ぐっどもーにんぐ多摩
今更ながら、こちらの話を先にやっておけばよかったなあと思うばかり。
空白の九年間、西ノ宮ちはるが何を思い、どう過ごしていたかをほんの少しだけ開示します。
※ ※ ※
耳障りな目覚ましの音が部屋の中で鳴り響く。家主である西ノ宮ちはるは、薄ぼんやりとした意識のままベッドから右腕を伸ばし、テレビの前に置いた目覚まし時計に触れんとする。
(おかしいな)思い切り腕を伸ばしても、けたたましい時計まで手が届かない。何か大きくてあたたかいものが、私と時計との間を遮っているようだ。
「んひゃ、くすぐったいようグリッタちゃん……」
「いっ!?」
寝ぼけた頭が急に冷え、西ノ宮ちはるは布団を跳ね除け反射的に後ずさる。亡くなった祖母から受け継いだセミダブルベッドはそう広くない。考えもなしに後退したちはるはベッドから投げ出され、フローリングの床に叩きつけられた。
「騒々しいなあ……。まだ朝だよ? もうちょっと寝てようよおー」
掛け布団を軽く退け、乱れに乱れた金髪が顕となる。昔自身が使っていたグリッタちゃんパジャマにふわりとしたハーフパンツ。自分より頭二つ小さな女の子がそこに居た。
「み、みみみ、みら。あなたどうして私の布団に……。別々の部屋で寝るって言ったじゃない」
「だったらせめて寝る部屋は一緒にしようよ。広いお家で分かれて寝るのって寂しくなぁい?」
みら。アニメ・グリッタちゃんにて彼女の友人だった別の星の女の子。手掛かりの掴めない記憶喪失家出少女を、ちはるは仮にそう呼んだ。
記憶も、親の顔も知らないのに自分のことは識っていて、他に頼るアテがないと泣きついて来た女の子。ちはるはうんと悩んで迷った末、彼女を一時的に引き取ることに決めたのだ。
とはいえ、帰るべき家と待っている家族の居る身。過度な馴れ合いはどちらのためにもならないと、彼女には自分の使っていた部屋を、自身は亡くなった祖母の遺品で急場を凌ぐことで同意を取った、筈だったのだが。
「だってひとりで寂しいんだもん。頭撫でてよー、ぎゅーってしてよう。一緒に住んでるんだからさあ」
「はあ……」
ずいぶんと子供っぽい、というか現在進行形でコドモなのか。贅沢なわがままですこと。ちはるはうんざりとした顔でため息を一つ。
(私なんてその歳にはもう親離れしてましたよ。一人で寝て、根を詰める父親の邪魔にならないように)
あぁ、駄目だ駄目だ。昔のことは考えるな。首を横に振って雑念を振り切り、話題の方を切り替える。
「朝になったんならご飯食べるよ。ほら、おいで」
「ふえー。グリッタちゃんのけちんぼー」
愛に飢える子供の気持ちは分からなくはない。けど、自分は母じゃないし、その飢えを満たしてやれる存在にはなれない。
この子には忘れているだけで家族がいる。なし崩しとはいえ引き取ってしまった以上、捜してやるのが大人の務め。
下手に動いて、何もかも失うような間抜けは、私ひとりで十分だ。ちはるはそうひとり語ち、上着を引ったくって立ち上がる。
(う、へぇ……)
やる気を出して立ったその瞬間、ベッド脇に備え付けた大鏡と目が合った。雑な三つ編みで毛先が解れた栗色の髪。未来を夢見るよりも間近な明日を憂い、輝きの失せた三白眼。あの頃よりもサイズが二周り近く増え、肩に大きな負担を強いる胸。どれもこれも、憂鬱になることばっかりだ。
※ ※ ※
「ねえ、グリッタちゃん。朝ごはん食べようって言ったよね?」
「えぇそうですよ。それがなにか?」
「何か、じゃないでしょ! これ、朝ごはんっていう!?」
みらが怒りを顕に机を叩くのも無理はない。食事と称し並べられているのは、底の深い皿に盛られた山盛りのコーンフレークのみ。付け合せの野菜や目玉焼きなんてものは当然存在しない。
「その分、たくさん食べればバランストントン」ちはるは一切譲るつもりがなく。「うちはね、給料前にオシャレな朝食を摂る余裕なんて無いの。コーンフレークは栄養だってしっかり入ってるんだから、よく噛んで食べれば無問題」
実際はもう少し贅沢が出来たのだが、育ち盛りの少女をひとり養うとなると話は別。食を切り詰めないととても生活して行けない。口が裂けても当人にはそう言えない訳だが。
「んもー。いいもん、だったら自分で出すから」
「ちょっ、あんたまた……?」
西ノ宮ちはるがみらと同居を決めたもう一つの理由がこれだ。彼女は頭頂に載ったティアラに願いを込めれば、どんな不条理だって顕現させられる。
どうしてそんな事ができるのかは目下不明。入浴や就寝時、ちはるの側からティアラの除去を試みたものの、触れることさえかなわなかった。
「よぉし、出てこい出て来い……。はいっ、出ましたベーコンエッグ! グリッタちゃんもどうぞ召し上がれー」
「もう、またこんなことして……。いただきます」
幻覚ではなく現実であることは、昨日のピザの一件で実証済みだ。今回も前回も、彼女のお陰で一食分の食費が浮いた。
なんとも平和なチカラに思えるが、その実何が付随しているかわからない。昨日相手にした『天使』を名乗るブレスレットの少女は、パントマイムで地形を操り、拳銃を顕現させて自分たちを殺そうとさえしたのだ。
自分がストッパーとして在るからこそ、日常生活の足しで済んでいるが、再び野に放ち、好き放題させてしまうと何が起こるかわからない。半分は哀れみ、もう半分は監視なのである。
「グリッタちゃんは色々いうことがきびしーよね。まるでお母さんみたい」
「実際そんなものでしょ……」
チカラのしつけも、家事も道徳も。本当のお父さん・お母さんから教わるものだ。こんな偽りのカンケイは早々に絶たなくてはならない。
「あー。また出た、グリッタちゃんのぱちもん」
「こらっ、食事中にDVD付けないの」
デッキにずっと入ったままのソフトを再生し、中に躍る人物に文句を言う。
「ねー。なんでこのアニメ、グリッタちゃんの格好した子が出てるの? しょーぞーけんのシンガイってやつじゃないの?」
「違う、違う。あっちがホンモノ。私はニセモノ」
マイナーな作品過ぎて再放送の機会すら恵まれなかったグリッタちゃんは、今や当時のファンか、堅苦しい評論家にしか知られない存在となっていた。
彼女くらいの歳の子からすれば、現行で活躍しているちはるがオリジナルで、知名度のない古臭いアニメ版は贋作。そんな受け取り方をされても仕方がないのかもしれない。
「じゃあ何? グリッタちゃんがニセモノなんなら、わたしはこの先何って呼べばいいの?」
「別にほら、そこはちはるでいいよ。そもそもね、基本的に職場には秘密にしてるの。軽々しく出さないでほしいのよ、できれば」
「えー。でもわたしにとってのグリッタちゃんはグリッタちゃんだよ。こっちはその……嘘っぽい?」
「嘘っぽいって何さ……」
自分の『スキ』はとっくのとうに世相から切り離されていて、影も形もありはしない。歳を重ね、背も少し伸び、バストサイズも二つ近く増えたものの、今もずっと世間から取り残されたままだ。
(時間の流れって、容赦ないよね)
考えても無駄だとわかっていても、ふとしたことで思い悩んでしまう。みらや食事から目線を外し、窓の方をふと見やる。高校時代の絢爛とした輝きは既になく、眉間にシワを寄せた不機嫌そうな三白眼がそこにあった。
「はいもうおしまい。この話はオシマイ」
みらの手からリモコンを引ったくり、DVDの再生を切ってニュースに変える。本日は一日カラっと晴天なり。出掛けるには絶好の日和だ。
「ご飯食べて身支度整えたら、あなたのお父さんお母さんを探しに行くよ。あなたも私も、チャッチャとこれまでの日常に戻るんだからっ」
頬を張ってもやもやを跳ね除け、悩み事を心の奥底にしまいこむ。今は自分より彼女だ。せっかくの休日を無碍には出来ない。早く、この疑似家族状態から抜け出さなくては。