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68.お黙りなさい!


「夫人、あなたは先程、『このような王宮主催の華やかな夜会では、新しく仕立てたドレスを着るのが礼儀。それができないのは、あまりに無様』とおっしゃいました。それについては先に語ったとおり、わたくしの意見は否定的ではあるのですが、ただ一つだけ、リンレー公爵夫人がおっしゃることにも一理あるなと思ったのです」


 ヴィクトリアはよく通る声で口上を述べ、効果を計算するようにたっぷりと間を置いた。片眉を上げて愉快そうな顔をすると、彼女の高慢な美しさがいかんなく発揮され、会場にいる紳士諸君は惚けたようにヴィクトリアを眺めていた。


 十分に観衆の注意を引きつけてから、彼女は次のように続ける。


「あまりに無様――ええ、確かにそうです。自分ができていないことを、ほかの誰かに偉そうに説教する、これはなんと間の抜けたことでしょうね。――ああ、訝しげな顔をなさらないで? リンレー夫人。わたくしが語っているのは、あなたのことですよ」


「何を言っているの、あなた」


 夫人の顔は怒りで赤くなっている。しかしヴィクトリアが放つ圧に押されているのか、声に平素の勢いがない。


 ――口喧嘩はね、呑まれたらもう終わりなのよ。ヴィクトリアは意地悪に瞳を眇める。


「あら、だって、あなたが今身に纏っている黄色のドレスは、着回しじゃございませんか」


 一瞬の静寂のあと、ざわめきが広がった。……どういうことだろう? ギャラリーの視線が夫人のドレスへと集中する。


 ここでリンレー夫人は致命的なミスを犯した。彼女は堂々としらを切り通せばよかったのだ。しかし夫人が取った行動はまったくもってお粗末なものであった。慌てふためき、瞳を忙しなく動かしながら、口ごもってしまったのである。


 ――なぜ分かったの? 夫人が混乱しきりの視線でそう訴えてくるので、ヴィクトリアは懇切丁寧に説明してあげることにした。


「そのドレスは二年前、とある侯爵家の舞踏会でお召しになったものですね。――当時はそのノースリーブのドレスに、ジャケットのボレロがセットとなっていたはずです。特徴的なツーピースでしたから、上着を取り払ってしまえば、着回しだとバレないと思ったのかしら? リンレー公爵夫人ともあろう方が、ずいぶん小賢しいことをなさる」


 夫人の顔色は紙のように白く、視点は定まらない。


 ――そもそもの話、着回し自体は、貴族社会においてタブーとされていないのだ。しかしほかならぬ夫人自身が、『私こそがルール。リンレー公爵夫人が『否』といえば、皆従わねばならぬ』という不文律を徹底させた。夫人は自らの権威を保つため、彼女が決めたことを周囲に守らせてきた過去があるのだ。


 そんな彼女自身が、自らが定めたルールに違反している。こんな間抜けな話があるだろうか。


 そして禁忌の破り方もこの上なくダサかった。若い娘を血祭りにあげようとして、着回しのみっともなさを散々あげつらったのに、自分は古いドレスを身に纏っていたという二枚舌ぶり。


 攻撃された時の対処も最悪で、慌てふためき醜態を晒している。


 一方のヴィクトリアは少々複雑な気分だった。――これじゃあ、まるで弱い者イジメじゃないの。とはいえ今責められているリンレー夫人が可哀想かといえば、決してそうではない。


 なぜならリンレー夫人はこれまで、自分よりも立場が弱い相手をターゲットにして、吊るし上げて恥をかかせてきたからだ。自分が嫌がらせをするのはいいけれど、されるのは嫌だなんて、どう考えてもそんな勝手は通らない。他者を攻撃する者は、当然自分がやり返されることも覚悟すべきである。


 そしてそれは今のヴィクトリアにも当てはまる道理だった。――とはいえ、と彼女は嗜虐的な笑みを浮かべる。あとでやり返せるほどの余裕を、この女に残してやるつもりもないのだが。


 なんせこの女は、ヴィクトリア・コンスタムに喧嘩を売ったのだ。それなりの代償は払ってもらう。


 ヴィクトリアはパチンと手のひらに扇を打ちつけ、冷ややかにつけ加えた。


「ああ、だけど、そう――ボレロを取り払ったその姿を、ある方には特別にお見せになっていらっしゃいますよね? 二年前にその方は一度見ているのだから、そのドレスが着回しであると知っているはず。もしかすると、ドレスなんかより、脱いだあとのほうが記憶に残っているのかもしれませんけど」


 周囲のどよめきが大きくなる。――既婚者の火遊びは別段珍しいことでもないのだが、衆人環視の中でそれを暴露されるというのは、意味合いがまた変わってくる。秘めごとを秘めたままにしておけない、支配力の低下、パワーバランスの崩れそのものが問題なのだ。


 ヴィクトリアは容赦なく続ける。


「――『少し酔った』と言って、あの夜、夫人は早めに夜会を辞されましたね。そして帰りの馬車には、バス伯爵も同乗されていたとか」


「な、ぜそれを」


 二の句が告げないリンレー夫人。語るに落ちたとはこのことだろう。『誰も知るはずがない』という思い込みが、夫人の口を滑らせた。


 そしてこの暴露により、傷口は修復不可能な様相に。


「――リンレー公爵夫人! あなた、恥知らずにも、私の夫と寝ていただなんて!」


 先ほどワインを手渡した手下その一こと、バス伯爵夫人が、唾を飛ばしながら怒鳴った。激高しているところをみると、夫婦仲は冷めきっていないようである。


 ――火遊びが高くついたわね。ヴィクトリアは瞳を細めて溜息を吐く。


 まぁ、バス夫人のこの取り乱しようも、理解できなくはない。女友達には、決して破ってはいけない暗黙のルールがあるからだ。


 その一つが男関係。友情を長続きさせたいならば、友達の男を寝取ってはならない。これは鉄則だ。友達の元彼とつき合うのですら、かなり微妙なのに、夫を寝取るだなんてありえない話だった。


 寝取られた女が、寝取った女に掴みかかろうとして、みっともない場面に突入しかけたところで、ヴィクトリアがこれを一喝した。腹から声を出して怒鳴る。


「お黙りなさい!」



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