67.反撃開始
「その中古のドレス、もしかしてお祖母様のクロゼットから引っ張り出していらしたの? ――ねぇ、ご存知かしら。貴族社会では物持ちがよいことは、自慢になりませんのよ」
苦言を呈されたヴィクトリアは、すっと瞳を細めて、リンレー公爵夫人に対峙する。彼女のほうに退く気配はない。真っ向勝負の構えだ。
「あら、そうですの? わたくしそのルールは初めて知りましたわ」
「小規模な晩餐会程度なら、一度袖を通したドレスを着回しても構わないでしょう。――でもね。このような王宮主催の華やかな夜会では、新しく仕立てたドレスを着るのが礼儀というものよ」
「一度着たドレスを選んではだめだなんて。そんなのおかしいわ」
「まぁまぁ、呆れてしまいますわ。そんな当たり前のこともご存知ないのかしら。誰もあなたに常識を教えてくださらなかったのね」
「気に入ったものを使い回すのは、悪いことかしら? 要は本人に似合っているかどうかだと思いますわ」
ヴィクトリアはツンとしてこう切り返した。――実は彼女、まだ前回のことに納得がいっていないのだった。というのも、ビビッドな緑のワンショルダー、あのドレスはどう考えても、ヴィクトリアによく似合っていたからだ。新品ではないとしても、あれは彼女が身に纏うことに意味があったし、ヴィクトリアに着られた瞬間、ドレスは美しく生まれ変わった。あれほど見事に着こなしたというのに、それを天下の大罪みたいに揶揄されるのは、どうにも我慢がならない。
――絶対に自分は間違っていない。衣装というものは、TPOを踏まえた上で『似合うか』『似合わないか』のシンプルな二択であるべきだ。
ヴィクトリアからすれば、物事を履き違えているのは、どう考えてもリンレー公爵夫人のほうだった。言うにこと欠いて、使い回しが『悪』であるとは、まったくのお笑い草である。
ヴィクトリアの言はある意味では的を射ていた。というのも社交の場において、衣装の使い回しは別段タブーでもなんでもないからだ。――とはいえ。
ヴィクトリアの主張が、そのまま全て『正しい』わけでもない。
貴族の中には、贅沢志向で次から次へと衣装を新調するタイプと、上質なものを何度も大切に着回して行くタイプに分かれるのだが、後者であったとしても、全ての夜会をありあわせのもので乗り切るような、無粋な真似はしない。――ここぞという場面で、目新しいものを身に着けるからこそ、使い回しも生きてくる。
そもそも清貧さに正しさを求めるならば、その者は華やかな場に出てくるべきではない。ものを大切にするのは、道徳的にも倫理的にも正しい行いではある。しかし貴族社会の集まりというものは、皮肉なことに、道徳的にも倫理的にも決して正しくはないのである。
ヴィクトリアは前回が事実上の社交デビューであり、今回が二度目にあたる。――一度目が妹のドレス。二度目の今回が出所の怪しい年季の入った衣装。見た者が『祖母のクロゼットから引っ張り出してきた』と判断したなら、それが全てだ。
二度の夜会、どちらも衣装が使い回し。それも公爵家の令嬢が。これはあまりにみっともない振舞いだった。たとえるならば、地べたに落ちて泥まみれになったパンを、『もったいないから』と拾って口に入れるくらいの貧乏臭さだった。
「……あまりに無様」
リンレー公爵夫人はこれにて幕引きとするつもりらしい。会話をぶった切って、右手をひらりと中空に彷徨わせる。
夫人の取り巻きがすす、と近寄り、葡萄酒が並々と注がれたワイングラスを手渡した。どうやら前回と同じ流れで、礼儀をわきまえない小娘に酒を引っかけるつもりのようだ。
夫人が足を踏み出そうとした瞬間、ヴィクトリアの纏う空気がガラリと変わった。――彼女が何かしたということもなかった。大声を出したわけでも、ものを投げたわけでもない。それでも何かが変わった。
互いのあいだに見えない壁が出現したような奇妙な錯覚を覚えて、夫人はデビューしたての小娘みたいにまごついてしまった。足がその場に縫い留められたかのように動けない。
目の前の年若い女が発する圧力は、不思議なことに、王族のクリストファーが放つそれに酷似していた。目には見えないのに確かに彼女が持ち合わせている、圧倒的な力。
生物として、絶対に逆らってはいけないという、生存本能が刺激されるたぐいの何かだ。
纏う空気で夫人を凍りつかせたヴィクトリアは、退屈そうに扇を取り出し、顔の前に広げた。そうしてたった今リンレー公爵夫人と目配せした、三名の取り巻き連中に素早く視線を巡らせる。
――顔は覚えたわよ。
そうして彼女は、遠巻きにしていたギャラリーのほうを振り返り、視線で合図を送った。すると一人の少女が静かに歩み出て来た。少し神経質そうな、地味な顔立ちの少女であるが、どういうわけだろう――彼女が身に纏っているドレスは、見事な一品である。葡萄酒を思わせる、深みのある赤。派手すぎもせず、上品な色合いをしている。
奇をてらったものではないのに、妙に鮮烈に映るのは、彼女自身の体型にぴたりマッチしているのと、流行を巧みに押さえているからだろうか。裾のドレープの処理などは実に見事で、今シーズンのトレンドを外していないのに、ちょっとした細工の一つ一つに独創的な工夫が施されていた。
……こんなドレスは見たことがない。目敏いご婦人方の視線が慌ただしく交錯する。見たことがないのに、それでいてやりすぎているわけでもない。確実に新しいのに、洗練されてもいる。
この名も知らぬ娘が身に纏っているドレスこそが、皮肉なことに、この夜会で一番素敵なものだった。
――ところでこの娘、名をシルヴィアという。彼女の面差しを眺めるうちに、会場のあちこちで『どこかで見たことがあるような』という戸惑いが広がって行った。
シルヴィアはヴィクトリアの元に歩み寄り、彼女の耳に何事かを耳打ちした。少し長めのその伝達作業が終わると、ヴィクトリアは口元に弧を描き、扇をパタンと畳んだ。
それを見守るギャラリーは何かが始まる予感を覚えた。
すでに取り返しのつかないミスを犯しているはずのコンスタム家の娘が、今やこの場の空気を完全に掌握していた。彼女の纏う空気は高貴であり、圧倒的だった。
野暮ったいあのドレスですら、ヴィクトリアが身に纏うと、なんだかそれなりに垢抜けて見えてくるほどで、既存の価値観がぶち壊されるような、破壊的な予兆があった。
観衆は目が覚めたような、はたまた幻想に囚われてしまったかのような、なんとも表現しがたい不思議な心地を味わっていた。
「――リンレー公爵夫人」
この呼びかけを皮切りに、ヴィクトリアの反撃が始まる。それはまったくもって容赦のないものだった。