74.狂った茶会
ロケーションは完璧だった。
緑眩しい王宮の庭園。近くに根を張る楢の木が、ほどよく陽光を遮り、小鳥の鳴き声がどこか遠くから響いてくる。すぐそばには湖かと思うような大きな池が。時折水面下で魚が向きを変えるのか、小さな波紋が表面に浮かぶ。
そう、ロケーションは完璧なのだ。――問題は、白いガーデンテーブルを囲う面々にあるだけで。
……これは狂った茶会だわ。やれやれと思いながら、ヴィッキーはティーカップを口元に近づける。鼻に抜ける、茶葉の良い香り。ああ、癒される。
お茶を飲み終わったら、帰ってもいいかしら。そんなことを考えていると、茶会の参加者の一人である聖女メリンダ・グリーンが、何か言いたげに身じろぎしたのが視界に映った。
どうでもいいが、聖女の今日のドレスはものすごく気合が入っている。化粧もかなり濃いめだ。――もしかすると枕営業に本腰を入れ始めたとか? 後ろ盾であるリンレー公爵を失ったのは、さぞかし痛手だったでしょうし。
ヴィッキーは聖女を流し見ながら、ケーキスタンドからスコーンを取り、器用に半分に切り分けて、ジャムとクリームを塗って頬張った。
ヴィッキーは自宅でくつろいでいるかのようなダラけた思考を展開しつつも、一応腐っても公爵令嬢であるので、ティータイムを楽しむ仕草はそれなりに洗練されている。
これは母のスパルタ教育の賜物だろう。母はヴィッキーが幼少の頃から『あなたは内面が少々残念な感じで、どうにも直しようがなさそうだから、ものだけは綺麗に食べなさい。それで大抵のことは乗り切れる』と娘に言い聞かせ続けた。ヴィッキーは母の予言どおり残念な内面が改善されることはなかったのだが、おかげで食事マナーだけはしっかりと身に着いたのだった。
今なら居眠りしていても、お菓子を零さず食べられるわ、とヴィッキーは思う。面倒な茶会だから、瞼の上に目を描いて、寝ちゃおうかな。という阿呆なことを考えていたのが、テレパシーで伝わったのだろうか。
対面席のクリストファーが、不意打ちでこちらを見つめてきた。
――寝るなよ。
おそらくやつはそう訴えている。まったくこの男の虹彩は、無駄に艶っぽくて意味ありげだ。それに圧もやたらとものすごい。ヴィッキーはこれにげんなりしてしまい、すっと視線を逸らしてやりすごした。
――寝ませんとも。ええ、ええ、絶対に寝ませんとも。
いつもならここで睨み返してやるところだが、今日は生憎そんな気分にもなれない。先日から、ヴィッキーはクリストファーに対して疑いを抱いている。ここは敵地だ。もう少し気を張っておいたほうがいいかもしれない。
――ああ、もう、帰りたいわぁ。ヴィッキーは段々と腹が立ってきた。
クリストファーだけでも持て余しているというのに、何が悲しゅうて、凶暴な聖女と相席せないかんのよ。どんな刑罰だコレ。
心の中で悪口を言っていると、聖女が硬い声音でこう切り出した。
「――クリストファー殿下、このたびはご婚約おめでとうございます」
ん、ご婚約とな? え、誰が? ヴィッキーはティーカップを優雅な手つきで持ち上げたまま、パチリと瞬きして固まってしまった。
たった今お祝いの言葉を述べたのが聖女で(なんか祝福する気持ちゼロな口調ではあったけれど)、言われたのがクリストファー。
しかしクリストファーが婚約するとも思えない。理由は以下の三点による。
――その一。クリストファーは性格がとっても歪んでいる。こんなドSのクソ野郎が結婚できるわけがない。できてたまるものか。
――その二。それらしい相手が思いつかない。この男が婚約するとしたら、相手はパワーバランス的に聖女くらいのものだろうが、一番もっともらしい相手である聖女本人が『おめでとうございます』と言っているので、ほかに候補者が思いつかない。
――その三。クリストファーはこれまでに何度もヴィッキーに対して、いらぬちょっかいをかけてきている。これでどこぞの女としれっと婚約するとか、本気でクズすぎだろうお前、と思う次第である。
以上。
ヴィッキーはゆっくりとお茶を楽しみ、空を見上げて、ひつじ雲を目で追う。……よく分からないけれど、王族の誰かが婚約したのかもしれないな。
「何しているの」
横手から小声でたしなめられ、そちらに視線を向けると、繊細な十代を体現したような青年が、灰色の瞳をこちらに据えている。彼の眉は困惑に顰められており、少し呆れているようであった。
「ロートン」
ヴィッキーはなんとなく肩の力を抜き、隣に座る彼のほうに顔を近づけた。――彼は聖女の『お友達枠』でこの茶会に参加している。本人はなんだかとっても居心地が悪そうで、ヴィッキーは彼に親近感を抱いていた。
「――そういえばあなた、私との約束を破ったわね」
チクリと釘を刺してやれば、彼は驚いたように瞳を見開く。まるで心当たりがないとその顔に書いてあった。
「約束なんかしたっけ?」
「私、言ったじゃない。――また会いたいから、騎士団のベイジル・ウェインを訪ねてね、って」
「……ああ、うん?」
「思い出した?」
「あれ、冗談かと思ってた」
「私はね、社交辞令を言わない主義なの。あなたは速やかにベイジルを訪ねるべきだったわ」
「ええと、なんで?」
「あなたとは話が合いそうだからよ。聖女の弱みを知りたいし、できれば――」
テーブルに手をついて、さらに身を乗り出してあれこれ訴えようとしたところで、邪魔が入った。
「――ヴィクトリア」
落ち着いた声音だが、有無を言わさぬ何かがある。顔を上げると、クリストファーが物思う様子でこちらを見つめていた。
顔立ちに品があり、あまりに整いすぎているせいか、かえって何を考えているのか分からないとヴィッキーは思った。笑みを乗せているというほど柔らかくもないし、怒っているというほど苛烈でもない。
――だけど、なんか。ヴィッキーは軽く眉を顰める。くそう、圧倒的な王族オーラを出してきやがって。