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60.潜入作戦


 ――日は変わり。


 ベルがかしましく打ち鳴らされ、施設に迷惑な客がやって来た。


「どうも、ポーリンさん!」


 その客は一風変わっていた。ちんちくりんな狸みたいな小男と、若い女の二人連れ。二人とも調理人の格好をしていて、銀のクロッシュをかぶせた大皿を捧げ持っている。


 二人の背後を見遣ると、深緑色に塗られた珍妙極まりない馬車が街路に停まっているのが見えた。その車体には『――の料理は世界一!』とポップな文字が躍っているのだが、店名が書いてあるあたりが泥で汚れて判然としなかった。


 まるでサプライズパーティの主催者みたいな、妙に愛想が良い二人連れ。ポーリンは岩のようにゴツゴツした顔を顰め、低い声で唸った。


「誰だい、あんた達は! こっちは忙しいんだ、とっとと帰りな!」


 ポーリンの剣幕は凄まじく、雷が落ちたみたいに荒々しいものであったが、生憎訪ねて来た二人の神経はまともではないらしく、怒鳴られてもケロリとしている。


「まぁまぁそう言わずに。こっちは朝からせっせと料理をこしらえたんですぜ」


 小男が短い人差し指で、光り輝くクロッシュを指し示しながら、そんなふうにまくしたてる。


 もう一人の若い女は瞳をキラキラと輝かせて、何が可笑しいのか知らないが、満面の笑みを浮かべている。女の笑顔はなんとも営業的で胡散臭いものであったので、対面しているポーリンは、ゴシップ誌の裏面に載っている新商品の広告記事を見ているような気分になった。この女に微笑まれれば、馬鹿な男共はコロリと騙されて、靴磨きのクリームでも、髭を剃るためのカミソリでも、鼻の下を伸ばしてなんでも買ってしまうに違いなかった。


 ――現に今だってそうなのだった。この施設にはウーランドの手下が護衛として常時複数名控えているのだが、その屈強な男どもが、訪ねて来た若い女を眺めて、冷やかすように口笛を吹いている。


 彼らは荒事担当で、基本的に施設での運営判断は行っていない。それらの面倒事はポーリンが担っているので、こうして少々ゴタついていたとしても、護衛が出て来ることはないのだった。彼らの出番があるとすれば、この者たちが力づくで押し入ろうとした時で、そうなれば目の前の二人は蜂の巣にされる運命にある。しかしこの状況では、護衛どもは女を前にして鼻の下を伸ばしているのだから、まったく呑気なものだった。


 ポーリンは敵意をむき出しにしながら女を睨み据えた。――これ以上馬鹿を言って粘るようなら、この小生意気そうな娘っ子の頬っぺたを張り倒してやろうじゃないか。護衛どもは頼りにならないからね。


「そうやって料理を買わせようって算段だね? あたしはそんなのにつき合ってやるほどお人好しじゃないんだ」


 ポーリンのもじゃもじゃの髪が、怒りのあまりさらに膨らんだように見えた。若い女はその様を見てヒクリと片頬を引き攣らせたのだが、それでも笑みを引っ込めなかった。


 それどころか銀の蓋を持ち上げて外しながら、こんなことを言うではないか。


「まさか、ポーリンさんからお金を取ったりしませんわ! お代はある方から、すでにいただいているんですの。こちらはポーリンさんのための料理ですのよ!」


 開けられた蓋の下から、どぎつい青のクリームが塗られたケーキが出てきた。


 ポーリンは目を真ん丸くした。ケーキにはチョコレートソースで、メッセージが書かれていたからだ。


『親愛なるポーリン、あなたの真面目な仕事ぶりに感謝します!』


 ポーリンは目を丸くした。――彼女は『自分ほど立派で、仕事ができて、賢くて、素晴らしい女性はこの世に二人といない』と常々考えていたのだが、なぜか周囲はそのような賛同を彼女に送ってはくれなかった。それどころか、男も女も誰も彼もがポーリンを侮るような行動ばかり取るので、そのたび彼女は苛々させられていたのだ。――ところが。


 このケーキの贈り主は、長年彼女が求めていた『正しい評価』を、メッセージに込めてくれたのである。


「これは誰からだい?」


 ポーリンの声が掠れた。若い女が笑顔で答える。


「あなたを大切に想っている、リンレーさまからです」


「り、リンレーさまが!」


 腰が抜けるほど驚いた。そして次の瞬間、歓喜が頭の中を駆け巡った。――リンレー公爵が、なんと私の仕事を評価してくださった! ポーリンの頭から湯気が出そうになっている。


 小男が女に向けて大声で捲し立てる。


「おい、本当はリンレーさまのお名前は、内緒にしないといけないんじゃなかったか? 匿名でポーリンさんをねぎらいたいと、あの方はおっしゃっていたじゃないか!」


 それから咳払いをして、今度はポーリンに視線を転じる。


「とにかくですね、ポーリンさん。――あるお方が、あなた様の仕事ぶりに感謝して、当店に料理を頼んだんですよ。あなた様にお持ちするように、とね! ですからあなた様にいらないって断られちまうと、こっちも困っちまうんですよ。全部捨てるようになっちゃいますからね」


「何を言ってるんだい、捨てることはないじゃないか。いいよ、中に運びな」


「そいつはよかった。じゃあ早速搬入させていただきますよ。――ああそうだ、もう一つ伝言がござんすよ。この施設に入っている連中にも、スープをごちそうしてやるようにとのことです」


 このおかしな伝言に、ポーリンの機嫌が若干損ねられた。


「そんな必要ないだろう! なんでうすのろの馬鹿連中に、ご馳走してやる必要があるんだ」


 施設では毎日最低限の食事が供給されている。収監者を生かしておいて、内職させるためだ。しかし生かすために最低限の食事を与えることと、今回のように特別に用意された心のこもった食事を与えることは、意味合いがまるで違う。連中に贅沢をさせるようで、それがポーリンはどうしても許せないのだった。


 別に自分の懐が痛むわけでもないのに、ポーリンは口角を下げて歯ぎしりした。自分は頑張ったから報われて当然だが、何もしない連中がいい思いをするだなんて、苛立ちが抑えられない。


 そんなポーリンを少々呆れたように眺めながら、小男が取りなすように説明した。


「リンレー公爵――ああ、いえ、あるお方がおっしゃるには、たまにはこうした褒美を取らせて、もっと効率良く働かせたいとのことでしたよ。このスープは『ポーリンさんからの差し入れ』ということにして、施設の連中がポーリンさんをもっと尊敬するようにしたいんだそうで。特に護衛連中に与えてやれとのことです」


「……ふぅん、そういうことかい。連中にはもったいない心遣いだよ。だけどあたしのためにリンレーさまが考えてくださったんだ、あたしから断ることなどできやしない」


「ご理解いただき助かりますよ。ああ、細かい点はご心配なく。給仕はこちらでやりますんでね」


 こうしてポーリンは不審者を施設内に入れてしまったのだった。



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