だってちはるは、あたしの……!
登場人物たちは皆フィクションですが、地理はそこそこリアルのものを使用しています。
昔住んでいた場所への郷愁の念をこめて。
「はーい、じゃあ今日はここまでッ」
茜色の太陽が空の彼方に沈む暮れ。四月も半ばとはいえ、夕刻にTシャツとハーフパンツでは流石に寒い。
幾つものお疲れさまを背に受けながら、東雲綾乃は浮かない顔で更衣室へと向かう。
「東雲さん、今日は記録伸びなかったよね」
「アヤってば、また調子悪いの?」
「最近なんか定まってないよね。大会も近いのに、そんなんで大丈夫?」
噂する部員たちをすり抜けて、沢山の言葉に聞こえないふりをする。
そんなことは言われなくても解ってる。定まってないのも解ってる。
ちはるには力を貸してやりたい。自分を友達と呼ぶあの子を放ってはおけない。
だが、それは自らカーストの最底辺に行くのと同義。一度足を踏み入れれば、今のような学校生活は二度と望めないだろう。
(解ってるわよ、それくらい)
今の生活に満足している。陸上部のエースとして他の子たちに頼られる生活を逃したくはない。
ならあの脅威を放っておけと? ここまで関わってしまった以上、視て見ぬふりなど絶対に無理。
「どうすりゃいいのよ……」
「うん? どうした?」
「悩みぃ? 相談に乗るよー?」
協力者の預かり知らぬところで、彼女は大いに揺れていた。
※ ※ ※
「いや~見せちゃったなあ。魔法少女はこういうのヒミツにしとかなきゃ行けないんだけどなあ~~」
向こうは根本的に嘘がつけないタイプの人間らしい。花菱瑠梨は苦い顔に笑みを浮かべ、調子に乗るちはるを受け流す。
新しいチカラに高揚する気持ちは分かる。けれど、それを制服の下に着込んで学校に来るか? 嬉々として人に見せびらかすか? わかっていたことではあるけれど、やはりこいつは何かがおかしい。
「あ、あのさあ」どんな風に言ってやるべきか。少なくとも無視して進むわけにはゆかない。「ええと……。着てるの? それ? 学校、なのに?」
「だって、いちいち脱ぎ着すると時間かかるし」
長く一人遊びをしていたちはるにとって、着脱ほどストレスのかかるものはない。かつての衣装は女児用を無理矢理改造した継ぎ接ぎだ。十六にもなると着るのも脱ぐのも一苦労。ならば着込んでおけば良い、と思うのは当然の帰結。
無論、理解のないりりに取って、その姿は異質極まりないのだが。
「それはわかる。わかるよ。わかるけど」
憐れんで気を遣ってる訳じゃない。言葉が出ないのだ。十六年生きてきて、こうも非常識な人間と出会すことになろうとは。
「けど、その……さ? 衣装! そう、衣装!」
「うん?」
苦し紛れのワンセンテンスに、ちはるの目が僅かに揺れる。この隙を逃すな、畳み掛けろ!
「ずぅっと同じの着てるとさ、生地が傷んで駄目になると思うんだよ。それ、キミにとって大事なものなんでしょ。着たきり雀は良くないと……おもう」
「着たきり……」ちはるは聞き慣れない言葉に眉根を寄せて。「ああ、着っぱなしは良くないと」
「そう! それだよそれ!」
ああ、なんて低俗な会話をしているのだろう。花菱瑠梨は己を俯瞰して他人事のように心中毒づく。
これで纏まれば簡単な話だったのだが、瑠梨は続く展開を完全に失念していた。着たきりを止めろというならその次は。
「じゃあさ。どうしたらいいと思う?」
「ぇっ!?」
脱いだ服をそのままにはしておけない。鞄にしまうにはかさばるし、皺が寄ることを許すとは思えない。
何故自分に訊く。どうして答えられると思うのか。
「いやあ、それは……えっと」
答える義務など無いのだが、問われて無視するのも気が引ける。上下左右に答えを捜し、もごもごと口を動かして。
「箪笥に……入れるとか?」
「たんす」
幾ら言葉が見つからないからと言って、こんな単純でいい訳あるか。自分まで知能指数が落ちてきているのではないか。呆けた顔でこちらを見るターゲットに、りりはそう心中ひとり語ちる。
「成る程タンス!! その手があったか!!」
そう、思っていたのだが。馬鹿さ加減じゃ容易に向こうを超えられないらしい。
西ノ宮ちはるはニイと笑って両手を叩き、勢いよく席を立つ。
「ね、りりちゃん手伝って! 箪笥……っていうかドレッサー! 多分なんとかなると思うの!」
「えっ、ボクが?!」
「言い出しっぺでしょ? それにわたしたち、友達だし」
「うぐ、ぐ」
そう言われると反論のしようがない。そもそも、自分の任務はこの女を図書室に釘付けにすること。願ったり叶ったりではないか。
「わ、わかったよ。で、何をすればいい」
「りりちゃん本に詳しいでしょ? 家具の本みたいなコーナーを教えて。出来れば収納とか、そういうのが載ってるやつ!」
あっという間に距離を詰め、ヒトのことも名前呼びで。なんだかコイツは調子が狂う。花菱瑠梨は嘆息と共に席を立ち、二人して本棚の中へ入っていった。
※ ※ ※
「よーっすお疲れさーん」
「珍しいね、あやがここ来るなんて」
供されたいちごフラッペにスプーンを差し、底を目指してただ無心に掘り進む。
学校のある武蔵五日市を四駅離れ、東京駅とも繋がるほんの少し都会の秋川駅。
時刻は間もなく午後七時。東雲綾乃は部活上がりに『お詫びだから』と友人に誘われ、駅前コンビニのイートインスペースに赴いていた。
「今朝はゴメンネ。あたしたちも言い過ぎた」
「あやはさ、やっぱこっち側に居るべきだって」
自分たちは悪くないと取り繕うように、にこやかな笑みを浮かべ同調圧力をかけてくる二人。これを詫びと言い張るつもりなのだろうか?
(まァ、そう思うのもムリないけど)自分だってちはると、彼女が抱えた問題を知らなければ、絶対にそちらには寄らなかっただろう。
「ほらほら、こっちのもお食べ―」
「美味いよぉ、さぁさ、手打ちの儀式にひとつ」
「あんたらさ、いちいち妙な言い回し使うわよね」
腹が立たないと言ったら嘘になる。けれど自分には言い返すだけの理屈がない。歯がゆい気持ちを内に秘め、目の前のフラッペに口を付ける。
「でもさ、西ノ宮もめちゃくちゃだよねぇ」
「コスプレっていうの? そーゆーヒトがいるのは知ってるけどさあ。フツー学校に着てくるゥ?」
これ仲直りの証と取ったのか、話題は自然とちはるのことに移ってゆく。彼女たちからして見れば、とめどない会話の種でしか無いのだろう。
「ねえー、あやっ」
「あやもさ、そう思うっしょ?」
しかし、当人からすれば溜まったものではない。確かに自分はどっちつかずだ。あのあほが浮き世離れしているのも否定はしない。
「あの、あんた……。あんたらさ、何でもかんでも好き勝手……!」
あの日、皆を救ってくれたのは誰だ。無自覚に人助けをしているのは誰だ。それを解らず馬鹿にして。ださいヤツだと切り捨てて。それで良いと本当に思っているのか?
「確かにあの馬鹿はどうしようもなくダサいよ。遠ざけたくなる気持ちも分かる。けど、そんなに言うこと? 違うでしょ? 絶対違う!」
「な、何なのさあや」
「フラッペ? フラッペ冷たすぎた?」
「カンケーない」ああ、もう戻れないな。辛うじて均衡を保っていた天秤が、右の側へと傾いた。
「あんたらが幾らダサいって笑おうが、非常識って遠ざけようが関係ない。ちはるは、あたしの……!」
向こうが何を思っていようが関係ない。このモヤモヤを叩き付け、自分はあの子の味方だと宣ってやる。
友達だ、という言葉が喉元まで出かかって。あとは吐き出すだけなのに。綾乃の口からそれが発せられることは無かった。三度眼前に現れた異様な光景に、続く言葉が胃の腑に消えた。
「は……あ?」
「なんなの? なんなのあれ!」
綾乃の顔から異常を察し、振り向いた二人の目に映るもの。駅前ロータリー円形道路のその真中。ぶくぶくと肥ったカボチャ頭がバスを降りたサラリーマンを捕まえて、その大きな口で丸呑みにしている。
『――養分! 養分! たくさん食べて! みなさまに還元!!』
カボチャの頭に目と口をくり貫いて、赤黒の外套でその身体を覆い隠したヒト型の異形。
その姿はまるで、童話に出てくるジャック・オー・ランタン……。
※ ※ ※
魔都・グレイブヤードに朝はない。地球とは半日の時差を保ったまま、一時も欠けることのない月明かりがセカイを満たすだけ。
月光が総ての此の居城では、時間の感覚など無いに等しい。せいぜい何をしたか、されたかを把握するだけ。ここで傅く侍女たちはさぞ苦心することだろう。
「収穫は順調のようね」
「認めたくはないけれど、ファンタマズルの言う通り」
二女のオガミと三女のトウロは大広間の真中に立ち、向こう側のセカイより降り来たる輝きを杯の中に注いでゆく。
輝きとは即ち生命力。外界にて魔物が掻き集めた人間共。肉体を粒子に変換し、グレイブヤードに転送しているのだ。
あの魔力の主が邪魔をするのなら、相手にせず収穫に専念すればいい。『ランタン』を与え、野に放ったその瞬間、ファンタマズルはそう言った。
成る程一理ある。現状の戦力で使い魔にヤツを抑える手段はない。
「これだけの量があれば」
「ええ、攻め込めるわ。私かあなた。どちらかが」
グレイブヤードの民にとって、ヒトの命は二通りの使い道がある。使い魔が直接此処に運び、卵として吐き出せば、自分たちの身の回りの世話をする侍女を産み、養分として喰らえば存在格を増し、向こうのセカイに進出できるようになる。
二度あることは三度ある。いつあの魔力の主が干渉して来るかわからない。
「あとすこし」
「後少しで……」
敬愛する長女のため。尊敬する主のため。そして自分たちの存在を脅かす奴を殺すため。
どうか早く、もっと早く。オガミとトウロは唇を噛んで頭上のステンドグラスを仰ぎ見る。