歌は奇跡、唄はまほう
本筋第二章開幕。びっくりどっきりまほうバトルの二回戦。
元々はこういうおはなしを昨年の時点でたくさん作りたかった。
◆ ◆ ◆
「はーい、それじゃあ一旦休憩しまーす」
着慣れない窮屈な服を着て、向けられたカメラに自然な笑みを投げかける。最初のうちはぎこちなくて苦労したけど、今となってはみんな流れ作業だ。
向こうで手を振る後輩は、あたしと絡んで何を思っているのだろう。優しく微笑むその裏で、業界トップに立つあたしを妬んでいたりするんだろうか。
「あ、痛……」
夜は雨でも降るのかな。両足の古傷がズキズキと痛む。身体と笑顔が資本の商売だ。気圧の変化くらいで休ませてくださいなんて言っていられない。ポーチの中に忍ばせた鎮痛剤を一錠、さっと口に放り込む。
膝の皿を境に足が千切れ、それをそのまま縫合したキズモノが、まさかファッション雑誌のトップモデルになってるだなんて。昔の自分に話して聞かせたらどんな顔をするかしら。メイクで自分を奮い立たせ、鬱屈とした気持ちを遠ざけていると知ったら弱虫だって怒るかしら。
「どれもこれも、今となっては遠い夢か……」
そんなことを語り合う友達はもういない。"事故"のリハビリに費やした一年で、あたしを褒めそやしていた連中は別の『特別』の元へと去って行った。
あの子は今、どうしているだろう。何をしてるか知りたいけれど、転居先は教えて貰えず、電話番号も変わってしまった。
(避けられてるんだなあ、あたし)
無理矢理に聞き出さず、受けに回っているのは、その理由があたしにもなんとなく理解できるからだ。もしも自分が同じ立場なら、向こうだって会いたいとは思わないだろう。
だから前を向いたのに。元気だよって伝えたいのに。あたしの言葉はあの子には届かない。届けたくても通らない。
「綾乃さーん、そろそろ次の撮影入りまーす」
なんて、感傷に浸る暇さえ現実は与えてくれない。何をうじうじしてるの綾乃、陸上の道が断たれた今、モデルの世界でトップを取るって決めたんでしょ。プロはいついかなる時も笑顔でなきゃ。頬を叩いて席を立ち、スタッフの求めに笑顔で答え――。
『――おぉっとこれは大変なことになって来ました。あきる野市のご当地アイドルグリッタちゃん、まさかまさかの"対決"です!』
『――かかってきなさいグリッタちゃん。もしも尻尾を巻いて逃げるのなら、この街の人間全てを我が下僕に加えて差し上げますわ!』
『――お、ぉ、お……。やってやるよ。やってやろうじゃないさ!』
「ごめんなさい。今日の撮影、ちょっと休ませてください」
「ちょ、ちょちょっ!? いきなりなんで!?」
お互い二十歳過ぎのオトナだ。余程のことがない限り干渉せず、触れるまいと思っていたし、今更そんなことが起こるまいと思っていた。
(まさか、あんなことが、今になって……!)
先んじて痛み止めを呑んでおいて良かった。走りにくいヒールを鳴らし、スタジオを一気に駆け下りる。
もう、慮って渋い顔をするのは止めだ。あの子の為、否なにより自分の為。このもやもやに決着をつける時が来た。
※ ※ ※
「それじゃあここて待ってて。先方はあと十分くらいで来るみたいだから」
「はあ」
多少整備が行き届いたものの、あきる野駅のロータリーは九年前と殆ど変わらぬ外観を保っていた。ご当地アイドルグリッタちゃんこと西ノ宮ちはるは、役員の言葉を聞き流し、かつての故郷をぼうと見やる。
(あ、駅西のパン屋さん潰れてる。あそこのアップルパイ、美味しかったんだけどなあ)
振り捨てた故郷への郷愁などそのくらい。むしろすぐにでも帰りたいとさえ思っている。ロケの為にと既に魔法少女衣装を着込んでさらし者。後ろで待機するカメラは広報部のものか。ただでさえ悪目立ちするのに、テレビの撮影も込みとは勘弁してほしい。時折刺さる近隣住民の奇異の目がイタくてイタくてしようがない。日当が出る仕事でなければ、進んで此処には来なかっただろう。
「しっかし、向こうさんってばルーズだよね」傍らで不貞腐れる金髪の少女――、西ノ宮みらは上の空な保護者にそう告げる。
「わたしたち三十分くらい前からスタンバってるのに、まだ影も形も見えないなんておかしくなぁい?」
「ま、私のほうが格下だからね……」
東京の端っこ、しかも旬を過ぎたご当地アイドルなんて下の下。自分たちは迎え入れる立場なのだ。多少の我儘は許してやらねばしようがない。
昴星歌唄、齢二十ニにして今年のオリコンチャート不動の一位。残る上位五つも彼女の曲が占め、文字通り老若男女、ほぼ全ての層から支持されたモンスター級のソロアイドルだ。
そんな彼女が名指しでちはるを指名し、コラボを求めてやって来た。商工会のオジサンたちが浮つく気持ちは理解出来るが、自分にはその理由がさっぱりわからない。
「あ、電車来た」
もう少し、がどれだけかは分からないが、電車が来るとつい目がそちらに向いてしまう。結果的にはアタリだったのだが、最早そんなことはどうでもいい。扉が開いたその瞬間、ちはるの頭から様々なモヤモヤが吹き飛んだ。
「何……アレ……」
若干の間を置いて、扉から赤く大きな『布』を抱えた女の子が飛び出した。彼女は額に汗して階段を登り、最上段から小脇に抱えたそれを広げ、縦長に伸びた真紅の一本道を作り出す。
「ご苦労」
一体どこのスーパースターか。ここをアカデミー賞受賞式場か何かと勘違いしているのか? 『彼女』は同年代と思しきお付きを五・六人侍らせ、紅のヒールをカンと鳴らし、悠然とした足取りでレッドカーペットを進み行く。
膝丈のオレンジ色のワンピースにクリーム色のボレロ。ゆるくウェーブのかかった腰まで届く長い黒髪は、その裏に紫と蒼のグラデーションを描き出し、誰彼の目をも釘付けにする存在感を放っている。
「わー。すごいねあれ。長い長い」
駅口の折返し階段に布が引かれ、時間をかけて下まで落ちてゆく。むしろあれを歩く方が危なくないか? と思わずにはいられない。
「こ、これはこれは。ようこそこんな片田舎までおいでくださいました」
そんな常識外れを目の当たりにして、よく通常業務がこなせるものだ。役員は歯を見せてにかりと笑い、手揉みでVIP客を出迎える。
「うむ。丁重なお迎え、感謝する」
対して向こうは下々に接する女王様か。暑くも無いのに取り巻きに扇子を扇がせ、別の部下にストローでジュースを飲ませてもらっている。
「さあて、グリッタちゃんってのはどなたかしら」
彼女が手の甲を向け、人差し指と中指を振ると、配下のひとりが膝を地につけ人間椅子となり、そこに座して周囲を見やる。今の今まで『そういうもの』かと思っていたが、幾ら何でも流石に異常だ。どうして彼女に従っている? 何故嫌だと言わないのか。
「ああ、ええっと……。私です。私がその、グリッタちゃん」
何とも言えない空気の中、ちはるはおずおずと手を挙げた。他から明らかに浮いた服装をしているのだ。ひと目でそうだと理解してほしい。口に出すのを寸でで抑え、不自然な笑みと共に会釈する。
「『ちゃん』? あなたが? ちゃん?? 失礼ですがお歳は幾つ? その衣装で鏡を見たことはあって? まぁまぁまぁ。面白い余興だこと!」
「あはは、はあ。よく言われます」
触れられるだろうとは思っていたが、ここまで屈辱的な言葉で応えられるといっそ清々しい。ちはるは継ぐ言葉もなく、眉毛を不規則にびくつかせ、笑い倒す大スターを睨みつける。
「それで。この度はこんな片田舎に、ナンのご用で?」
出来うる限りの悪態を込めて問うてみたが、向こうはまるでどこ吹く風。「無論、あなたに会いに来たに決まってるじゃありませんの」
「私に? わざわざ、何を?」
「とぼけないで頂戴。持ってるんでしょう? あなたも、『まほう』を」
その単語が口を突いて出た瞬間、ちはるの背筋が一気にそば立つ。会話が噛み合わない理由が分かってきた。自分がチカラを持っていると知っているならば。
「我が名は昴星歌唄。まほうのチカラの持ち主はひとりで十分。貴方にはここで消えてもらうわ」
敵意剥き出しで名乗り終わるが早いか、お付きのひとりが歌唄の隣に立ち、『なにか』を手渡し引き下がる。あれがやつの得物か? 一体何で襲ってくる? 身構えたちはるの目に、何の変哲もない銀色のマイクが飛び込んで来た。
「これって、まさか……」
彼女がマイクを手にしたその瞬間、ロータリー周囲の空気がひりつき、皆の注意が歌唄に向いた。何を仕掛けるかは単純明快。パントマイマーの次は歌手と来たか。
「歌は奇跡! 唄はまほう! 今、この瞬間から、この街は私のステージとなるのよ!」