54.どのツラ下げて
さすが騎士団のエース。腹を括ったベイジルは思い切りがよかった。
「――俺が会場に戻って、イヴォール・リンレーを外に連れ出す」
二人は今、王宮の敷地の外、東南の大階段下に身を隠していた。こちらは正門口ではないので、人気がない。王宮を出発した馬車は必ずこの前の通りを通るので、見張るのには絶好のロケーションだった。
先のベイジルの申し出を聞き、ヴィッキーもそれがいいだろうと思った。――確か二人は顔見知りだったはずよね。イヴォールもベイジルに話しかけられたのなら、警戒しないだろう。
どのみち彼女のほうは会場をつまみ出されたも同然の身なので、今更あの場所には戻れない。ドレスの生地がワインを吸って、返り血を浴びたかのような惨憺たる有様になっている。
しかし彼女は惨めな格好をしていても、まるでへこたれていない。腰に手を当てて鷹揚に頷いてみせる。
「いいわ。ここにイヴォール君を連れて来てくれれば、私がやつをぶん殴って、縛り上げるから」
「なんでお前が荒事担当なんだよ」
ベイジルはげんなりしてしまった。なるべくこちらが危険で面倒な役目を引き受けようとしているのに、いつの間にかそれが逆転している。ミステリーだ。
むしろヴィクトリアには、馬車の手配を頼みたかったのだが。
「適材適所よ、ミス・ベイジル」
「誰がミス・ベイジルだ」
そんなやり取りをしていると、遠くのほうでキィと金属の軋む音がした。慌てて口を閉じ、壁にピタリと背をつける。
響いてくる足音の反響から察するに、並行する一本向こうの通路を誰かが歩いているらしい。二人のいる現在地は大階段を挟んで、東側。足音がしているのは大階段を挟んで、西側だ。
ベイジルが囁く。
「――あちらの西側通路は、王宮の隠し通路と繋がっている」
ただの招待客はこのルートを使う権利を有していない。一体誰だろうと考えていると、その人物がすぐに姿を現した。相手が正面通りまで出て来てくれたおかげだ。
月明かりに照らし出されたのは、二人がおびき出そうとしていたイヴォール・リンレーその人であった。斜め後ろからのアングルでも、腺病質な佇まいからすぐに彼だと分かった。
ヴィッキーとベイジルは思わず顔を見合わせる。
「私たちにもツキが回ってきたかも」
「そうだろうか?」
「いいほうに考えましょう。じゃあ、せっかくだから、やっちゃう?」
ヴィッキーが真顔でそんなことを尋ねてくるので、ベイジルは頭が痛くなってきた。こいつの思考回路は一体どうなっているのだろう? 脳筋ばかりの騎士団の連中だって、もうちょっとまともなことを言うぞ。なんでも拳で解決しようだなんて、令嬢として大丈夫なのだろうか。
ベイジルの胸に、親心にも似た感情が湧き上がってくる。……この娘は嫁の貰い手がいるのだろうか。ただでさえゴシップ誌に、クリストファー殿下といい仲だと書き立てられて、今後に影響が出そうだというのに。
「ねぇ、イヴォールは誰かを待っているのかしら?」
ヴィッキーが表通りのほうを覗きながら、疑問を口にする。――イヴォールはその場にしばらく佇んでいたのだが、そう時間を置かず、彼の前に一台の馬車が停まった。馬車にはリンレー公爵家の紋章が入っている。この場所に着けるように、予め指示を出しておいたのだろう。
彼がそれに乗り込んでしまったので、ベイジルは思わず舌打ちした。
「ここで密会するわけじゃなかったな。行ってしまう。飛び乗って制圧するか」
「でもそうすると騒ぎになるわ。それよりも、イヴォールに気づかれずに尾行できたなら、何か掴めるかもしれない」
焦っているのか、ヴィッキーも早口になっている。東壁にピタリと背をつけて隠れる二人の前を、馬車が通過して行く。
――確かにヴィクトリアの言うことは一理ある。夜会はまだ始まったばかりなのに、イヴォールがこのように裏口からこっそりと発つのは怪しい。あとをつければ、手がかりを掴めるかもしれない。
しかし問題は今ここに馬車がないことだった。今から正面口に回って、自家の馬車に乗り込んでいる時間はない。
どうしたものかと考えていると、目の前を珍妙な馬車が通り過ぎた。緑色に塗られた車体には、『マクドネルの料理は世界一!』とポップな文字が踊っている。
ベイジルは慌てて飛び出し、馬車と並走しながら、御者台に向けて怒鳴った。
「――おいマクドネル、止まれ!」
太っちょのマクドネルは御者台にちんまりと腰かけていたのだが、突然横手から現れたベイジルを見てぎょっと目を丸くし、一度前方に視線を戻してから、もう一度横手に視線を戻した。見事な二度見である。
「おやまぁ、ベイジルさんじゃありませんか! どうしたんです」
「お前こそどうした」
マクドネルが手綱を引いて、馬車を急停止させる。馬が抗議するようにヒヒーンと嘶いた。
「あたしゃ、フロンス様の行方を追っていやしてね。独自の捜査により、イヴォール氏が怪しいと睨んで、あとをつけていたんでさぁ」
素人のくせに、ものすごい行動力である。ベイジルは御者台に並んで座りながら、マクドネルに命じた。
「俺たちも連れて行け」
「俺たちって、ほかにも誰かいるんですかい?」
「私もいるわ」
ヴィッキーが馬車の後部座席の扉を開けながら挨拶すると、御者席から振り返ったマクドネルのつぶらな瞳が爛々と輝いた。
「おおおお、あなた様もいらっしゃったとは! このマクドネル、必ずやご期待に応えてみせましょう!」
「アピールはそのくらいにして、早く馬車を出せ」
ベイジルが急かしたちょうどその時、馬車の左側でカタンと小さな音がした。
――先に乗ったヴィクトリアに対し、奥に詰めるように視線で促したその人物は、安馬車の中でも優美さを失わず、彼女の隣にゆったりと腰を下ろした。そうして扉を閉めながら、足を組んでこう告げたのだった。
「――僕も混ぜてもらおう」
しん、とその場が静まり返る。
御者席は外で、ヴィッキーが入った後部席は箱型に囲われている。しかし正面には開口部があり、御者台のほうと筒抜けになっていたので、手綱を握るマクドネルにも、そしてその隣にいるベイジルにも、彼の姿がしっかりと視界に入っていた。もちろん声だってちゃんと聞こえている。
「どうした? 早くしないと、イヴォールを見失うぞ」
マクドネルが目を見開いたまま、ぎこちなく正面に視線を戻し、馬の尻に鞭を当てる。馬車が走り始めた。
ベイジルは驚きに目を見開き、半身振り返って彼を見つめていた。
一方、その人物と二人、車内に詰め込まれた形のヴィクトリアは、のけ反るような体勢を取り、反対側の壁のほうに逃げている。なるべく距離を取ろうとしているのだが、残念なことに、そのせいでかえって膝がやつの足に当たってしまっていた。
馬車が走り始めると、彼――クリストファー・ヴェンティミリアがからかうように隣席に流し目を送った。彼の唇は愉快そうに弧を描いている。
「な……な……な……」
ヴィクトリアは慄き、雷に怯える猫みたいに目を真ん丸くしている。クリストファーはそんな彼女を眺めて、とうとうくすりと笑みを零した。
「どうしたんだ、ヴィクトリア」
「なんであんたがここにいるのよー!!!!!」
ヴィッキーの怒鳴り声に驚き、走行する馬が激しく首を上下させた。




