これがわたしの生きる道っ
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ナナカマド商業高等学校は東京都の端の端、山梨県との県境・五日市市に位置した田舎の学校だ。
『都で唯一、ナマの自然と触れ合える学校』を入学のウリとした同校は、林業体験で女学生にチェーンソーを握らせ、木材伐採を手伝わされたり、春秋の体育でジョギングと称して起伏ある山を五キロも走らされたりする。
ゆえに、行楽のシーズンでなくとも、この辺りに女子高生が紛れ込むことも珍しくない。部活の特訓、校外写生、その他諸々……。
そして、ここにも。仲間内からあぶれ、幼馴染に馬鹿にされ、収まりつかない少女がひとり。
「♪つらいときはほしをみあげーてー、ほら、いち・にの・さんっ、シュテルングリッタえとわーーるー♪」
晴れ渡る空が僅かに茜色に染まる頃。西ノ宮ちはるは折れた枝や青々しい雑草を踏み越え、校舎裏の秋名山を練り歩く。
「さあ、て。こんなとこでいいかなあ」
背中に担ぐはひとかかえもある無骨なリュック。勉強道具? それならば学校指定の手提げ鞄に入れて教室の中だ。
油断なく周囲を見回し、誰も居ないのを確認し、その中から取り出したるはーー。クリーム色のパニエスカート?
次いで桃色のシースルーオフショルダートップス。踵にハートのあしらわれたサイハイブーツ。最後には使い古され、色の剥げたトワリングバトン。
モノが総て揃ったのを確認したちはるは、スカートの下からスカートを穿き、ワイシャツの上からトップスを纏い、器用に制服だけを脱ぎ捨てて、草の上に放る。
髪色が異なり、衣装もぱつんぱつんだが、その姿は自身が敬愛するキラキラ少女グリッタちゃん、そのヒトだ。
当時、アパレル商品と売られていたなりきりコスチュームを継ぎ接ぎし、十六歳の彼女でも纏えるようにした特製の品である。
「さあ、みんな! 声を合わせていっくよー! シュテルン・グリッタ・エトワール!」
手にしたバトンを右へ左へ振り回し、柄の真中についたスイッチを押し込む。
着脱式の桃色水晶が波打って輝くが、当然何も起こらない。
これが西ノ宮ちはるのストレス解消法なのだ。同じ衣装を身に纏い、自分はグリッタちゃんだと思い込み、浮世の憂さから逃避する。
今の彼女にはこの草原が、物語の舞台である神奈川県明神町の往来にでも見えているのだろう。
当人がそれなら別に良いのだろうが、何と後向きな発散か。そもそも何の解決にもなっていない。
「いたぞー! そこかーっ! しゅば、ばーっ!」
自身の背後で草が揺らめき、着擦れのような音がする。
ちはるは即座に振り向いて、一寸のムダもない挙動を描き、バトンの先を揺れる草むらに突き付け、スイッチオン。
「なぁんだ。誰もいないでやんの」
居たら居たで問題なのだが、ちはるの興味は一瞬で削がれ、手にしたバトンを慣れた手付きで腰のホルスターに吊り提げた。
「ん……」
丁度、その時だったであろうか。
バトンを提げたそこを起点に、文字通り絹を裂く嫌な音が聴こえたのはーー。
「んん、ンンンンンンンンン」
そんな馬鹿なと大仰に腰を捻れば、背に継ぎ接ぎした当て布が解れ、そこを直さんと脇を開けばそちらも破け。
まるで、組んだ積み木を崩すかのよう。危ういバランスで成り立っていたコスチュームが、それを守らんと動くちはる自身の手によって、服と言う形から解き放たれてゆく。
「うう、ううううう」
これ以上破れては敵わないと、衣装を脱ぎ捨てベージュのブラと灰色のショーツだけになったちはるは、涙目でぼろぼろの布切れを抱き寄せる。
たかがコスチュームひとつで、と思うかも知れないが、キラキラ少女グリッタちゃんはちはるが『幼い頃』やっていた子ども向けアニメのキャラクターだ。しかも人気が出ず中途の打ち切りときている。
買い替えなど、望めるはずもない。
――泣かないで、ちぃちゃん。
――お顔が暗いと、こころのキラキラが消えちゃうよ?
「ああ、そっか……そうだ……」
胸中に宿るグリッタちゃんからの啓示を受けたちはるは、手近な切り株の上に置いた鞄を手繰り寄せ、その中身を漁りに掛かる。
破れたのなら繕えばいい。携帯用ソーイングセットなら常備していたはず。自分自身にそう言い聞かせ、あぁでもない・これでもないとしまわれたものをぶち撒ける。
「げ……」
功を焦り、何もかもぶち撒けたのがまずかった。デザイン用にと乱雑に突っ込んでいたペンケースが開け放され、多種多様のペンたちが青々とした草に舞う。
「やばやば、ペン……やばば……」
自らが無防備な下着姿であることすら忘れ、第一目標すらも見失い、散らばるペンを惨めに拾い集める。
鉛筆、ボールペン、太字サインペン、カラーペン、ペン型修正器。良し、全部ある。
「あ、れ?」
集めてケースにしまううち、その膨らみに違和があるのに気付く。不審に思って再び拡げて視て見れば、憶えのない青銅の葉巻型がそこにあった。
「う〜……ん」
銅と言っても錆びた感触はなく、造りたてみたいにすべすべで。握ってみるとずしりと重い。
こんなもの、いつ買ったっけ?
「は……。くちゃん!」
などと、余談に頭を悩ます暇はない。そう言えば制服も衣装も脱ぎ捨てたままだった。
ちはるは七面倒なことを脳の片隅に放り込み、脱ぎ散らかした制服に手を伸ばす。
「帰ろ……」
何もかも馬鹿らしくなってきた。続きはもう家でやろう。制服に袖を通し、ぼろぼろの布切れを乱雑に押し込んで、うつむき加減でその場を後にする。
『――一足違い』
丁度、彼女が去った後だっただろうか。
踏み固められた草原が不意に黒ずみ、不自然な形に隆起した。そこにあるのは一対の目だ。光を吸収する黒曜を抱いた瞳が、何かを求めて周囲を見回している。
『――”アレ”は既にここにはない。持ち去られた、か』
それはやがてヒトのようなシルエットへと変わり、黒もやの外側を朱の流体が包み込む。朱は頭頂にフードの付いたローブとなり、両の手でフードを下ろす。
ゲームかアニメの魔術師めいた『それ』は中性的な声色でそう呟き、背後に立つ”モノ”に目を向ける。
『――まァ、それはそれで面白い』
周囲の草土が盛り上がり、ヒトのカタチを成してゆく。
身体を構成する黒ずみが剥がれ落ち、現れたるはヒトならざる異形。
草色の体表に土で出来た身体。両の瞳はルビーめいた輝きを放ち、突き出した口にぴんと伸びた耳。その姿はお伽噺の狼のよう。
『――おいで。存分に引っ掻き回すといい』
朱フードのことを知ってか知らずか、狼の魔物は街を方へ顔を向ける。
大きく裂けた口は良質な”餌”の匂いに妖しく歪み、茂みの中をひとっ跳び。
そこには一体何がある? ちはるたちが通う、ナナカマド商業高校――。