颯爽参上グリッタちゃん
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西ノ宮正臣はその日の依頼品を振り分け終え、作業机の傍で疲労から来る溜め息を漏らす。日々の暮らしの糧とはいえ、こうも多いと骨が折れる。自分の仕上げを信じたお得意様のため、一人娘を養うためとはいえ、こんな生活がいつまで続くだろうか。
『正臣さん。あの子のことをお願いね』
墓参りを終えて感傷的になっているのだろうか。今際の際に妻が遺した言葉が頭を過る。分かっているとも。だからこそ終わらせない。そう自分に言い聞かせ、作業場を出んと前を向く。
「参ったな。根を詰め過ぎたか?」
開け放された玄関に誰かが居る。半月の灯りに照らされたシルエットを見込み、彼は思わずニ・三度『それ』を凝視した。
「夢か? 夢だろ? タチの悪い冗談だ……」
忘れるわけがない。見間違うわけがない。そもそもここに居るわけがない。彼女は――。西ノ宮美佐子は十年も前に死んだのだ。
彼は柔和に微笑む妻を前にし、吐き出しかけた言の葉を喉元で引っ込める。何故そうしたのか自分でもよくわからない。直感的にそうすべきでないと思ったからだ。
実際その直感はアタリであった。妻の姿をした何かは無言で家に上がり込み、夫の身体を抱き締める。汗腺から吹き出た白濁液が彼を包み、またたく間に物言わぬ繭へと変えてゆく。
「これで、貴方を護る者は居なくなったわね。西ノ宮ちはる」
妻――、西ノ宮美佐子"だった"それは、繭となった夫を無感情に放り、二階へ続く階段に目を向ける。
グレイブヤード三賢人がひとり、次女オガミは、酷薄なる瑠璃色の瞳を輝かせ、ゆっくりと階段を登ってゆく。『妹』を殺し、主の邪魔をする痴れ者を、この腕を以て排除するために。
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「あーーっ、もう! やっぱ無理! ホント無理ーっ」
まほうのペンで生み出した未完成品たちに埋もれ、西ノ宮ちはるが遂にキレた。
「何さ何さアヤちゃんってば。今の今までこれでいいって言ってたくせにぃ」
リテークを求めたここに居ない幼馴染に恨み辛みを言い放ち、背面飛びでベッドへとダイブ。著作権がなんだ、代わり映えしないのがなんだ。ここに完成品にして唯一無二の一品があるというのに、他に何を考えろというのか。
悔しがりながらベッドの上を左右に転がる最中、変身アイテム《ドレッサー》にしまわず掛けられていたラブリンドレスが目に留まる。そこからは完全に無意識だ。着ていたパジャマ類を脱ぎ散らし、完成品の新作ドレスに腕を通す。
「ほらね? ほらね! こんなに可愛いのに没だなんて……」
纏った自分を大鏡に映し、くるんとその場で横回転。ぴったりサイズにきらびやかな装飾の数々。全国大会に向けて推していくならこれ以外に無い。
「アヤちゃん……納得してくれるかなあ」
締め切りは近いし他のものは出て来ない。それが向こうの意に沿わずとも、押し通す以外に道はない。
『大丈夫。綾乃ちゃんならきっと折れてくれるよ。大好きなあなたのためだもの』
「ほんとに?」
『私が、あなたに嘘を言ったことある?』
励まされ上を向いた矢先、我に返ってふと思う。この声は一体誰のもの? 周囲を見回し窓に目を向ければ、今の今まで存在しなかった人型の桃色のモヤひとつ。
「うひゃあああ!? えっ、誰誰?! 何事ぉおお?!」
『お、驚かないでよちぃちゃん。私よ私。あなたのよぉく知っている……』
「ゆゆ、ゆゆゆ……ユウレイに知り合いなんていないもん! お塩? お塩あげたら出てく?! この部屋から出てってえ!」
『落ち着いてちぃちゃん。塩は渡すものじゃなく撒くものよ』
確かにそうだ、と納得しかけたが、それどころじゃないと頭を振る。一体何だこの声は。どうしてこうも自分につきまとう?
『それは私が……アー……』
声の主は何か迷った様子で声を左右に振り、『キラキラ少女グリッタちゃん。キラキラ星の第一皇女。あなたもよぉくご存知のあの子』
「は、あ?」
如何に他より精神が幼いちはるとはいえ、ペンのチカラで自身が変身するようになった今、グリッタちゃんが現実には存在しないことくらい理解している。何故わざわざワンクッションを入れた? そもそも何故声だけで姿を見せようとしない? 不信感はますます強まるばかりだ。
『こればっかりは信じてもらうしかないわ。ほら、ほらっ。呪文呪文。シュテルングリッターって』
自分のことは全く話そうとしないのに、ひとにばかりやれと促すこの態度。気に食わないが、やらない限り消える様子もない。西ノ宮ちはるは枕元からグリッタバトンを取り出すと、やる気無くそれを天に掲げ――、それを床に放り投げた。
「え……?」
柔らかく、甘く、優しい匂い。幼い頃に死に別れ、二度と嗅ぐことが無かったであろうにおい。
階段を一段ずつゆっくりと、誰かが此方にやって来る。それが誰かちはるにはよく解る。顔を見ずとも知っている。
「お母ちゃん!」
矢も楯もたまらず駆け出し、ドアを挟んで姿の隠れた『それ』に逢いに行く。私はこんなに大きくなったんだよ。褒めて、撫でて、抱き締めて。子どもとして当然の欲求を満たしてもらうべく、ちはるは進んで罠に飛び込んだ。
「さあ、おいで。抱き締めてあげるわ」
両腕の棘という棘をそば立たせ、迫る標的をじっと待つ。今のちはるは花の蜜に吸い寄せられる羽虫と同じだ。向こう見ずに飛び込んで、待ち構えた鎌に掴まるとは少しも思うまい。
あと二メートル、あと一メートル。大鎌を持った妹と違い、射程がヒトと同じくらいの自分がもどかしい。仇の惨死を確信し、愉悦の涎が止まらない。
指の先のうぶ毛がちはるの身体に触れた。妹の仇よ、覚悟! 覆い被さるような勢いで拡げた腕を閉じ、標的の命を刈り取りにかかる。
『駄目だよ』
何が、起こった?
自分のこの腕は確かに無防備な標的を捉え、鯖折りで背骨を砕いた筈だ。
だのに、腕に残る感触は無。滅すべき標的は尻もちをついて廊下の端に座り込んでいる。
『この子に、手は出させない』
邪魔をしたのはこのモヤか? バトンを持った桃色の『なにか』が、ちはるの代わりにオガミの抱擁を受け止めている。
「ナニナニ……? なんなのぉ……」
今しがた自分が殺されるところだったというのに、ちはるの顔は緩み切っていて、発する言葉も緊張感を欠いている。
『ちぃちゃん! バトンを! 掲げて、叫んで!』
「は、はい?」
ピンク色のもやが自分に向かい声を張り上げて、いる? 何故邪魔をした? そもそもどうしてそんなことを?
『つべこべ言わずにさっさとGO! びっくりするから! ぜぇったい、後悔させないからっ』
この流れで『後悔させない』という単語を選ぶセンスが気に入った。今なお状況は見えないが、ちはるはもやの言葉を信じ、バトンを掲げて呪文を唱う。
「シュテルン・グリッタ・エトワール! これで、いいの?」
『オッケー。きた、きた、きた、きたーっ!!!!』
星のチカラが注がれて、桃色のモヤが形を失い溶けてゆく。失せゆく煙のその中で、オガミに抗う確かな手足が、見覚えのあるきらびやかなドレスが、幼き日に憧れたあの顔が。実体を得て現出し始めた。
「お前は……何者!?」
尋常ならざる圧を受け、オガミは思わず引き下がる。主から伝え聞いた連中は総て無力化した筈だ。瑠梨も知らない切り札がいたのか? いや、そもそも奴の気配は自分たちのものに近い。
「わ、わぁおう……」
だが、ちはるは彼女のことを知っている。おでこをさらし、後ろ髪を外向きに巻いたショートボブ。纏う衣装は今まで自分が着ていたものと同じ。
つまりこの子は。つまり彼女は。
「そんなに気になるなら答えてあげましょう」
動揺するオガミを前に、『それ』は不敵に微笑み、右の人差し指を突き立てる。
「私は! 我こそはキラキラ国第一皇女グリッタちゃん! ヤミヤミの中から出ずる者たちよ、我が手で闇の中へと還り給えーっ!」
大見得を切って発した言葉は、ちはるが放つそれとほぼ同じ。ちはるはあくまでコスプレで、髪の色まで変えることはできなかった。だが彼女は。自分を守らんと背を向ける彼女は、十年近く前にテレビアニメで観たキラキラ少女グリッタちゃん、そのままだ。