80.ふたたびデズモンドへ
ヴィッキーとマクドネルは馬車の荷台に放り込まれ、快適とはほど遠い旅を強いられていた。
これは囚人護送用の荷馬車で、出入口は外から施錠されている。窓はとても小さく、その上鉄格子が嵌められていて、中は薄暗かった。
ヴィッキーは床に胡坐をかき、壁に背を預けている。マクドネルのほうは膝を抱えて、難しい顔で格子の向こうを眺めていた。
なぜか一緒に乗り込んで来たケルベロスは、床に寝そべって瞳をトロリとさせていた。暴れたあとのお昼寝タイムなのか、マクドネルに対して吠えることもない。
ガタゴトガタゴト揺れる車体に苛ついたヴィッキーが、
「――ベイジル、ここから出しなさいよ!」
と腹の底から怒鳴った。すると壁の向こうの御者台にいる幼馴染のベイジル・ウェインが怒鳴り返して来た。
『駄目だ、大人しくしていろ!』
「私はイフリートの卵を探さないといけないのよ!」
『お前を騒動の渦中から隔離しろ、との殿下のご命令だ!』
くそう、子分の分際で裏切りよってからに。ヴィッキーは舌打ちした。
――あれからもうどのくらい時間がたったのか。あのイカレた茶会で拘束されたヴィッキーとマクドネルは、すぐに護送馬車に乗せられた。そして馬車が発車する前に外から聞こえて来たのは、ノーマンの声だった。
『殿下からのご指示で、ヴィクトリア嬢を王都から離すように、とのことだ』
『理由が知りたい』
会話相手はベイジル・ウェイン。
『これからこの辺りでひと騒動起こるらしい。イフリートの卵がかえるかもしれない』
『そうなるとマズいのか?』
『ヴィクトリア嬢とイフリートの卵は相性がとことん悪い。ここにいると彼女の身が危険だ』
『どこへ連れて行けば?』
『デズモンドへ』
ヴィッキーは壁に耳をつけて外の会話を盗み聞きしていた。――どうかしている。
どこからがクリストファーの描いたシナリオだったのかは分からない。一切合切を彼が仕組んだとも思えないが、先の暗殺騒動が渡りに船だったのは確かだろう。クリストファーは元々ヴィクトリアを隔離するつもりでいたようだ。
しかも行先はデズモンドときた。――ああ、またデズモンドだ!
卵が奪われた場所として一躍有名になった場所であるが、ヴィッキーにとっては別の思い出のほうが色濃い。
クリストファーと旅した場所。クルーズ船に乗って、そびえ立つグィネヴィア山を見たっけ。
やり手婆さんが営むしょぼい店で、コーンドッグを食べた。
ヴィッキーは感傷を振り払うように睫毛を伏せた。しばし頭を空にして呼吸を整える。
――とりあえず今は情報を整理するのが先か。ベイジルはああ見えて、一旦こうと決めたら頑固だ。ヴィクトリアに危険が迫っていると聞いた彼は、彼女を自由にしてはくれないだろう。
「マクドネル、あなたは誰の指示で動いていたの?」
あの女を引き入れたのは、マクドネル主体の計画ではないだろう。背後になにがしかの大きな力を感じる。
マクドネルは床の上に行儀よく座り直すと、別に隠しだてするつもりもないのか、素直に答えた。
「あっしはしばらくのあいだ、『新勇者』の手先となって動いていたんでさぁ」
これには思わず顔を顰めてしまうヴィッキーである。――ロートンか。ヴィッキーは彼の腺病質な面差しを思い浮かべながら、咎めるようにマクドネルを問い詰めた。
「ちょっとあなた、魔王の手下の分際で、新勇者にも媚びを売っていたってわけ?」
「Nia様に敵対するつもりはございませんでしたよ。新勇者の話を聞いたら、やつの策に乗るのが最良かと思ったもんで」
「それはどんな計画だったの?」
「イフリートの卵を強制的にかえす計画です」
おいおいおい、最悪だな、それ。ヴィッキーは腕組みをして、不機嫌にマクドネルを見遣る。
しかしマクドネルは悪いと思っていないのか、ケロリとした態度で話を進めた。
「Nia様も卵をお探しとのことでしたが、新勇者の計画に乗れば、卵が孵化して綺麗に問題が片づくもんですから、あたしはそれが一番だと思ったわけでして。――とにかく新勇者が言うにはですね、この世界は破綻しかけているのだそうです。膨らみきった風船に近い状態といったらいいのか、魔力が正しく放出されていないので、パンク寸前の飽和状態にあるそうで」
「それは三百年前に魔王が死んだから?」
「それもあります。原因は複合的ですな。ええと、Nia様は聖剣について何かご存知ですか?」
「前世の記憶が戻っていないから、現物は思い出せないけれど、勇者が持つものでしょう?」
「そうとも限りません」
「どういうこと?」
「聖剣は元々、Nia様が管理していらしたんですよ。――Nia様は聖剣のことを、『船のイカリのようなもの』とおっしゃっていました。重しになるから、あまり好きではないと」
「……なんか我儘ね、前世の私」
――聖剣の管理、めんどいわぁ。コレ、癖強いわぁ。みたいに言ってそう。
「Nia様があれを手放したので、絆が切れて、人間界に所有権が移りました。そして聖剣が勇者を定めるという流れになった。聖剣にセンシティブな感情はありませんから、今度はあなた様を害する道具になったのです」
「皮肉なものねぇ」
話を聞いていても、特になんの感情も浮かばなかった。――Niaの失態というよりも、そういう運命だったのだ、という気がしてならない。聖剣を手放したことは、Niaにとっては自然な流れだったのではないか。
「魔王と勇者が激突した結果、聖剣が地中深くに埋まり、現状、栓のような役割を果たしています。そのせいで魔力が地上に漏れ出るのを塞いでしまっているのです」
酒瓶の口を止める、コルク栓みたいなイメージだろうか。――ということは、魔王がいなくなったあと、聖剣さえ地上に残されていれば、こんなややこしいことにはなっていなかった?
魔力が長いことせき止められて、とんでもないエネルギーが蓄積されているからこそ、現世でヴィクトリアは身体が砕け散る危険に晒されている。
マクドネルが続けた。
「新勇者から聞いたところによると、三百年前の魔王と勇者の激突があまりに凄まじいものだったので、聖剣が世界の崩壊を縫い留めなければならなかったらしいのです。――インパクトの瞬間、魔力の供給源を断ち、世界に及ぼす影響を最小限にした。おかげで魔王と勇者が散った時、この世界の地形はほぼ変わらずに残存することとあいなりました。しかしその際に、聖剣がとてつもない勢いで地中深くに打ち込まれたもので、今度はそれを引き抜ける者が誰もいなくなってしまったわけです」