47.ドレス奴隷工房
夜会の衣装をどうするか。引きこもり生活を長年続けてきたヴィッキーは、ちゃんとしたドレスを持っていなかった。
こういうことはできれば世慣れた母に相談したいところであるが、生憎彼女は夫(つまりヴィッキーの父)と大喧嘩をして、今現在絶賛家出中。連絡が取れないので、相談のしようもない。
――ドレス、ドレスね。ヴィッキーは顎に手を当てて、考えを巡らせる。
新調するのも一つの手であるが、クリストファーのためにそれをするとなると、なんだか妙に腹立たしい。これはもう理屈ではなかった。癪に障るから、したくない。
どうしたものかとしばらく思案した結果、ヴィッキーは妙案を思いついた。――それは優等生のお利口ちゃんこと、妹のリリアン・コンスタムの衣装部屋に忍び込み、ドレスを一着拝借するというものだった。
そうと決まれば善は急げで、こっそり妹の衣装部屋に入る。
リリアンは冴えない外見と中身をしている割に『そんなに持っていても、無駄じゃない?』と言ってやりたくなるくらい、沢山のドレスを所持していた。しかもそのほとんどが彼女には似合わない代物なのだ。
リリアンという女は勉強ばかりしているのに、大人のたしなみとして重要な『客観性』に関する学びを、丸々すっぽ抜かしたまま大きくなってしまったようである。
リリアンが更生するチャンスは、美意識の高い母に一から教えを請う以外にないが、なぜか彼女はかたくなにそれをしない。母は母でリリアンに関しては放任というスタンスを貫いている。
二人は性格がまるきり正反対であり、生活全般全てにわたって会話が一切噛み合わないので、大喧嘩を避けるために、互いに不干渉という方針を決めているようだ。
――て、『リリアンがどうしようもなくダサイ問題』はこの際どうでもいいか。それよりも夜会のドレスだ。
ヴィッキーはこういう時にあまり悩まない。手に取っては眺めという作業を数分のあいだ行い、すぐにこれだというドレスを決めてしまった。――ビビッドであるが、下品すぎない緑。特徴的なワンショルダー。腰の滑らかな曲線をこれでもかと強調するマーメイドライン。膝下から広がる裾がどこかなまめかしい。
ヴィッキーは難しい顔でハンガーを持った手を伸ばしながら、ためつ眇めつ、このドレスを眺めた。
――やはりこのデザインは、なで肩のリリアンには致命的に似合わない。あの子は華奢な上半身を補うために、スカート部分が可愛らしく広がるプリンセスラインか、いっそベルラインのものを選ぶべきだろう。
襟も体型に似合うものを、もっとよく吟味すべきだ。肩にボリュームがないのに、ワンショルダーやホルターネックを好んで選ぶのは、大変いただけない。ラウンドネックでいっそ可憐さを強調するか、あるいはパフスリーブで派手にかさましすべきである。
――ところでリリアンとヴィッキーは、(リリアンがなで肩である以外は)体型が非常に似通っていた。リリアンのほうが胸や腰は幾分華奢であるが、彼女はなぜか野暮ったいことに、ドレスのサイズをほんのわずか大きめに作るという悪い癖を持っていた。心配性なところがあるので、『太ったら着られなくなる』という不安をこじらせた結果なのか、その辺の事情はよく分からない。
だからヴィッキーからすると、この衣裳部屋はまさに宝の部屋なのである。リリアンにとって少々大き目であっても、ヴィッキーにとってはジャストサイズ。リリアンに着られると不幸なことになるドレスの数々が、ヴィッキーに着てもらえる日を夢見て、健気にここで眠っているのだ!
ヴィッキーは理想の骨格美を体現したかのような、バランスの良い肩の形をしているので、ワンショルダーだろうがスクエアネックだろうが問題なく着こなせる。
無事グリーンのドレスをゲットした彼女はそのまま部屋を出ようとして、それに合いそうなイエローゴールドの華奢な靴を見つけたので、ついでとばかりに手を伸ばした。
ピンヒールはかなりの高さがある。見た目が華麗な靴ほど、それを履く者は曲芸めいたバランス感覚を求められる。しかし適度に足に筋力があれば、綺麗に履きこなすことも可能だろう。
――これでOK。アクセサリーは自前のものを合わせよう。靴と髪のバランスを見て決めればよい。
こうしてヴィッキーは投資ゼロで装備を整えた。――『タダより高いものはない』という言葉があるが、古人が言うことには、何がしかの真理が含まれているものである。ヴィッキーはそれについてもっとよく考えてみるべきだったかもしれない。
***
ヴィッキーが妹の衣装部屋でドレスを物色していたちょうどその頃、隔離施設に閉じ込められているエイダ・ロッソンとカサンドラ・バーリングの両名も、色とりどりのドレスに囲まれていた。
――どうしてここに沢山のドレスがあるのか?
それはイカレ女看守のポーリンが、収監者たちに内職をさせているからだった。作業に携わっている少女はかなりの数に上る。
エイダやカサンドラのような貴族子女だけでなく、富裕層の家の子も多い。施設に入れられた経緯は様々であるが、たとえばある少女は、両親が事故で亡くなり、欲深い親戚がリンレー公爵にたんまりと入院費を払って、ここに閉じ込められてしまったそうだ。
元々は訳有りの少女たちをただ閉じ込めておくだけの施設であったのだが、そのうちにがめつい女看守のポーリンが、ちょっとした小遣い稼ぎを思いついた。
仕組みはなんともシンプルで、仕事を請け負い、少女たちに作業をさせて、注文された品を先方に納める。ちょうど優秀なお針子が入所してきたので、ドレス工房を立ち上げたら、儲かるかもしれない、そうポーリンは考えた。
ちなみにそのお針子は、人気デザイナーの一番弟子だったらしいのだが、恵まれた才能を伸ばした結果、師匠の地位を脅かしてしまったらしいのである。そして弟子を疎んだ師匠が、大金を積んで、彼女をここへ入れたというわけだった。
ここで作られたドレスは、表の市場に回され取引される。施設内の者は報酬も貰えずにタダ働きをして、顔も見ぬ上流階級のご婦人が着るドレスを縫い続けているのだ。色とりどりの布や材料に囲まれて。
シルバー、ゴールド、ワインレッド、イエロー、ブルー、ピンク。
リボン、レース、ボタン、ホック。
「――ったくなんだよ、このデカ靴は!」
意外と器用なカサンドラ・バーリング嬢は、ドレスの仕上げ係から出世(?)して、ワンランク難しい仕事を割り振られていた。すなわち、靴の製作である。
今作業をしているのは女性用の青い靴なのだが、これがまた驚くほど大きい。平均的な成人女性の足のサイズより、四サイズ以上は大きいのではないか。どんな大足の女が履くのだと、どうでもいいことに苛立ちを覚える。こんなにイライラしているのは、憎きポーリンが次から次へと、ものすごい量の仕事を押しつけてくるせいだ。
大きなローラーでなめし皮を伸ばしながら、カサンドラは看守役のポーリンを睨みつけた。燃え上がる炎のような形をした髪を揺らしながら、ポーリンは椅子に座ってゴシップ誌を読みふけっている。
ポーリンの傍らには頑丈そうな火掻き棒が置いてあり、反逆者が手向かってくれば、あの恐ろしい獲物で額をかち割って返り討ちにするつもりらしかった。
「死なばもろともさ。いっそこのローラーで、あの岩女に立ち向かってやろうかね」
皮を伸ばすローラーを握りしてめてブツブツと物騒なことを呟いていると、隣で作業をしていたエイダ・ロッソンが、肘でカサンドラの脇腹をつついてきた。
「――静かに。駄目よ、カサンドラ。もしもポーリンの耳に入ったら、それだけで鞭打ちされてしまうわ」
「してみろってんだ、あのクソばばぁ! 目にもの見せてくれるわ。あたしを鞭打った時が、あいつの人生が終わる時さ」
カサンドラはすっかりやさぐれて、猫のような瞳をキリキリと吊り上げている。――大層口が悪いが、これはストレスが原因ではなく、前世の記憶がその要因であると思われた。カサンドラはここに収監される前から、どうにも破天荒な令嬢であったからだ。
血気盛んな彼女をたしなめるように、エイダが釘を刺す。
「あの丸太のような腕を見て。勝てる見込みもないのに逆らっては駄目よ。脱出のチャンスは必ず来るわ。その時をじっと待つのよ」
ところでこのところ、エイダ・ロッソンの見た目は驚くべき変貌を遂げていた。
おやつが食べられない規則正しい生活を続けるうちに、エイダは体内に溜め込んでいたプヨプヨの贅肉を失ってしまったのだ。今ではほぼ平均的な令嬢の体型に近づいている。
顔のむくみが取れたことで、彼女本来の瞳の美しさが強調されるようになった。宝石のカットと同じで、瞳が輝くために最も適した形に、アイラインが整ったのだろう。
多少ふくよかでも顔形の印象が変わらない女性もいるが、こうして痩せてから劇的に輝きが増したところを見ると、エイダの資質は肥満と致命的に相性が悪かったようである。
彼女は長い髪をくるりと左耳の下で丸めてまとめ、そこに淡い水色の針刺し(※針を刺しておくフワフワしたクッション状の台)を髪飾りのようにあしらっていた。そこからマチ針を抜き取ったり、刺したりと自在に扱っている。エイダもそこそこ要領がよいので、この短期間で、お針子仕事をすっかり身に着けてしまった。
キビキビと仕事をこなす真面目なエイダを恨めしそうに眺め、短気なカサンドラはべぇと赤い舌を出した。
「なんで自分が着るわけでもないドレスだの靴だのを、チマチマチマチマこさえないといけないんだよ! ここにはドレスが無駄に溢れているじゃないか。それこそ世界中の女性のドレスがまかなえるくらいにね!」
全世界の女性のドレス作成が、この工房内でまかなえるわけもない。しかしカサンドラの悪態は実に良いところを突いていた。
王都で幅を利かせる、ハイクラスの貴族女性たちが身に纏うドレスの九割。それがいまやこの工房内で作られているのだ。