いよいよはじまる! けっていせん!
ここまで、本小説を追ってきていただいて誠にありがとうございます。
本話からこのおはなしはくぎりの章、最終局面に突入です。
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東京都渋谷区区民会館。
駅郊外に立地し、平時は2千人を有に収容出来る大ホール。色んなライブイベントや講演会なんかで使われ続け、知名度の弱いアイドルユニットは、一先ず埋めることでメジャーから認められる、ある意味で登竜門のような存在だったそう。
けれどいま、ここに在るのは更地だけ。大きすぎて買い手が付かず、塩漬けになったまま十年近くが経とうとしている。
世間じゃ原因不明の爆発事故だって言ってるけれど、私はその理由を誰よりも知っている。2009年1月25日午後二時半。逃げ遅れた八百人が犠牲となった。
ここはすべてのはじまりで、すべてのおわり。魔法少女・グリッタちゃんはこの場所で大切な”なにか”を喪った。
※ ※ ※
「おはよー」
「おう、おはよう」
『ちーちゃんおはよ。朝ごはん出来てるわよ』
すっかり吐く息も白くなった一月の半ば。西ノ宮ちはるは朝げの匂いにつられ、くせっ毛のまま一階まで降りて来た。
リビングに居るのは男女ふたり。ひとりは見知った浅黒い肌の父。もうひとりは桃色の髪におでこを出し、後ろ髪を外向きに巻いた女の子。魔法少女装束の上からエプロンを纒い、湯気立つスープをふたつ盆に載せている。
『はいっ、お野菜いっぱいミネストローネ。目玉焼き、たまごいくつー?』
「ふたつー」
自分より頭一つ小さな女の子に朝食を作ってもらうこの絵面。傍から見れば父も娘も気が触れたようにしか思えないが、そのどちらも『これ』を日常のひとつとして受け容れている。
ちはるが愛してやまないキラキラ少女グリッタちゃん。アニメーションの中の人物が実体を得、西ノ宮の家に居付くようになってから早一月。前触れもなくふらりと現れ、知らないうちに消えている。何処から来て何をするのか、尋ねたところではぐらかされて終わるだけ。
「さぁさ、いただきまーす」
『はい。どうぞ召し上がれ』
父と娘が朝食に手を付けるのを見届け、グリッタちゃんはひとり静かに姿を消した。言葉を交わし、触れ合うことは出来るのに。現れてこの方、彼女は一度も食事を摂ったことがない。
(そーゆー設定だから、って言ってたけれど、ちょっと寂しいな)
もう少し居ついてくれたっていいのにな。ちはるはミネストローネを啜りつつ、猫のように行方をくらます憧れのあの子に思いを馳せる。
「いいんだよあのくらいで。べたべたしたらお互いにつらいだけだろ」
「ちょっ、なにさお父ちゃん。どうしてそういうこと言うの?!」
「さあてな」
※ ※ ※
「あっ、西ノ宮さんだ」
「ニュース見たよー。ご当地アイドルなんてやってたんだあ」
「決勝戦、渋谷の会場でやるんでしょー? 行くよー、私達超応援するからー」
明くる日。登校し教室に入ったちはるを待っていたのは、今まで話したことも無かったクラスメイトからの熱烈歓迎であった。
大田区で行われた関東地区予選はこの近辺の地方ニュースで大々的に取り上げられ、アマチュア離れしたそのパフォーマンスに多くの人達を感嘆させた。奇行をはたらき、友達に恵まれないカーストの最下層だとしても、テレビや新聞にその名が載ったとなれば話は別だ。むしろその奇行が人気の元かと解釈され、西ノ宮ちはるは一転、クラスの人気者となった。
(ゲンキンなモンよね。前は触れようともしなかったのに)
親友がちやほやされる様を、東雲綾乃は傍から冷ややかな目で見ていた。幼稚で自分の世界に閉じこもった人間など、排斥どころか最初から居ないものとして扱っていたくせに。
どうせ今更近付いたのだって、ちはるを通して自分たちも有名になりたいだとかそんなものでしょう。自身と彼女に向けられた実のないエールを聞き流し、綾乃はそう結論付ける。
「いやーー、あっはっは! それほどでもぉ……あるかな!! あっはっはっは!!」
しかし、その相方はそんな機微に気付くことなく、はじめて浴びた称賛に浮かれて高笑う。まるで道化だ。今の彼女は何故急にちやほやされたのかも解っていまい。
(まあ、あの子が楽しければそれでいいけど)
わざわざ指摘して険悪なムードを作るのもよろしくない。綾乃は自分にも降りかかる世辞を無視し、人だかりを形成した幼馴染をずっと眺めていた。
※ ※ ※
「うわっ、すごーい綾乃先輩! また自己ベスト更新」
「もー、ホントどうすればそんなに走れるようになるんですかー?」
日照時間も短くなり、午後四時台ながらも夕焼け色に染まるグラウンド。東雲綾乃はハンドタオルで汗を拭いながら、褒めそやす後輩たちの言葉を背に受けていた。
「こんなの。全部日々の積み重ねよ。ヒトのこと羨む前に練習・練習。ほら、グラウンド十周行っといで」
「「うぇーっ。綾乃先輩のオニー!」」
「あんたらこれから本大会に出るんでしょ。このくらいで根ェ上げてんじゃないのー」
魔物対峙に当たったり、歌や踊りを練習する中にあっても、綾乃は本業たる陸上を蔑ろにすることはなかった。曰く、『中途半端は自分で自分を許せなくなる』とのことだが、それをさらりとやってのける辺りが他との基礎体力の違いなのだろう。
無理くり始めたご当地アイドル業もすっかり板に付き、大会の開催を今か今かと待ち構えている自分がここにいる。あの子とともに表彰台に立てたなら。無茶で無謀と解っていつつも、そんな未来を想像して綾乃の頬が自然と緩む。
「あっ、おぉーい。アヤちゃーーん」
聞き覚えのある声に気付き、緩んでいた顔が不自然にこわばる。そちらに目を向けてみれば、ナナカマド指定の緑の長袖ジャージに同色のハーフパンツを穿いた、如何にも運動の出来なさそうな幼馴染が駆け寄って来た。
「なによそのカッコ。体育の補習?」
「もー。わたし体育は3取ってるんだよぉ」
そういう話ではないが、というツッコミを心の奥に押し込んで、綾乃は連れられて自然とトラックを駆けてゆく。
「で。補習じゃないんなら何」
「体力づくり。わたしだって、ずっとインドアの文系じゃないんですよー」
「ふぅん」
西ノ宮ちはるは憧れのグリッタちゃんに自分が成れた時点で、叶えるべき夢を叶えている状態だった。ご当地アイドル活動はその後、自分たち外部の横槍で据えられた目標だ。引っ込み思案で一人遊びばかりの彼女が真面目に取り組むとは思っていなかったのだが。
「まさか、あんたがこんなに入れ込むなんてね」
「むむ。わたしだってね、やる時はやるんですようだ」
「はいはい。解ってる解ってる」
自分が虐め、あの子が避ける春までとは大違い。今はただ、何でも無いこの暮らしが愛おしい。
「ちはる」並走する幼馴染に向け、綾乃が優しく呟く。「あたしさ、二月に陸上の本大会に出るの。そこで勝ったら、春に全国に行けるんだって」
「そっか」ちはるは息切れひとつせず、親友の言葉に笑顔で応える。「わたし、応援する。全国なんて、アヤちゃんならヨユーだよ」
「トーゼン」綾乃は鼻高々に胸を張り、「だから、まずは勝たなきゃね。ご当地アイドル全国大会」
「モチのロン。うっし、きょうは走るぞォー」
なんて勢いづいて走ってゆくけれど、きっとすぐにガス欠するだろうな。綾乃はくすくすと笑い、はしゃぐ幼馴染の後を追う。
お願いします神様。ずっとこのままでいさせてください。東雲綾乃は茜色に染まる夕焼け空をみやり、心中そうひとり言ちた。
※ ※ ※
「よっしゃよっしゃよっしゃーっ! 残るは決勝あとひとつ! 二人とも、気張ってやーーっ!!」
「勿論ですとも! 勿論ですともーっ!」
「いやいや。裏方のあんたがどうして一番はしゃいでんの」
最早彼女たちの溜まり場となった被覆室で桐乃三葉が友人ふたりを囃し立てる。机には決勝戦用の衣装デザイン案が所狭しと並べられ、未だひとつに絞れずにいるようだ。
「ちーちゃんもアヤのんも行くとこまで行きはったなあ。なんかもう雲の上? えらいオーラが違いますわなあ」
「ホント? ほんとぉ? ねぇねぇアヤちゃん、わたしたちめっちゃオーラ出てるって!」
「真に受けんな。三葉の方もテキトーなこと言わないで」
大一番が迫ってはいるけれど、この絶妙な距離感は相変わらず。それがうざったくも心地よくあり、ずっとこのままでいたいと思う。
しかし、だからこそ『欠けたもの』の存在から逃れられない。皆でひとしきり笑いあった後、西ノ宮ちはるが話を切り出した。
「りりちゃん……ここんとこずぅっとお休みだよね。わたしたちにも、学校にも連絡無いって」
ひと月ほど前まで、この集まりは四人だった。裏方として活躍していた花菱瑠梨はハナカマキリの魔物・オガミの襲撃以降ずっと連絡をよこさないでいる。
死んだのならそうだと学校に連絡が来るはずだ。けれど今はそれもない。便りが無いのは良い便りなんて言葉があるが、魔物に襲われて消息不明ではそうもゆかない。
「ねぇ、ちはる……。それは止めたほうがいいんじゃない?」
「うちもアヤのんに賛成。今一番忙しい時やで。今からまた考え事増やすんはちょっと……」
この件に対して、何故かちはる以外は及び腰。そうすべきだと解っていながら、彼女に対し目を背け続けている。
「どうしてよ! むしろ今だからこそ会わなきゃ駄目だよ。ずっとみんなでやってきて、ようやく大舞台に出られるっていうのに! りりちゃんだけ仲間はずれなんてかなしいよ」
かつて、西ノ宮ちはるは他から後ろ指を差され、友達らしい友達に恵まれない存在だった。瑠梨が自身と同種であることは肌感覚で解っている。故に、自分の二の徹を踏んで塞ぎ込む彼女を見捨てられない。
「ちーちゃん。まさかホントに解ってない? どう考えたって」
「三葉、ステイ」
何故捨て置くのか言わんとする三葉に、綾乃は手のひらの裏を向けて制止をかける。
「解った。あんたがそれで納得するんなら、いいよ」
「アヤのん?!」
「こうなったら、あーだこーだ言う前に、直接見せた方がいい」
ちはるの為、と言いながらその瞳は微かに揺れている。まだ確証はない。一緒に頑張って来た仲間を信じたいのは綾乃だって同じなのだ。
「よっし、言質取ったぞ! そんじゃ行くよ! 職員室へGO・GO・GO!」
「はい、はい……」
「ちょ、ちょっと! 待ってぇな」
間違いであってくれ。本当に何かあって家にこもっているのだと言ってくれ。逸るちはるの後を追い、無駄だと分かっていながらも、ふたりはそう祈らずにはいられなかった。