返して! その子はわたしたちの友達なんだからっ!
※ ※ ※
「や。や~えらい相手やったけど、二人とも大した怪我ものうて良かったわあ。背中とかお腹とかバシバシしばかれたんやろ? けどそんなで済むっちゅうんはアレ? 魔法のご加護みたいなもんなん?」
日が沈み、痩せた三日月が空に輝く午後八時。カマキリ女トウロになす術無く破れたちはると綾乃は、唯一無事な三葉が呼んだタクシーに乗り、桐乃の邸宅に運び込まれることとなった。
ここで救急車を呼ばなかった理由はふたつ。ひとつはこの異様な状況を噛み砕いて説明するチカラが三葉には無い。観たことを正直に話しても、それぞれの親たちは絶対に納得しないだろう。
そしてもう一つは怪我の具合だ。殴打による跡は残りつつも、気絶した二人に重篤な外傷はない。トウロが去って暫くすると、微睡んで寝返りを打っていたくらいだ。
「み……三葉。飲み物……持って来た」
「あー。あー! サンキュウお姉! ほら来たで飲み物! お姉ってばすごいんよ。おうちでちゃちゃーっとキャラメルマキアート作ってくれるんやでぇ? ほらっ、ほらあー」
既にふたりは目覚め、魔法少女装束のまま来客用ソファに座しているが、返ってくる言葉は何もない。
ちはるは途方に暮れて天井を見、綾乃は逆に俯いていて、その体は僅かにかたかたと揺れている。
自分たちには魔法のチカラがある。あんな奴ら苦も無く畳んでそれで終わりだ。これまでずっとそうして来た。もしかしたらそれは薄氷を踏むかのようなもので。前回勝てたのはお情けで。あれが向こうの本気だと言うのか?
敵を。差し迫る現実を侮っていた。こんなことなら最初から大人に任せておけば良かった。大人に、あれを仕留められるかどうかは別として――。
このままずっと塞ぎ込んでいるつもりか? 何の答えも出さず、悶々としたまま終わるつもりなのか? 彼女たちだけならそうするのも手だっただろう。
しかし、現実はそんな停滞を許さない。塞ぎ込み宙を見たままのちはるの腰に、ぶるると振れる着信音。
「はい」
「――花菱瑠梨を預かっている」
「え……?」
番号も見ず電話を耳に当ててみて、聞こえた声にちはるの顔が強張った。彼女が即座に跳ね起きたことで、この緊張は三人全てに共有される。
「――安心しなさい。まだ一口も味わっちゃいないわ。けれど我々はヒトを喰い、数を殖やすのが仕事。あまり長くは待てないわ」
「何……。何、言ってんの?! りりちゃんを返して! 返してよ!」
「――話は最後まで聞きなさいな。『秋川インターチェンジのガード下』。私達はそこで待っている。今宵のディナーが来るのをね」
今更その意味を問い返すまでもない。向こうは瑠梨を殺すとちらつかせ、自分たちをおびき出さんとしている。
「――話は以上。ああ、人海戦術に頼ろうとはしないこと。幾ら呼んだって全ぇ部私が食べちゃうから」
こちらの答えを待つことなく、一方的に電話は切れる。折り返すも返ってくるのは不通のツーツー音。助けたければ態度で示せということか。
「ちはる」
「アヤちゃん」
本調子じゃないけれど、放っておけば瑠梨が死ぬ。勝ち筋も見えず、生きて帰れる保証もない。
怖い。またあんな風に痛い思いをするのは嫌だ。何もかも忘れて逃げ出してしまいたい。けれど、そうしたら瑠梨は? 新しく出来た友達の、ぎこちなく笑うあの顔がふたりの脳裏から離れない。
「助けに行こう」
両頬を叩いて気合を入れ、そう発したのはちはるだ。歯の根を食い縛り、残る恐怖をココロの奥底に追いやった。
「今、こうしてる間にも、瑠梨ちゃんはあのかまきりの前でかたかた震えているんだよ。そんなの想像しただけで、胸がきゅうっと苦しくなる。わたしたちで助けよう!」
「助けるって、あんた」
向こう見ずでいい加減な親友の声に、綾乃の方から待ったが入る。
「あたしたちコテンパンだったんだよ? お情けで生きてるよーなモンなんだよ? それでも行くの? あんたも、あたしも! 今度こそ死んじゃうかも知れないんだよ?」
綾乃の言葉は的を射ている。病み上がり、どころか上がり切ってさえいないこの状況で、完全無傷の魔物とやり合えばどうなるか。
「けど、瑠梨ちゃんはわたしたちを待ってる」頬を張った時点で覚悟を決めていたのか。ちはるの顔には一点の曇もない。「アヤちゃん前に言ったでしょ。ご当地魔法少女のわたしたちは、あのなんだかよく分からない化け物退治がお仕事だって。それって今でしょ。助けを求めて、待ってるヒトがいるわけでしょ!」
「それは……!」
言い出しっぺがどうだという話ではない。綾乃の指摘が尤もなら、ちはるのそれも間違ってはいない。あの人食いカマキリをどうにか出来るのは現状自分たちふたりだけ。自分たちがやらなければ瑠梨だけでなく、もっと沢山のヒトが死ぬ。
「本気、なんだね」お互い譲らぬ押し問答の末、綾乃の側が遂に折れた。「言っとくけど、あたしは死にたくないし、あんたが死ぬとこだって見たくない。刺し違えなんて御免だから」
「わかってる」
「それも何処まで本気なんだか……」
ああ、もう足抜け出来ないな。綾乃もまた覚悟を決め、この『お遊び』を真剣と捉え、供されたマキアートをぐいと飲み干す。
「やると決めたらとことん行くわよ。何がアクマよ。あんなやつの好きにはさせないッ」
※ ※ ※
空を闇が覆い尽くし、喧しい蝉の音も落ち着き始めた夜半の川岸。街の明かりを遠目に浴びて、ようやっと手元が見えるくらいのこの場所に、似つかわしくない影がふたつ。
その足元には乾いた黒色の跡が点々と残っている。もっと目を凝らせば、周囲の川原石に撒かれた齧りかけの肉片や、消化出来ず吐き出した金属片などが見えることだろう。
「約束の時間はまだ来ないのか」
自分の手さえ見えない状況下、主たる璃梨は立腹だ。従者が積み上げた石椅子に足を組んで座し、蚊に刺された白い肌を何度も擦っている。
「人目につかない為とはいえ、こんなところに来るんじゃなかった」
ちはるたちは自分とトウロらの関係を知らない。人質という手段を取った以上、この苦痛は払うべき必要な犠牲である。
「苛立っているのは……本当にそれが理由ですか?」
「何?」
忠実な従者トウロは、主人の苛立ちがそんな小手先のものでないことを見抜いていた。困惑する瑠梨に対し、トウロの推論はなおも続く。
「嗚呼、おいたわしや女王様。私がいない間、あの屑どもに絆されてしまったのですね」
「絆され……る」
心のもやもやを見透かされ、瑠梨は思わず目を逸らす。この感情をどんな言葉にすべきか考えていたが、成る程それが適切だ。
連中は敵だ。同じ能力を持ち、お互いに滅ぼし合うべき相手なのだ。共栄共存なんてありえない。
だのに、その宿命に疑問を持ってしまった。もう少しこのままでと一欠片でも思ってしまった。あの迷惑なお節介に気持ちが揺れてしょうがない。
本当にちはるたちは殺すべき相手なのか? 友達になっては駄目なのか? この局面になってなお、瑠梨は覚悟を決められずにいる。
「ご安心ください。奴らはこのトウロめが皆殺しにしてやります。女王様には私がおります。いのちを奪い存在格を集めれば、姉ふたりも現世に顕現できるのです。寂しさなど、感じる必要はありません」
しかしそこはヒトの皮を被ったカマキリ。感情の機微は察せられるが、解決の手段は暴力のみ。従者たる蟷螂女の目に浮かぶのは研ぎ澄まされた怒りと殺意。あるじを惑わす愚か者。今度こそ自分の手で腸を引き裂き、相見えたことを後悔させてくれる。
「殺す……」実際見たことがないのでピンとこないが、己が望みを果たすべく、配下たる魔物たちは沢山のヒトの命を奪い、糧とし続けてきた。これはまだはじまりに過ぎない。野望を成就した暁にはあきる野から人というヒトは一掃されることだろう。
それが望みだ。この道に踏み込んだ時点で、悩むことなどあってはならない。ならないというのに!
「来ました」トウロの目が自分ではなく遠方を捉えた。ゲート発生を示す虹色の輝き。堤防を跨いでコンクリートブロックを踏み鳴らし、こちらに迫る影三つ。
「ここに居てください」約束を守る必要などない。総て殺してそれで終わりだ。両刃に殺意を漲らせ、トウロの側から迫りゆく。
「りりちゃんは、どこ?」現れた三人のうち、最初に声を発したのはちはるだ。痛みを堪え、憤怒に満ち満ちた声で問いかける。
「私の後ろよ。助けたければ助ければいい。まあ、ここから先は絶対に通さないけど」
絶対に、を殊更強調し、両腕の義手を鎌首めいて構える。それはまるで自らに言い聞かせるように。一度負かした相手を今ここで確実に殺すのだとでも言うように。
「じゃあ、絶対にそこを通る」当然、ちはるだって譲るつもりはない。やると言ったらやる。それがここにいる三人の総意だ。
「来なさい蟷螂。あたしたちが片付けてあげる」
「あんたの悪事はうちがぜぇーんぶ録画するでな! 逃げようだなんて思わないことやで!」
「フン。三人揃って馬鹿ばっか」
互いに譲るつもりはない。となればすべきことはただ一つ。
双方の距離は目算でヒト五人分。両者息を吸って腰を落とし、双方一気に駆け出した!