お久しぶりです、お母ちゃん
暦はそろそろ十一月。子供向けテレビ番組ではクリスマス商戦に向けて、新大型アイテムを販売する頃。
そんなわけで、本作でもしばらくの間そんなおはなしをやってゆこうとおもいます。十二月半ばくらいまでお付き合いください。
◆ ◆ ◆
「ごめんね"ちぃ"。お母さんは星国に帰らなきゃ行けないの」
病床の母はやつれた顔でそう言って、私の頭を優しく撫でる。
記憶の中の母はいつだって優しくて。喧嘩をしたこともなければ、暇を見て私の遊びに付き合ってくれた。演目はいつもグリッタちゃん。私が彼女で、母は星国の王妃様。母が子供の頃、グリッタちゃんはアニメではなくテレビドラマとして放送されていて、王妃はかつてのグリッタちゃんだったという。
肺の方を悪くして、喋るのも億劫なんだと聞いたのはそれからずっと歳を重ねてからのことだった。あの時の私は母がセリフをとちる度憤慨して当たっていたが、彼女は気にせず『ごめんね』と謝るばかり。今にして思えばなんとひどいことをしていたのだろう。できるならば謝りたい。つらいのにごめんねと、ずっと遊んでくれてありがとうと。
出来たらいいのにね。でも、今は――。
「ちはる。お母さんに挨拶したか」
「うん。ごめんなさいって」
「お前、毎年そればっかだな。美佐子はいちいち気にしてねぇよ」
黒い墓石をスポンジで磨いて、花と線香を添えて両手を合わせる。九月の彼岸、多磨霊園で父と共に手を合わせるようになってからもう十年。お母さん――。西ノ宮美佐子は末期の肺がんでこの世を去った。
お母さんはいなくなったんじゃない。星国に帰ったんだ。泣きじゃくる私に、父はそう言って慰めてくれた。一時期本気で信じてたから、『じゃあこの石っころは何なの?』と墓の存在も理解してなくて。お父さんも自己矛盾に突き当たって困り顔だったっけ。
「たまにはもっと楽しいことも話してやりゃあいい。なんだ? その……ご当地ナントカ。最近上手く行ってんだろ」
「や! やぁそれは……。お母ちゃんに言うには恥ずかしいっていうか」
「墓前で何を恥じることがある。ヒトを笑顔にしておカネ貰う立派なお仕事だろうに」
ご当地魔法少女になってから、お父さんと話す機会も少し増えた。楽しくてやってることだけど、家族にそれを話すのは、なんとなく背中がこそばゆい。
「帰るか。そろそろ」
「うん」
また来るねと声をかけ、一礼をして踵を返す。墓石の中の母は黙って何も答えてはくれない。
「よ。今帰り?」
車を降りてすぐ、うちの近くをジャージ姿でうろつく影ひとつ。幼馴染のアヤちゃんだ。部活の朝練だろうか。お休みの日なのに熱心だなあ。
「もうそんな時期だっけ。どう? おばさん、なんか言ってた?」
「言うわけないよ。わたしだって流石にそれくらい解るって」
「いやいやー。長ぁいこと星になったって信じてたアンタがそれ言う? 説得力ないわよ」
アヤちゃんは時々いじわるだ。突然親がいなくなり、心の支えを失ったときの気持ちを少しでも考えたことがあるのだろうか。
「むくれんなって。ほら」
でも、言って大手を広げるその姿を見ると、怒る気持ちも何処かに飛んでゆく。昔から、私が気落ちするといつもこうしてくれる。友達同士の仲良しのハグ。
むうっと頬を膨らませ、アヤちゃんの胸の中に飛び込んで。走り込みで暖まった身体に、制汗剤のレモンシトラスの香り。嗅いでいて落ち着く匂い。
「ねえ、アヤちゃん」
「うん?」
「もーちょっと、こうしててもいい?」
子供っぽいって笑われるかな。それでもきょうは。お母さんのお墓参りをした後だから。無性に誰かの温もりが欲しくなる。
「はいはい。好きなだけそうしてな」
不貞腐れた声だけど、嫌そうにはしてなくて。ああ、この場所が今一番心地よい。
お母さんが『星になった』日も、アヤちゃんにこうしてぎゅっとしてもらっていたっけな。あれからもう十年。歩く道は違ったけれど、私達はいま同じ場所に立っている。
※ ※ ※
「きゃああ!! 化け物よ! 助けてぇえええ!」
あきる野の街に響き渡る黄色い叫び声。彼女の前には首から上に三つの『豚』をつけた異形の存在。それぞれ鼻をひくひくと鳴らし、眼前の獲物を喰わんと狙っている。
「そうはさせるか! とりゃあ!」
いままさに掴みかからんとした瞬間、頭上に『生えた』虹色の靄から手足が生じ、豚の進撃を食い止める。文字通り出鼻を挫かれ、困惑する魔物の前に、桃色の装束を纏った少女がひとり。
「あきる野の町を荒らす困った魔物め! このグリッタちゃんを前に退路など無いと知れっ!」
その立ち振る舞いは正に正義のヒーロー。今の今まで襲われて奇声を発していた女性は、一転して歓喜の声を上げる。
「グリッタちゃんって……あなたが、あの?!」
「イエス・アイアム! お姉さん、あとはわたしに任せて! こんな子豚ひとつ、すすっとやっつけちゃうんだから!」
ヒトガタカマキリ・トウロとの殺し合いから一月半。季節は巡り、人々が薄手の上着を欲しがるようになる時勢。
殆ど事故のようなあの動画は、三葉の姉・桐乃菜々緒によって然るべき編集を施された後、コメント付き動画サイトにアップロードされた。
投稿されて数日は雀の涙であったが、早いうちにあきる野のご当地魔法少女と結び付けて見られ、そうしたテレビアニメかと見紛う死闘は多くの視聴者から賛同を得るに至った。
「ほらっ、瑠梨ちゃん。決めポーズ向こうで取るから、ばしっと! ばしっと撮ってよね」
「ああ、うん……」
この動画が決め手となり、グリッタとズヴィズダちゃんはランキングを一気に駆け上がり、十月現在トップテンの仲間入り。今なお街で散発的に現れる魔物を下し、その様子を動画に流し好評を得る。
その姿は本物か特撮か? 物見遊山で街に立ち入る人々が増え、あきる野市は予期せぬ臨時収入に笑いが止まらなかったという。
「はい、よっと。お片付けしゅーりょー。どう? どう? 撮れた?」
「ばっちり。これだけの機材用意させて、撮れない方がおかしいと思うけど?」
「だよね? だーよーねー? さんきゅー瑠梨ちゃん、ちょっとその辺で休憩しよっか」
二人で様々な怪異に立ち向かうとなれば、撮影班も三葉ひとりでは追い付かない。悩み抜いた末に白羽の矢を立てたのは、トウロの事件で奴に囚われていた花菱瑠梨。また捕まらないよう保護観察も兼ね、女性カメラマンとして動画撮影に参加させている。
「おつかれ。これどーぞ」
「さんきゅー。この時期は温かい珈琲だよねえ」
元のデザインがこうだから仕方がないが、十月初週にノースリーブに太ももを惜しげもなく晒した衣装は肌寒い。瑠梨から手渡された上着を羽織り、ちはるはどうするべきかと思案する。
「それにしてもさ」考えたところで答えは出ず。隣に座す相方に言葉を投げる。「きょうの子豚にお地蔵さん、ちょっと前は幸せの青い鳥だっけ。九月くらいからぶわーっと増えたよね、怪物たち」
トウロとの死闘を境にグレイブヤードの民を名乗るカマキリ女の姿は消えた。変わりに増えたのが童話を模った不可思議な魔物。強さの格がワンランク落ちたはいいが、週イチ週ニで出て来られては気の休まる暇がない。
「わたしさあ、戦う魔法少女じゃないんだよ。グリッタちゃんはみんなの夢と希望を守る魔法少女なんだよう。敵さんもいい加減諦めて欲しいんだけどなあ」
「あは、は。そうだね」
継ぐべき言葉に悩み、下手くそな愛想笑いでお茶を濁す。こうして缶珈琲を啜るちはるには、その元凶が隣に座す瑠梨だとは夢にも思うまい。
(諦めるわけ無いだろ阿呆が。もう少し、もう少しなんだ)
愛想笑いで同調するその裏で、煮えくり返りそうな激情を必死に抑える。あえてだ。使い魔が三賢人たちより弱いことなど瑠梨だって解っている。そもそも、憎い憎いトウロの仇である魔法少女たちと仲良くする理由は何か。どうして彼女たちの傍にいることを選んだ。
これはあくまで陽動だ。『本当の』狙いから彼女たちを遠ざけるための――。
※ ※ ※
『"西ノ宮は秋留台公園、東雲はリオンモール"、ね……。了解、了解』
持たされた旧式の携帯電話を見、シルクハットを目深に被った威容が笑みを漏らす。
その眼前で鎮座するキャンバス目掛け、黒曜色の『蟻』が列を成し、城の画の中に飛び込んでゆく。皆それぞれヒトの持つ存在格の塊だ。入りゆくごとに画が紫根に光り、いのちの輝きが満ちてゆく。
花菱瑠梨は好き好んでちはるらの傍に居るのではない。敵の側から情報を流し、別働隊を送る場所を報せる役目を担っていたのだ。
『首尾は上々。間もなく仕上がるよ。暗くならないうちに帰っておいで』
世間は魔法少女グリッタちゃんたちを褒めそやし、英雄だと祭り上げるが、その実住民票に記載の無い者や他と疎遠な独り者はここ一月半で確実に数を減らしている。囮を放って注意を向けさせ、その間確実に餌をグレイブヤードに持ち帰る為に。
「遅い。遅すぎるわファンタマズル」
その言葉に反感を持ったのか、たわむキャンバスの中から白手袋に覆われた両手が伸びる。次いで灰色の頭巾で頭を覆う、瑠璃色の目をした清廉なる美女が顔を出す。
完全に画から身を乗り出し、ひとりの女性が瑠梨の部屋に降り立った。長いローブに足元から覗くヒール。その出で立ちはまるで、教会で祈りを捧げるシスターのよう。
だが常人と決定的に違うところもある。ローブの下半身は太ももを境に大きなスリットが開いており、腿と脹脛の裏にはカマキリの鎌にあるような細かな棘がびっしりと生えている。
「女王様に伝えなさいファンタマズル。私オガミは今、この瞬間を以て現出したと。いつ如何なる時もご命令を請けられるのだと!」
グレイブヤード三賢人、その二女オガミ。末妹の無残な死は当然ながら聞いている。恨みもある。秋の夜長、月明かりに照らされた瑠璃の瞳は、妹同様酷薄に輝いていた。