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48.夜会のタブー


 ヴィクトリア・コンスタムが軽やかな身のこなしで馬車を下りた瞬間から、近くにいた男性の視線は、吸い寄せられるように彼女のほうに向けられた。


 王宮の豪奢な赤絨毯の上を、風を切って歩く彼女。――身なりの良い老紳士が、彼女のオーラに圧倒されて目で追っていると、ヴィッキーがすれ違いざまに意味ありげな笑みを浮かべて、彼に流し目をくれた。その魅力にやられて、厳格そうな紳士が魂を抜かれたようにポカンと口を開ける。


 大広間の扉の前で、ヴィッキーは足を止めた。ルージュを引いた形の良い唇に、美しい笑みを浮かべて。


 ――今夜の彼女はとにもかくにも圧倒的だった。ゴージャスでホット。道徳も倫理も全て吹き飛ばす力がそこにはある。


 彼女に微笑まれれば、大抵の男は平伏すことだろう。高慢で自信に溢れた彼女はこの上なく魅力的だった。髪の一房、爪の先に至るまで、全てが完璧に整っていて、眩いほどの輝きを放っている。


「――さぁ、行くわよ」


 ゆるやかに扉が開かれる。その先に広がる煌びやかな世界へと、彼女は足を踏み入れた。




***




 人また人の波だった。さざめくような残響。むせ返るような香水の香り。ご婦人方が身体を動かすごとに、豪奢な宝石がキラキラ輝く。


 華奢なヒールで絨毯を踏み、ヴィッキーはしなやかな足取りで広間を進んで行く。人混みを避けながら、ヴィッキーは周囲に気を配っていた。


 まず見つけなければならないのは、クリストファー。やつの動向は早く掴んでおく必要がある。ヴィッキーはサプライズを仕かけるのは好きだったが、仕かけられるのは嫌いだった。


 そして宰相のリンレー公爵。あちらはおそらくヴィクトリア・コンスタムの足を掬ってやるべく、虎視眈々とその機会を狙っているはずだ。


 それから忘れてならないのは聖女。先日ヴィッキーにしてやられた恨みを忘れてはいないだろう。今夜ヴィッキーにトドメを刺してやろうと、卑怯な計画を立てているかもしれなかった。


 クリストファーとの契約で、ヴィッキーはあの女を叩きのめさなければならない。先日は拳で黙らせたが、今夜の決戦の舞台は社交の場である。――あの芋女、絨毯に膝をつかせてやるわと心に誓う。


 それからベイジル・ウェイン。幼馴染の名前を思い浮かべたヴィッキーは、くるりと目を回した。――ああ、やつは別に探さなくてもいいか。ヴィッキーにとってベイジルは、パンに塗るジャムみたいなもので、当たり前のようにそこにあるものだが、なくても別に構わない一品なのである。


 それからあとは――ふと九時の方角に視線を走らせたヴィッキーは、そこにパメラ・フレンドの姿を認めた。重要人物をまだ一人も見つけていないのに、よりによって一番に目についたのが、パメラとは。


 ――ところで彼女、風邪は治ったのかしらね? この距離だと、鼻の頭が赤いのかどうか判別ができない。まぁだけど、どうせ今夜は濃い目に化粧をしているだろうから、近づいたとしても、肌の赤味は見分けられないかもしれないが。


 パメラは警備の人間とひと悶着起こしているようである。相手が両手を広げて何かを訴えており、パメラはフクロウみたいな瞳を相手に据えて、腕組みしながら強気に言い返している。相手の不服そうな顔を見るに、どうやらパメラが無理難題を吹っかけているようだ。


 しかしあれだけごねていてもクレーマーに見えないどころか、なんとなく愉快に感じられるのが、パメラのすごいところだった。歓楽街に百まで居着いたやり手婆みたいな、カラリとした独特の空気が彼女にはある。全体的にうっすらいい女なのに、一周して色気がないというか。


 ――パメラに気を取られていたら、不意に右肩に軽い衝撃を受けた。次いで荷物を落としたような鈍い音が足元で響く。


 驚いて視線を戻すと、腹回りの太い中年紳士が目と鼻の先にいた。ヴィッキーがよそ見をしていたせいで、ぶつかってしまったらしい。


 飴色ガラスの大きな眼鏡をかけたグレーヘアの男で、よく手入れされた口髭と顎髭を生やしている。背はあまり高くない。しかし肩幅や胴回りといった上半身の恰幅が良く、なんとも堂々として見えた。


 驚きに彩られた男の瞳が、眼鏡の奥からヴィッキーを見据えた。視線が絡んだのは一瞬のことであったが、彼の瞳があまりにクレバーで、冬の湖のように澄み渡っていたので、不思議な余韻をヴィッキーの心に残した。


「大変失礼しました。――お怪我は?」


 男が咳払いしながら、伏し目がちに詫びてくる。ヴィッキーは微笑みを浮かべ、


「問題ないわ。お気遣いありがとう」


 と答えた。


 社交上の礼儀を果たすと、男はそそくさと足元に落としたヴァイオリンケースを拾い上げ、人混みの中に消えて行った。どうやら楽団の人間らしい。会場にはすでに楽団の生演奏が流れているので、今こんなところを歩いていたということは、すでに担当する演目を終えて、帰るところなのかもしれなかった。


 ヴィッキーが楽団の男に意識を取られていると、パメラがこちらに気づいたらしく、歩み寄って来た。明るい表情で、微笑みながら近寄って来たパメラであったが、ヴィッキーの全身を認めた途端、瞳を真ん丸く見開いてビクリと肩を揺らした。


 ――たじろぐフクロウ。止まり木から落ちそうな勢いだけれど、どうしたのかしら?


 パメラは左肩を落とし、身体を捻るようにしながら、人差し指を顎に当て、値踏みするようにヴィッキーをジロジロ眺め回している。


「ちょっと、パメラ。あまりに不躾じゃない? 挨拶くらいなさいよ」


 腰に手を当てて呆れ顔でそう言ってやると、パメラ・フレンドはそれを上回る呆れ顔で返してきた。見事な顔芸である。


「あなた、それ」


 ジロジロ眺め回す無礼をやめずに、今度は人を指差すという暴挙を重ねてきた。――パメラの指がくるくる動いていて、どうやら衣装一式を指しているようなので、ヴィッキーは訝しく思いながら口を開いた。


「このドレス? 妹のやつを借りたんだけど」


 似合っているでしょう? と続けようとしたら、感情を昂らせたパメラに言葉を遮られてしまう。


「――くそったれ!」


 そのまま彼女は右手を忙しなく動かしながら、その場をウロウロし出した。


「なんなのよこの子、ったく! ヒヨコの世話より手間がかかるじゃないの!」


 おい、失敬だな。大体あんた、ヒヨコの世話をしたことがあるのか。反感を覚え、ヴィッキーの鼻のつけ根に皴が寄る。


「何が問題なの?」


「問題だらけよ! 今シーズンは、マーメイドラインとグリーンの組み合わせは、タブーなの。それから雫型のイヤリングは、公爵夫人から次の合図があるまで、絶対に不可」


 あまりに早口だったのですぐには言っていることが理解できず、一拍遅れてやっと内容が頭に入ってきた。――ヴィッキーは思い切り眉を顰めて『こいつ、イカれているんじゃないか』という目つきで、友人のパメラを見つめ返した。


「何よ、その訳の分からないルール。あなた得意の占い?」


 似たような言葉遊びを占いでよく見るけど。――今日のあなたは四角形がラッキーアイテム。雫型のアクセサリーは、アンラッキーアイテムだから気をつけて。意中の彼と些細な出来事で喧嘩してしまうかも。みたいな。


「占いよりも、もっとずっと確かなものよ! 破った者には制裁が下される」


「誰が裁くというの?」


「社交界を仕切っている者よ」


 おっと。これはきな臭い話になってきた。



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