62.再会
「おっさん、それで全力かい?」
敵にせせら笑われて、歯を食いしばるマクドネル。
「くっ、くそう! こんにゃろう、こんにゃろうめ!」
より速く手を動かすのだが、当たる距離に近づけていないのだから意味がない。――まるでアライグマが流水で手を洗っているかのような草食感だわ。ヴィクトリアは頬を引き攣らせながら、そんなことを考えていた。
「そろそろこちらの番だよ」
女ゴリラ一号が指に力を入れる。アイアンクローが額にめり込んだマクドネルがたまらずに悲鳴を上げた。
「いー痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!」
「ま、マクドネルー!!!!!」
端で見ていたヴィッキーもシンクロして痛い気持ちになり、思わず絶叫してしまった。すると別の女看守がニヤニヤしながら前に進み出て来た。
「そっちの鼻っ柱の強そうなお嬢ちゃんは、あたしがたっぷり可愛がってやるよ。あたしはあんたみたいな見てくれのいい勝気な女が大嫌いなんだ。この棒でぶん殴って泣かしてから、裸にひん剥いて、下のゴロツキたちに与えてやるからね」
――おい、お前、一体いくつ体罰を乗っける気だ。ヴィッキーはドン引きした。そして同時に『かつてクリストファーのことを、ドSとからかってごめん』な気持ちが湧き上がってきた。
これに比べたらクリストファーのドSぶりなんて可愛いものだった。クリストファーのドSは、いってみれば紳士協定に違反しない、クリーン寄りなSだった。『ミスターS』と敬称をつけて呼ぶにふさわしい品格がやつにはあったよ。
――しかし残念なことに、この場に変態紳士のクリストファー殿下はいない。なぜなら『手伝おうか?』とやつが言ったのを、ヴィクトリアがキツめに拒絶したからだ。あの時は貸しを作ると、また何か面倒なことを吹っかけてきそうで嫌だなと思ったのだが、こうなってみると呼んどきゃよかったという気持ちになった。
――くそう、ここにやつがいれば、すぐさま銃をぶっ放してくれただろうに!
ヴィッキーが後悔のあまり歯ぎしりしていると、女ゴリラが棍棒を腰から抜いて、楽しげに揺らし始めた。
「いや、ちょっと、あなた」
後ずさりながら、ヴィッキーは手近にあった銀の蓋に手を伸ばす。
「話し合いで解決しない? 人って殴られると痛いのよ? よく考えてみて」
今、『あなたの夢は?』と尋ねられたら、ヴィッキーは迷いなく『世界平和です』と答える。
「馬鹿言うんじゃないよ! 痛がらせたいから、殴るんじゃないか。お前さんの真っ直ぐな鼻をひん曲げてやるからね!」
女が棍棒を振りかぶる。その丸太のように太い腕を見上げ、ヴィッキーは攻撃に備えた。
――ドカッ!
鈍い音が響いて、棍棒が床に音を立てて転がった。クロッシュを盾のように構えているヴィクトリアは不思議なことに無傷である。逆に『ヴィクトリアの鼻を叩き折ってやる』と息巻いていた女看守が、ぐるりと白目を剥いて地面に崩れ落ちてしまった。
看守の向こうから現れたのは、腕まくりをして得物のアイロンを握り締めているカサンドラだった。元々吊り目な彼女がさらに目つきを険しくして、肩で息をしている。
ヴィクトリアが呆気に取られていると、横のほうからも、ドカッ、ボカッ! と物騒な物音が響いてきた。――見れば、奴隷扱いされてきた少女たちが、手に手に箒や木製の胴体を握り締め、看守ゴリラたちを次々となぎ倒しているではないか。一人一人は非力でも、後ろから一気に襲いかかったことが功を奏したようである。大部屋の少女革命家たちは、勇ましく戦い、見事勝利を収めた。
この革命の功労者であるカサンドラは、しばしのあいだ興奮状態で倒した敵の巨体を見おろしていたのだが、やがてはっと意識を引き戻され、アンバーの瞳を持ち上げた。そうしてヴィクトリアを真っ直ぐに見つめる。
「Nia様、ご無事ですか!」
外見的特徴からして、彼女が『カサンドラ・バーリング』だろうとヴィクトリアは見当をつけた。――Nia様と呼びかけてきたところをみると、驚いたことに、彼女も転生者のようである。
「Nia様!」
弾むような声が割り込み、空気がさっと動いて、金色の髪をした少女が抱き着いてきた。ヴィクトリアは慌てて少女を抱き留めながら、記憶のどこかが刺激されるのを感じた。
どこかで見たような。いや、見ていないような? 必死で頭を回転させた結果、少女の身体的特徴が、ベイジルの婚約者である『エイダ・ロッソン』と酷似していることに気づく。
金の髪に、薄青の瞳。持ち合わせの情報と異なる点は、体型のみだ。抱き着いてきた少女は、ほっそりとまではいかないものの標準体型であり、ぽっちゃりという感じではない。
「エイダ……?」
左手を彼女の腰にあてがいながら試しに尋ねると、エイダは一旦身体を離して、ヴィクトリアと正面から視線を合わせた。彼女の顔には歓喜の色が浮かんでいて、それを眺めるうちに、ヴィクトリアの胸にも穏やかな安らぎが広がっていった。まるで長い旅の末に、家に戻ったかのような。
ああ、また会えた――
ヴィクトリアは瞳を細め、彼女らしくない、慈悲深い瞳でエイダを見つめ返した。そうして視線をずらし、カサンドラの姿を確認する。知らず口の端に笑みが浮かんだ。それはふわりと柔らかな、陽だまりを思わせる笑みだった。
ヴィクトリアは空いている右手を広げ、カサンドラを呼んだ。
「――お前もおいで」
カサンドラの華奢な身体が飛び込んで来る。三人は抱き合って再会を喜んだ。
「長いこと心配をかけた」
ヴィクトリアは落ち着いた声で告げ、何かをこらえるように、眉根を寄せ睫毛を伏せる。エイダとカサンドラは声を出して子供のように泣いた。
瞳を潤ませてこの様子を眺めていたマクドネルは、ポケットから皺くちゃのハンカチを取り出して、チンと鼻をかんだ。
このところ騒動続きで、いい話が一向になかったのだが、久しぶりに雲が晴れて、陽光が差したかのようだった。満ち足りていて、何も足りないものがない。今だけは、面倒なことをすべて忘れてしまおう。
ヴィクトリアがしみじみそんなことを考えていると、ドカン! と無粋な音を立てて、大部屋の扉が蹴り開かれた。一同が目を丸くしてそちらを眺めると、騎士服を乱したベイジルが飛び込んで来たところだった。
口の端には微かに血が滲み、ベイジルにしては珍しく、荒っぽい空気を纏っている。
「――ヴィクトリア! 無事か!」
肩で息をするベイジルを見て、ヴィクトリアは『あ』と小さな呟きを漏らしていた。
……すっかり忘れていた。ベイジルの存在を。