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61.適量とは


 カサンドラはまたもや特大サイズの女物の靴と格闘していた。


「なんだよ、このデカ靴! 扱いづらいったらないよ! ええい、忌々しい」


 そんな彼女を横目で眺めながら、エイダはエイダで、気が狂いそうになるくらい細かいドレスの刺繍を手早く仕上げていく。――今日も今日とてこんな具合に、変わらぬ奴隷奉仕が続くのだと思っていた。


 ところがこの日はいつもと違ったのだ。変化が訪れたのは、お昼になる少し前のこと。


 大部屋の入口が騒がしくなり、大鍋を抱えた料理人二人が乱入して来た。一人は小太りな小男で、もう一人は若い女。


「……え?」


 エイダは呆気に取られて、その者たちを眺めた。あまりにありえない人たちが現れたので、白昼夢を見ているような心地だった。


 一拍置き、エイダの胸にじわりと熱が広がる。


 ――あれはNia様だわ! エイダの心臓は破裂しそうなほどに高鳴り、耳鳴りまでしてきた。


 前世の記憶はまだ戻っていないのに、不思議とNia様だと分かった。思い出はなくても大切な人だと分かる。現世での名前は確か、ヴィクトリア・コンスタム様。


 するとヴィクトリアがこちらをちらりと一瞥して、口の端に笑みを乗せたのが見えた。人を食ったような流し目だった。その一癖ありそうな佇まいに、エイダの口元にも笑みが浮かんだ。


 エイダは肘で隣のカサンドラを突き、早口に告げた。


「Nia様がいらしたわ」


 カサンドラは目を丸くして、入口のほうをまじまじと眺めた。


「あっ、本当だ」


 カサンドラはヴィクトリア・コンスタム公爵令嬢には会ったことがないはずだが、一目見て、彼女が魔王の生まれ変わりだと気づいたらしい。


 撥ねっかえり娘で、何かとガサツなカサンドラであるけれど、ヴィクトリアを見つめる瞳はうっとりと心酔しきっていて、少女めいた純粋さがあった。


「……うわ、実物、すご。ド美人」


 などと、この際どうでもいいような感想を漏らす始末だ。


 確かにNia様は美人だわ、とエイダも考えていた。冷たい美人というよりは、生き生きとしていて、健康的な色気のある美人だ。表情が小悪魔めいていて、男心をくすぐるタイプで、とにかく男性からものすごくモテるに違いない。同性でも見ていてキュンとくるぐらいなのだから。


 この二人の心の呟きを、もしもヴィクトリアが正確に聞き取ることができたなら、『ほらね!』と得意満面になったことだろう。


 彼女の周りにいる男たちは、ヴィッキーをまったくチヤホヤしないので、本人は自分が美人という自覚はあるものの、どれだけ男を煽る特性を有しているのか、正確に理解できていないのだった。


 とはいえまぁ、周囲からさしてチヤホヤされていないにも関わらず、揺るがぬ自信を持っているのだから、そこがヴィクトリアのすごいところなのかもしれない。


「――皆さん、当店自慢の美味しいスープをご馳走しますよ! ですけど先にお召し上がりになれるのは、看守の方々となります。そりゃそうです、お偉いさんが先ですよ。はいはい、お配りしますから、こちらに並んで、並んで」


 看守連中が我先にと列に並び、スープとバゲットを手に入れる。そのまま手近なテーブルを占拠して、がっつくように食事を始めた。皿に顔を近づけて食べる、いわゆる犬食いというやつで、品性の欠片もない。


 もちろんポーリンへの奉仕は特別扱いとなる。マクドネルがポーリンのもとへ食事を運び、ケーキもホールごとテーブルに置いてやった。


 ヴィクトリアは、小鍋に分けた分を、階下にいる見張り役のゴロツキたちに届ける係だ。男どもは、ここらではお目にかかったことがない上等な女に興味深々で、やって来たヴィクトリアに何かと構いたがったが、『あとで食器を下げにくるわ。さぁさぁ冷めないうちに』と彼女に上手くあしらわれてしまい、とりあえず食事をすることにした。空腹だったこともあり、スープを目の前にすると、すぐに食事のことで頭がいっぱいになった。


 彼らが手をつけるのを確認してから、ヴィクトリアはマクドネルのいる大部屋へと戻った。


 大部屋に押し込まれた作業者の少女たちは、スープの良い香りにソワソワしつつも、看守たちが食事をするのを、行儀良く黙って眺めていた。彼女らの態度は非常に従順であり、それはここでの奇妙な奴隷生活があまりに長かったために、出しゃばった真似をして痛い目に遭いたくないと考えていたためである。


 管理者たちに食事が行き届いたのに、料理店の二人連れは、収監されている少女たちにスープを施してはくれなかった。


 ――身体の大きな看守女がぺろりと料理を平らげて、おかわりを貰おうと腰を上げる。それに気づいたヴィクトリアが、物言いたげにマクドネルを見つめた。


「――ねぇ、効きが悪くない? 分量、間違っていないわよね?」


「そんなはずはございませんよ。ちゃーんとあたしは適量を入れましたよ。原液は象が即落ちするレベルの威力なもんで、希釈して入れたわけですけど、効果はあるはずですぜ」


 マクドネルは早口でまくしたてながら、懐に手を入れ、黄色の毒々しい薬液が入った注射器を取り出した。


 ヴィクトリアは不服そうに下唇を突き出し、それを指差して文句を言う。


「私、思うんだけど、薄めないでそのまま原液で使ったほうがよかったんじゃない? そうなるともう、スープがいらなかったのかもって話になってくるけれど」


「いやいやいやいや、それじゃあ、誰も口にしてくれないですよ。この黄色い狐のおしっこみたいな液体を、誰がダイレクトで飲むっていうんです? とにかくあっしの計算は正確でさぁ。こいつら馬鹿だから、効くのが遅いだけだと思いますね。大丈夫、大丈夫」


「もういっそ、ガツンと殴っちゃわない? 私、待つの苦手だわぁ」


 二人が向かい合って夢中で口喧嘩(?)をしていると、彼らの顔にふっと影が差した。ソロリと振り返れば、大部屋にいた看守という看守が、全員勢揃いで眼前に迫っているではないか。


「やだ、ちょっと……二四六八十ちゅうちゅうたこかいな


 ヴィッキーは指先を軽く舌先で舐めてから、目の前の看守連中の頭数を数え始めた。


 誰もかれもガッチリした体型で大層厳めしい。これらの頂点に君臨するのが、ミス・ポーリンことクイーンゴリラなわけだが、配下もなかなかの粒ぞろい、屈強なメスゴリラたちなのだった。


「……やば」


 巨大な影の下で、ヴィッキーは口元に拳を当てて縮み上がった。口を押さえたのは、物理的にそうしていないと、魂が飛び出しそうだったからだ。


 ――ていうか、聖女(成り上がりゴリラ一頭)でも難儀したのに、一度に十頭を相手にするのはさすがに無理。


「さぁボス、コテンパンにのしちまってくださいよ!」


 まだなんとかなると思っている能天気なマクドネルが、滅茶苦茶に腕を振り回しながらヴィッキーを煽ってきた。ところがヴィッキー本人はやる気ゼロだ。


「こ、こういう時は、下っ端がまず行くものよ! やっておしまいなさい!」


 先ほど『ガツンと殴っちゃわない?』と威勢のいい発言をしていたのと、同一人物だとはとても思えない。


 しかしボスに期待されていると思ったマクドネルは、健気にも瞳を輝かせ、鼻息も荒く手近な看守に殴りかかるのだった。


「うぉおおおおおおお!!!」


 右フック、左フック、右フック、左フック――マクドネルが渾身の力で繰り出す全てのパンチが、手応えゼロで空を切る。なぜならマクドネルは相手に額を押さえられ、敵の懐に入れずにいたからだ。雄叫びだけはいっちょ前だが、そもそもリーチが相手に届いていない。


 マクドネルの拳が空を切る音だけが響く。



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