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49.社交界に存在する無数のルール


 腕組みをしたヴィッキーが笑みを浮かべる。それは挑発的で、いかにも彼女らしい笑顔だった。


「おお、怖い。それじゃあ私は、断頭台に上げられてしまうの?」


「ふざけている場合じゃないわ」


 パメラはすっかりおかんむりだ。


「社交界には無数のルールが存在する。その一つ一つは実に下らないものではあるけれど、馬鹿にしてはいけない。ルールがあるからこそ、権威が保たれるのよ」


「そのルールとやらが、さっきあなたが言った――ええと、なんだっけ? マーメイドラインで、かつ、グリーンは駄目?」


「正確には『今シーズン』は駄目なの」


「どうして今シーズンに限りなの」


「それはリンレー公爵夫人が、そう決めたからよ」


「根拠は?」


「根拠なんてない。何度も言わせないで。駄目なものは駄目なの。はっきりしているのは、リンレー公爵夫人がこうと決めたら、それに従わなくてはならないということ」


 まったく厄介な夫人だなぁ。夫も夫だが、妻も妻だ。常軌を逸している。


 ――しかしだ。リンレー夫妻のイカれっぷりはまぁいいとして、ヴィッキーはほかに気になることがあった。


「――よくうちのママが、そんなことを許しているわね」


 ヴィッキーの母は、クソダサイ女にまるで容赦がない。『マーメイドラインとグリーンの組み合わせが駄目』なんてげん担ぎ的なことは言わず、むしろドレスと靴の組み合わせの野暮ったさであるとか、そっちのほうに容赦がなさそうである。


 考えようによっては、アイテム縛りで権威を主張してくるリンレー公爵夫人のほうが、うんと親切なのかもしれなかった。だってメモを取る側からすると、とにかく指示が具体的で分かりやすいからね。ルールの法則自体はよく分からないとしても、とにかく言うとおりに従えばよいのだから、お洒落下級者にはやりやすいだろう。


 公爵夫人がNGというアイテムさえ避けておけば、たとえアクセサリーのモチーフが『祖母の下着に施してある刺繍みたい』であったとしても、オールOK、無罪放免になるわけだ。


「元々、リンレー公爵夫人が戯れに幾つかのルールを定めて、それをあなたのママであるコンスタム公爵夫人が破る。それでワンセットだったのよ。コンスタム公爵夫人が着たら、そのアイテムはOKになる。だけどあなたのママ、最近社交に顔を出さなくなったでしょう。だからリンレー公爵夫人のやりたい放題」


 なるほど。なんとも下らない不毛なやり取りが、ずっと夜会で繰り広げられていたわけか。


 母のほうはリンレー公爵夫人につき合っているつもりなどなく、夫人があまりに馬鹿馬鹿しいルールを下っ端に押しつけるものだから、嫌がらせも兼ねて夜会でそのアイテムを自分が身に着けて、嘲笑っていただけなのかもしれない。そして周囲は『コンスタム夫人が身に着けたからもう安全』というふうに、判断基準にしていた。


 今、母は家出中だから、ストッパー不在で社交界が暴走し始めている。


 そういえば今夜の準備に関して、侍女のペギーが『事情に通じている者を呼びましょうか』と最後まで心配していた。それをきっぱり断ったのは、ほかならぬヴィッキーだった。考えてみればペギーは、引きこもりのあるじにつき従っていたために、こういった世情に疎い。雑多なゴシップを仕入れてくるのは割と得意なようだが、それとこれとは訳が違う。


 ドレスに纏わるルールは、秘せられた世界の話だからだ。――現にこの会場に着いてから、男性陣の視線はおおむね好意的だった。それも当然。男性は女性のドレスよりも身体のラインを見ているのだから、くるんであるものがエンパイアラインであろうがマーメイドラインであろうが、そこに露ほどの関心もないのである。


 ヴィッキーはなんだかげんなりしてしまい、微かに顎を引きながら、パメラに八つ当たりを始めた。


「ちょっとあなた、私のこの姿が見えていたなら、事前に強めに止めて頂戴よ」


 ヴィッキーがグリーンのマーメイドラインのドレスを、妹のクロゼットから失敬しようとしたあの場面。あれさえ覗き見してくれていたなら!


 ヴィッキーは反省するよりも、罪をなすりつけることに必死だった。別にリンレー夫人など怖くもなんともないが、これから聖女とやり合うのに、横槍が入るのは面倒だ。あらかじめタブーの数々を聞いていたなら、トラブルは避けて、別のドレスを選んだのに!


「まだ鼻が詰まっているのよ。もし見えていたなら、あんたの家に乗り込んで行って、ビンタして止めていたわ」


 言われてみると多少鼻声のようだけれども、元々パメラは鼻声っぽかったから、ヴィッキーにはその辺の判断がつかない。ゆえにこの言い草には苛立ちしか感じなかった。


「いつまで鼻が詰まっているのよ。使えないわね」


「ちょっと、それが友達に言う台詞? ずいぶんじゃない? 大体ねぇ、私だって万能じゃないのよ。最近めっきり見えづらくなっているし」


「そうなの? 加齢のせい?」


「この女、マジでぶん殴ってやろうかしら」


 パメラが目を剥いてこちらを睨んで来たので、珍しくそれに気圧されたヴィッキーは、微かに上半身をのけ反らせた。




***




 黙り込んでしまったヴィッキーを、パメラが呆れたように眺める。


「重要人物があなたの周辺に集まりすぎているのかも。おそらく今現在、あなたのいる場所が、歴史の転換点なのね。私がアクセスするには次元が高すぎる」


「ああ、神様!」


 さすがのヴィッキーも本格的に嫌気がさしてきた。――確かにパメラの言うとおりで、身の回りに重要人物が集まりすぎている。


 自身が元魔王だし、元勇者にはちょっかいをかけられている。聖女には先日殺されかけたところだ。それから国の実力者であるリンレー公爵ともやり合った。


 行方不明のエイダ・ロッソン嬢は、前世では魔王の部下だったらしい。元魔王の側近だったわけだから、あの子もかなり高次元の存在だったのでしょうね。ついでにエイダは幼馴染のベイジルと婚約中。


 ああ、そうそう、そういえばクルーズ船に乗る前に、『新勇者』とやらにも遭遇したっけ。確か名前は――


 思わず遠い目になるヴィッキーの脇腹を、パメラが肘で突いた。


「そうこうしているうちに、おいでなすったわ」


 促されて正面に視線を移すと、潮が引くかのように、人混みがサッと左右に割れた。――奥から現れたのは、風格のあるマダム三人組。


 中央のカールした赤毛が、リンレー公爵夫人だろう。少し下膨れているが、中々の美人だ。前髪の立ち上げ方が若干古臭いが、それはまぁどうでもいい。


 そんなことより、目の前のリンレー夫人、今宵の勝負ドレスはなんとワンショルダーの若草色である。シルエットはスレンダーライン。


 ヴィッキーは声を大にして訴えたかった。――これってありなの? と。


 確かにお洒落に細かい女子から見たら、違いが分かるだろうが、たとえばそこらのおじさんを捕まえて訊いてみたら、これとマーメイドラインの違いなんて分からないんじゃないかしら。そもそもの話、若草色って、大枠で見ると緑の仲間よね?


 タブーを作っておいて、自らがそれに近いラインを攻めるって、このおばさんは一体どういう神経をしているのだろう?


 ていうか一番の問題はね、こちらと一部被ってしまっている点なのよ。――最悪だわ、ドレス被り。


 向こうのほうが若干おばちゃん臭いけれど、この事態はヴィッキーとしては業腹だった。



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