エピローグ、もしくはこれからのスタートライン
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「不幸中の幸いでした。断面も綺麗で壊死もない。これならあと二月ほどでリハビリに入れるでしょう」
爆発事故から十数分。東雲綾乃は西ノ宮ちはるに抱えられ、即座に救急病院に搬送された。
足を裂いたのが一点の歪みもない袈裟斬りで良かった。綾乃の脚は縫合手術で無事に繋がり、後遺症もなく経過も良好。切創も時と共に薄くなるという。
「先生。あの、陸上は」
「リハビリ……次第ですね。スピード競技は、競技は……」
言葉を濁した時点で、続く話が何であるかは容易に理解できた。また動けるようになったとしても、選手としてトラックの上に立つことはもう無いだろう。
覚悟はしていた。それでもなお親友の命を救ったんじゃないか。誇るべきことじゃないか。
「わかってるよ。わかってる」
嘘つき。ずっと後悔しているくせに。犠牲にしたと思っているくせに。
だから今はちはると話せない。話せばどこかでボロが出る。絶対にあの子を糾弾してしまう。
自分ってヤなやつだ。あの子の一番の親友なのに。助かったことを素直に喜べない。
今はただ、あの時そう選択した自分がにくらしい。
◆ ◆ ◆
「ちはるちゃん。一度お家に帰りなさいよ」
「ううん。もう少しここにいさせて。家にいても……することないし」
西ノ宮ちはるは全身に包帯を巻かれ、口には呼吸器、陰部にはカテーテルを装着し、ずっと目を覚まさない父の前でそう言った。
たまの休みにしか逢えない父方の祖母が入院の手続きをしてくれて助かった。ちはるだけではあの焼け跡の中、何も出来ず彼を見殺しにしていたことだろう。
全身火傷に呼吸器障害。最早まともな発語さえ望めないだろうというのが担当医の言。余命幾ばくもないが、それでも生きている。
「そうよね。クリーニングの仕事、ちはるちゃんには出来ないものね」
「覚えるよ。多分、そうするのが一番だから」
依頼したお客様が、真っ白な洗濯物を見て笑顔になってくれるのが何よりも幸せ。彼はこの仕事をする理由をそんな風に話していた。ならばそれを継ぐのが自分の使命。自分のゆめに乗っかって、そのとばっちりでこんな目に遭うなんて理不尽過ぎる。
「覚えるって。正臣は全部自分でやってたのよ。今から全部マスターするなんて。うちにいらっしゃい。何も洗濯店に拘ること無いでしょう」
「それでも。わたしがやらなきゃ駄目なんだよ、おばあちゃん」
だって、お父ちゃんをこんなにしたのはわたしなんだから。
今にも言い出しそうになるのをぐっと堪え、頑なに祖母の申し出を突っぱねる。
やってやるぞと家に戻り、仕事を継ぐと決めたこの日から半年後。祖父の代から続くあきる野の老舗・西ノ宮洗濯店は、孫娘の代で店を畳み、地図上から姿を消した。
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「嫌や! うちだけでも残る! 転勤ならお父さんひとりで行ってもうたらえぇやんか!」
「我が侭言うな三葉。ここがどんな街か、これでよぉく分かったやろ」
「あ、あのう……。私も、こっちの出版社で一次試験受かったんですケド」
「そのくらい父さんのコネでどうとでもしてやる。ほら、早く荷物を纏めなさい」
事件から一週間後。桐乃家の大黒柱・父親の巌は職場に転勤を申し出、生家である愛知県に戻ると言い出した。当然娘たち二人は寝耳に水。一方的な転居に否を叩き付けた。
「せやから! うちらがおらな、ちーちゃんやアヤのんが……」
「父さんにとっては街やお友達よりお前たちが大事なんだよ。また元いた愛知に戻るだけじゃないか。分かってくれ」
ご当地魔法少女の出現と呼応して加速的に増加した失踪事件。東秋留一帯の半分の人口喪失。加えて渋谷の爆発事故が重なって。その渦中にはいつも娘とその友人が立っていたとなれば、父が此処を離れたくなるのもわからなくはない。
「せやけど……。こんなんあんまりやん。うち、二人に何も言えてへんのに」
彼女とて、子を想う親の気持ちが解らない訳じゃない。舞台袖で隠れていたから怪我もないし、親玉は彼女たちが片付けた。危険なことなどもう無いと言い続けている。しかし父が首を縦に振ることはなく、ハナから自分に選択肢など無いことを思い知らされた。
「ふたりとも堪忍。堪忍な……」
娘を危険に晒した張本人であると断じ、当事者ふたりの見舞いにさえ行けていない。桐乃三葉は無念から大粒の涙を流し、目の前に並べられた成形前のダンボールに手を伸ばす。
◆ ◆ ◆
「えー、皆さんに大変残念なお知らせがあります。クラスメイトの西ノ宮さんですが――」
一月に渋谷で起きた大災害は、一般にはドーム側の爆発事故として報道され、認知されて行った。
無論実際は『そう』ではなく、陰謀論者や正義面したイチ市民が解明に動くも、中心人物だったちはるや綾乃は青少年保護の名目で少女A・Bとされた上に面会謝絶。生存者に話を聞くも口を揃えて『爆発だ』の一点張りで部外者が謎を解くことは不可能だった。
西ノ宮ちはるの休学が担任からクラスメイトに通達されたのは事件から一週間後のことだ。肉親を事故で事実上失い、経済的にも精神的にも通学不可能になったのがその理由だという。
時期が件の爆発事故と重なり、一時は大きな話題となったが、当事者ふたりが入院し、残る三葉も転校してしまったことで噂も次第に下火となり、半年もすれば完全に忘れ去られた。
「そういやさ、最近見ないよね。えぇと、あの……西、西。そう、西川!」
「えー。西住じゃなかったっけ?」
「西島でしょー。間違いなく。賭けてもいいよ、なに賭ける?」
外野とはゲンキンなものである。大会直前はクラスの誇りだと囃し立てておきながら、当人らが姿を消すと名前すら忘れ去ってしまう。ちはるや綾乃がそれを聞かずにいられたのが唯一の救いか。もしも陰で聞いてしまっていたならば――。
瓦礫の山となった渋谷区区民会館は急ピッチで撤去が進み、整地された上で買い手が付かずに放置された。慰霊碑を置きたい、という遺族側の訴えも資金難を理由に立ち消えとなり、跡地脇に置かれた花も年々その数を減らして行き、
そして――、九年の月日が流れた。
※ ※ ※
「ちょっと冗談でしょ……。なんできょうなのよショー依頼」
慰霊碑跡に立ち止まり、昔を想って沈んでいたら、LINEの通知に『依頼』の二文字。これがまだ派遣先からのものなら少しは気持ちが躍っただろうけど、残念ながら送り主はあきる野商工会議所のお歴々。
あの頃は楽しくて仕方がなかったグリッタちゃんへの『チェンジ』も、今では苦痛以外の何者でもない。だいたいさ、私もう二十五だよ? 寒い寒いシースルーの衣装の上からケープを纏って、そんな痛々しい人間を好き好んで観に来るヒトの気がしれないっつーの。
なら辞めればいいじゃんって? 私だってそうしたいよ。けどそれは絶対に無理。父が死に祖母も死に、それでもまだ暮らせているのは、グリッタちゃんとしてのギャラがあるからだもの。反故にすれば生きては行けない。
「しかもステージ二時スタート?! 電車じゃ絶対間に合わないじゃん。もぉおおお」
大の大人が、何が楽しくて鞄の中におもちゃのバトンを忍ばせているんだか。人目につかない物陰に隠れ、古びたバトンを横なぎに払い、桃色のゲートを現出させる。
「絶対手間賃分捕ってやる。あのオジサンたち、きょうこそはガツンと言ってやるんだからっ」
これが私、西ノ宮ちはるの『今』。
むかしの私。夢ならちゃんと叶ったよ。大人になっても魔法少女として、いろんなヒトから声援を受けて暮らしているよ。
この仕事自体が、滅茶苦茶やりたくないことだってのを除けばね。
・ゆめいろパレット〜16歳JK、魔法少女はじめました〜 第一部、完
※ ※ ※
「ただいま戻りました」
「おかえり。今日は早かったな」
「棚卸しが思いの外直ぐに済みましたので。ユウゲの支度に入りますね」
どこかの街の、どこかの一戸建てにまるで我が家のように寛ぐ二人の女性の姿あり。
ひとりは画架の前で筆を振るう、濡れ羽の長い髪を雑に纏めた若い女。もうひとりはスーパーマーケットの制服の上からエプロンを羽織り、長いスカートで足元を包み隠した赤毛の美女。
入り口のオートロックは強引にこじ開けられており、下駄箱に置かれた男物の革靴を履く者は恐らく二度と帰らないだろう。
「やったぞプレディカ。新しく出るスマホゲームの背景ビジュアル。人気があれば長期で雇ってくれるって!」
「まあ。それはお喜ばしいこと。今夜は牛肉でお祝いですわね」
「あぁ、もう三食カニカマ生活とはおさらばだ。稼ぐぞぉ、ばりばり稼ぐぞぉ」
・これまで「ゆめいろパレット」を読んできていただいて誠にありがとうございます。
終わりじゃないぞよ、あとちょっとだけ続くんじゃ。
というわけで、次回からはよりパワーアップしたゆめパレ・第二部がスタートします。
徹底的に追い詰められ、底の底に落ちた西ノ宮ちはるの運命やいかに。
もう暫くお付き合いいただけたら幸いです。