斬破のアクマ
※ ※ ※
「イキナリ……かよッ」
浮きに浮いたチャイナドレス姿に、マリーゴールドの酷薄な瞳。寄りにも寄って、捜索を諦めかけたこのタイミングで出くわすとは。
「ふたりとも離れて。ここはわたしたちが何とかする」
背後に向かい制止をかけるちはるには、普段通りのおちゃらけは一切ない。一度退けたとはいえ散々に打ちのめされた相手だ。注意が他に向いたら防ぎようがない。
「任せるでちーちゃんアヤのん。カメラは後ろで回しとくでな」
己の立ち位置を理解した三葉は、即座に隣立つ瑠梨の肩を掴み。「ほら、うちらは向こう側に隠れるで。早う花菱さん」
「うん……? あ・ああ……うん」
手を引かれ、後退する中でなお、瑠梨の目は怪物のものから離れなかった。
(あいつ……。気付いてないのか……?)
『主』たる瑠梨が配下のトウロに襲われるはずが無い。ならばその理由は? 全神経を奴らに向けて、トウロは何を考えている?
「よーやっと見付けたぞっ! グリッタちゃんのいるこの街で! 無法を働く不届き者ぉ!」
無理に張ったその声は、恐怖を飲み込むハッタリか。今しがたヒトひとり殺したであろう蟷螂女を前に、ちはるは人差し指を突き立てる。
「これ……っていうか、今までの事件全部。あんたが、やったの?」
対し、隣り立つ綾乃の口から出たのは問い掛けだ。その声は冷え切っており、瞳に燃える怜悧な激情を隠そうとしない。
「えぇ、そうよ。私がやったの」トウロは口元の朱を手の甲で拭い、酷薄な笑みをたたえて言い放つ。「我が主の為。私の個人的な食事のため。そして、こうして話題になりさえすれば、あんたたちから勝手に探しに来ると思ってさァ」
わざと煽るような物言いをし、義手の右手で来なよと手招く。自分たちをおびき寄せるためにこんなことを? ふざけるな。ふたりの顔に怒気が迸る。
「こんの、野郎ぉおおおお!!」
戦闘の口火を切ったのは綾乃だ。半身を沈め、コンマ数秒でトウロの懐へと潜り込む。
接近する僅かな間に、綾乃は既に横蹴りの体勢を整えていた。瞬時に奴の腹へと叩き込み、そのまま一気に押し通してやる。
「え……?」
だが、仰向けに夕陽を視たのは綾乃の方だ。続いて目に入ったのは、振り抜かれ、戻りゆくトウロの右腕。胸元のハートが衝撃をころし、怪我こそ負わなかったものの、何らかの攻撃を貰い吹き飛ばされている。
「余所見してる、場合?」
それは何かと悠長に考えている暇は無い。夕陽の次に綾乃が見たのは、左の鎌を振り被り、自分を斬り捨てんとするトウロの姿。
「こ、の、お!!」陸上で鍛えた下半身のバネを活かし、足の裏で地面を捉え、即座に全力の後ろ跳び。あと一歩対応が遅れていたならば、彼女の胴は袈裟に斬り落とされていただろう。
「まだまだぁ!」
何が起こった? 解らない。分からないなら攻めまくるだけ。綾乃は瞬時に体勢を立て直し、上体を捻っての左回し蹴り。向こうが次撃を打つ前に、流れをこちらに引き寄せる!
「甘いわ」
されど場の主導権は動かない。文字通り両の手を鎌首がもたげる形で構え、左蹴りを右腕で受け止める。
否、ただ受け止めたのではない。接触の瞬間トウロは僅かに腕を外側に捻り、蹴りの勢いを空に押しやったのだ。当然それは有効打にはなり得ず、残ったのはわざわざ敵の間合いに潜り込み、隙を晒して動けないという事実だけ。
「がら空きぃ!」脚の自由を半分奪われ、晒した隙に差し込まれるトウロの鉄拳。綾乃は咄嗟に腕を十字に組むも、伸びる腕はガードをすり抜け、彼女の鳩尾へ強かに突き刺さる。
鎌ではなく義手で打ったのは、いつでも殺せるというアピールか? 屈辱と憤怒が喉の奥でごたまぜとなり、嗚咽を漏らしてたたらを踏み、上った胃液が唇を伝う。
「アヤちゃん!! 避けて!」
既にふたりの背後へ回り込んでいたちはるが、ステッキを構え回避を求めた。騒乱の最中充填していたのか、既にその穂先にはエネルギーが集束されている。
「シュテルン・グリッタ・ステラブレえぇえイク!」
親友ならば避けてくれると信じ、間を置かず放たれる必殺光弾。速さのため呪文を幾分か削ったものの、喰らえばまず無事では済むまい。
「そー来る? だっ、たら!」
瞬間。綾乃が取った行動は回避ではなく『前進』であった。食らってなお立って来たところを、渾身の飛び回し蹴りで葬ってやろうという算段か。
前門の虎、後門の狼。どちらを受けても重篤なダメージは避けられない。だがしかし、トウロの口元に浮かぶは歪んだ微笑み。両側の敵に対し、それぞれの手を鎌首をもたげるような形に構えて迎え撃つ。
戦況とは形を持たぬ水のようなものだ。ふとしたきっかけで如何様にも変化する。追い詰めていたと思えば追い詰められていて、逆もまた然り。
「え……?」
「な、な……?!」
綾乃が半歩離れた時点で、トウロは再びあの構えに戻っていた。彼女は即座に折り畳んでいた左鎌を開放。半円を描くようにそれを振るい、風切る勢いで眼前の光弾を斬り捨てた。
その勢いを殺すことなく、背後に迫る綾乃の回し蹴りを切っ先で弾く。出鼻を挫かれ背中を晒した綾乃目掛け、折り畳まれて鈍器と化した右鎌が深々と突き刺さる。
「うぐ……おぁッ!」
即座に弾力ある桃色が背中に回るが間に合わぬ。背骨が軋み、肉が震え、一拍遅れで綾乃の脳髄へと伝播する。産まれてこの方受けたことのない痛みに敗け、綾乃の意識は掻き消えた。
「アヤちゃ……ん!」
親友を慮り、注意をそちらに向けてみれば、そこに映るは握り拳大の石つぶて。弾かれた光が雑居ビルの壁面を砕き、重力に従って降り注いでいる。
「さあて、残るはメインディッシュ。あんたひとり」
腕を組んでつぶてを防ぎ、開けた視界にトウロの姿。畳んだ鎌を拳代わりに素早く突き出し、ちはるの脳天を打ちに行く。
「にゅ、ううううい?!」即座に魔力を自らに放ち、桃色の軌跡を残して一気に飛び退く。顎先をトウロの鎌が掠め、鮮血が数滴滴り落ちる。
「避けんな、おらアぁ!」前のめりになったちはるの眼前には、折り畳まれて鈍器状に伸びたトウロの腕。石の後は拳のつぶてか。右、左、右、左。左、左、右。手にしたバトンを振るうことすら許されず、ちはるの急所を確実に突いてゆく。
綾乃が貰ってダウンする攻撃を無防備に七つも喰らい、無事で済むわけがない。ぐらつく体に最後の一押しが挿し込まれ、ちはるの身体が大きく仰け反った。
「蟷螂……拳?」
ハンディーのカメラを回し、この蹂躙を観ていた三葉が、液晶画面越しにそう呟く。
雨のように降り注ぐ殴打。鎌首をもたげた独特の構え。餌を捕らえるカマキリの所作から編み出された中国拳法・蟷螂拳。鬼に金棒とはこのことか。綾乃を失い、ひとりとなったちはるにはなす術がない。
「ぐう……うううっ!」狙ってそうしたとしたら奴は戦闘の天才だ。数日前の敗北で自らの不足と彼女たちの穴を突き、完全に制圧しているのだから。
ちはるの放つ魔法には呪文の詠唱が欠かせない。近接でそんなことをすれば打ち据えられ、逃げて飛び退こうがトウロはすぐさま追ってくる。こうなれば彼女は無力な高校生と同じ。血を好む化け物相手には手も足も出ぬ。
「もう駄目……むりぃ……!」
薄れゆく意識の中、殺意を宿したトウロの目が自分のそれと重なった。綾乃を下し、自分をも甚振った悪鬼。許すものか。許してなるものか。けれど身体が動かない。自分が立たなきゃ、どうしようもないというのに――。
「これでふたり。邪魔者はみんな消えた」
魔法少女たちがくずおれるのを見届けたトウロは、構えを解いてハンディーカメラのレンズを睨む。戦うチカラがあろうとなかろうと、楯突いた者はすべからく敵。漲る殺意の矛先が三葉を貫いて離さない。
「あ……ああ……」
ここでなおカメラを下げずにいられるのは、蛮勇ではなく生理反応だ。今の三葉は蛇に見込まれた蛙そのもの。一歩一歩確実に迫る魔物を前に、何も出来ずに固まっている。
「あんたで終わり。全部終わり。女王様の邪魔をするくず共は、その命ごと刈り取ってやるわ」
曲げた鎌を展開し、アスファルトの床に縦線を刻み込む。まず間違いのない詰み。喜び勇んで始末すると豪語した結果がこれか? もう他に手は無いのか?
みんな、あの化け物に斬り殺されて終いだというのか?
「嘘」
突きつけられた運命を受け容れかけたその瞬間。トウロの足が唐突に止まり、マリーゴールドの不気味な目を大きく見開かれた。
一体何が? 注視する三葉の目に映るのは、畏敬の念を滲ませ、唇を震わすカマキリ女のその姿。
「なぜ……ここに……、あなたが!」
トウロの目線の先にあるのは憎き獲物などではない。三葉に促され、半歩下がった影に立つ瑠梨。己があるじの姿のみ。
(魔法少女共め……! 我があるじを、よくも!!)
彼女たちグレイブヤードの民は創造主の忠実なる下僕。主戦力を下し、あるじの身が敵の只中にある今、トウロの取る手はひとつしかない。
「え!?」
「何!? なっ、なァーっ!?」
ひとり外野の位置にいた三葉には、その行動の意味を理解することなど出来なかっただろう。カマキリ女は斃すべき自分をすり抜けて背後に回り、そこに控える瑠梨を捕え、前速力でこの場から遠ざかってしまったのだから。
「どないなっとるや、これ……?」
ちはるも綾乃も、自分に至っては傷一つついていないのに。この場を離れる理由は何か。三葉には皆目見当もつかぬ。
「じゃ、ない……! ちーちゃん、アヤのん!!」
わからないなら考えていても仕方がない。持っていたカメラを振り捨てて、三葉は倒れ伏した友人ふたりの元へと駆け寄った。
『――ああ、ああ、やってくれるね"つくりもの"の分際で』
時を同じくし、彼女たちの遥か頭上でこの騒乱を見定める者の姿あり。日傘を差した白いシルクハットにクリーム色の外套を纏った『それ』は、夕焼け空とは一切馴染まず、元の色合いをそのまま保っている。
『――まあ。これはこれで都合が良い。これであの子達も本気になるだろう』
顔の一切見えない『異様』はそう独り言ち、彼女たちに背を向ける。誰の目にも映ることはないが、帽子とコートに隠されたその奥は、妖しげな喜色に歪んでいた。
※ ※ ※
「この馬鹿! 馬鹿野郎! 間抜けィ!!」
「じょ、女王さま……! 私は、その……助けようと!」
ちはるたちから遠く離れた、人気の少ない林の中。あるじの安全を確保し、お怪我は、と尋ねたトウロに浴びせられたのは、予想だにもしない罵声の雨。
被った恥を濯ぐには、外敵の皆殺しという結果を手土産にする他ない。短期での拳の習得に集中するあまり、トウロは女王への定期連絡を絶っていた。故に、瑠梨が宿敵らと同じ場所に居るなどという事態は完全に想定外だった。
「ボクがあの時ピンチに見えたか? ”守られている”姿を見て危ないと思ったか? 少しは周りを視ろ大馬鹿者!!」
対し、この撤退は瑠梨の側からしてみれば、おめおめと満身創痍の敵を取り逃す蛮行に他ならない。後ひと押しでふたりの息の根を止められたのに。攻められる立場からすればひどく滑稽に映ったであろう。
「申し訳ありません女王さま。申し訳……ありません……」
「もういい。やめろ。やめないか」
平身低頭で謝罪を繰り返すトウロに対し、苦虫を噛んだような顔で制す瑠梨。悪手以外の何物でもないが、自身を護ろうとしてくれたこと自体は責められない。人付き合いに乏しい瑠梨は、この叱責を以て複雑な感情に自ら折り合いを付けたのだ。
「過ぎたものを悔いたってしょうがない。この状況を利用しろトウロ。使えるものは何でも使え」
「つかえ、とは?」
言って取り出したのは、最新モデルの折り畳み式携帯電話。今この場で何処に電話を? そんなことは解りきっている。理不尽に『友達』を拐われ、困惑する友人たち三人の元に。