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43.ベイジルが唯一信じられるもの


 エイダ・ロッソンの安否はまだ分からない。ベイジルは連日連夜そこらを駆けずり回って疲れ切っていたし、程度は違えど、それはヴィクトリアのほうも同様だった。


 二人は並んで歩きながら、情報交換を始めた。


「――視点を変えましょう。これだけエイダを探しても手かかりがないならば、同時期に失踪した、カサンドラ・バーリングの行方を追ってみるというのはどうかしら」


 これを聞いたベイジルは、焦れた気持ちを必死で抑え込むように、口元を押さえた。――正直なところ、エイダのことをひとまず忘れて別の令嬢の行方を追うなんて、心情的に耐えられそうにない。


 しかしそれでもヴィクトリアの言うことには一理あると認めざるをえなかった。カサンドラはリンレー公爵の長男であるイヴォール・リンレーの婚約者だ。今回の失踪にリンレー公爵が関わっているならば、より近しい関係者であるカサンドラの失踪が鍵になるかもしれない。


 ヴィクトリアが事務的に尋ねる。


「公爵の息子――イヴォール・リンレーは婚約者の失踪について、なんと言っているの?」


「イヴォール自身は、婚約者が失踪したことを認めていない」


 ベイジルが答え、並んで歩くヴィクトリアを見おろす。


 すると彼女の顔がなんとも盛大に顰められたので、その予想どおりのリアクションを見て、なんだか肩の力が抜けてしまった。ヴィクトリアは緊張感をぶっ壊すプロだなと、ベイジルは感慨深い気持ちになる。


 本人としては別にふざけているわけでもないようだが、自由気ままなヴィクトリアと接していると、なんだかくどくど思い悩んでいることが馬鹿らしくなってくる。悩んでいる暇があったら、玉砕覚悟でぶつかっていったほうが、よほど建設的だと思えてきて。


 ――とはいえヴィクトリア自身は、この態度でだいぶ損をしているようである。しかつめらしい大人には、彼女のこういった人を食ったような態度は、大層うけが悪いからだ。


 社会には一定数、個性的な人間を目の敵にして、全力で叩き潰そうとする手合いが存在する。たとえその相手が自分と直接関係がないとしても、『存在するだけで目障り』で『どうにも気に食わない』から『神の代わりに自分が鉄槌を下してやろう』ということらしい。


 ヴィクトリアはヴィクトリアで露悪的なところがあり、そういう人間に突っかかられると、クソミソに負かそうとする。結局のところ、気難し屋と野生児は食い合わせが悪いということだろう。


 ――ヴィクトリアが焦れたようにチチチと小さく舌打ちを始めたので、ベイジルはため息をつきつつ、先の発言を補足する。


「イヴォールはカサンドラについて、『今、領地で療養中』と説明している。――そう深刻な事態ではないが、肺炎になりかけたので大事を取り、空気の良いところで滞在しているだけだと」


「だけど誰も領地でカサンドラを見ていない?」


「療養中ということだから、誰とも会っていなくても不思議はないともいえる。――ただ、気になるのは、カサンドラの家族が当初は娘が行方不明になったと騒いでいたのに、翌日にはぴたりと口を噤んでしまったことだ」


「どういうこと? リンレー公爵に脅しをかけられたとか?」


「デリケートな内容だからなんともいえない。バーリング家からすると、娘が行方不明であることは、あまり大っぴらにしたくないだろうし」


「なぜ? 大事おおごとにして皆で探したほうが、見つかる可能性は高くなるでしょう」


「しかし貴族令嬢に誘拐された過去があると、致命的だからな。無事戻ってきたとしても、結婚は絶望的になるだろう。そのリスクを考えると、慎重な対応を取るのも理解できる」


 ベイジルが淡々と事実を述べると、ヴィッキーは『くそったれ』と言わんばかりの顔で彼を睨みつけてきた。――そんな顔をされても知らん。


 情報をオープンにしないのは、ただ体裁を気にしてというわけではなく、むしろ娘の将来を思いやっているケースもあるのだから、赤の他人が被害者家族の対応をどうのこうのと責めるのはお門違いだ。


「誘拐された過去があるからって、なんだっていうの? それでその子自身に傷がつくわけじゃないでしょう。むしろ苦しみを乗り越えた強さを称えるべきだわ」


「お高く止まった貴族社会の連中は、そんなふうに考えない。――怒るなよ。俺の意見じゃないぞ」


「当たり前でしょう。あんたの意見だったら、頭かち割ってるっての」


 半ば本気だろうなという脅しをかけられ、ベイジルは小さくため息を吐く。


 一方のヴィクトリアは少し考え込んでしまった。


「それでもカサンドラ・バーリングの家族は、当初は娘が行方不明だと騒いだわけね。そうなると家族仲が悪いわけでもない? ――いや、でも、逆かしら? 行方をくらませたカサンドラに腹を立て、彼女の将来などどうでもいいと考えて、当初は騒いだ?」


 ヴィクトリアは思考がとりとめなくなっているようである。ぐだぐだと蛇行しながら目的地を見失い始めている。


 ベイジルは軽く眉を顰め、軌道修正を試みた。


「騒いだといっても、家族が必死で探していたのが、運悪く外部に漏れたというのが正しい表現かもな。――翌日バーリング卿がきっぱりと娘の失踪を否定したので、表向きはなかったことに」


「リンレー公爵の息子イヴォールは、その説に乗っかったわけね」


「噂の鎮静化の手際がよすぎる。だからこう考えてはどうだろう。――リンレー公爵はカサンドラの身柄を押さえていて、それを盾にバーリング卿を脅して黙らせている」


「なるほど、いかにもやつのやりそうなことだわ」


 すっと瞳を細めたヴィッキーが、そのおもてに怒りを乗せる。リンレー公爵にとっては、誘拐、恐喝、その手の悪事はなんでもござれといったところだろう。罪悪感の薄い男が権力も金も持ってしまっているわけだから。


 ――ところでリンレー公爵が黒幕だとするならば、バーリング卿との駆け引きに必要なカサンドラを殺すとも思えないから、どこかに閉じ込めてまだ生かしている可能性が高い。


 ヴィクトリアは瞳に輝きを宿しながら、傍らを歩くベイジルを見上げた。


「ねぇ、きっとエイダ・ロッソンは生きているわ。私はそう思う」


 これにベイジルはくすりと笑みを漏らした。


「生きていることを前提に、俺たちは動いているんじゃなかったのか? 今更それかよ」


「そうだけど、今この瞬間、確信めいたものが生まれたの。――あんたは知っているはずよ。こういう時の私の勘は外れないって」


 ヴィクトリアの声音は落ち着いていて、耳に心地が良かった。不覚にもベイジルはこれを聞いて、瞳にじわりと熱が集まるのを感じた。


 ――このところずっと不安だった。それこそ夜も眠れないほどに。探しても探しても、エイダの行方は知れない。忽然と姿を消して、それきり。


 彼女が行方不明になっている事実を大っぴらにすることはできなかった。それは先の会話にも出たとおり、貴族令嬢の行方不明事件は、無事帰還したとしても評判に傷がつくからだ。


 そのことについては彼自身迷いがあった。エイダのことを本当の意味で心配するのなら、行方不明になっている事実をオープンにして、各所に協力を仰ぐべきではないのか? 自分がしていることはもしかすると、ただの保身なんじゃないか?


 人はぎりぎりの状況に置かれた時、重要な選択を迫られる。――何を取り、何を捨てるのか。つらい選択でも決めなければならない。


 一つも取りこぼさないように欲張って、結果的に全てを失うことだってありえる。決めきれなかった場合は、その決断力のなさを、死ぬまで悔やむことになるかもしれない。


 そうなってもいいのか? 考え出すと気が狂いそうだった。


 ただの政略結婚――けれど縁あって二人は繋がった。始まりがどうだって、そんなのは関係がない。


 ――対面してピンとこなかったの? それは以前、ヴィクトリアに問われた台詞だ。あの時確かベイジルは『特に』と答えた。それについては嘘をついたつもりもなかった。


 初めて対面した時に、彼女に対して強い感情は抱かなかった。けれどそう――あとづけのようだが、なんとなく好感は抱いたのだ。それは人として好ましいという程度のものだったけれど。


 それは水彩画を描くような感覚だった。淡い色を重ねて、もう一塗り、もう一塗り。気づけば色濃く染まっている。


 エイダのおっとりした話し方が好きだ。笑った顔も。少し困った顔も。彼女の薄青の瞳に見つめられると、ベイジルは晴れた日の朝を思い浮かべる。神秘的に澄んだあの瞳がこちらに向けられると、特別な何かが始まるような気がして、心が騒いだ。


 ――失いたくない。目の前から彼女が消えた時に、強くそう思った。


 そして彼女への気持ちを自覚したことで、奈落の底に落とされるような恐怖に襲われた。――もしもこのまま見つからなかったら? 彼女が恐ろしい目に遭っていたら?


 職業柄、若い女性が遭遇した悲惨な事件を数多くこの目で見てきている。ベイジルはとてもじゃないが楽観的な気持ちにはなれなかった。


 ――けれどヴィクトリアが大丈夫だというのなら。


 ありがとう、そう感謝を伝えたかったけれど、どうしても声にならない。たぶん言葉に出していたら、みっともなく震えていたことだろう。


 ヴィクトリアはベイジルのほうを見ずに、まっすぐ前を向いて足を進めている。そんな彼女がそっと手を伸ばしてきて、柄にもなく優しい手つきでベイジルの肩を叩いた。



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