものまで顕現させられるのか。
「さあて、準備は整った」
空飛ぶライトが多重に歌唄を照らし出し、駅前広場のロータリーはライブ会場に早変わり。道行くヒトも、バスに乗って移動するヒトも、彼女の方を向いて固まったかのように動かない。
「ここあきる野を通行中の皆々様、足を止めて是非是非ご歓談あれ。昴星歌唄のこの歌を!」
彼女が叫んだその瞬間、アンプから増幅されたアップテンポの曲が流れ出し、立ち止まった五十近い人々から拍手が上がる。斜向かいから騒音だと非難する声も上がったが、ギャラリーの歓声に掻き消されていった。
『街に蔓延る偽物連中。右に倣えの馬鹿ばっか。誰もがホンモノの価値を解ってない。誰がホンモノなのかもわからない』
マイクを通した歌声は、駅前広場を超えて南口や滝山街道にまで響き渡る。野次馬が連絡通路から北口に押し寄せ、街道沿いの車が一斉に停車し、狭い街に500メートルの渋滞が出来上がる。
『そうよ、私こそがホンモノ。私だけを見てればいいの。セカイは私を中心に回ってる。私が皆を導くの。私こそがセカイで一番の歌姫なのよ』
要するに自分こそが一番と連呼する言葉の羅列だ。何を馬鹿なと声を上げればそう指摘する人も少なくはないだろう。しかし、"観客"たちは熱に浮かされたようにステージを見つめ、一度も目を離さない。
『Look at Only Me。私だけを観て。悲しみも辛さも悲しさも、この歌で全部全部忘れさせてあげるから』
いつの間にだか他人同士で完璧な合いの手が成立し、周囲の盛り上がりは最高潮。最早口を挟む人間など此処にはいない。駅を頂点に半径1キロの市民は皆、昴星歌唄の虜となっていた。
(タネがなんとなく読めてきた。言いなりのお付きさんたちはそういうこと?)
歌い終わりの大歓声を聞き流しながら、西ノ宮ちはるは冷えた目で壇上を睨む。此処で聴いている分にはそれ程優れた歌とは思わなかったが、周りは決してそうは思わない。
いや、思おうとさえしないのだ。隣の市役所役員も、駅前で歌を聞いていた者たちは皆、虚ろな目をして皆一様に歌唄に称賛の声を浴びせ続けている。
「ねえ、ねぇねぇグリッタちゃん。みんなどうかしちゃったの? なんか皆に見られてるんだけど」
(みらと私には効果なし。ってことは)
あのマイクは、まほうのチカラを持つ者には無力と考えてよいか。ならば続くアクションへの心配はしなくてよさそうだが……。
「思った通り。あなたたちには通用しないみたいね」
「通用って」ライブそのものがこれから先の『フック』と観てよさそうか。「分かっててこんなことをしたの? 何の為に!」
「言ったでしょ。まほうの使い手は二人もいらないって」
歌唄が徐ろに右手を上げたその瞬間、役員や街の人々が一様にちはるの方を向き、その虚ろな目を彼女に見せ付ける。歌はまほう、か。成る程一理ある。歌声を聞かせるだけでこれだけの数を『洗脳』してしまえるとは。
「これが何を意味をするか解かる? 私が今、指を鳴らせば……」
あっという間に三桁の人間が死ぬ。いや、死ななくとも使い道なら幾らでもある。ヒトの尊厳を踏みにじり、ケラケラと笑うあの顔。ブラフじゃなくマジだ。
「降伏しなさいグリッタちゃん。あなたが愛したこの街の人々が大切ならね」
(別に愛しちゃいないけどさ)
反抗したところで結果は同じ。ここでコトを荒だてるべきではない。とはいえ、捨て置けばどの道彼らには不幸が訪れる。選ぶことが出来る立場にあって、それを見過ごして本当にいいのか?
「いやァあはは、参った参った。まずはそのマイクを下ろしてちょうだいな。こっちとしてもさ、武器持ってる相手と交渉するのはちょっと……」
「駄目よ。敗けたのなら降伏の意思を示さなきゃ。アナタもオトナなら、屁理屈言わずにキチンと態度を表しなさいな」
前に戦った中二病ならまだしも、同じ二十代相手では返事の先送りも通用しないか。本格的に打つ手が無い。西ノ宮ちはるは曖昧な笑みの下、にっちもさっちもゆかない状況に困り果てていた。
「でもさ、それっておかしくなぁい?」
周り総てが敵の中、一方が攻め立て、一方が有耶無耶にせんとする微妙な空気の中、第三者にあたるみらの口から出た素っ頓狂な疑問がこの空気をかき消した。
「あなた、アナタアナタ。何勝手に勝利宣言しちゃってるの。グリッタちゃんはここにいるよ? まだ戦ってさえいないんだよ? なのに勝ったテイで話進めちゃうの? オカシイんじゃないの、オトナとしては」
「ぐ、ぐ……!」
たかだが小学生の戯言だ。放っておいて権利を行使しても問題はないはずだ。
しかし、相手が敗北を受諾していないのもまた事実。人質を取り、圧倒的優位に立ってはいるが、勝負をしていないというのもまた事実。今のところは単なる言いがかり。小学生にさえおかしいと突っ込まれる理不尽な訴えでしかないのだ。
「わかった……分かったわよ! 白黒ハッキリ付ければいいんでしょ? 勝負しましょうグリッタちゃん。その上でもう一度返事を聞かせて貰いましょうじゃないの」
「え……」それは自分に向けられた言葉なのか? 蚊帳の外に置かれ、会話の切れ目を探していたちはるは、キョトンとした目で壇上を見。
「は……えっ!? いや、いやいや、いや! 私何も言ってないですが? 負けたとも戦うとも言ってないですが?!」
「往生際が悪いよグリッタちゃん」ノセた張本人は自分のことを棚に上げ、「向こうが勝負を仕掛けて来たんだもん、ここで乗らなきゃオンナがすたるってやつでしょ!」
「や、私何もイッテナイ。勝てるかどうかもワカラナイ」
どうやって躱してやろうかと思っていたのに。どうすれば責任を負わずに逃れられるかと考えていたのに。何故こうも事態をややこしくしてしまうのか。
天使気取りとの争いのときと同じだ。避けられた騒乱が、みらのせいで退路を断たれて動けない。
「さあ! 曖昧な答えはもう結構! 返事を聞かせて貰おうかしら!」
傍から見ると煽り負けした哀れなピエロだ。自分から勝ち筋を譲ったことにさえ気付いていないのだろうな。ちはるは他人事のように心中そうひとり言ちる。
「わ、わかった……分かりましたよ。やりゃあいいんでしょやりゃあさあ!」
請けようが請けまいが、自分の立場に変わりはない。ならば責めてポジティブに。立ち向かうという意思を示し、売られた喧嘩を買ってやる。
「そう! そぉだよ、それでこそグリッタちゃんだ!」
この決意表明に隣立つみらは手を叩いて喜び、
「言質は取ったわ。決戦は明日の正午。時間厳守よ。人質は今もなお私の手の中にあるのを忘れないことね」
自分も踊らされた被害者だと解っていない相手方は、こちらの決意に闘志剥き出しで返してくる。
(ええい、もうどうにでもなれ)
うだうだ悩むフェーズは過ぎた。次に考えるべきは如何に被害を出さずに終えられるかの一点のみ。西ノ宮ちはるは勢い任せのその実、続く展開をどうするか思案を巡らせていた。
※ ※ ※
「あぁあ、さっきはなんであんなこと言っちゃったんだろう……」
「ほらほら、悩んでる場合じゃないよグリッタちゃん。対決は明日なんだから」
まるで第三者のような物言いだが、こんな事態になったのはきさまのせいだ。ちはるは目にそんな気持ちを込めて睨むも、向こうは意に介さない。
仕事はお開き。猶予を貰って家に帰り、対策を練らんと頭を抱えるが、下手の考え休むに似たり。詰んだこの状況では何の突破口も出てこない。
「そうは言うけどみらさんや、向こうはプロの歌手さんよ? しかもオリコン上位をひとりで占領するひとよ? そんなひと相手に、アマチュアの私が何をしろっていうわけ?」
対決と言っても十中八九歌の勝負だ。正面切ってやりあえば、まず間違いなく勝ち目はない。主導権は人質を取った向こうにある。勝負内容を切り替えるよう提案したら、歌唄は街の人々に死を命じるだろう。
「やってらんないようマジで……。誰か代わってぇ、喜んで引き渡すからさあ」
なんて、稚気染みた文句を吐き出すものの、受け取る相手は何処にもいない。客間の四人かけ机に突っ伏し、どうにもならない実情を憂うちはるの耳に、等間隔で鳴るインターホンの音が響く。
『どーもー、宅急便でーす』
「宅急便だって。わたし出て来るね」
どたどたと駆ける同居人を突っ伏したまま眺め、ちはるはこの状況に一抹の違和感を覚えた。幾ら一回で出ないとして、宅急便だと自分で名乗るか? 首を動かし、壁掛け時計に目をやる。時刻は間もなく午後八時。外もすっかり暗くなった夜。ここに住むのは女性ふたり。そんな家に宅急便と称して開けさせようとする輩……。
「待ってみら。私が出る、開けちゃ駄目!」
「ほえ?」
などと跳ねて飛び出すも時遅し。みらはチェーンロックと鍵を開け、外で待つ何某を迎え入れる。向こうもちはるの声に気付いたのであろうか、開いた隙間に足先を挟み、無理矢理にドアをこじ開けた。
「九年ぶり、かしら? やっと見つけたわよバカちは」
みらに静止を求めた時、そこに居るのは悪質な訪問販売か宗教の誘いだと思っていた。それだけならNOを突き通して追い返せると思っていた。
ちはるの顔から一瞬感情が失せ、その上から怖れがすべてを塗り潰す。よそ行きのお洒落な服に赤いハイヒール。髪を腰くらいまで伸ばしてはいるけれど、その凛々しい顔つきはあの頃と全く変わらない。
「アヤ、ちゃん……?」
自分よりもずっとオトナな女性に、戸惑い混じりにそう呟く。向こうと目があった。女性は静かに首肯した。
「そんな……あぁ、あぁあ……!」
東雲綾乃。かつて魔法少女ズヴィズダちゃんの名で共に活動していた幼馴染。西ノ宮ちはるの一番の親友。九年前の一件以来、顔さえ合わせることも無かった彼女が、どうしてここに?