『おひきとりを』
※ ※ ※
あきる野の駅から電車でひとつ過ぎ、丘陵を削って住宅地にした小さな駅、東秋留。その丘陵地帯を少し降りて、国道七号・睦橋通り沿いに立地するスーパーマーケット・トップスあきる野店。高齢化の進むこの近辺の生活インフラを支える一大拠点だ。
夕刻のスーパーマーケットは夕食の惣菜を買い求める主婦や老人で溢れ、八つあるレジはいずれも列を成している。
「飲み物ヨシ、お菓子ヨシ……。これだけあれば平気だよね」
西ノ宮ちはるは真ん中の四番レジに並び、カート内のアイテムを検める。
突然押しかけるのだから、せめて飲み食いするものは自分たちで調達すべき。友人ふたりの言葉を受け、買い出し要員を任されたちはるは、何故自身が選ばれたのかも知らず、続く展開を想像し朗らかに笑っている。
「おや、っ」
会計を手早く済ませ、ビニル袋に物を詰める中、ちはるの目によく見知ったクリーム色のカーディガンが留まった。
「りーーりーーちゃーーん! おぉーーい!!」
「ぎ……えっ!?」
濡れ羽色の長い髪を後ろで括ったポニーテール。今の今まで行方をくらませていた花菱瑠梨と、自宅ではなくこんなところで再会できるなんて。
声に驚き背筋をびくつかす向こうを観、ちはるはひとつ疑問に思う。瑠梨は服装こそこなれていないが、髪型だけはいつもしっかり整えられていた。だのに今日はどうだ。あのお嬢様めいたハーフアップは見る影もなく、括られたポニーテールには端々にハネ毛が生じ、ひどく雑に処理されている。
(自分でやったのかな。鏡だと見えづらいもんねえ)
尤も、疑問に思っただけで口にすることはない。その理由に思い至らねば『だから何だ』で済まされるべき話であろう。日々のセットが『母親』に依るもので、結ってくれる母が『家にいない』という事由を知らない限りは――。
「いやあ良かったあ。わたしたちりりちゃんを探してたんだよう」
ちはるは大荷物を抱えて瑠梨の元へ駆け寄ると、彼女を強引にベンチに座らせる。友好的に接するこちらに対し、向こうは仏頂面を崩さない。
「あれからひと月くらい会ってないけど、怪我とか平気? どこか悪いところはない?」
純粋に心配して話しかけるも、向こうはだんまりを決め込み、何一つ答えようとしない。
「そのレジ袋、お弁当? ごはんおうちで作らないの? わたしたちが作ってあげようか?」
袋の中身をちらと見て、食に不自由しているなと声を掛けるが、やはり向こうの反応はない。
「ねぇーえー。何か話してよう。このままじゃわたしひとりで喋ってるみたいじゃーん」
そうした不満を直にぶつけるも、瑠梨は全く変化なし。一体何が癪に障ったのだろう。首を傾げ考えて見ても、ちはるには思い当たるフシがない。
彼女がいくら悩もうと、瑠梨の持つ答えに辿り着くことは決して無い。自分が彼女の野望と平穏を奪い、追い詰めているこの事実には。
(よりにもよって……何でこんなときに出くわすんだよッ)
西ノ宮ちはるはいつだってこうだ。一番居てほしくないタイミングで現れて、頼んでもない世話を焼く。お前がトウロやオガミを殺したくせに。だのにヒトの心配なんかして、そう言う偽善が気に食わない。
「ムスッとしないで機嫌直してよー。わたしたち来週から『大会』なんだよお? 瑠梨ちゃんも一緒に来てくれなきゃ寂しいよお」
誰のせいで不機嫌なのか――。などと言ってやろうとした瑠梨の耳に、長く休んでいた故に聞き慣れない単語が留まる。
(大会……)前に地区予選云々という話をしていたのは覚えている。向こうに落胆が見られないなら、きっと勝ち残って本戦に進んだのだろう。
「そうか……。なる程、大会ね……」
「そーだよ! 大会なんですよ! ご当地アイドルニッポンイチを決める本大会! ここで! 全部! 決まるんだよッ!」
やっと口を開いてくれたと喜ぶちはるだが、瑠梨の口元に浮かぶ怪しげな笑みには一切気付かなかった。
「解った。そこには行く。行くから……今日は休ませてくれない?」
「えぇ、もちろんですとも! わたしたちゃ瑠梨ちゃんが元気でいただけでもう十分ですとも」
元々、体調を心配してのお宅訪問だ。元気と分かればそれ以上追求する理由は無い。これでやっと、この煩わしい会話から抜け出せる。
「大会当日、楽しみにしてるよ」
花菱瑠梨はそれを捨て台詞に、ちはるを振り解いて去ってゆく。
もしも今この瞬間、ちはるが彼女を捕らえて離さなかったなら。無防備な彼女に魔力をぶつけ、息の根を止められていたならば――。
※ ※ ※
「ここが……」
「花菱瑠梨の拠点」
駅から徒歩十五分。坂の上から数えて四つの所に立する二階建て。『花菱』の表札は職員室で先生から教わったのと全く同じ場所にあった。
「びっくりするほど、誰もおらへんね」
「雪の日とかならまだしも、こんな時間に……?」
時刻は間もなく午後五時。冬の寒い時期なれど、夕焼け時なら子どもや買い物に追われた人たちのひとりやふたり居ていい筈なのに。彼女の家だけでなく、見渡す限り全ての家からヒトの気配が無い。瑠梨の尖兵たちは人間を餌として食らう化け物たちだ。それが今まで息を潜め、潜伏していたということは。
「ちはる、置いてきて正解だったかもね」
「うち、口は堅いで。思う存分やったってなアヤのん」
理解が早くて助かるわ。綾乃は制服に忍ばせたパクトを掴み、空いた左手でインターホンを押し込んだ。
「出ないわね」
「うん。出ぇへん」
インターホンを鳴らして丸二分。花菱邸の扉は開かず物音一つ響いて来ない。気付いていないのかと再度鳴らすが一分半反応なし。
本当に外出していて不在なのか? でなければここは不要と捨てて行ったのか? 家の周囲に注意を向けるが、答えに繋がるものは一切ない。
「一旦、ちはると合流する?」
「せやね。叩いてホコリが出やんのなら……」
ふたりが見込み違いだったかと踵を返したまさにその時。今の今まで物音一つしなかった家の中で、どたどたと踏み鳴らす音が聞こえ、ドアノブが内側から回される。急展開ゆえ、綾乃と三葉は構えらしい構えも取れず、開け放される扉に釘付けとなった。
「はい、はいはい。どなたかしら」
現れたのはゆるくウェーブのかかった紅い髪に、黄緑のTシャツにクリーム色のエプロンを纏った女性だ。恐らく彼女が母親なのだろう。その美しい容姿に娘との共通点が幾つも見て取れる。
「あ。え、えっと……」
「わた、したち……。瑠梨、ちゃんのお友達で」
出てきたのが妙齢の美女ということもあり、ふたりは出鼻を挫かれしどろもどろ。うまく話を軌道に乗せることすらかなわない。
「まあ。あの子のお友達ですの? わざわざ来てくれてありがとう。でもごめんなさい。瑠梨は今留守にしているの」
それぞれ、分けて話すなら別段違和感は無かっただろう。しかし全て一息で説明されると不自然だ。気圧された二人はようやっと自分たちの目的を思い出し、咳払いで居住まいを正す。
「それで! うちたち瑠梨ちゃんと話をしたいんです」
「会わせて、もらえませんか?」
クロなのは瑠梨であって家族はグレー。ならば警戒心を持たせず動くしか無い。出来る限り言葉を選び、敵意を笑顔で包み隠して。母らしき人物に面会を嘆願する。
「あら、聞こえませんでした?」
そうした考えを悟られたのか、向こうは棘のある物言いで切り返す。「瑠梨は、今出かけているんです。いつ戻るかは私にも解りません」
「だ……だったら、ここで待ちます」
「せめて、無事かどうかだけでも」
「何度も、同じことを言わせないでください。おひきとりを」
敗けじと食い下がるが、向こうの態度は冷淡そのもの。取り付く島もなく拒絶され、綾乃たちには返す言葉もない。
(あれ……?)
東雲綾乃が奇妙な感覚を覚えたのは、途方に暮れて俯いたその時だ。目線を下に向けてみれば、『彼女』の長い長いエプロンの下には、そこに本来あるべきものの姿がない。
「あの。奥さん、これって……」
「何度も、同じことを言わせないで。おひきとりを」
決定的な証拠を掴んだその瞬間。彼女の顔から感情が消えた。それと同時に綾乃たちの視界で背景が歪み、目の前がだんだん白くなってゆく。
(どうなってんのよ……これ……)
視界が白に覆われかけたその瞬間、綾乃はこの違和感の謎を理解する。彼女には脚が『無い』んじゃない。エプロンでそれを隠し、腰から下が横に折れ曲がり、玄関の壁に潜ませていたのだ。
無論、そんな態勢で普通に応対出来る人間など居ない。向こうの方が一歩先を行っていた。『今まで嗅いだことのない匂い』に包まれ、ふたりの意識は唐突に掻き消えた。
※ ※ ※
「あ。おぉーい、アヤちゃん、ミナちゃーん! 言われたお菓子と飲み物、買ってきたよー」
ビニル袋に沢山の菓子と飲み物を詰め、長い坂を登り行くうち、ちはるは降りゆく友人ふたりと出くわした。荷物を揺らし駆け寄ってみれば、どこか憑き物の落ちたような晴れやかな顔をしており、先程までの不穏な様子はどこにもない。
「あっ、なんだよちはるじゃん。どったの、そんなに色々買い込んで」
「何? なんかの祝い事? サプライズなんて似合わへんよー」
「いやいや、今からりりちゃんの家に行くんでしょ。だからこれを買ったのに」
「瑠梨? うーん……瑠梨……」綾乃は少し首を傾げて思案を巡らせ、「別にもう、行かなくてよくない? ねえ?」
「せやね。心配してもしゃーないて。後は本人の好きなようにしたらええ」
晴れやかな顔で、朗らかに声を掛けてくるものの、どうにも話が噛み合わない。気になるから一緒に行こうと言ったのはそっちではないのか。
「さっきそこで瑠梨ちゃんと会ったよ。わたしひとりじゃ追い返されたけど、みんなで来たって言ったらきっと喜ぶと思うの。だから」
「え? 何? あんたはもう会ったの?」
「せやったら、うちらはもう会わんでええんちゃう? 元気やったんやろー?」
「そりゃあまあ……そうだけど」
瑠梨に今日は休ませてくれと言われ、友人たちも右に同じと続く。抗っているのは自分だけ。おかしいのはこちらであり、無理を押して家に行く方が失礼なのか……?
「解った。わかったけど……このお菓子、どうする?」
「んなものあたしらで食べちゃいましょうよ。三葉の家に集まって、遅い新年会を兼ねたパジャマパーティー」
「あ、えぇねアヤのん。それいただき! ちーちゃんも来るやろ? 来れるやろ? せっかくやからあの必殺技の娘も連れてきてーな。お姉絶対喜ぶに」
「うん。それは……まあ……」
こんなに、けらけら笑う子たちだっけ?
集まりにお呼ばれすること自体は嬉しいけれど、何故だか妙にもやもやする。西ノ宮ちはるはそんな疑問を抱えながら、笑顔の親友たちに否とは言えず、東秋留から秋川の駅へと戻ってゆく。
もしもいまこの瞬間。ちはるが強引にふたりを振り切り、瑠梨の家へと乗り込んでいたならば。『香り』で何もかも有耶無耶にした『あいつ』と相対することが出来たなら――。
今となっては、全てたらればでしかないのだが。
※ ※ ※
「宜しいのですか」
「何が?」
「トウロやオガミの時と同じ。殺せるタイミングで取り逃がして」
陽もすっかり落ち、空に半月が昇る宵。紅髪の女性――、カマキリたちの女王・プレディカは窓越しに空を視、ちはるたちの居た方向を睨み付ける。
その主・花菱璃梨は海苔弁当にから揚げやコロッケを雑多に突っ込んで箸で掻き込むばかり。自身が起こした失態など知らぬ存ぜぬと言った体だ。
彼女のチカラをもってすれば、匂いをちらつかせた時点で無力化し、その時点で首を刈ることなど造作もなかった。事実二人が訪ねてきた時点で応対などせず、即座に食い殺してしまうつもりだった。
『泳がせておけ。殺すことは許さない』
電話で主に指示を仰ぎ、開口一番飛んできた単語がこれだ。過去に二度失敗し、妹たちを失った時と同じ回答に、長女プレディカは何度も、何度も聞き返す。
『考えがあるんだよ。ボクを信じてやり過ごせ。分かったな』
返答を面倒くさがった璃梨はそうして電話を切り、配下は言われた通りに済ませて帰した。一体何をするのか、彼女は未だに聞けていない。
「さっき、あのバカとスーパーで遭ったんだ」璃梨は頬の飯粒を指で払って舐め取りながら。「奴ら、来週ニッポンイチを決める大会に出るんだと」
「それと『殺すな』に、何の関係が?」
「散っていった妹たちと奴ら三人、殺したところで釣り合うか?」主は食べ終えたプラ容器をぞんざいに床へ放り、「分からせてやる必要があるんだよ。お前という存在を野放しにしておいたその結果を。妹たちの無念を」
散々夢を踏みにじられ、大切な者たちを奪われて。璃梨も璃梨なりにあるじとしての自覚を得たのだろう。既に最終目標はちはるたち魔法少女ではない。憎しみに澱んだその瞳は、もっと先を見据えて嗤っていた。
『アア、もう日が暮れるノネ』
『ご主人サマがお待ちダワ。帰りマショそーしましょ』
『見てミテ! 畑で立派なゴボウが取れたワヨ。ご主人サマにお持ちしなくっチャ』
高齢化が進んだとはいえ、ここは多くの家が建ち並ぶ住宅地。綾乃たちは瑠梨の所在ばかり考えて、ここが敵の本拠地であることを失念していた。
年が明ける前と後で、この近辺からは三桁に届くくらいの人間が姿を消している。だのにそれを話題に挙げる人はおらず、田畑や往来には同じ制服のフレンチメイドが『放し飼い』にされている。
もしも。この異変に気付き、適切に対処していたならば。東秋留野町に闊歩するメイドのうち、半分近くを減らすことが出来たなら。少なくとも、東雲綾乃は陸上選手として大成出来ていただろうに。
・後に割ける紙面があるかわからないのでここで補足。
『プレディカ』、というか『プレディカドール』は、スペイン語における"かまきり"を表すことばです。彼女たち三姉妹を造形するなかで、いちばん最初に名付けました。