あの子は私のおひめさま
※ ※ ※
「みら! ねぇみらってば! 鬼ごっこはもうおしまい! 謝るから出て来てよ!」
無駄だと分かっていても、足が動くのを止められない。トラウマから来る売り言葉を買って、小さなあの子は自分の傍から姿を消した。
ただ駆け出したのならそれでいい。だが彼女は『大嫌い』と共にティアラに気持ちを織り込んでいた。無からカネ、石油や食事を精製する能力者だ。突然消えたところで不思議じゃない。
「もう、なんでよ……なんでなの!」
悪いのは向こうであって自分じゃない。彼女の親を捜す道すがら、どうして自分が探さなくてはならぬのか。
「アホらし……。私無理する必要ないじゃん」
息を切らせて走る中、そもそもの答えに辿り着く。自分にあれを養う義務はない。勝手にやってきて勝手に居着いて。いなくなってくれるならそれに越したことはない。やがてちはるの足は完全に止まり、近くのベンチに腰を下ろす。
「突然ヒトん家に押し掛けて、親を捜せって言ってきて。ほんとナニサマのつもりだってのよ」
ベンチに寄りかかって文句を吐き出し、溜め息を一つ。この件に関しては自分は何一つ落ち度のない被害者だ。だから引け目を感じる必要なんてないのだ。僅かに残る罪悪感に対し、そう自分に言い聞かせてフタをする。
(なんとなく、他人のような気がしなかったんだよね)みらと名付けた少女のことを想い、西ノ宮ちはるは心の中でそう一人ごちる。
彼女ほど大袈裟な話ではないが、自分にも九年前まで居場所らしい居場所は無かった。自身の『スキ』が他の女子高生から離れていたばっかりに、爪弾きとされ、ずっと居ない者とされていた。
ひとりだった頃は孤独も差して気にならなかった。けど綾乃や三葉、あの断罪されるべき仇敵と出逢ってから、ひとりでいるのが寂しくてたまらなくなった。
(けど、今はひとり。自分でそう決めたから)
かつて起こした大惨事。傷ついて離散した友人たち。誰も責めては来ないけど、合わせる顔も言葉もない。だからひとり。あの日の罰を自ら背負い、唇を噛んで寂しさを堪え続けている。
(あぁ、馬鹿馬鹿。結局気にしちゃってるじゃん)
見捨てたくても見捨てられない理由がそこにある。あの寂しさを知る人間だからこそ、同じような人間を増やしちゃいけないのだと。
無駄だって。
そこまでする義理はあなたには無いよ。
向こうもキライだって言ってたじゃん。
自分から傷付きに行って何になるの?
湧き出る言い訳が自身を椅子に括り付け、行くなと何度もせき止める。
「あぁ、アァあぁあァ。わかりましたよ。やりますよ、やってやろうじゃないの!」
己に宣誓するようにしてそうぼやき、根が張る程に重い腰を上げる。こんなことだから幸せになれないんだ。前を向いて歩けないんだぞと、呪詛めいた言葉が後ろ髪を引くが、ちはるは意に介さない。
「みら! ごめんなさい、私が悪かった! もう昔のことで目くじら立てたりしないから!」
能力で消えたのなら、走り回って探すことに意味などない。ちはるはその場で声を張り上げて、ここに居ない押し掛け同居人の名を叫ぶ。
「私、あんなこと全ッ然気にしてないから! 昔の話なら後で幾らでもしてあげるから! だからお願い、戻って来て!」
つくづく、間抜けな人間だなと心の片隅で自嘲しながら。西ノ宮ちはるは何もない虚空に向けて叫び続ける。やはり無駄か。こんなことをしても何にもならないのか? 諦念がやる気を上回りかけた、まさにその時。
「本当に、怒ってない?」
「うをわっ!?」
背部にかかる声を聞き、ちはるは縮み上がりながらその場で半回転。おっかなびっくり視てみれば、プラチナブロンドの長い髪をツインテールに括った、まさに今探していた少女の姿がそこにあった。
「ホントの本当? もうあんな風に怒鳴ったりしない?」
「しないしない。あんなことで目くじら立てちゃってゴメン」
内心蒸し返されて腹立たしいが、薄っすらと目元に涙を浮かべた姿を目にしてしまっては、流石にこれ以上踏み込めない。げに恐ろしきは幼さか。ちはるは理不尽を喉元で留めて飲み込み、不安がるみらに静止を求める。
「それで、みらは今までどこにいたの」
「分かんない」みらは首を横に振り。「行くとこなくて、知らないところを彷徨ってた」
よくよく考えれば、記憶喪失の彼女に取って、何処に行こうが皆知らないところか。続けて話を聞いたとて、新たな情報は何も引き出せないだろう。
「ごめんね。わたし、グリッタちゃんにウソついてた」
「嘘?」
「記憶がなくて、お父さんやお母さんも誰なのかわからなくて。それでも平気だなんて。わたしはこうしてココにいるのに、それを証明してくれるヒトがどこにもいないの、すごくこわい」
気を張っていたのは彼女も同じだったらしい。みらは弱音を吐き出すと同時に、伏し目がちとなってかたかたと震えはじめた。
(こわい、か……)
幾ら要領がよくたって子どもは子ども。少し背伸びした痩せ我慢もいい加減に限界だろう。
「そっか。そうだねえ……。じゃあさ、もう少し一緒にいようか?」
「いいの?」
「悔しいけど、ウチの家計は火の車。食費を負担してくれるなら、いいよ。居ても」
「ホント!? 良いの? ホントのホントに!?」
張り詰めていた糸がぷちんと切れて、この幼い同居人は泣きじゃくりながら家主に抱きつく。
あぁ、結局はこうなってしまったか。西ノ宮ちはるは穏やかな笑みの内で、自らのお人好しぶりを他人事めいて嘲笑っていた。こんなことはただの自己満足。人助けの体を取っているが、この子の親からすれば娘を不当に監禁した誘拐犯でしかないだろう。
だけど、今はこうするのが最適解だという気持ちは揺らがない。彼女には家族が必要だ。放置しておくべきじゃない。
――あいつらはみんなボクの家族だ。この世の人間皆全て、ボクの家族の一員だ!
そう確信した刹那、ちはるの脳裏に耳障りなノイズがこだまする。思えば『あれ』も家族に恵まれなかった人間だったか。あんな気持ちになるのはもう御免だ。
「帰ろっか」
「うん」
色々理由をつけたけれど、実際はただ一人が恐くなっただけなのかもしれない。握手をと差し出された手を握り返し、自身の想いにそう結論付ける。この子にとっても、自分にとっても。今はこうするのが一番良い。
その果てにある未来が、悲しい別離であるとしても。
※ ※ ※
「み~ら~。朝だよ、ほぉら、起きて」
「おぉはよー。グリッタちゃん、まだ眠いよう」
あくる日の朝。家主・西ノ宮ちはるはレディーススーツの上から無地の桃色エプロンを纏い、未だ布団に潜る同居人を引きずり出した。
「わあっいい匂い。朝ごはん、作ってくれたの?」
「ご要望通りにね。月並みだけど、ベーコンエッグにジャムトースト、お湯に溶かしたコーンスープ」
小遣いとして分けていたへそくりを切り崩す羽目になったものの、だからといって年下に頼ってばかりはいられない。あのティアラはあくまで最終手段だ。頼れる目上のオトナとして、右も左も分からない幼子に道を指し示さなくてはならない。
「作ってもらって何だけどさあ、この目玉焼きちょっとやわやわすぎじゃない? うまくベーコンとひっついてないよ」
「しょ、しょうがないじゃん。こういう朝ごはん、作り慣れてないんだから」
同居していた祖母が病に倒れ、アテにできなくなって数年。朝と言えばシリアルか出来合いの弁当、栄養補給のビタミン剤ばかりで、ろくに食事を作ったことさえなかった。まだ十代で血気盛んだったとはいえ、昔はよくこんな生活を続けられていたものだ。ぐうの音もない程の正論を前にし、西ノ宮ちはるは心中そうひとり語ちる。
「あ。昴星歌唄、今週もあのヒトの曲が一位だってさ。凄いねえ」
「こらこら。食べてる途中にテレビ観ないの」
これでありがたがって食べてくれるならまだ良いが、同居人の目はテレビのニュース番組に釘付け。自分が早起きして作った朝食よりも、あの眉目秀麗なアイドルの方が大事なのか。怒りを通り越して溜め息が出てしまう。
(早速キモチが揺らいじゃうようなこと、しないでほしいな……)
皿の汚れを千切ったパンの耳で拭いて口に放り込み、牛乳で胃の腑に流し込む。スマホが着信を示したのはその時だ。テレビのボリュームを少し下げ、急ぎ液晶画面を耳に当てる。
「はい、もしもしグリッタちゃんです。なんですか、こんなに朝早く」
『――そりゃあもう仕事だよ』電話口の相手はあきる野の地域振興課の課長、事実上のちはるの上司だ。『コラボだよコラボ。キミと一緒にステージに立ちたいって子から連絡が入ったんだ』
「はあ……」もう九年近くご当地アイドルを続けてきたが、別の自治区からコラボの誘いが来るだなんて初めてだ。「それで、先方はどのような方で?」
『――驚いて腰抜かすんじゃないぞ、昴星歌唄。今赤マル急上昇のソロアイドルだよ』
「すばるぼし……って」
知らぬ名なら聞き流していたが、偶然が必然か、今しがた見知った顔と名前だ。この国で今最も売れているアイドルが、どうして落ち目の自分なんかと?
・そんなわけで、次回。
12.あたしの幼馴染はムテキなんだからっ、に続きます。