わたしのズヴィズダちゃんは無敵なんだからっ
「どてっぱらに叩き込む……ですってェ……?」
切られた啖呵を反芻し、三女トウロが陰気に嗤う。お前たちがそれを恨み辛みと言うのなら、此方は姉二人に先んじて顕現した責任がある。自分を選び喚び出してくれた女王への恩がある。
「やれるものならやってみろ! お前ごとき小娘が、我がチカラに敵うものか!」
立つやいなや半身を沈め、折って鈍器となった右腕を逆袈裟に振る。お行儀の良い直線攻撃だ。綾乃は上体を反って寸での回避。
「馬ぅあああ鹿! 真っ二つになりな!」
無論、それはトウロの想定の範囲内。畳んだ刃を展開し、避けた綾乃の背をキャッチ。それはまるで罪人を裁く断頭台だ。V字に展開した刃と刃に挟まれて、胸から下を斬り離されるこの恐怖。
「バカ。そう……馬鹿、ね」
しかし、囚われた綾乃に焦りはない。幼馴染がくれたこのチカラ。こんな不意打ちで失せるものじゃない筈だ。断罪の鋏は無慈悲に閉じ、綾乃の身体が二つに裂ける。観ていた誰もがそう思った。現実はそうはならなかった。閉じた筈の鋏が弾け、綾乃を拘束から解き放つ。
「な……な?!」
「みたか! わたし謹製ふわふわクッション!! そんなカマ、アヤちゃんには通用しないもんねーっ」
強靭な弾性は時に鋭利な刃にも勝る。胸に収まった燈のクッションは飾りじゃない。折り畳み、絞め付ける形が仇となり、裂く前に弾き返されたのだ。
「そーゆーこと、みたいよ?」となれば後は攻めるのみ。綾乃は不敵に微笑んで、左足を軸とした回し蹴りを見舞う。
「ぐえ、ッ!!」閉じた腕越しながら、その一撃はトウロの左こめかみを引っ叩き、たたらを踏ませるほどに強烈。接地した右足を軸に続けざまの左後蹴り。両腕のガードをすり抜けカマキリ女の胸を打ち、彼女を食器棚に放り込んだ。
「何よ……何なのよこれ……」
窮地を脱し、改めて下から自分の姿を見やる。膝下丈のミニスカートに下着を覆うレギンス、大きく開いた胸元にハートのクッション。左右に目をやれば肩口にはひらひらとした二段フリル。
"変身"を覚悟した時、想像していたのはちはるのあの格好だった。だがしかしこれは。今自分が纏うこの服は。まさかあの子に依るオーダーメイド?!
「寒ッ! お腹周りめっちゃ冷える! このばかちは、ナンなのこの衣装!!」
「すごいでしょ? サイッコーでしょ!? 最近やってたアニメにね、アヤちゃんにめっちゃ似合いそうなのあったから。そこからアイデア貰ったんだあ」
綾乃の纏う衣装の意匠はグリッタちゃんではなく、日曜朝の女児アニメのもの。新旧の違いはあるが、恥ずかしさの度合いに大差ない。
「最近の!? グリッタちゃんですらないの?! なんであたしの時だけ!?」
「え~なに~? やっぱりお揃いの方がよかったァ?? んもうアヤちゃんってば寂しんぼなんだからあ」
「違う! ちがうちがうちーがーう!!」
駄目だ。何一つ通じていない。冷えるお腹を両手で押さえ、顔を赤らめ声を荒げる。
「調子に乗ンなよメスガキ共ぉ……!」
などと遊んでいる暇にトウロは態勢を立て直していて。口元についた黄色の血を拭い、折り畳んだ腕をタイル張りの床に叩き付ける。
「何ぼさっとしてんだクソザコ使い魔! 姉さま達のために! しっかりきっちり仕事しろぉ!!」
『あぁ、あう……』
トウロの求めに応じ、向かいで仰け反る菜々緒クラゲが目を覚ます。頭部に置換された触手が六本垂れ下がり、その総てが綾乃に向かう。
「おぉーーーーっ、と!」
だが、彼女はひとりで戦っている訳じゃない。ちはるが間に割り込んで、バトンの先から魔力を放つ。
『ナニ……? なん・なの』
「ナンだって構うもんか。アヤちゃんには指一本触れさせないんだからッ」
放たれた桃色の魔力が接触と同時に六又に伝播。触手の動きを封じ込め、本体の暗幕ががくんと揺れる。
相手はふたり。こちらもふたり。ならば怖がることはない。喜びも苦しみも分け合って、すっきりさっぱり片付けるのみ!
「ちはる」背中合わせの親友に、委細を聞かず声だけを乗せて。「そっちは任せた」
「おーけー、任されましたっ」
後ろは任せたなんて、キザな台詞は内に秘め。今はそれぞれ逆を向く。
自分が描いた理想の姿と、自分の大好きな幼馴染。その二つが合わさって、下手を打つなどあり得ない。西ノ宮ちはるは声と共に上体を沈め、菜々緒を覆う大暗幕へと飛び掛かる。
『やめて! 何もかも全部私が悪いの! あなた達には関係ないの!』
「ちがう! おねーさんは何もわるくない!」
追い詰められて支配が緩んだか、始めて言葉と言葉が噛み合った。目の前二本の触手を踏み付けて、魔法のバトンを横凪ぎに構え、ちはるの叫びが尚も響く。
「いいんだよ! 誰がナニをスキになったって! そんなのヒトの勝手じゃん! 正直なままでいていいんだよ!」
振った右腕に二本。払わんと振った左に二本。残る触手がちはるの腕から自由を奪う。続く展開は至極シンプル。眼前の暗幕が『上下』に開き、迂闊な魔法少女を呑み込まんとする。
だが、もうちはるの目に怯えはない。迷いもない。むしろ好都合だ。向こうから局所を晒し、当たりに来てくれるのだから。
「集え、あまねく星のチカラ……!」
両の脚で踏ん張って、バトンを握る右手を真っ直ぐに伸ばす。『これ』をヒトに当てたことはない。当ててどうなるかもわからない。
(なら、諦める?)否。断じて否。結果を恐れて何もしないなんてあり得ない。
自分ならやれる。自分なら出来る。大切なのはその一点。自分を信じて、解き放つ!
「くらえ! シュテルン・グリッタ・スターバーストおおおお!」
与えるエサは自分ではなく魔力の方。円状に集束し渦を巻く桃色がゼロ距離で炸裂し、ネガティブな暗幕を根こそぎ吹き飛ばす。
そこには一体何がある? 丸くくり抜かれた扉と舞い散る木片、そして棒立ちの桐乃菜々緒。目は虚ろなままだが外傷なし。思った通り――、否これは己を信じたが故か。魔法少女西ノ宮ちはるの完全勝利である。
「な……にい?!」
今の今まで数の暴力で追い詰めていたのに。二人に分かれたその瞬間、使役していた使い魔が消え失せた。
こんなことがあるものか。あっていいはずがない。動揺するトウロの顔に、体重の乗った左回し蹴りがクリーンヒット。
「よそ見してる、場合!?」
不意を突いたその一撃はトウロの頭を激しく揺らす。倒れるまいと両の足に力を込め、寸でのところで踏ん張ったが、この局面では悪手に他ならない。
「もぉ……一ぁああ発!」
踏み止まったその場所目掛け、狙い澄ました右膝蹴り。腕を防御に回す暇がない。無防備な顎を綾乃の膝が直撃し、トウロの身体が浮き上がる。
「うぉ、りゃああ!!」
着地と共に上体を沈めて一気に跳び、両足揃えた空中ドロップキック。トウロの腹に深く深く突き刺さり、あばら数本が音を鳴らして砕け散った。
「こんな……こんな、ことが!!」
今の今までひ弱なだった人間に、自分は何故圧し負けている? 炉辺の石と捨て置けた女に、どうして自分は手傷を負わされている? とんでもない失態だ。ペンの女を先に殺しておけば、こんなことにはならなかったというのに!
「負ける……ものか……!!」
口元の吐血を袖で拭い、ぎらついた目を綾乃に向ける。逃げてたまるか。無様に背中を晒せば、先んじて存在格を与えてくれた姉たちに申し訳が立たぬ。
「殺してやる、お前ら全部……全部全部全部!」
折れた肋骨を右腕で支え、力強く吠えて見せる。しかし所詮は手負いの獣。強がった所で、この負傷が消えてなくなるわけではない。
――もう十分だ。帰ってこい我がしもべ。
「え……?!」
声がするまで、懐の端末が起動していたことに気付かなかった。電話口の声は主たる女王。この状況が見えているのか?
「女王様! しかし……」
――順序が逆だ馬鹿野郎。こんなところで貴様を失う訳にはゆかないんだ。
「ですが……、ですが!」
女王の言葉は正論だ。使い魔だけではちはるたちには勝てない。グレイブヤードに残る二人を絵の中に置き去りにしてはおけない。
――今のお前じゃ奴には勝てない。逆らいたければチカラを付けて黙らせるんだな。
「ぐぬぬ、うう……」
綾乃が攻めてこないのは、睨むその目に相応の殺気が籠っているからだ。これがハッタリと気付かれれば、即座に首を刎ねられ殺されるだろう。
「わかり……ました」
下唇を噛み、悔しさを目に滲ませながら。トウロは殺気を解かず後ろに跳び、窓ガラスを背中でぶち破る。逃げた、と向こうが認識しようが間に合わない。主が逃げろと命令するなら、全力でそれに応えるまで。グレイブヤードの三賢人。その末妹トウロ。彼女の初陣は散々たる敗北で決した。
「覚えていろ人間ども! この借りは必ず返す! 近いうち、必ずな!!」
退却の捨て台詞に、憤怒と悔しさを滲ませながら。
「お姉! しっかりして、お姉!」
クラゲとカマキリが失せ、場が収まって最初に動いたのは三葉だ。ちはるの魔力を食らい、虚ろな目で棒立つ姉に駆け寄り、その貧相な身体を抱き止める。
「み、な、は……?」
「そうだよ、お姉のみなはだよ! わかる? この指何本? お腹空いてない? なんかほしいものある!?」
悔恨を滲ませ、他に暴力を振るう魔物はもういない。他者と馴染めず内向的な、あの菜々緒が戻って来た。
「いや、それは別にいいんだけど……」妹に抱かれ、視界が開けた菜々緒の目に映るのは、「エラいことになってんね。どうしたの? この散らかりよう」
「え……?!」
言われて即座に左右を見回す。姉の無事で爆発した感情が冷え、代わりに焦燥が三葉の身中を満たしてゆく。
入り口には大穴。向かいの窓は無残に割れ、四人がけのテーブルは真中からへし折れ、食器棚は中身ごと砕け、買ったばかりのカーペットを白い点々で染めている。未だローンの残る大屋敷だ。父や母がこれを見れば卒倒しかねない。
「ちょ……。ちょちょちょ!? どうすんのよちはる! ヤバいよ、これ絶対やばいって!」
桐乃姉妹の動揺は即座に外野たる綾乃にも伝播し、勝利の高揚を罪悪感と恐怖で塗りつぶす。如何に理由を並び立てようが、この破壊を行ったのは自分たちだ。弁償を迫られれば親のカミナリどころじゃ済まされない。
「ふっふーん。何をビビっちゃってるのかなアヤちゃんさんは」
だのに、チカラの根源たる幼馴染は鼻を鳴らし、余裕の表情を崩さない。あまりの出来事に気が触れた? 否、もしそうだとしたら許容出来ずに失神しているだろう。
「遂に来たよこの時が! わたしたち、魔法少女のやるべきことが!」
困惑する綾乃の手を取って、きらきらした瞳で訴えかけるその顔は、ごっこ遊びに興じていたあの頃そっくりだ。つまり――。
「協力してアヤちゃん! ふたりでやるよ! 声を重ねてグリッタ☆メテオシャワー!」
「はあ……?!」
若干収まりが悪いので、今回も二話連続更新にしようと思ったのですが、連載ストックが心許ないので、今回は一話のみの掲載とさせていただきます。
一応、この章は次週で完結のよてい。