君にスマイル☆
長らく、本作をご覧いただいてまことにありがとうございました。
幼い頃からのゆめを諦め切れなかったおんなのこの終着駅、どうぞさいごまでおたのしみください。
※ ※ ※
「それでは、本日はここまで。お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
縦に四、横に五の椅子を並べた古めかしい木目タイルの教室。学生として通っていた頃はいっぱいに入っていて狭苦しく感じたものだが、十年を経て再びたったひとりの『生徒』として戻ってくると、こんなに広かったのかと驚くばかり。
かの渋谷の一件で西ノ宮ちはるは保護者を失い、経済的理由からナナカマド女子高等学校を退学せざるを得なかった。故に彼女は二十六になってなお中卒扱いであり、就ける職にはかなりの制限があった。
『学つけるところから始めなさいよ。バックに商工会議所居るんだし、聞いてみればいいんじゃない』
いつだかか、幼馴染が何気なしに発したあの言葉。まほうに加え、ご当地アイドルという副業さえも捨ててしまった彼女は、このままじゃいけないと一念発起。商工会議所のチカラを借り、高卒資格取得のための勉強を始めた。
学生たちが皆ここを離れる午後五時台、二時間ほど教室を貸し切っての個人授業。今年に入ってから週一ペースで積み重ね、八月の本試験に向けてそろそろ佳境と言ったところか。
「お疲れさま。勉強は捗ってる?」
「はい。すみません、本来の時間の後なのに」
「いいの。いいの。他ならぬグリッタちゃんからの頼みですもの。聞かなきゃ罰が当たるわ」
商工会にその旨を打診したところ二つ返事で了承され、受験費用を全額肩代わりするとまで言ってきた。ご当地アイドルグリッタちゃんは誕生から十一年近く、市の経済を下支えしてくれた救世主だ。これはその恩返しの一環なのだろう。
綾乃や三葉が離れ、ひとりかじりつくように続けていたあの活動が、巡り巡って自分の元に返ってくるとは。人生何が起こるか分からないものである。
「でも、わざわざ武蔵五日市にまで来るなんて。あなた多摩に住んでるんでしょう。セミナーや講師はそっちにだって幾らでもいるのに」
「いいんです。私の個人的な希望なので」
頻繁に無視されていたし、想い出らしい思い出は残っていないけれど。自分はナナカマド女子高等学校の生徒だった。勉強をして高卒資格を得るのなら、ここで学んでゲンを担ぎたい。
「あれから、もう十年なんですよね」
「そうね。設備はそのままだけど、人はみぃんな変わっちゃった」
この先生だって着任二年の新人だ。ちはるが消えたこの十年で教師陣の殆どが入れ代わり、あの頃を知る者はもういない。教室は殆どそのままなのに、自分ひとりが時の流れに取り残されたような気になってしまう。
(昔のままなのは私だけ、か)
自分で選んでここに来たのに。郷愁に浸ることさえ許されない。以前夢の中で出逢ったグリッタちゃんの言葉とあの笑顔を思い返す。
「それじゃあまた、来週」
「ええ。お仕事、頑張ってね」
こんなくらいで落ち込んでちゃ駄目だ。目を閉じて感傷を振り切り、鞄を肩がけにして立ち上がる。見ていてね。私はちゃんと頑張るから。誰にでもなくそう独り言ちて。
※ ※ ※
『――次は立川、立川ー。青梅線・南武線・多摩モノレールをご利用のお客様はお乗り換えです』
武蔵五日市駅から終点の拝島まで乗り、中央線で立川駅下車。さすがは西東京交通の交錯点。時刻はまもなく午後八時というのに、コンコースには人が溢れ、併設されたどの店も賑わっている。
グリッタちゃんとして活動していた時期は、こういったものをひとつひとつ見る余裕も無かった。年甲斐もないことをし続けて、早く帰ろう帰ろうと思ってばかりいたから。少しくらい寄り道をして行こうかな。お洒落なカフェテリアに目を惹かれ、光に群がる羽虫めいて近寄ったその最中、ポケットにしまったスマホが主人に着信を告げた。
『――おいこら、今何時だと思ってんだ! どこで油売っていやがる!?』
「一言目から喧嘩腰ですか……」試験勉強の為に遅くなると言っておいた筈だが。ぎゃあぎゃあと煩い同居人の声を聞き、ちはるはうんざりと嘆息する。
「あんたの仕事の為に距離取ってるんでしょうが。なのにその態度、良くないと思うなあ」
筆の早い瑠梨だが、四・五並行で依頼を処理するとなると話は別だ。修羅場に人がうろついていると気が散って仕事にならないとは彼女の弁。ちはるが母校で講師を立てて勉強を始めた理由も、その半分は彼女の為である。
『――ほほぉ、そんなこと言っていいのか? お前の為にボクがわざわざ用意したこの夜食、流しの三角コーナーに捨てたっていいんだぞ』
「ちょっ、それはやめて! お昼から何も食べてないの、残しといてくださいお願い!」
あちらは居候なのに、すっかり家賃も胃袋も掴まれて。家主の威厳はどこへやら。ちはるは相方に聞こえないようため息をひとつ。
『――ならさっさと帰って来い。あんまり心配させんなよ』
口調こそ荒いものの、締めの一言はとても優しく穏やかで。彼女が自分をどう思っているか、聞かずとも理解できた。
「はいはい。ちゃんと帰りますから。大人しく待ってて」
素直じゃない居候にまたねと告げて、コンコースをモノレール南口に向かい歩く。ある者は北口のデパートへ。ある者は南口の歓楽街へ。夜の東京はこれからが長い。それぞれ思い思いの理由で駅を離れ、街に出る。
「あれぇ、あなたってばもしかしてグリッタちゃん?」
人の行き交うコンコースで覚えのある声を聴き、一拍遅れて振り返る。美しいプラチナブロンドの長い髪をサイドポニーにまとめた可愛らしい少女が、ケーキ屋の隣の壁に背中を預けて立っていた。
「みら」
去年の冬から一年弱。成り行きから引取、寝食を共にした九歳児。いや、もう十歳だろうか。髪型が代わり、ほんの少し背が伸びたけれど、あの愛らしい顔立ちは少しも変わっていない。
「あなた、立川に家があったのね。そりゃあ京王沿線を探しても何もかすらない訳だわ」
駆け寄りたい。あの頃みたいにぎゅっと抱きしめ、元気だよ、大丈夫って言ってあげたい。興奮を内に秘めにじり寄るが、続く彼女の一言がちはるの想いを打ち砕く。
「すごぉい、本物! 本物だあ! ママもパパも、わたしも大・ファンなの! ねぇサイン! サインちょーだい!」
ビー玉のようにきらきらと輝くその瞳は、初対面の人間を見るような顔で自分を視ていた。ちはるはにじり寄るその足を止め、我に返って問い掛ける。
「お嬢ちゃん。あなた、お名前は」
「アイム。我妻アイム。それが、どうしたの?」
みらからティアラを取り上げたあの日。彼女は別れを惜しみ譲渡を躊躇っていた。西ノ宮みらという人格の記憶は、自分たちを引き合わせたティアラの側に紐付けされているから。無くなれば彼女は我妻アイムに戻り、総てを忘れてしまうから。
そして実際そうなった。西ノ宮みらはもういない。ここに居るのは我妻アイム。全能のまほうを失い、普通の女の子に戻った十歳児。いまの彼女にとっての自分は初対面の元・ご当地アイドルに過ぎないのだ。
「グリッタちゃん、どうしたの?」
「う、ううん。なんでもない」
みらは、それを承知で自分にティアラを託してくれたのだ。想い出してだなんて言えるわけがない。ちはるは叫び出したい気持ちをぐっと堪え、大人っぽく薄く微笑んだ。
「それは、そうと」冷静になって見回すと、彼女の周りには居るべき者がいない。「もう夜の八時だよ。アイムちゃん、お父さんやお母さんはどうしたの」
「置いてったの」アイムはぷいと横を向き。「久しぶりにみんなでお食事に出たのに、ふたりでばかり話してて、わたしのこと見てくれなくて」
「だから……逃げ出した?」
「そ」
「あは……はは、はぁ」
相変わらず、というか素でこう言う人間なのか。自分といたときはまだ自制してくれていたのだと思うと、何とも言えない気持ちになる。
「あのねェ」それでもなお。ちはるはダメだと食い下がる。「パパとママも、アイムちゃんのこと心配してるよ。二人のことが好きで、真ん中にいたいって思うなら、早く戻って謝ってらっしゃい」
それは至極尤もな指摘であり、自らの実体験を基にした言葉でもある。彼女にはあんな喪失は経験してほしくない。
「や」なれど、アイムからの返答は"否"だ。
「そんなの。わたしを放っておくパパたちが悪いじゃん。わたしから謝るなんておかしいよ」
(うぅーん、子どものくせに見栄っ張り)
そこが『らしい』というか、だからこそ一時期親と折り合いが付かなかったのだろうか。西ノ宮ちはるはへの字眉で嘆息し、なおもアイムに食い下がる。
「あなたはまだ幼いんだよ。そんな風にへそ曲げて、父さんお母さんに心配させちゃ駄目。わかった? グリッタちゃんと約束できる?」
「やーだ」とっておきの殺し文句を出したのに、それでも彼女は首を横に振る。「だって、グリッタちゃんはもうグリッタちゃんじゃないじゃん。ソツギョーしたんでしょ。もうステージに上がらないんでしょ」
「うむ、む」
相変わらず言葉の綾を突くのが上手いし、この刺々した態度にも少し納得した。彼女はただ父母に反抗してるだけではない。ご当地アイドル魔法少女という道を捨てた自分にも反発しているのだ。
「ほぉら何も言わない! わたしそんな人の言うことなんて聞かないもん」
まほうを失った今、自前の体力だけで通年歌って踊るのは不可能だ。話して聞かせたところで、幼いアイムがそれを理解することはないだろう。
「オーケー解った」ならば、自分がすべきことはただ一つ。「アイムちゃん、あなたはひとつ勘違いをしてる」
「何を?」
「確かに、私はグリッタちゃんを辞めちゃったけど。まほうまで失った訳じゃない」
肩がけにしていた鞄を下ろして、軽く手を振り足を振り。大丈夫、まだやれる。『ワンステージ』くらいわけはない。鞄に付けた小さなカマキリのキーホルダーが光を反射し、僅かに揺れた。
「まったまたァ。引っ込みがつかなくなったからって嘘は良くないよー」
「嘘じゃない」鞄から取り出したるは、派手な装飾のない競技用のトワリングバトン。何かのためと常に忍ばせていたのだが、まさかこんな形で使う事になろうとは。
「今の私にだって使えるよ。あなたに、キラキラの笑顔にしちゃうまほうならね」
夜八時になってなお数十が行き交う駅前自由通路。困惑の目でこちらを見つめるアイム。大丈夫、やれる。やってみせる。ちはるは深呼吸で気持ちを整え、かっと目を見開いた。
「グリッタちゃああああん!!」
かつてあきる野の駅前にひとりで立った時のように。誰に告げるでもなく自らを鼓舞するセルフ・コールアンドレスポンス。無論返って来ることはない。
アイムだけでなく、行き交う多くの人々がちはるのことを奇異の目で視はじめた。昔はそれが耐えられなかった。故に耳を塞いでひとりの世界に浸り続けた。
「はぁあああああい!!」
けれど、今は違う。十年にも渡るご当地アイドルとしての活動という実績と、自分は自分でいて良いんだという肯定感。もう、怖いものなんて何もない。耳障りなノイズは掻き消えた。
「ワン・ツー・スリー・ゴー! みんなでGO! 歌およ踊れよパレードっ、今ここがわたしのステージ。星のチカラでキラッとGO!」
身体が軽い。タイルを叩くローヒールの音が心地よい。まほうによる加護が無くたって、憶えたステップは『芯』に染み付いて離れない。
「わたしは星のお姫さま。バトンを振って願いを唱え、まほうのチカラがぽん、ぽ、ぽん!」
指を差して笑う人たちの顔が見えた。ヒソヒソ話も耳に届く。だけど歌と踊りは揺らがない。もう、そのくらいじゃへこたれない。
「つらいときはほしをみあげーてー、ほら、いち・にの・さんっ、シュテルングリッタえとわーーるー」
音源のないアカペラで、無許可の私有地専有。いつ通報されてもおかしくないし、実際恐れていたのはそれくらい。けれどそんな心配をする必要はないようで。最初こそ不審の目で見ていたギャラリーも、踊る彼女が元ご当地アイドルと知り、応援の声やスマホカメラを向け始めた。
「すごい、ホンモノ。本物だ……!」
この様子を特等席で観ているアイムは、もう既に目どころか心までも奪われていた。グリッタちゃんは消えてなどいない。動画で、時にはナマで。あの時見ていたキラキラを、目の前で踊る彼女はずっと持ち続けていたのだ。
「おいでよ星のパレード、今ここがみんなのステージ。ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー、みんなでGO!」
一フレーズ終え、キメポーズを取る頃には、アイムだけでなく数十近いギャラリーが万感の拍手を送っていた。これまで生きてきた二十六年間は無駄じゃない。十年に渡るアイドル活動――。否、幼いころからずっと持ち続けていた憧れが、グリッタちゃんという虚像を現実に浮かび上がらせたのだ。
「すごい! すごい、すごぉい!! グリッタちゃんはいつだってまほうが使えるんだね!」
「ふふん。そーゆーこと。ここまでやったんだから、グリッタちゃんのお願い、聞いてくれるよね?」
多少息が切れ、肩で息をしているが、それだけだ。これまでの活動で培ってきた体力は、この程度では揺らがない。
「うん! うんうんうん!」アイムは瞳を絢爛と輝かせ、オーバーに首を振りながら。「わたしも、グリッタちゃんみたいになれるかなあ。まほうでみんなを笑顔に出来るように」
「出来るよ」ちはるは真っ直ぐな目と声でそう返し。「そのキラキラを忘れないで。誰が何を言ってこようが、そのゆめはあなただけのもの。磨いて磨いて磨きまくって。そしたらあなたも輝けるから」
――あれはいつの話だったか。昔を顧みて、これは”敗北”の物語だなんて自嘲したこともあったっけ。
――確かに私は負け組さ。何でも出来るまほうのチカラを失って、アヤちゃんやミナちゃんみたいに自活できるほどの余裕もない。
「わたし、頑張る! いつか、グリッタちゃんの後を継いで魔法少女になる! ものすごぉく人気になって、グリッタちゃんと同じステージに一緒に立つの!」
――けどさ。こんな私を見て、自分みたいになりたいって言ってくれるおんなのこがいてくれる。無駄だと思った活動を経て、拍手で迎えてくれるひとたちがいる。
――そう思うとさ。魔法少女に憧れて、ゆめに向かって突き進んだこの人生。存外悪くないって思わない?
「アイム、アイムーっ!」
「探したわよ、どうしてこんなところに」
「あっ。パパ、ママ。観て見て! わたし、ここで誰と逢ったと思う? じゃ、じゃーん!」
――ねえ。ほんの少し前の私。今までやってきたことは無駄じゃなかったよ。私は、わたしのままでよかったよ。やっとわかったんだ。まほうはずっと、わたしの中にあったんだって。
・ゆめいろパレット ~16歳JK、魔法少女はじめました~ おわり。