ここがいわゆる分岐点
四月からはじまり、今年も残り一週間ちょっと。
本年はこの章を根っこまで描いておわりそうです。
それなりにすっきりした終わり方になりそうでほっと胸をなでおろすなど。
※ ※ ※
『――はいはいご到着。良い報告が聞けるといいね』
「は。思ってもないことを」
何もない空に虹色のブロックノイズが発生し、それが崩れて別の空間と繋がった。カマキリたちの頭目・花菱瑠梨は伴たるファンタマズルに連れられ、部下の求め通り仇の死ぬ様を観に、秋川に程近いちはるの家近くまでやって来た。
「しかし、お前まで観に来るとは意外だな。いつもは止めるか無視決め込むくせに」
『――今回は是非確かめておきたいことがあってね。そのついでさ』
「相変わらず自分本位な奴……」
言って聴こえるように毒づくが、向こうは至ってどこ吹く風。最近のファンタマズルはなんだか妙だ。手を貸してくれるのは良いが、面と向かって話す機会がとんと減った。春頃は嬉々として傍らに控え、沈んでしまえばすぐさま励ましてくれたのに。
こうして同じ場所に立っていても、薄い壁一枚隔てているようにすら感じる。奴と自分は同志の筈だ。チカラを与え、好きにしろと言ってくれた。けれど今は――。
(駄目だ。考えるな)
興味が自分からちはるに移ったというのなら、目の前で殺して注意を此方に向けさせてやる。お前の仲間はこの瑠梨だ。あんな魔法少女狂いなど木っ端の末端であることを分からせてやる。
(上手くやってくれよオガミ)すがるようにそう独り語ち、西ノ宮洗濯店の前に立つ。運命は誰にも等しく残酷だ。期待を寄せ目を向けたその瞬間、大言壮語を言い放ったその下僕が、二階の窓から叩き出され落ちて来た。
※ ※ ※
「いよっし、決まった! さっすがー!」
『うんうん。これぞチームワーク!』
二人のグリッタちゃんは自室に穴が空いたことなど意に介さず、笑顔でぴょんとハイタッチ。叩き出したヒトガタカマキリを見下ろす。
「そんじゃ。やっちゃいますか?」
『やっちゃいましょー、ごー!』
息を合わせて二階から飛び降り、ようやっと態勢を立て直さんとするオガミに指を差す。
「闇夜に紛れてヒトを襲うカマキリ人間!」
『私が……、私たちグリッタちゃんが! きつーいお仕置き、入れちゃうんだからっ!』
声も、タイミングもドンピシャリ。綾乃が相手だと恥ずかしがって噛み合わないこのやり取りも、グリッタちゃん相手ならしっかり決まる。ちはるにとってそれが何より嬉しかった。
「ちょ、調子に乗るなよ雑魚共がぁあ」
一拍遅れ、オガミが脇腹を抑えながら立ち上がる。完全に詰めたはずの瞬間からの2対1。しかも手柄自慢であるじをこの場に呼んでしまい、逃げて態勢を立て直す選択肢も取ることはかなわない。
「この私が! グレイブヤード三賢人次女オガミが! お前らなんぞに負けるものか!!」
だからなんだ? 不利だろうが尻込みする理由にはならない。自分の持てる総てを投入し、眼前の魔法少女ふたりを血祭りに上げるのみ。
「死ぃいにぃ晒ぁらぁせぇええい!!!!」
四本に増えた腕を拡げ、二人目掛けて愚直な突進。単なる無策? 否、苦悶に歪むちはるの顔を見ればそうでないことが解るはずだ。
「ぐ……ぐあぁあぁあ……鼻が……鼻ががが……」
身近な例えで言うならば、牛乳を拭いてそのまま放置した雑巾や、腐敗した生魚の何百倍も強烈な臭気だ。鼻孔が吸引を拒み、口呼吸であっても堪えられない。あのカマキリは匂いを操り、ヒトの認識を狂わせると言った。それを総て悪臭に割り振ったというのか? 身体が痺れて動かない!
「そこを動くなァアア! 今ここで柔い背骨をへし折ってくれるゥウウ」
上体を沈ませて獲物へ飛び込み、腕の棘を完全展開。先程までの遊びは既に無い。掴まった時点でちはるの体は空の空き缶めいてひしゃげてしまうことだろう。
『だから、そんなことさせないって言ったでしょ』
最早避けようのない攻撃を、真横から放たれた光弾が阻んで止める。もう一人の『グリッタちゃん』は臭いに構わず猛追し、オガミをちはるから引き離す。
「何故……何故だ! これ程の臭いの中で、なんで!」
臭覚を持つ生き物なら立つことすらままならない状況で、こいつ一人が何の枷も持たずに動き回っている。目と目の間にあるそれは飾りか? どうして何の反応も起こさない?
『さあね。強いて言うなら、私はちぃちゃんから生まれたからじゃない?』
彼女はそれだけ答えて蹴りでオガミを吹き飛ばし、悶え苦しむちはるに鼻栓を押し込むと。『しっかりしてよちぃちゃん。貴方がいなくなったら、あのかまきりたちから誰が街を守ってくれるの』
「うぅ……これでもキツイ……」
鼻を通し、頬骨の中でのたうつ悪臭に苦しみながら、西ノ宮ちはるはよたよたと体を起こす。
『どう? 立てる? グリッタバトン、ちゃんと持てる?』
「う、くぅ……。ムリムリ、足にチカラが入らないぃ〜」
鼻栓も所詮は気休めか。ちはるの両膝は大いに笑い、反撃の一打を見舞うことさえ敵わない。
「舐、め、る、なああぁ」
もんどりを打って遠ざけられたオガミが体勢を立て直し、彼女たちに先んじて動き出す。このままではジリ貧だ。同じことが何度も続けば、ちはるはこの臭気で苦しみながら死ぬ。
『おーけー。良い案ススっとひらめいた』
グリッタちゃんはちはるに肩を貸して起き上がらせると、右手のひらを下にしてバトンを彼女に握らせる。
「え……何どうする気?」
『呪文を唱えて。私とあなたの二人分。あいつにずががんとぶつけよう』
答えになっているような、ならないような。擬音が多く的を得ない言葉だが、臭いを喰らい立ち上がれないちはるにはそれで十分だった。
「わたしさ、こんな日を待ってた気がする」魔力を右腕の一点に収束させ、
『私もだよ。ちぃちゃん、呪文はちゃんと覚えてる?』重ねた二つの手で二人の魔力が螺旋を描く。
「勿論!」後は文言を唱えるだけ。子どもの頃から憧れたあの人と、肩を並べこれを言える日が来るなんて。それを思えば胃を鷲掴みにするようなこの臭いにだって耐えられる!
「集え! あまねく星のチカラ!」
『来たれ! 我が錫杖の元へ!』
ちはるの紫とグリッタちゃんの桃色が重なって。それはまるで違う味を混ぜ込んだカップ・アイスクリームのよう。
「『シュテルン・グリッタ・スターバースト』ぉおおおおお」
十分に集束したエネルギーはバトンより解き放たれ、渦を巻いて突っ走る。
「こん……こんなものぉおお!!」
あるじが視ているその中で、無様な姿を見せてはいけない。妹を殺害したその光弾を、彼女は避けることなく受け止めた。ヒトならたらふく喰らってきた。あんな攻撃、打ち返すくらいわけはない!
「こん……なものぉおおお!!」
だのに。だのに何故。自分が押し負けている? どうして壁を背負って動けない? 妹の無念を果たすんじゃないのか? あるじの御前でこれ以上無様を晒していいのか?! 良いわけがない、良い訳あるか!
「こんな筈じゃ……こんな、筈では……!」
仲間を総て排除して、最も安らぐ者の姿で訴えかけたと言うのに。敗ける要素など何もなかった。奴の隣の、同じ姿をした魔法少女さえいなければ。
あいつが。そうだ、あいつが悪いんだ。奴には嗅覚と言うものがないのか? これだけの臭いの中、行動に一切のブレがない。この光弾だってそうだ。西ノ宮ちはるひとりなら、自分一人で容易く打ち消せたのに。奴が隣でチカラを貸したそのせいで。
「おのれ、おのれ……おのれぇええええ!!」
そこにあったのはあるじへの忠誠でも、仇への怒りでもない。完璧な計画を狂わせた名も知らぬ闖入者への怨嗟。怨恨、憤激。グレイブヤード三賢人、その次女オガミ。彼女もまたあるじの願いを果たすことなく、必殺のスターバーストを受けきれず、虹色の輝きと共にこの世から消え去った。
「俺は……一体何を」
術者がこの世から消え去って、魔力の蜘蛛糸もその張力を失ったらしい。玄関で繭玉にされていた正臣は糸を掻き分け這い出して、開け放された扉の先に目を向ける。
それはきっと偶然だったのだろう。魔物を下し、笑顔で互いを称賛しあう、同じ桃色衣装の魔法少女。片方はおそらく娘だろう。しからばもう片方は? 月明りに照らされ、薄ぼんやりとした闇の中、正臣は誰に聞こえるでもなくその名を口にした。
「美佐子」
姿形は全く似ていない。そもそも妻が死んだのは三十代に入ってからだ。娘と同じ背丈であるわけがない。だからこそ妙なのだ。彼女の発する温和な雰囲気は、かつて愛したあの女そのままだったから。
グリッタちゃんは彼の目線に気付き、目を合わす。会話を交わすことはなく、向こうに驚いた様子もない。
『しーっ』
彼女は口元に人差し指を置き、ウインクと共に他言無用のジェスチャーを返す。お互い若かった頃交わしたやりとり。どんな時も茶目っ気を忘れないあの性格。
正臣は何となく事情を察し、ジェスチャーに首肯で応と答える。西ノ宮美佐子はもういない。だから、今そこに居る彼女は――。
※ ※ ※
『――ははは。やるねぇ! まさか命まで創り出すとは! 放置しておいて本当に良かった! 実に! 実に面白いんだよん』
「だよん、って……何だよ」
唯一無二の協力者だと思っていた存在が、自分の知らない顔と声で仇敵を称賛するこの絵面。部下を失い、途方にくれる花菱瑠梨へと飛んだ容赦のない追い打ち。
オガミの能力なら総てを無力化出来る筈だった。邪魔者を廃し、確実に殺せる態勢を整えたのに。西ノ宮ちはるはそれでもこちらを超えてきた。
(いや、違う……ボクのせいだ)
加勢が入るその前に。全員生かしてまとめて殺せなんて言わなければ。手段にこだわり、目的を見失ったから追い抜かれたのだ。彼女の死は自分の責任。自分が主として未熟だから――。
「ごめんなトウロ。ごめんなオガミ。お前たちの無念、その恨みは必ず果たす」
最早ここに居る意味はない。高揚するファンタマズルに帰宅を促し、花菱の自宅へと去ってゆく。
彼女のその目は、これまでみたこともないような悍しい怒りの色に染まっていた。