立てや
これまで色々書いてきて、恐らく最短のサブタイトル。
ようやっと、ふたりめの魔法少女登場です。
「ど、どど……どうしよう……!」
敵はふたり。片側は菜々緒に取り憑いた暗幕、片や人語を介し前腕を鎌に置換したチャイナドレスの魔物。しかも傍らに三葉がいる。姉の身を案じ、今すぐにでも飛び出しかねない。
一対複数、護るべき者の存在、未知の敵。情報を並列で処理できず、西ノ宮ちはるは焦燥に目を白黒とさせるばかり。
「よそ見してる、場合?」
こちらが如何な状態にあろうとも、向こうは考える隙など与えてくれない。カマキリ女は立ち尽くしたちはるの懐に潜り込み、折り畳んで鈍器状になった右腕を逆袈裟に打ち込んだ。
「お、おお……う!?」
鈍い痛みが胸を突き、ちはるの身体がへの字に折れた。痛みに呻き、首をもたげたその場所に、盛り上がる膝がクリーンヒット。
「ぎえ、え……!」
顎を打たれ、大きく仰け反るちはるの脳裏に、昔遊んだシーソー遊具の記憶が蘇る。一人遊びで調子に乗って、勢いが弱まるまで逃げられなかったあの恐怖。
飛び散る鼻血が衣装を汚し、やっと事態が呑み込めてきた。自分は今理不尽な暴力の中に在り、無抵抗に痛めつけられている。
「ふざけんな!」たたらを踏んでバトンを振るも、敵の姿は軌跡に無い。向こうは既に視界の外。右こめかみを引っ叩かれ、ちはるの身体はもんどりを打ち、居間の四人掛けソファに吹き飛んだ。
「馬っ鹿みたい。使い魔共はみんな、こんなトロいのに手こずってたっていうの? 馬ああああ鹿っじゃ中目黒ぉ?」
『ごめんね……ごめんねみなは……私のせいで……』
「ほぉら使い魔。あんたの出番よ。たっぷりと虐めておやり」
しかも、相対する敵は奴だけではない。トウロがさっと手を薙げば、暗幕に包まれた菜々緒も動き出す。
鞭のようにしなる触手がちはるの脚を絡め取り、受け身も取れずに転ばされ、取り零したバトンが床に転がった。
ペンによってまほうの力を手に入れたとはいえ、中身は普通の十六歳。バトンを振って技を出せねば、蹂躙される他の人間と何も変わらない。解決すべきタスクの多さに考えがまとまらないのもあるが、ここを的確に突いてくる相手は初めてだ。
「待ってよ……。ちょっと待って」
流れ出る血に手足の痛み。ごっこ遊びで調子付いていたちはるの脳裏にある考えが浮かぶ。
もしかしたら、自分は今ここで死んでしまうのではないか?
六歳の頃、自分を置いて星になった母のように。
「ちはるっ!!」
アタマの中をイヤな考えが埋め尽くしかけたその最中。ドアを蹴破り聞き知った声が居間に響く。
「アヤ……ちゃん」
踏み込んだ彼女の目に映るのは見覚えのないチャイナドレスの美女。暗幕に包まれた桐乃菜々緒。怯えて動けない妹三葉。何もかもが予想の範疇を超えており、綾乃の顔に幾つもの疑問符が浮かぶ。
「あんた……それ……」
だが、確かなことが一つだけある。魔法少女に変身した幼馴染が、数に圧されて血を流しているこの光景。それさえ分かれば十分だ。綾乃の目に闘志が宿り、歯の根を噛んで駆け出した。
「あたしの友達に!! 何てことしやがるッ!!!!」
怒りで恐怖を噛み殺し、助走をつけてのドロップキック。狙いは妖しい笑みを浮かべるチャイナドレス。暗幕クラゲとの序列差は火を観るよりも明らかだ。
「あら。何かしらこの脚は」
怒気を込め、体重を乗せた一撃さえも、トウロの折り畳まれた『前足』に阻まれて届かない。弾かれて転げ落ち、バック転を取ったその場所に、展開された鎌の切っ先が突き刺さる。
「知らない顔ね。けど、手を出した以上逃げられないわよ」
「ぐう……っ!」
闖入者からは魔力の気配はない。尤も、標的たるちはるを素手で蹂躙出来る以上、あるなしは誤差の範囲内。何もかも切り刻んで終わりだ。
「丁度良い。手向かったあなたから刻んであげるわ」
くの字に折った鎌が綾乃の腰を捉えて持ち上げる。抵抗しようにも、下手に動けば服が裂け、薄皮から臓物がこぼれ落ちるであろう。生身の綾乃に、反撃する術はない。
「死ぬの……? ミナちゃんも、アヤちゃんも、みんな……。みんな……」
上書きで消して消して、徹底的に追いやった『いやなもの』がちはるのココロを覆い尽くす。もう駄目だ。全部無駄。ネガティブがポジティブを上回り、瞳に宿す輝きが消え失せる。
――ホントに? 本当にもう、おしまい?
恐怖に怯え、目を閉じればその瞼に。聞きたくないと耳を塞げば頭の中に。知っているけど知らない子の声が響く。
打てる手は全部打った? 指を咥えて待つしかない? 諦めて思考を止める前に、見えるもの総てに目を向けろ。
――あなたには、渡したいものがあったんじゃないの? 恥ずかしさでしまっちゃったものが。
カマキリ女に囚われた綾乃。暗幕に取り込まれた菜々緒。尻もちをついて動けない三葉。みっともなく倒れ伏す自分――。それだけか?否。取りこぼし、穂先がこちらを向いたグリッタバトン。カマキリとクラゲに荒らされて、いつの間にだか入り口近くへ移動した鞄!
(そっか。まだ手はある!)この衣装がまほうのペンで産まれたものならば。描いたものがカタチとなるならば。きっと思い通りになってくれるはず。
西ノ宮ちはるは届かないバトンに手を伸ばし、腹の奥まで息を吸い込んで。
「シュテルン・グリッタ・エトワーーーール!!」
ちはるの魔力の源は身に纏う装束であり、手にしたバトンは『きっかけ』に過ぎない。手元にさえあれば、意志のチカラで触れずとも行使出来る。穂先から放たれた魔力はちはるの身体に吸い込まれ、桃色の輝きを発し始めた。
「み、な、ぎ、るぅううう!!」
自らを捕らえる触手を掴み返して立ち上がり、暗幕クラゲを自分の方へと引き寄せる。ちはるはそのまま右足を軸に振り被り、今まさに綾乃を真っ二つにせんとするトウロに投げ付けた。
「な……にっ!?」
綾乃の見せしめに気を取られ、左腕を防御に回しても、その勢いを殺すまでには至らない。極めて繊細に掴んでいたことが災いし、獲物を取り零したトウロは、魔物共々キッチン送り。
「ミナちゃん!!」
絶体絶命から仕切り直したちはるが最初に呼んだのは、意外にも綾乃ではなく三葉の方。『何故私が?』という顔の彼女に声を張って名前を呼んで。
「足元のわたしの鞄! こっちに投げて!」
「か、かばん?」
魔物たちの襲来で位置関係が目まぐるしく変わり、ちはるの手元にあった鞄は、入り口近くの三葉の元へと移動していた。
彼女が疑問符を浮かべて聞き返すのも無理はない。今この場でそんなものを渡して、一体何になるというのか。
「やってくれるじゃないさ……」
よろけさせはしたものの、あくまで奇襲の範疇だ。トウロは素早く身を起こし、ちはるに殺意を向けている。だのに三葉ではなく自分? 全く意味がわからない。
「目標変更! 磨り潰す!!」
「う、わ、わ!!」
不安定な態勢から弾丸めいた勢いで跳び、開いた刃を水平に振るう。先んじてブリッジで回避できたのは、ちはるに魔力の加護があったからだ。だがそれもその場しのぎ。あとどのくらい持つかは神のみぞ知る。
「ワケわからん。わからへんけど……」戸惑ったままではちはるが死ぬ。彼女が死ねば、誰も姉を助けてはくれない。
「これで、えぇんやな?! もってけちーちゃん!」アンダースローで鞄を投げ、放物線を描いてちはるの元へ。トウロの攻撃をすり抜けつつ、中にしまわれたスケッチブックを開く。
「さんきゅー! ありがとミナちゃん!!」
スケッチブックを一気にめくり、目当てのページに『ペン』を走らせる。形は既に出来ているから、後は色を塗るだけで良い。
「急に調子づきやがって! ちょございなッ!」
魔力の加護があるとはいえ、目線は常にスケッチブック、音だけを頼りに攻撃を躱し続けるとは恐ろしい。夢中になれば前が見えなくなるとはよく言うが、これほど極端な例もそうそう無いだろう。
「よっし完璧! アヤちゃん!」
トウロからの攻撃を側転回避しつつ、スケッチブックから二ページを破り、綾乃の元へ手裏剣めいての投擲。彼女の手に渡る頃には虹色の輝きを発し、描かれた『もの』がカタチを得て浮き出てくる。
「なに……これ……?!」
起死回生とちはるから託されたのは、彼女が使うあの変身パクト。パールに黄の星があしらわれたちはるのものとは異なり、闇色に金の星が描き込まれた別タイプ。
「ナニって、いちいち説明しなくてもわかるっしょ?! レッツキラキラチェンジ!」
「は……ァ!?」
渡された二枚の紙はいずれも白紙。絵が現実になったとしたらもう一枚はどこへ消えた?
いや、問題はそこじゃない。これを渡された時点で覚悟はしていたが、変身。変身しろというのか? あの稚気じみたコスプレ魔法少女に!?
「つぅかぁまぇ、たぁ!!」
「あ、う!」
冗談じゃないと言い掛けた刹那、ちはるを加護する魔力が消え、トウロの前脚に囚われる。その目その言動に遊びはない。掴まえたなら続く選択肢は処刑一択!
「あぁ……もう! あぁもうあぁもうあぁもう!!」
これも含めて『フリ』だとしたら、上手くやったなと毒づいてやりたいが、最早残された手立てはこれひとつ。満ち満ちたアドレナリンが綾乃の脳から羞恥心を吹き飛ばし、コンパクト片手に駆け出した。
使い方なら解っている。幼児玩具を元にしたアイテムに、複雑な機構など付いているはずが無い。東雲綾乃は自らをコンパクトの上鏡に映し、下のパネルを指でなぞる。
「えぇい、ままよ!!!!」
瞬間、藤色の光が綾乃を包み込み、纏う衣服が変化する。藤色を基調とし、胸元に弾力あるスライムめいたハートマーク。肩口を二段フリルで覆ったノースリーブ。腹部が大きく開いており、膝下丈のミニスカートの下には燈ラインの五分丈レギンス。
「と、ぉ、りゃああああ!!!!!!」
充分についた助走から繰り出される飛び蹴りがトウロの後頭部を引っ叩く。衣装に合わせた鈍色に紫ポイントのランニングシューズ。クッション性に優れ、接触からの回転着地を経てもなお、綾乃の脚に乱れはない。
「全然……痛くない?」
魔物に蹴りを見舞ったのに、弾けるような勢いなのに。感触はまるで発泡スチロールを蹴った時のよう。これがちはるのチカラ? あの子の魔法が衣装となって、自分にそれが身についたということなのか?
「きたきたきたきた! 遂にキターっ!! わたしの思った通り! キラキラ少女ズヴィズタちゃん!」
拘束を逃れ、床を数回転がりながら、親友の雄姿をその目に焼き付ける。ズヴィズダとはロシア語で星の意。グリッタちゃんの妹にしてキラキラ星第二皇女である。
「や、ちょっと待ってよ。ズヴィズタってもっと違うカッコしてなかった?! こんなに露出度高くなかったよね?!」
「ううん、あってる!」だのにちはるの目に曇りはなく。「わたしの理想のズヴィズタちゃんだもん! 間違ってなんているもんか!」
「く……! ナニよ何よナンなの?!」
マリーゴールドの目を濁らせながら起き上がるトウロを見下ろし、綾乃の中にこれまでの出来事が去来する。何も知らず、奴ら魔物の餌食となった人々の顔、総てちはるに頼らざるを得なかったあの無念。
得たチカラが闘志となって、握る右拳が自然と固くなる。東雲綾乃は震える声で人差し指を突き立てた。
「立てやカマキリ女。あんたらに襲われたひとたちの恨み辛み全部全部、そのどてっぱらに叩き込んでやる!」