出ちゃいましたね、まほうのペン
タイトルが変身ヒロインなのに、作中魔法少女魔法少女って言ってるのはどうか、というご意見をいただきました。
でもほら、最近は括りがむずかしくなってるじゃないですか。その辺の境界。
しばらくはこのまま通させていただきます。
※ ※ ※
「お父ちゃーん、ただいまーっ」
少々古ぼけた『西ノ宮洗濯店』の戸を開け、一人娘が帰宅を告げた。
学校から電車で二駅。そこから坂を自転車で下ること五分。窓の外から大型レジャー施設・サマーワールドを望むこの場所がちはるの実家。
「おかえり。何だい、今日はずいぶん早ェえな」
「まあ、ね」
額に汗して冬物のコートにアイロンをかける浅黒い肌に筋骨隆々とした中年男性。
姓は西ノ宮、名は正臣。ちはるの父にしてこの小さな店を一人で切り盛りする洗濯店の長である。
「浮かない顔してるじゃないの。ガッコでなにかあったか」
「お父ちゃんにはカンケーないッ」
人生も半ばに母と別れた彼女に取って、親と言えば彼を指す。年相応に反抗期な彼女だが、言葉の奥に嫌味はない。
日本人の美徳とは察しと思いやり。二人で暮らすと決めてから、無駄な諍いと喧嘩はもう何年もしていない。
「りょーかい」
故に正臣は娘の趣味や人間関係を知りつつも、深く関わらず見守るスタンスを崩さない。
尤も、男親の彼が口を出したとして、ちはるの人間関係に進展があるかどうかは――、言うだけ野暮か。
「父ちゃんまだ仕事あっから。ごはんは『おざく』でテキトーに買って来いなー」
「はいなー」
言葉少なに父の追及をかわし、よたつく足取りで二階の自室へ向かう。
洋式ベッドに掛かる涼やかな蒼色の掛布に、星のマークが散りばめられた絨毯。やや幼いが、少女らしい可愛いインテリアの数々。
だがそれも、壁に掲げられたものを見るまでだ。隙間を縫うようにびっちりと貼り付けられた『キラキラ少女グリッタちゃん』のポスターがずらり。
番宣用に制作されたもの、放送中玩具量販店に掲げられていたもの、新アイテム販売促進用、その他雑誌の切り抜き。決して多くないそれを集め、束ね、拡大したその努力。幼馴染に苦言を呈され、他と馴染めない性格の根源がここにある。
「う、ぬ、ぬぅー。これはちょっと……ムリ……かなあ……」
ベッドに腰掛け、針と糸を手に破けた衣装を繕いに掛かるが、最早継ぎ接ぎではどうにもならぬ。
新しいモノを買う? あれば当然そうしている。元々人気がいまいちな本作品では、大人向けファン用に作られた衣装などない。そこへ来て当時のアパレル商品は需要が低く、ネットオークションにも出やしない。
となれば、行き着く答えはただひとつ。
「書くかー……」
修繕不可能な衣装を絨毯に放り、画用紙を広げて軽く下書き。無いものは強請らず作れとは父の弁。娘は境遇に文句を言うことなく、キャンパスに迷いのない主線を刻む。
「わかってる。わかってるよ。描いたってどうにもなんないけどさア」
子どものころから描き続けて来たキャラクターだ。最早壁の『見本』を見ずとも想像だけで描き出せる。下書きに二分、ペン入れに三分。僅か五分で、にこやかに微笑むグリッタちゃんの立ち絵の出来上がり。
――アンタさ、まだこんなの観てるワケ? トシ幾つ? 高校でしょ? 高校生なんでしょ?
――十六になってまだ魔法なんだ、変身がどうだって言ってて、恥ずかしくないの?
楽しく線を引く中で、幼馴染が吐いたあの言葉が頭を過ぎる。
何さ、お高く止まって馬鹿にして。ヒトの趣味にケチ付ける理由なんてありはしないのに。
昔はもっと、楽しくやれていたのにな。どうして今は疎遠になってしまったのだろう。
「さて、後は色を……っと」
そんなもやもやを絵にぶつけ、いざ色塗り。
この時ペンケースから先程拾ったあのペンを掴んだのは、果たして偶然か、必然か。
鈍色に輝く、葉巻型で重みのあるペン。いつの間にケースの中にしまっていたっけか。
「ま、いいか……」
何色が塗れるかなと、用紙の脇に適当な線を二・三本。
ちはるの眼が驚愕に見開かれたのはその時だ。無造作に引いたその線は、右から順に赤、桃、黄色。知らない内に変化している。
「ど、どうなってるのさ……これ」
しかも、それは今まさにデザイン画に塗らんとしていたカラーパターンそのものだ。切り替えたわけでもないのに、何故望む色が現れた?
(いや、言うてもペンよ。別に何が起こるってわけでも無し)
一瞬怯むも、だから何だと思い直し、斜めに傾け色を塗る。
ベースとなる桃色、差し色となる赤のフリル。頭にちょこんと乗った黄色の王冠。上半身を覆うシースルーのクリアパーツ。どれもこれも、この一本で淀みなく塗り切れた。
「う、うっそぉん……」
たった一本で、色はおろかグラデーションの強弱さえもこなせ、そこにあるのは紛れもなく完成品。
自分は一体、あそこで何を拾ってしまったのか。だが、喜びとも驚きともつかぬ目でそれを見やるちはるに、さらなる衝撃が襲い来る。
「えっ、あっ、えっ!?」
風のない、締め切った部屋でひとりでに画が動き、破れて無造作に放られた死に体の衣装に乗った。
敬愛する魔法少女アニメで幾度となく見た光景も、実際に起こると不気味極まりない。今仕方描き終えたデザイン画はぼろぼろの布切れに『取り込まれ』、銀の輝きと共に再構築されてゆく。
「わ、ワーオウ」
この間、僅か数秒。
ちはるが修繕を諦め、廃棄を決めていたその衣装は、新品同然、画用紙に描かれたイラストそのままのカタチに姿を変えていた。
※ ※ ※
「しのー、またタイム落ちてるー」
「何よどしたの、具合でも悪い?」
西ノ宮ちはるが自室に籠もり絵を描いていたまさにその頃。
東雲綾乃は四百メートルトラック中途で息を切らし、心配する部員たちの声を右から左へと聞き流していた。
「だいじょぶ、だいじょぶ。次行くから、タイム測っといてくれる?」
「ほんとに……?」
「ムリしちゃダメだよ。本チャンで動けなきゃ、練習も意味ないんだから」
陸上競技、こと短距離に於いて綾乃は学校有数の実力者だ。同じ条件で走った場合、この地区で彼女より速い娘は存在しないだろう。
しかしそれはメンタルに不備のない時の話だ。オン・オフの差が激しく、何か不安を抱えていると顔ではなく『脚』に出る。
「しの。何か嫌なことでもあった?」
「何かあるなら、相談に乗るよ」
「別に。何もないってば」
部員の追求を平と躱す綾乃の脳裏に、あのおどおどした幼馴染の顔が映り込む。
いつまで経っても稚気染みた夢にすがり、コミュニティーからあぶれた脱落者。そんなあいつがヒトをあだ名で呼び、今もあの頃のことを蒸し返そうとするのだからたまらない。
――行くよアヤちゃん。声を合わせて、いち・に・の……
――しゅてるん・ぐりった・えとわーる! お空を覆うまっくろモヤモヤ、き、え、ちゃ、えーっ!
(あぁくそッ、なんで……今更……)
目を閉じれば、思い出すのは幼い自分。傍らにはダサい幼馴染。互いに笑って楽しかった記憶。
忘れろ。全部、忘れろ。綾乃は頬を張って己を律し、イヤなことを僅かな感傷と共に頭の片隅に投げ捨てた。
「よっし気合入った。次行くわよ次ぃ!」
周囲の困惑を押し切り、スタート地点に駆け足で舞い戻る。
ヨーイ・スタートの掛け声で、クラウチングから上体を起こし、あっという間に最高速度。一秒以内に体勢を整え、ペースアップに移行出来るのは、この地区広しと言えど綾乃のみ。
陸上は良い。風に乗って走ってさえいれば、何もかも忘れてラクになれる。七面倒な悩みを振り切り、トラックを半ばまで過ぎた綾乃の首筋に、生暖かい吐息が触れる。
(あれ……?)
今の今まで聞こえていた友人たちの声が消えた。どうして急に? そもそも吐息とは何か。今このレーンを走るのは自分ひとりのはず。
『喰らう。食らう。雌はミナゴロシ。総て、喰らう』
観たくない。けれど観なければならないのだろう。僅かに目線を後ろに向けた綾乃の前に、現れたるは並走するヒトの姿をした――、犬?!