表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

71/89

71.今夜あなたをこっぴどく振ってやる


「――三度よ、クリストファー」


「ヴィクトリア?」


「あなたが私に失礼な態度を取った回数」


 本当はもっと沢山あるのだけれど、ヴィクトリアとしては出血大サービスで、三回とカウントしてあげた。クリストファー本人に自覚がないようなので、思い出せてやろう。


「一度目は王宮で再会した時。あなたは私の心臓に突きつけた」


 銃を、とは直接口にせず、戯れのように人差し指でそれを模し、彼の胸を指す。しかめツラで彼の瞳を見据えると、信じられないことにクリストファーは口の端を上げている。


 ――信じられないとヴィクトリアは思った。もっと申し訳なさそうな顔をしろっての。


「二度目はクルーズ船。あなたは私を騙した」


「愛情表現の一環だとは捉えられない?」


「あのね。やられたほうが不快だったら、それはもうハラスメントですから。私はなかなか水に流さないわよ。執念深いの」


「段々楽しくなってきた。じゃあ三つめは」


 何が楽しいんだ。Sの度がすぎて、性癖が歪みすぎだろう。ヴィクトリアは眉を顰めて、最後のわだかまりを告げた。


「三つめは前回の夜会。あなたは私をないがしろにした」


「それについては謝っただろう」


「全然足りない。全然」


「どうしたら許してくれる?」


 今目の前にいるクリストファーは呆れるくらいに従順だった。先ほどヴィクトリアを部屋に引っ張り込んで、狼藉を働こうとしたのと同一人物だとは思えない。ヴィクトリアのご機嫌を取ろうとしているし、ずっと彼女だけを見つめている。


 あいにく今回は聖女が不参加であるので、ヴィクトリアとしてはまだ100%彼を信用することはできなかった。ヴィクトリアは腰に手を当てて、彼をじっと見つめる。


「私も三回あなたを傷つける権利があると思う」


「……うーん。理屈的にはそうなるのか?」


「そうなると思うわ」


「じゃあ今夜は僕と踊ってくれないわけだ」


 クリストファーのこの子供じみた言い草には、怒っていたはずのヴィクトリアも思わず笑い出してしまった。一度可愛く笑ってしまってから、慌てて表情を引き締めているところがたまらないと、クリストファーの視線が語っていたが、彼女がそれに気づいたかどうか。


 ヴィクトリアはつんけんした態度を取るよう心かけた。


「今夜私はあなたをこっぴどく振ってやるわ。――これで一回。あと二回ばかり、あなたをこらしめたら、対等に向き合ってあげてもいい」


「なるほど、合理的な提案だ」


 クリストファーが『ではさよならのキスを』と言って腰を引き寄せようとしたので、この強引さに呆れたヴィクトリアは、彼の胸を強く押して拒絶の意を示した。


「調子がよすぎるわよ、クリストファー!」


 やっぱり腹が立ってきて、ヴィクトリアは彼の元を去ることにした。顔を顰めながら踵を返す。


「――ヴィクトリア」


 少し歩いたところで名前を呼ばれて振り返る。目が合うと彼は、謎めいた笑みを浮かべて右手を上げてみせた。それはなんだか公の場でするには砕けた仕草で、王子らしからぬ態度に思えた。


「良い夢を」


 ヴィクトリアは微かに瞳を細めてクリストファーに視線を残しながら、ふたたび背を向ける。


 そうして真っ直ぐに出口のほうを向いた瞬間――脳内で何かが弾けた。


 幾つもの過去の場面が高速で脳裏に展開される。取り留めのなかった場面は、やがてある夜の出来事に集約されていく。それは彼と初めて旅行に出かけた、あのクルーズ船での一幕だ。


 たゆたう海のような彼の瞳の色が、ヴィクトリアの感情を強く揺さぶった。――青――青――ああ、なんてこと!


「……ターコイズ」


 形の良いヴィクトリアの唇から、絞り出すような呟きが漏れた。無意識に右手を持ち上げて、イヤリングに触れる。


 彼がクルーズ船でこれを贈ってくれた時、一体なんと言ったのだった? 『イフリートの卵を想起させるものを』――そうだ、彼はそう言ったのだ。


 ゴシップ誌に載っていた卵の絵は、三百年前に鉛筆で描かれたデッサンで、白黒。色は塗られていなかった。卵については謎の部分が多く、あのデッサン画くらいしか記録は残っていないと聞いている。卵は木箱に納められていて、容易には開封できないようになっていた。中を見た者はほとんど存在しない。実際に卵を見た者がいるとするなら、強奪した武器商人のデンチ一派のみだろう。


 騎士団の面々が極秘で卵確保に動いたが、それが安置されていた教会から運び出す途上で全滅し、デンチに奪われてしまった。クリストファーは卵を直に見ていないし、騎士団の面々は全滅してしまったから、彼らから報告を受けるのは不可能だったはず。


 ――ならばなぜ、クリストファーはイフリートの卵が『水色』であることを知ったのだろう? 炎の精霊とは真逆のイメージの色なのに。


 ヴィクトリアがそれを知ったのは、エイダ・ロッソン経由である。彼女は前世の記憶こそまだ戻っていないが、それでも卵の色だけは覚えていたから、偶然ヴィクトリアはそれを知ることができた。


 ではクリストファーは? 彼も前世の記憶でそれを知った? ――いや、違う。それはありえない。


 イフリートが卵化したのは、魔王と勇者が激突して、両者が滅びたそのあとだったはず。たとえその伝承が誤りだったとしても、勇者が魔王と激突する『前』に卵化したイフリートを確認しているのならば、卵が現存している事実と矛盾する。なぜなら元勇者は荒んだ目をしていたから、イフリートの卵を見つけたらすぐに壊していたに違いないからだ。


 エイダは魔王が消えたあとも生存していたので、前世で卵を目視している。だからエイダが卵の色を知っているのは、なんら不思議はない。


 けれどクリストファーは違う。彼は知るはずのない情報を把握していた。それはつまり。


「――クリストファーが黒幕だ」


 ヴィクトリアの唇から苦い呟きが漏れ出た。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ