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79.ヴィクトリア・コンスタムを捕らえろ


 ヴィッキーはさっと椅子から腰を上げると、膝かけ代わりにしていたブランケットを広げて、女の躯をふわりとそれで覆い隠した。


 正直なところ、賊の命を惜しむ気持ちもなかったし、弔ってやろうという殊勝さから出た行動ではなかった。これは最低限の情けだ。


 ヴィッキーは扇の先をテーブルに行儀悪く突き、指をしならせるようにして、扇の軸をトントンと叩いた。そうしてなんとも食えない顔つきで、聖女メリンダ・グリーンを見つめた。


 ――ヴィッキーはもちろん気づいていた。


 聖女が先の騒動が起きた際に、顔を上げようとしなかったことに。つまりメリンダは、狼藉者がヴィクトリアを狙うことをあらかじめ知っていたのだ。


 問題は、聖女が『ただ知っていただけ』なのか、それとも『企てた側』なのかという点。


 夢見の力でこのことをあからじめ知っていたのに、聖女にとって実行されたほうが都合がよいから、口を閉ざしていたのか? そうならばギリギリセーフといえる。人としてどうなのかとは思うが、当人が『夢見はしていない』と言い張れば、証拠は何もない。


 ただしこの計画に一枚噛んでいたなら、話は別である。聖女が公爵令嬢の暗殺計画に関わっていたなんて、大問題だ。


「――さて」


 ヴィッキーは空いている左手を腰に当て、すっと瞳を細めた。


「刺客は聖女あなたが引き込んだのよね? 悪い子ね、おいたがすぎるわ。これはもう、裸にひん剥いて鞭打ってから、市中引き回しの刑にするしかない」


 ヴィッキーのこの台詞はあまりに過激であったので、メリンダ・グリーンは怒りのあまり震え出した。――しかし聖女も動揺していたのだろう。『刺客は聖女あなたが引き込んだ』というヴィクトリアの台詞を、すぐに否定しなかったからだ。


 これはメリンダの手にあまる事態だった。彼女は恵まれた者特有の気楽さで、昔から考えなしに周囲を操る悪い癖があった。


 メリンダが何か語れば、周囲は真剣に耳を傾ける。だから彼女は気に入らない人間がいると『あの人のせいで、困っているの』と皆に訴え、取り巻きに排除してもらっていた。メリンダはそのやり方に慣れすぎていて、それがいかに小狡く道理に反した行為であるかを自覚していなかった。


 軽い気持ちであの女をけしかけた結果、死体が一つ目の前に転がっている。


 メリンダだって馬鹿じゃない。本気でこの女がヴィクトリア・コンスタムの息の根を止めてくれるかも、なんて期待はしていなかった。ただメリンダはむしゃくしゃしていただけなのだ。


 ――もう嫌だわ! どうしてよ! メリンダは舌打ちが出かかった。


 まったく使えない! 使えない! 使えない! 使えない! 馬鹿女! グズ! どうしてちゃんとできないの? 失敗して、私に迷惑をかけないでよ! メリンダはそんなふうに心の中で罵りながら、ブランケットをかぶせられた躯を忌々しい気持ちで見おろす。


 ――何か奇跡が起きないかしら? 空から何か落ちて来て、ヴィクトリアの頭をかち割るとか。死人が生き返って、ヴィクトリアの喉に食らいつくとか。


 メリンダの凄まじい怨嗟の念が、天に届いたのだろうか。


「あ痛たたたたたたたた!」


 なんとも緊張感のない悲鳴が辺りに響き渡った。テーブルを囲む全員が訝しげに声のほうを見ると、そこには。


「……ちょっと、嘘でしょう」


 ヴィッキーは思わず額を押さえてしまった。――警備兵に手を捻り上げられ、茂みの陰から引っ張り出されたのは、ヴィッキーがよく知る食堂の店主、マクドネルである。


「ワンワンワンワンワンワンワンワンワン!」


 捕らえられたマクドネルの足にかぶりつくようにして、ケルベロスまで躍り出て来る。


 ――お前もかーい! ヴィッキーの頭痛がますますひどくなった。


 しかしあいつらは仲が良いんだか悪いんだか分からない。ケルベロスはマクドネルに寄り添っているのに喧嘩腰という、よく分からない行動を取っている。


 ヴィッキーが不意打ちを食らっているあいだに、事態はどんどん悪化していった。クリストファーが冷たくこう言い放ったのだ。


「――その者は、賊の一味か」


 ヴィッキーは耳を疑った。――クリストファーの態度は冷静そのもので、マクドネルに対して、これが初見かのように振舞っている。先日、馬車で長いこと会話を交わした仲なのに、だ。


 襲撃の直後にマクドネルが引っ捕らえられたわけだから、不審者扱いされるのも自然な流れではあるのだが、それにしても。


 マクドネルが訴えるようにヴィッキーのほうを見つめてくる。――このアイコンタクトを、この場にいた全員が気づいたはずだ。現にメリンダ・グリーンは口元を緩めている。自分にとって都合の良い展開になったと考えているのだろう。


 クリストファーが気まぐれのようにこちらを流し見てきた。


「この者は君の知り合いか?」


 結果的に槍玉に上げられたのはヴィッキーのほうだった。


 ――知り合いか? じゃないよ。クリストファーは百も承知でしょうが。


 ヴィッキーは苦虫を噛み潰したような顔つきになったのだが、すぐに気分を切り替えた。後ろ暗いことなどまるでありませんというように、あっけらかんと言い放つ。


「し、知らなーい。こんな珍妙なおじさんのこと、私は知らないわ」


 あっさりと部下を切り捨てたヴィッキーをひどい! みたいな目で見てくるマクドネル。――ちょっとやめてよ、その顔! 繋がりがバレるじゃないの。


「ならば仕方ない」


 クリストファーが淡々と続けた。


「こいつは口が堅そうだ。何も吐かないだろうから、首を斬り落としてしまえ」


 恐ろしいほどの鬼畜ぶりである。血は何色だお前、とすっかりドン引きするヴィッキー。


 そんな彼女をちらりと眺めてから、マクドネルは唇をきゅっと噛み、視線をあさっての方向に向けた。そうして声を張り上げて、皆の注意を引く。


「あたしはね、こんなお嬢さんは知りませんよ! 赤の他人です!」


 あーあ。ヴィッキーはため息を吐いた。終わったな。


 ヴィッキーは腰に手を当てたまま、やれやれと鼻のつけ根に皴を寄せた。ほとんどやけっぱちに扇を投げ捨てて、投降の意を示す。


「冗談よ。彼は私の友達」


「知りませんよ、こんな方! 他人です!」


 涙目で主張するおっさんを、ヴィッキーは面倒そうに流し見た。


「もういいってば。――で? 私が賊を引き入れたと仮定して、自分の命を狙わせたとでも言いたいのかしら?」


 マクドネルとは知り合いだと認めたが、矛盾する点は突っ込ませてもらおう。


 するとここで聖女が割り込んで来た。まったくどこにでも鼻先を突っ込んで来る女だな!


「ヴィクトリアさん、あなたはクリストファー殿下のお命を狙ったのでは?」


「はぁ? 何それ、楽しそう」


 思わず口を滑らせてしまい、この空気では冗談では済まされないことに気づいたが、あとの祭り。


 不穏な圧力が増す。兵がヴィッキーの周囲をジリジリと囲んでいるので、最後の悪あがきをしてみた。


「メリンダ・グリーン、おかしな言いがかりをつけないで頂戴! 大体、なんで私が、愛する婚約者の命を狙わなければならないのよ?」


 ヴィッキーは心にもない台詞を、罪悪感ゼロで世に放った。彼女は大嘘を真顔でもっともらしくゴリ押しできる、特異なメンタルを持っていた。


 ところがこれに対してメリンダは、驚愕の超理論で対抗してくる。


「あなたはクリストファー殿下を愛するあまり、彼から同等の愛が返されないことに腹を立てたのよ。――可愛さ余って憎さ百倍、感情を抑えることができずに、あなたは暴走したの」


 どうやったって、逆さにして振ってみたって、可愛さ余らないわ。そう訴えたかったが、さすがにこれは自主規制した。この反論をもって立場が好転するとは思えなかったからだ。


 その代わりといってはなんだが、もっともな指摘をしてやる。


「ちょっと待って。侵入者はまったくこれっぽっちもクリストファーを殺そうとしていなかったでしょう? 明らかに私の首を獲ろうとしていたわ」


「じゃあ、自作自演というわけね。あなたはクリストファー殿下と婚約することができたものの、彼に愛されていないことに気づいていた。だからこの騒動を起こすことで、殿下に負い目を追わせて、婚約という契約をより強固なものにしたかったんだわ」


 まぁ、よく回るお口だこと。ヴィッキーはなんだか感心してしまう。


 メリンダ・グリーンの語る『ヴィクトリア・コンスタム』は、クリストファーのことが大大大好きらしい。一体どこにいるのよ、その一途で狂信的な乙女は。


 本物のヴィクトリア・コンスタムは、自身が婚約した事実さえ、今の今まで知らなかったんですがねぇ。


 ヴィッキーとメリンダが言い争っているあいだに、マクドネルが賊を王宮内に連れ込んだ証拠が出てきて、クリストファーに報告されていた。――どうやらマクドネルは例の持ち馬車で女をここへ引き入れたらしい。


 本当に彼が一枚噛んでいたことが分かり、ヴィッキーは意表を突かれた。彼は茶会を覗き見していただけだと思っていたのだ。マクドネルの顔を見ると、しょんぼりしょげ返っているので、事実らしい。


 これはじっくり話を聞き出す必要があるわね。そう考えたヴィッキーは、警備兵に言ってやった。


「私は無実だけれど、誰も信じてくれないみたいね。――さぁ、お望みなら、私の首を斬り落としたらどう? やるなら景気良くやって」


 殿下の御前だ、本当にスパッとやっちゃおうってこともないだろう、なんて考えていたらば。


 確かに今すぐここでやられることはなかったのだが、クリストファーは非情だった。


「――ヴィクトリア・コンスタムを捕らえろ」


 彼の号令により、ヴィッキーは拘束されてしまった。



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