あなたはだぁれ?
「お待たせしてすみません。こちらでもそれらしい記録は見つかりませんでした」
「ありがとうございます。他をあたってみます」
時刻は間もなく正午近く。西ノ宮ちはるは居候のみらを伴い、活動圏にある役場を転々としていた。
「ここも駄目かあ。お腹空いてきたね、何か食べる?」
「あんたって子は、全っ然応えてないのね」
みらがちはるを認識し、後をついてきたのは五日市の駅だと言った。そこを起点に役場を周り、その都度彼女の顔を見せ、指紋を取り、手がかりを得ようとしたのだが。
「なんとかなるなる。わたしはグリッタちゃんとお出かけできるだけで楽しいよ」
「あのね。それが目的な訳じゃないから。一体何しにここまで来たのよもう……」
この居候には親の顔や名前どころか、戸籍も出生記録もない。顔を見せ、事情を話しても、職員らから有力な情報を得ることはかなわなかった。
「さ、お昼行こ行こ。昨日スマホで調べてたんだあ、行列の出来るクレープ屋さん」
「ちょっ、また錬金でおカネ作る気!? クセになるからやめなさい!」
だのに、この子には堪える様子がまるでない。親に逢えなくて寂しくないのか? 屈託のないこの笑顔はマヤカシか? 真正面から見つめようと、答えが出てくる様子はない。
「ねぇねぇグリッタちゃん」そんな疑問を知ってか知らずか、みらの方から疑問を投げかけてきた。
「今はいっつも同じ衣装でライブに出てるけど、昔はもっと別の衣装でも出てたよね? なんで?」
「昔って」時代の話をされると否応なしに自らの年齢と向き合わざるを得なくなる。憂鬱な上に不愉快だ。
「そうよ。今は無い。着れなくなったの」
ちはるは懐から変身アイテム・トランスパクトを取り出し、左側に画面をスライドさせる。瞬間、桃色の光と共に、西ノ宮家の箪笥に眠るラブリンドレスが空中に飛び出した。
「うっわ、何このぼろぼろ。と言うかびりびり? これってアレだよね?」
「そ。みんなで演ってたころの」ちはるは冷ややかな顔でドレスをみらから引ったくり。「何年か前に分業が必要な事態に遭ってさ。もうひとりのグリッタちゃんの力をおかりしようとしたんだけど、服とサイズが合わなくてコレよ。それからずっと箪笥のこやし」
「でも、いつものドレスは普通に着れてるじゃん。ラブリンは駄目なの?」
「そうね。なんでか知らないけどいつものはぴっちり来るの。だから今も使ってる」
九年前、"仇敵"に怒りをぶつけたあの日から。自らのゆめの結晶であるラブリンドレスは、そのチカラを失ってただの衣装と成り果てていた。愚痴聞き役がほしいと念じても、かつて一緒だったあのグリッタちゃんは現れない。
あれは全部幻だったのではないか。過去を振り返り、そんな風に思う日もある。あの頃は良かったと枕を濡らす日もあった。けれど日常は寄り添って悩みを聴いてはくれない。如何に不平不満を溜め込もうと、夜が明け、朝が来るのは避けられない。
「はい。そーゆー意味のない話は終わり。クレープ食べるんでしょ。早くおいで」
「はーい」
考えても答えの出ない問題はそもそも考えない。長くひとりで過ごしてきた者の知恵だ。ちはるは心中そうまとめ、強引に話を打ち切った。
※ ※ ※
「美味しいねグリッタちゃん。イチゴソースに生クリームが絡んでもう最高」
「そうね。美味いよね。美味いよ」
降って湧いた使途不明のおカネで食べていることを考えなければ、だが。ちはるは屈託のない笑顔でクレープを頬張るみらを見、後ろめたい気持ちで眼前のマロンクリームにかぶり付く。
「ねー。さっきの話だけどさ」複雑な心境でクレープを咀嚼していた中、みらが唐突に声を掛けてきた。
「さっき、って?」
「びりびりになっちゃった衣装の話。無いんなら手直しすればいいんじゃない? 折角あるのに使わないなんて、勿体無いよ」
「知りもしないでテキトーなことを」ちはるはうんざりとした顔でクレープを噛み潰し。「とっくのとうにやってますよ。けど、繕ったそばから破けちゃって、糸を無駄にしちゃったの」
今現在メインで扱うグリッタちゃんの衣装も、かつて使っていたラブリンドレスも。ちはる自身が『ペン』のチカラで顕現させたものだ。物質として存在してはいるものの、この世の物理法則からは完全に外れている。
ちはる謹製のドレス二着は、使い手が着用さえしていれば、たとえどんな傷を受けようが立ちどころに元の形を取り戻すが、着ている人間がいなければそうもゆかない。年を経て、着れなくなったラブリンドレスには、あの頃あった再生能力はとうに失われていた。
「そっか。じゃあ話はカンタンだね」
にも関わらず、みらの話はなおも続く。
「今のが着られないなら作ればいいんだよ。時代はDIY、オーダーメイドだよ。スキなものは自分で作ってなんぼじゃない?」
「作、る……」
ごくごく当たり前の返答を聞いた瞬間、ちはるの顔色がどよんと曇る。そりゃあそうだ。無ければ作るのが当たり前。昔はいつもそうしていただろう。
『――きょうの大会。絶対にナンバーワン取ってやるわよ』
『――モチのロン。アヤちゃんと一緒ならヨユーだよ』
だが、それは同時に、ちはるにとって触れてはならないトラウマのひとつでもあった。自ら作った衣装に依ってかの戦いに巻き込まれ、親しい友人みんなを不幸に叩き込んだ。
「やめてよ」
「えっ、何が?」
常日頃忘れようとココロの内側にしまい込んでいた暗闇が、たった一言でちはるのココロを飲み込んだ。
「やめてって言ってるの」
「いや、だから何を?」
彼女に悪気はない。何も知らないのだ。そして、これからも話して聞かせるつもりはない。ちはるの苛立ちは膨れ上がり、頂点に達した。
「あぁもう、あぁもう、あぁもう! いちいちンなこと聞いて来るんじゃないっつーの! 大人にゃあ黙っておきたいことの一つや二つ普通にあるんじゃい。蒸し返してぎゃあぎゃあわめくなっつーの!!」
一刻も早くこの話題から離れたくて。もうこの話に触れてほしくなくて。無理くり強い言葉を使って拒絶の意を示したが、それがみらの逆鱗に触れた。
「何よ。そんなに……言うことないじゃん」
みらはちはるの事情を何も知らない。故に、当たり散らされたところで理不尽以外の何者でもない。その目には大粒の涙が溜まっており、柔い頬を伝いぽろぽろと滴り落ちてきている。
「グリッタちゃんのバカ!! もう知らない! 大っっつ嫌いっ!!」
「あぁ、そうかよそうですか! だったらしたいようにすればいい! 何処へだって行きやがれってんだ!!」
売り言葉に買い言葉。勝手に押し掛けて来ておいて、人のトラウマを抉っておいて、挙げ句に馬鹿とは何なんだ。激昂したちはるからそんな言葉が出て来るのも当たり前だろう。
「あれ……?」
だが、それは踏み越えてはならない一線でもあった。引っ込みのつかなくなったみらはティアラに願いを込め、この場からかき消すように姿を消した。
「ちょっ……ちょっと待って、待ってよ。みら、みら……みら?!」
覆水盆に返らず。口にした思いは届いた時点で受け手のもの。子どもの頃はそれぞれが思いの丈をストレートにぶつければよかった。だが今は違う。望まない形とはいえ、彼女は幼子を抱えた扶養者となったのだ。
後悔したってもう手遅れ。西ノ宮ちはるはワンテンポ遅れてことの重大さを理解し、跳ねるように飛び出した。