81.黒幕の正体
聖剣がその存在を認めることで、勇者が定められる。ところが地中深くに潜ってしまったから、聖剣はその仕事をすることができない。
魔王という敵が消えたことで、勇者も現れなくなったのかと思っていたら、そう単純な話でもなく、色々なことが繋がっているのだ。
そして魔王と勇者が転生したこのタイミングで、新勇者が誕生した。――それは聖女メリンダ・グリーンの夢見により発覚したわけだが、その予知夢もまた因果関係を捻じ曲げ、時間軸を前後させてしまったのかもしれない。つまり聖女の夢見により、新勇者が登場する未来が決定された。それにより聖剣はのちに、その仕事をせざるをえなくなる。
マクドネルは聖剣の意外な使われ方についても言及した。
「このまま何もせずにいれば、やがて栓の役割を果たしていた聖剣は壊れ、下に淀んでいた魔力が全速力で噴き出して来て、世界を壊してしまうでしょうな。しかしイフリートの卵をかえすことで、聖剣を綺麗に引き抜くことができれば、被害は最小限に留められますよ」
「どちらにせよ栓は抜けるわけよね。思い切って栓を弾き飛ばすのと、成り行き任せにして栓が壊れるのを待つのと、どこが違うの? 聖剣があとに残るか、残らないかの違いでしょう?」
ヴィクトリアからするとそれが何? という感じだった。――どちらにせよ彼女の身体は崩壊する。前者と後者で死に方が少々違うだけではないか。たとえば『爆死』と『粉砕死』の違いとか、その程度だ。死ぬならどっちでも一緒である。
しかし世界にとって、それは大きな違いであるらしい。
「聖剣は栓の役割を果たせるくらいに強力な代物です。つまり魔力の流れをコントロールできる強度と性質を併せ持っている。聖剣を抜いた者が、世界の崩壊が始まる前に、魔力が流れるルートを正しく固定してしまえば、あとは規則正しく力が巡るでしょうな」
この先イフリートの卵が孵化することにより、これまでギリギリに保たれていたパワーバランスが一気に崩れ去る。その衝撃波により、狭間深くに打ち込まれていた聖剣が、弾き飛ばされて地上に出て来るらしい。それを掴み取れた者が、次世代の勇者となる。
――皮肉なものだ。聖剣をもって打ち滅ぼすべき人類の敵、魔王すなわちヴィクトリアの身体は、魔力の開放とともに砕け散ってしまうのだから、聖剣を手にした者がそれを本来の意味で使うことはない。全てが捻じれている。
しかしそんなことは新勇者の知ったことではないのだろう。むしろ魔力を流して世界の安定を手に入れると同時に、魔王という危険分子を葬れるのだから、渡りに船だ。敵対者がいない状態で、膨大な魔力とそれを扱える能力を持った新勇者は、この世界を統べる王となる。
しかしこれには問題が一つあった。卵をかえすには犠牲を払う必要があるのだ。
――取捨選択。つまり次世代の勇者は選び取ったのだ。小さな犠牲を払うことで、大きな見返りを得ることを。
「――新勇者はロートンではない」
ヴィクトリアはぽつりと呟きを漏らした。――新勇者はクリストファーだ。彼女はそう見当をつけていた。
旧と新が重複しているが、循環している構図でもある。Reverse――表裏であり、Rebirth――復活でもある。
しかしこの一言が、意外な気づきをもたらすこととなった。というのも、
「ロートンとは誰です?」
とマクドネルが言い出したからだ。ヴィクトリアは『新勇者はロートンである』という図式が、関係各位に浸透していると思い込んでいたので、この返しに虚を衝かれた。
「茶会の席にいたでしょう? 聖女の隣にいた、茶と金の交ざった髪をした、痩せた青年」
マクドネルは出席していないが、最後に捕まって茶会の場に引きずり出されたので、彼の姿を見ているはずだ。マクドネルは少し考えてから、何度か頷いてみせた。
「あたしは彼を知っていますよ。以前会ったことがあります」
「そうなの? どこで?」
「以前うちに客として来たことがありやしてね。その時は確か、ウーランドと一緒でした」
ウーランド。それはゴロツキどものボスの名前だ。エイダが閉じ込められていた、例の奴隷工房一帯を仕切っていたのがウーランドである。
ウーランドがイフリートの卵盗難の実行犯であり、武器商人のデンチにそれを届けたと聞いているが?
「ロートンがウーランドと?」
どういうことだろう?
「そもそも彼の名前はロートンじゃありませんぜ。ウーランドはあの青年を、『デンチ』と呼んでいやしたから」
これを聞いた瞬間、ヴィクトリアは髪を掻きむしりたくなった。――くそう、してやられた!
ロートンめ――いやデンチか――大人しそうな顔をして、とんでもないことをしやがる! とにかく呆れるほどに肝の太い男である。武器商人のくせに、堂々と王子が主催する茶会に出席していたのか。普通の神経ではない。彼は追い詰められるほど、その状況を楽しめるタイプの人間なのかもしれなかった。
……ということは、全てがデンチの手のひらの上だった? しかし、そうなると。
「ねぇ、あなたの言う新勇者って、クリストファーのことなのよね? 彼はデンチの正体を知っていたの?」
茶会でクリストファーがデンチを認識していたのかどうか。こうなってはもうどうでもいいことかもしれなかったが、ヴィクトリアは細かい点が気になる。
しかしここでまたしてもマクドネルが、想定外の事実を突きつけてきた。
「いいえ、違います。新勇者はクリストファー殿下じゃございませんよ。彼はあくまで旧時代の勇者ですから」
「ええ? それじゃあ黒幕は一体誰なの?」
マクドネルに緊密に指示を出していた現状からかんがみるに、新勇者は王都に、それもすぐ近くにいると思われた。
色々内情を知りすぎている。マクドネルを使って、王宮に暗殺者を引き入れるという計画は、外部者には立案不可能だろう。黒幕はヴィクトリアもよく知る人物なのかもしれない。
マクドネルは意外そうにパチパチと瞬きしてから、早口で喋り始めた。
「いやぁ、Nia様はてっきりご存知かと思っていやした。だって新勇者とはずいぶん親密そうにしていらしたし、憎っくきクリストファー殿下を葬るために、『敵の敵は味方』という考え方で、手を組んでいるものと」
「マクドネル!」
いいから早く名前を言えとヴィクトリアがすごむと、マクドネルは身体を震え上がらせた。そうして恐る恐るその名前を口にしたのだった。
「ええと、つまり、新勇者は『ノーマン・フィルトン』氏です」
マクドネルがその名前を口にした瞬間、馬車の車体が大きく傾いだ。