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53.そうだ、リンレー坊ちゃまを誘拐しよう


 ワインを引っかけられたヴィッキーが会場を出て通路に退散すると、ベイジルが慌てた様子で近寄って来た。


「お前は何をやっているんだ!」


「何をやっているって、見てのとおりよ」


 説明が面倒なので、ヴィッキーは自身の悲惨な格好を手で指し示した。これを見れば、なんだかんだあって会場から弾き出されたことは、容易に想像できるはず。


「そんなことより、ちょっと来て」


 そう告げて、ベイジルを暗がりに引っ張り込む。彼を連れ込んだ先は円柱の裏側で、左手には背丈よりも高い彫像が飾られている。ここなら通路を行き交う人からは見られないだろう。


 ヴィッキーは早速本題に入った。


「夜会に出て、エイダ・ロッソンの情報を仕入れる作戦は失敗した。だけど安心して。私に策があるの」


 この台詞を聞いて、ベイジルの中で警戒レベルが一気に引き上げられた。幼馴染のヴィクトリア・コンスタムがこの手のことを言い出した場合、大抵ろくなことにならないのは、経験上分かり切っていたからだ。


「ものすごく聞きたくない」


「まぁまぁ、いいから。大丈夫だから」


 ヴィッキーが強めにベイジルの肩を掴みながら圧をかける。なんというか、おっさんが若い娘を丸め込もうとしているような調子である。


 ぐいぐい力を込めながら、ヴィッキーが悪どい顔でこんなことを言い出した。


「こうなったらもう、リンレー坊ちゃまを誘拐するしかない」


「は?」


「だからね、リンレー公爵の長男をさらおうと提案しているの」


 ヴィッキーが言い方を変えて伝えてきたので、いや別に『リンレー坊ちゃま』が誰か分からなかったわけじゃないんだがと、ベイジルは思った。


 ――というか、藪から棒になんつーことを言い出すんだ、この娘は!


「お前、馬鹿か!」


 もう馬鹿以外の言葉が見つからない。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、これほどとは!


 そのままわちゃわちゃと揉めていると、二人を目敏く見つけたらしいベイジルの父が近づいて来た。今夜の彼は騎士服を着ていないので、夜会には警備統括の立場ではなく、ウェイン伯爵として参加しているらしい。


 そういえばベイジルが、『今夜の夜会は、警備体制がいつもと違う変則型だ』と零していたっけ。ヴィッキーがそんなことをぼんやり考えていると、ウェイン伯爵が勢いよく話し始めた。


「――おい、お前たち! 年頃の男女がこんな暗がりにしけこんでいると、あることないこと言われて、最後は結婚する破目に陥るぞ! 父さんたちみたいにな」


 ウェイン伯爵は本気で二人の行く末を心配しているらしい。彼はヴィッキーがまだ小さかった頃からよく知っているので、彼女に対してはよその子というより、我が子に接するような態度である。


 ベイジルは半目になり、冷めた口調で突っ込みを入れた。


「今のを母さんに聞かれたら、殺されるぞ。周囲に騒がれたから渋々結婚した、みたいな言い方して」


 するとウェイン伯爵は目に見えて慌て出し、


「母さんには言うなよ。あの時のアレを失敗したとか、僕がそんなことを思っているなんてことは、絶対に言うんじゃないぞ!」


 と醜態を晒すもので、ベイジルの視線はますます冷ややかになるのだった。


 ベイジルは父がワイングラスを手にしているのを見咎め、口を開いた。


「確か母さんから、飲酒は止められていなかったか」


 深酒をすると脱衣癖のある父は、母に睨まれて、現在禁酒中だったはず。この指摘に、


「お酒のことも、絶対に内緒だからな」


 ウェイン伯爵は早口に告げて、証拠隠滅とばかりに一気にワインを煽った。


「――あっ、母さんだ」


 ベイジルが会場入り口のほうを眺めながらそう言うと、ウェイン伯爵は慌てた様子ではーっと手のひらに息を吹きかけ、鼻を近づけて酒の匂いがしないかコソコソとチェックしている。そうしてグラスを息子の手に押しつけると、ダッシュで会場へと戻って行ったのだった。


 ベイジルが呆れを通り越して、ほとんど『無』の境地で父の情けない姿を見送っていると、不意に左肩にグイーっと体重がかかった。見るとヴィッキーが彼の肩に肘を置いている。


「いや、ないわー」


 彼女が脱力したように語る。これから馬鹿にされる気配がプンプンするのだが、何が『ない』のか、訊かずにはいられないベイジルである。


「何がないんだ」


「あんたが前に言っていた、例の大金の話よ。――妻の目を盗んで、ちびちびワインを飲んでいるビビリがだよ? 国を裏切って、卵を盗めると思う? それで誰かから賄賂を貰ったっていうの? ――いや、いや、いや、いや。前も言ったけど、絶対ないから。あんたはパパさんが大金を持っているのを見たって主張しているけれど、子供銀行券か何かの見間違いじゃないの?」


「嬉しい後押しのはずなのに、なんだろう。ものすごく苛っとする」


「パパさん、あんたそっくりの小物じゃん。もっかい言うけど、ないない」


 人の顔の前でプラプラと手を振るので、それを払い落してやった。


「うちの親父の話は、今はどうだっていい。――とにかく俺は、絶対にお前の口車には乗らないからな。リンレー公爵の息子を誘拐なんてしない!」


 するわけがない。実行して捕まったら、確実に縛り首だ。


 この女のことだから、無理強いしてくるに違いないと身構えていると、ヴィッキーはやれやれとため息を吐いて、ベイジルの肩に置いていた肘を外した。そうして冷めた調子でこう言ったのである。


「ふぅん、まぁいいけど。どうするかはあんたの自由だし。だけどエイダ・ロッソンを無事保護したら、私は彼女に言うわよ。――ベイジル・ウェインは婚約者であるあなたを探すために、十分な手を打たないような、とんでもない薄情者ですよ。そんなどうしようもないやつと、あなたは結婚するつもりですか? とね」


 この攻撃はクリティカルに刺さった。ベイジルは悔しそうに瞳をすがめ、喉の奥で唸る。


「……畜生、分かった協力するよ、すりゃいいんだろう! それからどうでもいいけどな、ワイン臭いんだよ、この馬鹿女」


 これじゃあ子供の口喧嘩である。



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