46.婚約者になって欲しい
ふたたびゴシップ誌に、クリストファーとヴィクトリアの記事が掲載された。今度の内容は二人の熱愛を告げるだけでなく、もっとずっとセンセーショナルで下世話なものだった。
『聖女、ついに次の夜会に参戦か ――公爵令嬢 VS 聖女―― クリストファー殿下を巡る、女同士の熾烈な戦いの行方は?』
***
このところヴィッキーはリンレー公爵の周辺を探っていた。
いまだエイダ・ロッソンの行方は掴めていないが、マクドネルから『フロンスが亡くなれば、あなたは気づく』と言われたことで、エイダが生きて元気にしていることが、ヴィッキーには感覚的に分かるようになった。――『そういうものか』と一度呑み込んでしまうと、勘が働きやすくなるようだ。
――とはいえ居場所までは分からない。
町歩きしながら、リンレー公爵の最近の行動パターンについて考えを巡らせる。見落としている点が何かないか?
考えごとに没頭しながら歩いていると、あとをつけられているのに気づいた。そこで脇道に逸れ、目についた植物園に入り込む。
緑のあいだを進んでいると、いつの間にか尾行者に追いつかれ、隣に並ばれる。――すらりと背の高いシルエット。横を見て確認しなくても、誰だか分かる。
ヴィッキーはげんなりするとともに、微かな怒りを覚えていた。まったく『どのツラ下げて』という気持ちだった。
「やぁ」
こちらが不快感を覚えていても、相手がそれを察してくれるとは限らない。心臓に毛の生えたクソ野郎の場合は、特に。
ヴィッキーはギリと奥歯を噛みしめて、隣を歩くクリストファーを睨み上げる。黒の帽子を小粋にかぶった彼は、家柄の良い好青年といった出で立ちだ。お得意のお忍びスタイルだろう。
「よく私の前に顔を出せたわね」
「それは君が僕に会いに来ないから、仕方なくね」
クリストファーが優美に微笑んでヴィッキーを見おろす。その目つきはまるで愛しい恋人を眺めるかのようで、ヴィッキーとしては反吐が出る思いだった。
なんで『僕に会いに来ない』とか、責められなければならないのよ。定期的に顔を合わせる約束などしていない。
「私が自主的に会いに行く時は、あなたの息の根を止める準備ができた時でしょうね」
「殺したいほど強く想われていたなんて、なんだか照れるな」
「照れるの意味、分かっている? 羞恥心がねじ切れているくせに」
ヴィッキーが刺々しくそう言ってやると、クリストファーが綺麗に口角を上げる。
「なんだかこの会話、痴話喧嘩みたいじゃないか? 長年つき合っているみたいに息がぴったりだ」
「ぴったりでたまるか、この悪党」
「君に罵られるのが癖になりそうだよ。――けれどまぁ、このくらいにしておこうか。そろそろ本題に入るよ」
本題に入らなくてもいいんだけど。前置きも本題も抜きにして、別れの挨拶に移りたい。そして二度と関わりたくない。
けんもほろろに追いかえしてやろうと考えていたヴィッキーであったが、次にクリストファーが告げた内容があまりに意表を突くものであったから、呆気に取られてしまった。
「――今度開かれる夜会に、僕の婚約者として出席してくれ。皆の前で大々的に婚約を発表する」
この男、突然外国語を話し出したのかと思った。ヴィッキーは足を止め、クリストファーの端正な顔を見上げて固まってしまう。
――知らないあいだに、『婚約者』って『敵対者』を指すようになったのかしら? 将来殺し合うことを誓った相手を、皆にお披露目する儀式とかあったっけ? 何それ、革新的じゃない?
じぃっとクリストファーを見つめるのだが、やつは優美に彼女を見返すばかり。らちが明かないので、渋々口を開く。
「私が知らないあいだに、『婚約者』って別の意味を持つようになった?」
「意味は変わっていない。将来結婚することを約束した者同士を指す」
「誰と誰が結婚するって?」
「君と僕」
ヴィッキーがだんまりを決め込むと、クリストファーは口元に悪戯な笑みを浮かべて、もう一度繰り返した。
「――君と僕の結婚について話しているんだよ、ヴィッキー。ちゃんと聞いている?」
さらりと頬を撫でられ、鳥肌が立った。
「やだ、もう、なんなの、怖すぎる」
「怖がることはない。怯えるのは初夜だけにしてくれ」
「クソ野郎! 私、あんたを今すぐ殺したい!」
ヴィッキーは瞳を揺らし、クリストファーの襟首を掴んで叫んだ。混乱していたし、最低な気分だった。こいつと結婚するくらいなら、素っ裸で真冬のフィン川に飛び込んだほうが、うんとマシだ!
クリストファーは楽しげに彼女を受け止め、こんなことを言う。
「君に選択権はないんだよ、ヴィッキー。もしかしてまだゴシップ誌を見ていないのか?」
「見たわよ! どうしてあのクルーズ旅行がスッパ抜かれたの? バラしたの、あんたじゃないでしょうね!」
怒りがぶり返してくる。この男はヴィッキーへの嫌がらせのためだったら、ゴシップ誌にネタを売るくらいのことはしそうだ。しかしクリストファーから返されたのは、これまた意外な内容だった。
「時間は移ろいゆくものだよ。君の把握している情報は古い」
「なんですって?」
「ほら、最新号だ」
彼が小脇に抱えていた紙面を差し出してきたので、ひったくるようにして開く。するとそこには、聖女とヴィッキーとクリストファーの三角関係が面白おかしく書かれていた。
ヴィッキーはぶるぶる震えながらゴシップ誌を握り締めた。目つきが殺し屋のそれになっている。
「な、これ、なんで!」
「このところ聖女の影響力が強まりすぎている。ここで牽制しておきたいところだが、あちらさんも中々したたかでね。むげにもできない」
「――もしかしてあなた、聖女と婚約させられそうなの?」
「まぁ簡単に言うと」
クリストファーが認める。これを聞いたヴィッキーは頬がヒクリと引き攣ってしまった。彼女は今や笑いをこらえるのに必死だった。
――ざ、ざまぁ! こいつ、あのサイコパス女とくっつけられそうなのか! もう、ざまぁ以外の言葉が思いつかないよ。いやぁ、今日は美味い酒が飲めそうだなぁ。
愉快になっているヴィッキーは、自分が醜聞に巻き込まれていることをすっかり失念していた。実際のところ、貴族令嬢としてヴィッキーが負った傷のほうが遥かに大きいわけなのだが、呑気な彼女はまるで気づいていない。
ヴィッキー自身が分かっていないようなので、小首を傾げたクリストファーが攻め手を変えてきた。
「――交換条件といこうか。君はベイジル・ウェインの婚約者の行方を追っているね? 夜会での働き次第で、僕がそちらを手伝ってもいい」
「手伝いですって? 駄目よ。交換条件ならば、エイダ・ロッソンを探し出すところまで、責任を持って請け負って」
ここでヴィッキーは致命的なミスを犯した。有利に交渉を進めようとして、クリストファーからの申し出を、迂闊にも呑んでしまったからだ。
クリストファーは上機嫌に微笑んでみせる。
「契約成立だ。お互いベストを尽くそう」
「いいわ。夜会でうんと目立って、思い上がった聖女を完膚なきまでに叩き潰してあげる」
「話が早くて助かるよ。対抗馬が強ければ、聖女との結婚話も立ち消えるだろうから」
聖女をやり込めたあとは、クリストファーと結婚しないで済むように、なんとか逃げ切ればいい。クリストファーのほうだって、聖女から逃げるために助けを求めてきただけだから、ヴィッキーと結婚するつもりなんてないだろうし。
「ドレスを贈ろうか?」
クリストファーがおかしなことを尋ねてくるので、彼にこれ以上借りを作りたくないヴィッキーは、これをきっぱりと撥ねつけた。
「結構よ」
「素直に受け取っておけばいいのに」
「繰り返すけれど、結・構・よ!」
一語一句区切りながら、キッパリと拒絶してやった。
――ところがこのことがまさか、あんな大事件に発展するとは。ヴィッキーは夢にも思っていなかったのである。