きょうはあなたと私でグリッタちゃん
子どもの時よくあったじゃないですか。ごっこ遊びをしている時、成りきっていたキャラクタが目の前に現れて、一緒に敵と戦ってくれたりするような。それこそヒーローのキャラクターショーとかそんな感じの。
ここで登場する「彼女」は、そんな感じの存在です。
「ほ……ほんと? ほんとのホントにグリッタちゃん?!」
『あなたがそう、信じてくれるならね』
振り向いて自分に微笑むその顔は、幼き日に観たグリッタちゃんそのままだ。自分がそうならんと、恰好も言動も寄せて来たのに、まさか本物が目の前に現れようとは。
『積もる話もあるけれど、まずはこいつをやっつけなきゃ。さぁさ、ちぃちゃんもレッツ変身!』
「へ、ヘンシンって……」
グリッタちゃんが敵と見定めているのは死んだはずの自分の母だ。何故そんなことを言う? 何故倒さなくてはならない?
『呆れた。まだ解ってないの?』
もう少しで殺されるところだったのに。グリッタちゃんは嘆息と共に「敵」の方へと向き直る。
『あれはあなたのお母さんじゃない。ぼーっとしてると命持ってかれちゃうんだよ!』
「だから、それがわかんないだって。どこからどう見たってさ……」
語気を強めて伝えて観ても、ちはるの顔から疑問は消えぬ。このまま押し問答を続けていても埒が明かない。グリッタちゃんは有無を言わさず彼女を抱かえ、魔物をすり抜ける。
「ぎょっ?! 何? ナニっ!?」
『しゃんとしてよ。あなたが立たなきゃ、みぃんなアイツにやられちゃうんだよ』
グリッタちゃんは階段の手すりに飛び乗ると、サーフィンめいた動きであっという間に滑り降り、玄関の糸玉を無視して居間に侵入。母の死後そのままにされていた化粧台の引き出しを床に放る。
「ちょっと! それお母ちゃんの」
『緊急事態よ、後でちゃんと片付けるから』
何故グリッタちゃんがうちの間取りを知ってるの? なんて疑問は粗末事。彼女は散乱した化粧品から藍色の香水を手に取ると。
『夢をずっと持ち続けるのは大事なことだよ。けど、たまには地に足つけて、ちゃんと前を向かなきゃね』
香水の封を開け、それをそのまま瓶ごとちはるに投げつける。彼女の寝間着が蒼に染まり、ラベンダーのフローラルな香りが彼女を中心に一気に拡がってゆく。
「う、おぉげっ!? ナニよなにこれ何すんの?!」
香水は本来数プッシュを手首など身体の局所に吹き付けるだけで十分効果を発揮するものだ。それを身体中に浴びればどうなるか。強すぎる匂いに嗅覚器官が異常をきたし、麻痺を起こして使い物にならなくなってしまうのだ。
『ほら。これで見えるはずだよ。知りたくもない真実って奴が』
「だから一体何言って……」
涙目を擦り、居間の入り口に目を向けた時、西ノ宮ちはるは総てを理解する。においという鎧が剥がれ、その姿を晒したシスター姿のヒトカタカマキリ。一月前に倒したアイツの同族だ。
「なによ……これ……」
部外者に指摘されるまでもなく、なんとなく察しはついていた。死んた人間は生き返らない。条理に反する事象が起きたなら疑ってかかるべし。
「あんたが、お母ちゃんだったっていうの」
それでも信じたかったのだ。あれは罠でもなんでもなく、母がこの世に戻って来てくれたのだと。育った自分を褒めてくれるのだと。
「気付いて……いる?!」
予期せぬ闖入者の後を追い、居間まで降りて来てみれば、待ち構えていたのは怒気を放ち此方を睨む標的の顔。自分の細工は完璧な筈だ。下手を打つなどあり得ない。困惑と敵の気迫に気圧され、オガミは無意識のうちに一歩後退っていた。
「わたしの気持ちを……よくも!」
歯の根をぎりりと噛み締めて、手にした変身アイテムを胸元に構える。チカラ
で敵わないとはいえ、こんな卑劣な手で攻めて来るなんて!
「まさか、最後の最後で見破られるなんて……」
激情と共に変身したちはるはバトンを構え、間髪入れず飛び込むが、敵はそこから斜め後方に跳び、階段の半ばに着地してやり過ごす。
「逃げるな! 卑怯者!!」
極限まで怒ると芯が冷えると誰かが言った。今のちはるがまさにそれだ。仕留め損なうと当時に自らに身体強化の魔法をかけ、弾かれるように階段を跳び登る。
「絶対に、逃がさない!」
オガミの身体をその手で捉えた。ちはるはそのまま羽交い締めにし、転がりながら自室へとなだれ込む。
『あぁらら。かっちーんと火が付いちゃった』
困ったものね。いつだって怒ると見境がないんだから。グリッタちゃんはくすくすとそう零し、自らを光に変えて、無人となった居間から消え去った。
「逃がさない……ですって?」
仇を討てる絶好のチャンス、不意にする道理がどこにある? 滅ぼされるべきは貴様で、亡ぼすのは此方。瑠璃色のオガミの瞳に殺意が漲り、両腕に生えた牙状の刃が一気にそば立つ。
「不用意に近付いて。逃げられないのは私ではなく、貴方よ」
狭い部屋に争いの場を移したのは完全に悪手だった。オガミのハグがちはるを捉え、その身体に鋭利な棘を刻み込む。
「ぐぬ……あう!!」
初撃は押し潰されるかのような圧迫感。次いで痺れが上半身に伝播し、バトンを握れずに取りこぼす。最後に切り開かれるような痛みが襲い、苦悶の声が自室の中でこだまする。
「油断したわね魔法少女。私の力は妹よりもずっと強いの。胴を真っ二つにしてくれるわ」
魔法少女でなければ即死だった。いや、そうでなくても骨が軋み悲鳴を上げている。状況を打開する魔法のバトンは自室を転がり、手を伸ばしても届かない。ムリだと分かっていても指を張って掴まんとするのだが、
「やめてくれない? そういう無意味な悪あがき」
清楚なシスター装束の肩甲骨を引き裂いて、折り畳まれていた一対の腕が飛び出した。うち一つがちはるの手を完全に押さえ込み、残るひとつの手で腰のポケットを器用に探る。
「女王様! 私が! このオガミが! 仇敵西ノ宮ちはるを完全に無力化しましたわ! 是非トドメはあなた様の目の前で! どうぞ、此方にお越しください!」
抵抗できず、打開の手段も無ければ勝ったと思うのも当然か。次女オガミは自らの手柄を揚々と話し、あるじをこの場へと誘う。
『――いいだろう。すぐそちらに向かう。ボクが来るまで殺すなよ』
「ええ、勿論ですとも。お待ちしておりますわ」
あるじへの報告に気を良くしたのか、電話を切ると同時に掛ける圧が更に強まる。両手の刃は更に食い込み、遂に皮を突いて筋繊維に到達。ちはるの腕や背中から血が滴り、銀の刃を朱に染めてゆく。
ここまで、か? 魔法を使えぬこの状態では、締め殺さんとするこの魔物を打払う術はない。助けを期待しようにも、奴によって知人は総て繭の中。最早ちはるに打てる手立てはない。
『まぁったく、ムカッ腹の立つカマキリさんだこと』
勝利を確信し、他への注意がおろそかになっていたオガミの後頭部に、勢い付いたドロップキックがクリーンヒット。アタマを打たれ、ぐらつくオガミをすり抜け、『それ』はちはるを彼女から引き離す。
『遅くなってごめんね。もう大丈夫』
「グリッタ……ちゃん?」
もう大丈夫と言い聞かす憧れの変身ヒロインに、西ノ宮ちはるは何か他の影を視た。しかしそれは直ぐに揺らぎ、やはり同じ変身ヒロインのものへと置き換わる。
『そ。私はグリッタちゃん。あなたのピンチにススっと駆け付け。さ、一緒にやっつけましょ』
「やっつける、って」二転三転が多すぎて、どうにも事情が飲み込めない。「わたしが? グリッタちゃんと? あいつを??」
『もう何度もそう言ってると思うけど? 私は私。ちゃあんと此処に存在してるよん』
「ほんとに……ほんとの、本当?」
「わ、ずらわしいわ! この糞女共ぉおお」
聖女らしからぬ下品な言葉を吐きながら、オガミが間に割って入った。既に先程までの余裕はない。あるじにほぼ勝ったと通告したばかりなのだ。くだらないポカミスで総てを台無しにするわけにはゆかない。
「女王様の為、散って行った妹の為!お前たちは必ず殺す!」
『だって。ひとんちメチャクチャにしていて良いご身分よね』
如何に相手が凄もうが、グリッタちゃんは怯まない。目を白黒とさせたちはるにバトンを手渡すと。
『さ、ご近所様の迷惑になる前に。昔みたいに一緒に行くよ』
「わ……解った、わかったよ」
未だ理解しきれていないが、物事の優先順位は見定めた。あの厄介なカマキリを打ち倒す。総てはそこからだ。頬を張って気合いを入れ、キャラになりきり迷いを振り切る。
「おっけー! じゃあ行くよグリッタちゃん! わたしたちふたりで」
『暗闇の悪いやつらをやっつけよう!』