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73.リンレーとコンスタム


 豪華絢爛な夜会が開かれていたその裏で、こんな出来事が起こっていた。


 ヴィクトリアの父であるコンスタム公爵は、ある小部屋で、リンレー公爵と向き合っていた。コンスタム公爵は四十代で、押し出しが良く、パリッとしている。平素は少し軽薄な印象のある彼が、神妙な顔つきをしていた。


「――終わりだ、リンレー」


 コンスタムが突きつけて来たその台詞は、リンレー公爵に屈辱をもたらした。


 ――自分ならきっと、とリンレーは考える。宿敵を葬る時は、もっと晴れやかに笑っているだろう。得意気に。勝ち誇って。


 ところがどうだ。コンスタムは厳しい顔を崩さない。この男のこういうところが嫌いだと思う。これが普段から清廉潔白な男の態度なら、まだよかった。実直さはリンレーにとっては嘲りの対象であり、見下している相手に何を言われようが、痛くもかゆくもないからだ。


 若い頃からこの男が嫌いだった。――そもそもこの男の奥方に目をつけたのは、自分のほうが先だった。この男は軽薄な態度を取ってばかりで、彼女とは険悪な仲に見えたのに、いつの間にか愛を勝ち取っていた。


 恨み言が口を突いて出そうになり、リンレーはそれをぐっとこらえた。


 ――どこで失敗した? 少女たちを隔離していた施設を急襲されたこと? あれが運の尽きだったか。


 あの失態により、リンレーは強力な後ろ盾を失った。リンレー公爵は、恩人の孫娘をあの施設に閉じ込めていた。このことにさしたる意味はない。端的にいえば、金のためである。


 その孫娘が邪魔だと考えた別の娘が報酬を弾んだので、深く考えることもなく、娘をさらって施設へ入れた。胸も痛まなかったし、バレるかもしれないという恐れもなかった。


 それがこうして表沙汰になり、進退窮まる事態となった。御大はかなりご立腹で、自らリンレーの首を撥ねてやると息巻いているらしい。――まったく忌々しいご老体だ。すでに一線から身を引いているものの、彼はいまだ貴族社会に厳然たる影響力を有している。そんな重要人物を敵に回したのだ。リンレー公爵に明るい未来があろうはずもない。


 これにより一気に形勢が変わった。――リンレーが推していた第二王子は、近いうちに表舞台から消えることになるだろう。現国王は勇退。なぜなら陛下は第一王子とあまりにも折り合いが悪い。これでクリストファーの独り勝ちだ。


 口元に笑みを浮かべてみたが、果たして上手くいったかどうか、自分ではよく分からなかった。


「私がいなくなったら、あとはどうなる?」


 それを気にしていたわけでもなかった。ただの時間稼ぎだ。


「去る者が知る必要はない」


 ――ああ、くそう。訊くんじゃなかった。リンレーは視線をどんよりと彷徨わせた。――どうする。さてどうする。時間はもうない。


「私の名誉は守られるのか?」


 ぽつりと尋ねると、今度は幾らかマシな返答があった。


「そうなるだろう。――君のためじゃない。各方面への影響を考えた結果だ」


 リンレーは納得がいかない。なぜならコンスタムは明確に彼に要求してこないからだ。それで彼に八つ当たりをすることにした。


「なぜはっきり命じないんだ、コンスタム。私に『死ね』と言えばいい」


「身の振り方くらい自分で考えろ。これは私からの最後の情けだ」


 そう言い置いて、コンスタムが部屋から出て行った。彼が消えたあとも、リンレーはぼんやりと部屋の入口を眺めていた。


 ――今ならば、あるいは。


 しかし願いも虚しく、扉が開いてノーマン・フィルトンが入って来た。――なるほど。本当にこれで終わりというわけだな。


 リンレーは今度こそ全てが馬鹿馬鹿しくなってきて、笑みを浮かべていた。両手を広げ、芝居がかった仕草でノーマンに訴える。


「コンスタム公爵は私に何も命じなかった。私が自分で決めるべきだと」


 リンレーは喋りながら内ポケットに手を入れて、小振りな銃を取り出す。それを一旦テーブルに置き、手の中で弄びながら、気になっていたことを尋ねてみた。


「……私の死因は何になるんだ?」


「病死ということに」


「もしも私が怖気づいて、自分で始末をつけられなかったら?」


「あなたはできますよ」


 ノーマン・フィルトンの相変わらずの無表情。隙なく佇んではいるが、彼は丸腰である。リンレーは油断ない目つきでそれを観察しながら溜息を吐く。


「こちらが馬鹿な考えを抱くかもしれないと、君は夢にも思っていないわけだな」


「馬鹿なこととは?」


「たとえば私が銃口を君に向ける、とかさ」


 呆れ果てた辛抱強さでもって、ノーマンは黙したままこちらを眺めている。慌てる素振りすら見せない。やるわけがないと思っているのか。――確かにそれはそうかもしれなかった。


 ここで上手く隙を突き、逃げることができたとする。しかし贅沢に慣れた身では、過酷な逃亡生活に耐えられるかどうか分からない。どちらにせよ自由とは程遠い、地獄のような暮らしが待っているだろう。


 命を惜しんで晩節を穢すのは、愚かしい行為だ。貴族は命よりも名誉を選ぶべきである。


 だからリンレーは銃をそっと持ち上げて、自分のこめかみに当てた。


「――ありがとう、さようなら、ノーマン君」


 ノーマンはやはり黙して答えなかった。リンレーは軽く微笑んでみせてから、さっと表情を消すと、素早く腕を振って、銃口をノーマンのほうに向けた。


 銃声が響き、室内に硝煙のにおいが漂う。


 扉の前に佇んでいたノーマン・フィルトンは、構えた銃をそっと下ろした。リンレーがこちらに銃口を向けるまでのあの一瞬で、ノーマンはホルスターから銃を取り出し、トリガーを引いたのだ。驚くべき早撃ちだった。


 額を撃ち抜かれたリンレーは、テーブルに突っ伏してピクリとも動かない。


 ノーマンは後片づけを手早く済ませると、その足でリンレー夫人を迎えに行った。彼女に夫の遺体を見せるわけにはいかないが、話だけは通しておく必要がある。


 ――その後、リンレー公爵死去の報せが流れた。死因は心臓発作とのことだった。



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